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25.伝えたかったこと

「お待たせしました」

「うん。ありがとう。料金はここに置いているから」

「ありがとうございます」

 部屋に入り、御荘を見つけた女性はにっこりとスマイルを見せて近づくと、運んできた料理をトレイごと彼の前に置き、置かれた一万円札を慣れた手つきで受け取った。


 用意された料理は、オムライスとサラダ。それにイタリア料理のポルペッティーネだ。

「良い香りだ。食器はあとで取りに来てくれ。申し訳ないが、見た通り皿を洗ってもらえるかどうかはわからないけれど」

「構いません。では、後程お伺いします」

「頼むよ。受け取り窓口は受付の誰かに聞いてくれ。なあ、刑事さん」


 この場所は取調室。

 目の前に広げられた料理は、ペットボトルの水を除けば立派なディナーだが、御荘が座っているのは古ぼけたオフィスチェアで、料理が乗っているテーブルは簡素なスチール製のものだ。

「ここの料理は格別だぞ。普通はデリバリーなんてしてくれないが、オーナー直々だ。頼んでみるのもありだと思わないか?」


「……遠慮しておく。それよりも、聞きたいことはまだあるんだが……」

「食事を摂ることは法で保障された権利だ。それとも、違法な取り調べを強要して、監査に捻じ込まれるのが希望か?」

 御荘のやることを見ていた刑事は、憮然とした顔で腕組をしたまま、食事が終わるのを待つつもりのようだ。


「見ているだけなんて、ある意味拷問だと思うが。まあ、好きにすると良いさ」

 言うが早いか、御荘はスプーンをオムライスへと突き刺した。

「では、私は失礼します」

 料理を運んできた女性が一礼して退室しようとすると、刑事が「念のため」と呼び止めて店の名前を聞いた。


「『イタリアン・キッチンM』というお店を経営している、水野と申します。良かったら、今度食べに来てください。決して高級店じゃありませんから」

 水野はにっこりと営業スマイルを見せ、刑事の許可を待って出て行った。

 御荘と目を合わせるようなことはしない。それに、彼女が料理店を経営しているのは本当のことで、調査が入っても何ら問題は無い。


「やれやれ……」

 嘆息する刑事の前で、容疑者である御荘は悠々と食事を続けている。

 最初に手を伸ばしたオムライス。見た目は普通で、トロトロの卵が美味しそうだが、角切りトマトが入ったトマトソースはイタリアンレストランならでは。そして中のチキンライスには一工夫されており、蒸しあげた鶏肉にバジルソースを絡めたものをケチャップライスに混ぜている。


 新鮮な野菜サラダにはオリーブオイルの香りが濃厚なドレッシングがよく合う。

 奇をてらったところの無い生野菜のサラダは、どこか安心する味で、濃いめの味付けの合間にパリッとした食感と酢の利いたドレッシングは程よい箸休めでもある。

「さて、これが一番のおすすめなんだ。ポルペッティーネ。聞いたことあるかい?」

 不機嫌そうな刑事は反応を示さなかったが、御荘はどうでも良かったようだ。


「簡単に言えば、イタリア風のミートボール。あるいはハンバーグと言っても良い。トマトソースで煮込んだものが多い。ここのもそうだ」

 注目すべきはミートボールそのものの味だ、と御荘はフォークに突き刺したミートボールを持ち上げた。

 とろりとしたトマトソースが良く絡み、滴っている。


「普通のミートボールじゃない。牛ひき肉に刻んだ生ハムとポルチーニ。程よい香りとガツンとくる肉の味だ。これは堪らないぞ。一度食べるといつかまたもう一度食べたくなる」

 刑事が喉を鳴らしたのを見ながら、ミートボールをまるごと口に放り込む。

 一気に溢れ出す肉汁とトマトソースが混じり合うと、口の中は幸せでいっぱいだ。

「うぅん、たまらん。ここ数日の疲れが吹き飛ぶようだ」


 楽し気に食事を続ける御荘が警察署の取り調べ室に居るのは、藤島が爆死した直後に捕まったからだ。

 三崎と坂江を乗せた救急車が爆心地から逃げるように走り去ったころ、御荘は爆風に煽られて杉の木に寄りかかる様に座り込んでいた。

「……遅かったか」


 御荘が藤島を閉じ込めるために張り巡らせたワイヤーは、ほとんどがダミーだった。セムテックスで隠していたのは、起爆装置ではなく、単なる釘やでっぱりにワイヤーを固定していることを隠すためだ。

 だが、それでも設置には神経を使ったし、時間も体力も必要だった。

 計算外に炎の広がりが速かったのも手伝って、爆風を完全に避けることができなかった。


 爆風で転がった時にあちこちにぶつかって身体中が痛む。

「骨折はしていないみたいだが……」

 しばらくは走って逃げるのは無理そうだと判断し、警官たちが近づいてくるのを知りながら、そのままにしておいた。

 警官たちに抱えられたところで「しばらく寝るから」と伝えて、先ほど目を覚ましたところだ。


「三崎一美という女性を知っているか?」

「誰の話だ?」

「お前と共に爆発に巻き込まれ、入院していたベーグル店のオーナーだ」

 ああ、彼女か。

 そう言って、御荘はため息を吐いた。


「あのベーグルは絶品だった。どこかの阿呆が壊してしまったが、ぜひ再開してもらいたい。また食べたいな」

 御荘は、坂江や三崎の話以外で警察は何らの証拠も持っていないことを知っていた。

 現場で見つかるものは、ほとんど藤島が合法非合法あらゆる方法で用意した物であり、御荘が自分で持っていた物と言えば、ワイヤートラップに使った小さな信管くらいだ。


 その信管も、爆発に巻き込まれて焼失しているのは間違いない。そのために小型化した御荘特製の信管なのだから。

「失礼。ちょっとトイレに行きたい」

 取り調べ中、御荘は断りを入れてトイレへと入った。

 廊下では警官が待っているのだが、御荘はのんびりと用を済ませ、古ぼけた鏡を見つめながら口の中に入っていたカプセルを取り出した。


「まったく。料理を使って渡すのはこれっきりにしたいね」

 ミートボールの中に仕込まれていたカプセルで、捕まる前に依頼をして用意してもらったものだが、歯ごたえも味の一つと考えている御荘にとっては、折角のポルペッティーネが台無しになるのが嫌だった。

 カプセルを割ると、中に入っていた粉末がさらさらと洗面台の中へと零れ落ちる。


「毒薬を頼んだ覚えはないぞ、水野」

 煙が出始めたところで、御荘は少し不安になって来た。



「なんか騒がしくなってきた」

 御荘と同じ警察署内。別室で聴取を三崎は、部屋の外がどたばたと騒がしくなってきたことに気づいた。

 聞き取りをしていた婦警が「様子を見てくる」と言って出ていき、一人でポツンと取り残された三崎は、手持ち無沙汰になった。


「痛い。痛いし、はあ……これからどうなるの」

 まだ火傷が痛む。

 しばらくはまた入院になりそうだが、病院の受け入れ態勢が整うまで警察署内で聴取をしながら待機している状況だ。

 御荘も捕まったそうだが、逮捕とは言われなかった。


 なんとなくだが、あの御荘が簡単に逮捕されるとは思えない。

 そう考えていたら、本人が来た。

「傷の具合は?」

 扉を開き、ひょいと顔を出した御荘は何でもないことのように入ってくると、後ろ手に閉めた。


「御荘さん、どうして。というより、どうやって……」

「色々と“友人”に頼ったんだ。少々高くつくだろうけれど、まあ仕方が無い」

 それよりも、と御荘は座っている三崎の前へと近づいた。

 三崎は、彼が何をやってきたかを知っていることで、始末されるのだと予感した。

 どうにか生きながらえたところだが、彼を前にするとどんな抵抗も無意味に思える。


「できれば、痛くないようにお願いします」

「……何を言っているんだ? 怪我が治れば痛みは消えるさ。そんなことよりも、大事な話がある」

 覚悟を決めて一度は閉じた目を、再び開く。

「大事な話……?」


 お前を殺す、以外に重要な話題などあるだろうか。

 自分を殺害せずに済ませる理由は特に思いつかない。借金を抱えた小娘で、その借金の原因となった店も粉々だ。いつ再開できるかもわからない。

 そこで、ふと御荘の“約束”を思い出す。

「いつか再開させるって、あれ、本当に……」


 まだ一度会っただけの相手に、そこまでする理由が三崎には恋愛感情以外に思い浮かばなかった。

「え、そんな、でも……」

 テロリストに惚れられるというのは大問題だが、好かれて嫌な気もしないというのが正直なところで、自分のそんな感情の動きに戸惑う。


 吊り橋効果だろうとは自覚しつつも、優しい微笑みを見せて自分を見下ろしている視線が、妙に恥ずかしく感じる。

「ちょっと考えさせて……」

「焼くという方法があるんだ!」

「……は?」


 大発見だ、とばかりに弾けるような笑顔で語る御荘に、三崎は目が点になった。

「焼く?」

「そう。ベーグルに水気がいかないように、焼き野菜を使うんだ。温かいベーグルにも合うだろうし、野菜の甘みを引き出すことにもなる。きっと美味いぞ!」

「ベーグルの話?」


 その通り、と御荘はさらにテンションを上げる。

「君のベーグルに足りないのは、野菜の管理と見た。例のトマトの件もそうだが、焼くことで食中毒を防ぎ、尚且つ店の特徴にもなる。そうだろう?」

「そう……かも?」

「そうだとも! だがそれはメインには成り得ない。もっと目立つメインの具材。主役になれる何かが必要なんだ!」


 御荘は悲しそうに首を振る。

「今は思いつかない。だが、君ならきっと見つけ出せる。俺も思いついたら連絡をする。だから頼む。傷を癒したら、またあのベーグルを作ってくれ」

「はあ……」

 もはや何かを言い返す気力も失った三崎は、気の抜けた返事をするしかなかった。


「それじゃあ、また会おう。……巻き込んで悪かった」

「えっ?」

 謝罪の言葉が、重く響いて聞こえた。

 三崎が顔を上げると、御荘の姿はもう無かった。

「悪かった……本気でそう思っているのかなぁ」


 いまいち信用できない相手だとは思いつつも、三崎はもう、彼を敵だとは思えなくなっていた。

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