24.トラップ
「はあ、はあ……」
残り時間が全く不明の状況で、焦るなという方が無理な話だ。
藤島はまず屋上から下りるための扉を慎重に調べ、扉の隙間からはコードやワイヤーの類が見えないことを確認した。
それだけで汗だくになるほど神経をすり減らしたが、まだ始まったばかりだ。
ドアに仕掛けるトラップと言えば、以前に藤島自身が荻らのアジトを燃やした時の発火装置のような、ドアの開閉に伴ってスイッチが入るものが一般的だ。
ゆっくりと押し開き圧力によるものやドア本体が動いたことに反応するタイプのトラップも無いことを知る。
「一体、どこに……」
扉を開けても、すぐには中に入れない。
肉眼では視認しにくいワイヤーや、赤外線による非接触型の起爆装置が使われている可能性も捨てきれなかった。
「何か、何か見つけないと」
少しずつ扉を開きながら、階段へ続くスペースを隅々まで見渡す。
持っていたハンディライトと拳銃をそれぞれの手に握り閉めて、肩で扉を押し開いてみたが、何も起こらなかった。
ライトの光が届く範囲には何も見当たらない。
「ふぅ……」
とにかくここまでは大丈夫、と藤島は階段へと向かう。
これが御荘であれば、時間的な余裕と相手へ近づくことのリスクを考えて、階段室あたりまではもっと堂々と進むだろう。
それ以前に、狙撃の可能性があっても最初に脅しで撃たれた際の弾道から相手の位置を大まかにでも割り出し、飛び降りて木の陰に隠れるといった選択をするだろう。
そういう点では、藤島には大胆さが足りない。
神経の図太さと言っても良いかもしれないが、これは藤島が繊細なのではなく、御荘の方があまりに傍若無人なのだ。
プラスティック爆薬の解体も、御荘は「こうなっている」と見抜いたらそれを信じる。そうなっているとわかっていれば、何を恐れる必要も無い。
しかし、凡人たる藤島はそうはいかない。
階段へ向かうほんの二メートル程度の距離ですら、そろりそろりと注意して歩かねば怖くてたまらないのだ。
そして、階段の上部へ辿り着いた藤島を、絶望の光景が迎える。
「この短時間で、こんな……」
薄暗い室内。眼下に見える階段は、途中折り返しの踊り場があるタイプなのだが、見渡す限りのワイヤーで埋め尽くされている。
信じられない、と目を見開きながらライトを向けてワイヤーの一つを辿ると、その先にはべったりと手すりに貼り付いたプラスティック爆薬がある。
爆薬の中にワイヤーが直接埋まっており、ワイヤーに力がかかると起爆するのか、逆に緩むと起爆するのかはわからない。
ただ、触れるだけでも危険だということしかわからない。
「ふぅ、ふぅ……」
いや増す緊張に、動いていなくとも息は上がる。
「こんなの、人間技じゃない」
ワイヤーは手すりを使って迂回しているものもあり、複数の爆薬とそこから伸びるワイヤーが混ざり合っていた。
藤島が怖いと感じたのは、爆破の危機にさらされているからだけではない。ワイヤートラップは手榴弾などを使ったものなど、世界中で見られる陳腐なものだが、非常に効果が高い。
難しいのはワイヤーのテンションをかけた状態で爆薬をセットすることであり、設置作業中に起爆してしまうことも珍しくない。
それだけ神経を使って設置しなければならないはずのトラップを、短時間でこれだけ複雑に、しかも大量に仕掛けてみせる御荘の腕前が怖いと感じたのだ。
焦っても碌なことにならない、と藤島は深呼吸を繰り返し、自分を落ち着かせる。
残り時間がどれほどあるのか、或いは本当にタイマー式の爆弾が他に仕掛けられているのか不明だが、いずれにせよ一つ一つを片付けていかねばいけないのだから。
「まず、これから」
一番手前にあるワイヤーを目で辿り、どこへ繋がっているかを確認する。
「遠い……あれも、これも! なんて性格悪いのよ」
どのワイヤーも、終点には爆薬が仕掛けられているが、全て途中で折り返しになっている階段の踊り場にある。そこまで行くには、縦横に張り巡らされたワイヤーを潜り抜けねばならない。
ワイヤートラップを解除するには、ワイヤーに接触しないようにして爆薬本体を無力化するのがセオリーだ。
「時間が……仕方ないわね」
警察官の制服のままだった藤島は、タイトスカートを股下ギリギリまで引き裂いて、足回りを楽にした。
軽く触れただけでも起爆するかも知れない、と慎重に一つ目のワイヤーをまたぎ、一段下へと足を踏み出した。
一本目はクリア。
二本目はまたぐには辛い高さなので、膝を曲げて潜ることにした。
体勢が辛い。
低いヒールだが靴を脱ぎ、屈みやすくする。
「抜けた」
確認するように声に出し、三本目、四本目をゆっくりとまたいでいく。
ライフルを置いていかねばならないのは無念だが、今はこの場を切り抜けることが優先だ。腰にはまだ拳銃が残っている。
「絶対に殺してやる」
いや増すばかりの御荘への殺意。
震える膝を押さえつけてまた一つのワイヤーを潜る。
そこで、ようやく一区切りだ。
「ここからが問題ね……」
ワイヤーを抜けた分の爆薬はもう無視することにして、ここから先のワイヤーと繋がっている爆薬を探す。
「ふふ、ここでセムテックスが尽きたの?」
つい笑ってしまった。
踊り場から下のワイヤーに繋がった爆薬は一つだけ。しかも他のワイヤーは爆薬に繋がっておらず、単に通路を塞ぐように張られているだけだった。
「これが御荘の限界ってことね」
これを解除してしまえば勝利だ。
「タイマーのあるタイプも爆薬も見当たらない。緊張させられたけれど、あれはブラフってこと? ふざけてるわ」
文句を言いながら、ポケットに入れていたアーミーナイフを取り出して、短いナイフを展開する。爆薬を掻き分けて中身を確認するためだ。
ワイヤーからつながるふくらみを避け、その周囲をなぞるように軽く刃先を差し入れる。
特に変わった手応えは無く、貼り付けられた壁の感触に行き当たった。
「小さい。どういう信管?」
小型で起爆が可能な信管は存在する。ワイヤーが引き抜かれた時の摩擦で起爆するアナログタイプのものや、ワイヤーで絶縁しており、引き抜かれると通電して起爆するものだ。
いずれにせよ、手作りの信管である可能性が高く、見てみなければ構造はわからない。
これがよくある手榴弾タイプであれば、ピンを押さえてワイヤーをカットすれば良いのだが、セムテックスに埋まっていると話は違う。
慎重に慎重に、粘土状の爆薬をそっと掻き分けて中のパーツを確認する。
爆薬だけで貼り付けているのであれば、起爆装置ごと落ちる可能性もあったが、その心配は不要だった。壁に装置そのものが貼り付けられている。
「これなら、難しくは無いはず……」
額の汗を拭いもせず、藤島は装置に付着したセムテックスを丁寧に削り落としていく。
べったりと張り付いた爆薬を剥がすのは一苦労だが、装置が小さいお陰で神経を消耗する部分は少なくて済んだ。
「……終わった」
削り取ったセムテックスをポケットに放り込むと、完全に露出し綺麗に掃除された起爆装置から、コードを引き抜いた。
コードが離れた刹那、かんしゃく玉の様な音を立てて信管が弾ける。
だが、それだけだ。
爆薬を起爆するだけの役割しかない信管は、小さく弾けて終わりである。
「勝った」
靴を履きなおし、階下へのワイヤーをアーミーナイフのペンチで次々にカットしながら、藤島はケラケラと笑っていた。
「この程度の罠しか作れないなんて、あの御荘も限界があるのね」
肩を震わせてながら、拳銃を抜いた。
何発撃ったかを忘れてしまい、恥ずかしく思いながらシリンダーを開いて全ての弾と薬莢を捨てた。
自衛軍だけでなく、警察にもある程度銃器の拡充が認められたこの時代でも、警官が貸与される銃は未だに五発装填の小さなリボルバーハンドガンだった。
予算の問題や練度に関することもあるのだろうが、訓練時間が短い警官にとって、装填不良の可能性があるオートマチックに比べて、扱いやすいという点もある。
再装填に時間がかかるのが問題だが、スピードローダーは支給されていた。
「……よし」
空の弾倉を一気に埋め、ローダーのシールを剥がして捨てる。本来なら回収が義務付けられているのだが、激闘の1エピソードとして、藤崎は自分のミスもリアルさを演出することにつながると考えた。
準備は整った。
真正面の扉にも特にトラップは仕掛けられていないことを探り終えた彼女は、そっと扉を押し開く。
「……は?」
展望台の前に広がるのは、火の海だった。
「さっきの爆発の影響? それにしても……」
火の回りが激しい。
展望台周辺には木々が植えられているのは知っていたが、それにしても地面からも火が上がっているのは異常だ。
「私を蒸し焼きにでもするつもり?」
言いながら、ぐるりと周囲を見回した藤島は、一瞬心臓が止まるかと思うような光景を見た。
セムテックスの塊が、建物の脇に無造作に置かれており、そこに火が燃え移ろうとしていたのだ。
しかし、一拍置いて冷静になる。
「火か……それなら大丈夫ね」
セムテックスは着火すると勢いよく燃焼するが、爆発はしない。先ほど破裂した信管のように、小さくても爆発的な燃焼で起爆するのだ。
「それを知らないわけがないと思うけれど……」
言葉が止まる。
藤島は見たのだ。
セムテックスの塊から、短い紐の様な物が伸びているのを。
そして直感する。あれは花火か何かで使う導火線だと。
気付いた時にはセムテックスに火が移っており、表面全てに炎が回る。
当然、導火線にも着火した。
「ひどい」
それが最期の言葉となった。
大型船舶を沈めるほどの威力を有する量のセムテックスは、藤島の小柄な身体を一瞬で焼き尽くし、背後の扉に圧着して人型を映した。
その扉も一瞬と待たずに拉げ、コンクリート製の壁を砕き、周囲の炎を爆風で消してしまいかねない勢いで、衝撃が大地をべろりと舐めていく。
大地は揺れ、風と振動で木々は騒いだ。
腹に響くような重低音が三崎や坂江のところにも届き、救助にきた警官や消防隊員たちに、終わりを知らせる。
そう、藤島の“願い”は、これで終わったのだ。