22.椅子の下の物
「三崎さん……」
「刑事さん!? 大丈夫なんですか?」
藤島が去り、足元からか細い声が聞こえてきて、三崎は飛び上がるかと思う程驚いた。
「あまり大丈夫とは言えない状況ですが……まずは謝っておきたい。巻き込んでしまって、申し訳ありませんでした」
絞り出すような言葉に、三崎はどう反応すべきか迷った挙句、「そうかも」と呟いた。
「結局、私のお店が壊されたのも、誘拐されてここで縛り上げられてるのも、警察のせいだし御荘さんって人のせいだし、運が悪かったって言われたらそれまでだけど、死なないといけないくらい運が悪いってのは、やっぱり納得できない」
「そうですね。だから、あなただけでも逃げて……」
「どうしました?」
坂江の言葉が止まったことで、三崎は彼が気を失ったか、もっと悪い状況かと不安になったが、そうでは無かった。
ある意味、もっと悪い状況を坂江が伝える。
「床に置いてあるもの……多分爆弾で、そこから椅子にコードが繋がってます」
下手に立たない方が良さそうです、と言われると、逆に腰が落ち着かない。
「立ち上がったら、ドカンですか?」
「すみません、わかりません。自分も爆弾に関する研修は受けましたが、爆発物処理までは教わっていませんし、当然未経験でして……」
「そんな……」
荒い息を吐きながらの謝る坂江に文句を言うのも気がひけて、三崎は絶望的な気分で項垂れた。
「動いたら死ぬかも。御荘さんが来ても死ぬかも?」
そう呟いた時、着信音が鳴り響く。
「びっくりした……」
「失礼。自分のスマホです。……ああ、こっちか……」
血塗れになった懐から取り出されたスマホには、幸いにも傷は入っていなかった。
これは藤島と御荘の会話を盗聴するために御荘から渡されていたものだ。つまり、このスマホを鳴らせる者は御荘だけのはずだった。
『生きているか?』
「電話に出ているのだから、わかっているだろう?」
それもそうだ、と御荘の笑い声が響き、それは三崎の耳にも届いた。
「折角機会をもらったが……失敗した」
坂江は苦しそうなため息を吐いた。
御荘の計らいで藤島と話をすることができ、彼女を止めるチャンスを得た。しかし叶わなかった。
悔やむ坂江の涙の意味は彼にしかわからないが、三崎にはそれが単に警官として犯罪を止められなかった後悔だけでは無いような気がした。
そんな義務的なことだけではない、もっと大切な何かを守り切れなかったような、そんな嗚咽だった。
だが、そんなことを斟酌するような御荘ではない。
『ん? ああ、まあそうなるだろうとは思った。こっちの目的は達成できたから、別にどうでもいい』
「な、なんだと? ……うっ!」
思わず身体を起こした坂江は、肩の痛みに苦悶の表情を浮かべ、床に置いてスピーカーモードにしたスマホを睨みつけた。
『先日同様、お前と藤島の会話は聞かせてもらった。お陰で相手のしょうもない目的もわかった。ご苦労、ご苦労』
「お前は……」
『とはいえ、ちょっと困ったことになったな。俺としては、三崎をむざむざ死なせるつもりはない。だが、ホイホイ出てくわけにもいかん。わかるな?』
わかるとも、と坂江はどこか投げやりに言う。
「御荘。お前がここに来たら、どこかで監視している藤島が爆弾を起爆する。そう言いたいんだろう?」
『その通り。さて、この状況をどうするかだが』
「御荘さん。聞こえますか?」
御荘の言葉を遮り、三崎は呼びかける。
「死なせるつもりはないとあなたは言うけれど、それ以前にここに至るまでのことで、私はとても迷惑を被ったんですけれど?」
『だから、それは申し訳ないと思うし、店の再開は心配しなくとも……』
「しません」
何を言われたのかよくわからなかったのか、御荘は問い返した。
『は?』
「このままじゃ坂江さんが可哀想です。それに、御荘さんは私を助けても、坂江さんを助けるつもりはないんでしょう?」
『助ける理由はないからな』
即答で、それも悪びれる様子が欠片も無い返答に少したじろいだ三崎だったが、ここで押し負けて言いなりになるわけにいかなかった。
驚いた様子でこちらを見上げている坂江に頷いた三崎は、咳払いをする。
「うぅん。良いですか。私は御荘さんと違って普通の人間なんです。人の心を持っているつもりですから、目の前で誰かが怪我をして沢山血を流しているのに、自分が助かるかもと言われても、喜べません」
『……では、どうしろと?』
「私を助けてほしいのはやまやまですが、坂江さんを犠牲にして生き残ったとして、お金さえあれば私が依然と同じようにお店を出す気になると思いますか? ……坂江さんも助かるようにしてください。彼が無事でいるなら、私は御荘さんについて警察だけじゃなく、誰にも話しませんし、お店の再開も頑張ります」
言い切ったあと、数秒間の、いや、三崎には数分にもそれ以上にも感じるほどの、重い空気を纏った沈黙が流れた。
彼女にとって、これは賭けだった。
もし、御荘が「そこまでするほどじゃない」と判断したら、彼女は坂江もろとも見放されてしまうだろう。
『……はあ、わかった。わかったよ』
参ったね、どうもという呟きを挟んでから、御荘は笑っているような明るい調子で続けた。
『とはいえ、そこに今すぐ近づけるというわけじゃない。坂江、爆弾の見た目を教えろ』
失血から気絶しかけていた坂江は、どうにか体勢を変えながら、傷の痛みで意識を保って霞む視界に映る光景を言葉にしていく。
「太い、水道パイプみたいな金属管から、配線が二つ伸びている。金属管には木製の支えがついているだけで、他に何か特徴みたいなものは見えないな……」
配線は三崎の尻の下へと入り込んでおり、そこから先はわからないと言う。
『金属管の左右はどうなっている?』
「金属の蓋が付いている……片方だけ、配線用の穴が小さく開いているだけだ。いや、待ってくれ」
手錠で繋がっている椅子を揺らさないように注意しながら、坂江はずるずると這うように位置を変え、爆弾の裏側を覗き込む。
「……背面に、大きく穴が開けられていて、そこに何かの小さな機械が取り付けられている」
『穴の中は?』
「これは、ああ、これは、この粘土みたいなやつは研修で見たことがあるぞ……」
『粘土? ああ、セムテックスか。俺も随分と恨まれているな。そんなもん生身の人間に使ったら、粉々どころじゃないぞ』
セムテックスは俗に言うプラスティック爆薬の一種で、軍用にもテロにも広く使われている爆薬の一種だ。
非常に安定している爆薬で、火を点けたりしても燃えるだけで爆発はせず、落下などの衝撃でも反応はしない。雷管などを使った起爆を行う必要がある。
『良かったな。ぶつかっても爆発はしないぞ。中に振動反応タイプの信管が無ければな』
「脅さないでくれ……。それで、ここからどうしたらいいんだ?」
坂江に問われた御荘の返答には時間がかかった。
『まずは背面にある起爆装置を除去すべきだろうな。お前が言う小さな機械から配線が伸びているだろう? それをゆっくり引き抜くんだ』
「大丈夫なのか?」
『藤島がどこから見ているかはわからないが、爆弾の目的が俺である以上、無力化を試みているのが見えていても、まずは電話か何かしてくるはずだ』
逆に言えば、連絡が無ければ細かい様子までは藤島には見えないということだろう、と御荘は推論を語る。
『爆弾の単純さから見て、有り物を使った急ごしらえの物だと思う。恐らくは振動による起爆まで仕込む余裕は無かったはずだ。無線で起爆する信管を差し込んだだけだろう』
中東などでよく使われた即製爆弾と同じだと御荘は言う。
「藤島さんが、お前が居なくとも起爆する気にならないことを祈るよ。三崎さん、いいですか?」
「……お願いします」
嫌だと言っても他に手は無いのだから、そう答えるしかない。
『コードが千切れないように、まっすぐ引っこ抜くんだ』
「簡単に言ってくれる……」
震える指でコードを摘まんだとき、坂江はもう肩の痛みを感じていなかった。血が抜けすぎて痛覚がマヒしてきたのか、緊張のピークで痛みを感じている場合ですらないのか、どちらにせよ、今は助かる。
「はぁ、はぁ……」
息が苦しい。
ぬる、と埋まっていた部分のコードが露わになり、短い筒状の雷管が姿を現す。
これがうっかり反応してはじければ、人間の感覚ではほぼ同時にセムテックスは起爆する。一キロ程度はあるだろう量のセムテックスが爆破つすれば、坂江も三崎も、何が起きたか知る前にはじけ飛び、どちらがどちらかわからないくらい粉々の肉片になるだろう。
ずるずると粘土の奥から滑りでてくる雷管が、一センチほど露出した。
「ここまでしなければならないほどの憎悪が、藤島さんの中にあったのか」
妙にクリアになってきた思考で、あの朗らかに笑う藤島の笑みと、先ほど自分に銃口を向けて引き金を引いた藤島の顔が重なり合う様に思い浮かぶ。
数秒後、雷管は完全に抜けた。
機械とコードをまとめて、残った力で可能な限り遠くへと放り投げた坂江は、あと一つの起爆装置を解除するため、大きく息を吐いて自分の身体にもう少しだけ動いてくれと言い聞かせる。
「はいはい、お疲れさん」
「お前……近くにいたのか」
雷管を投げた直後、近づいてきた足音は御荘だった。
「リモートで爆破される心配はこれで無くなったからな。あとは任せろ」
そう言って、御荘は三崎の背後に廻り、その尻あたりをじっくりと凝視する。
「……なんだか、恥ずかしいんですけれど」
薄い入院着のままであった三崎は、自分の尻を見つめられて身悶えしたかったが、下手に動けば爆発すると思い、我慢せざるを得ない。
「んー……やっぱり、そうか」
「えっ? ……ええっ!?」
振り向くわけにもいかず、御荘の対応を待っていた三崎は、不意に脇を抱えられて立たされたことで、身体に力を入れて丸く縮こまる。
「爆発……あれ?」
椅子の横にすとん、と立たされ、三崎は自分が座っていた場所へと目を向けた。
そこには、小さく折りたたんだアルミ箔とコードがあるだけだ。
「ブラフだよ。妙だと思ったんだ。感圧方式ならもっと広い板を使う場合がほとんどで、尻に隠れるような小さな装置なんて使わない」
小さく、ちょっと身じろぎしただけで反応するような敏感な装置だと御荘が来る前にくしゃみ一つで起爆してしまう。
「お前たちを釘付けにするための嘘ってわけだな。性格の悪い奴だ」
「そ、そうだったんだ……」
床にへたり込んだ三崎に、御荘は坂江の懐を探って一つのスマホを差し出した。
「救急を呼ぶんだ。警察も呼んでいい」
「……御荘さんは、どうするんですか?」
決まってる、と御荘はセムテックスがたっぷり詰まった爆弾を拾いあげ、贅沢に爆薬がたっぷり詰まった中身を見ていた。
「鬱陶しい奴を、始末するのさ」
爆弾を小脇に抱えたまま、御荘は三崎の前から姿を消した。