1.依頼
プロローグと同時公開です。前話を未読の方はご注意ください。
依頼を受けて爆発物を仕掛ける仕事は、打ち合わせから始まる。
初顔合わせで交わされるのは『爆破の対象』『希望の日時』『報酬』の三つ。そしてそれらに対する御荘からのイエスかノーの返答だけだ。
打ち合わせの場所を指定するのは基本的に御荘の方からで、まず間違いなくどこかの飲食店だった。
「自衛軍の地方本部ビル。三階にある最東部の部屋を午後五時。で合っているかな?」
御荘は待ち合わせたカフェに着くなり、予め連絡を受けていた内容を確認した。何をするかまでは言わない。他に客もいるのだ。
向かいに座る相手は二人。一人は初老の男性で厳しい目つきをしており、地味な皮のジャケットを着ているが、どこか剣呑な雰囲気が隠せていない。
もう一人は、不良然とした雰囲気がある金髪の若者で、男性から向けられているのが警戒の視線だとすれば、こちらの若者は生意気な威嚇といった目をしていた。
「間違いない。報酬についてだが……」
男性が話を続けようとするのを、御荘は手で制した。
「急ぐ必要は無い。ここのパンケーキは絶品なんだ。君らも注文すると良い」
ウェイトレスを呼び、コーヒーと共に店の看板メニューである特製パンケーキを注文すると、先に来ていた二人の男たちはコーヒーのお替りだけを注文した。
「最近の流行はやたらと柔らかくてふわふわしたものばかりだけれど、ここのはもっともっちりとしていて、しっかりとした食べごたえがあるんだ。でも甘ったるいだけの生地じゃない、さっぱりとした後味で重たく感じないのが不思議なんだ」
普通の小麦粉と卵や砂糖以外に何かが入っているはずなんだが未だにわからない、と御荘は首を傾げている。
その顔は非常に楽しそうで、ウェイトレスもその様子を見て微笑んでいた。
「それにハチミツな。メープルシロップじゃなくてハチミツの、濃くて力強い甘味が生地と本当に相性がいい。お上品なパンケーキじゃなくて、もっとダイレクトに美味いと思わせる力強さがある」
「まさかとは思うけどよ」
熱く語っていた御荘に、若者の方が口を挟んだ。
「それを食うためにこの場所を指定したんじゃねえだろうな?」
「他に理由があるか?」
「てめ……」
立ち上がろうとした若者を、男性が手で制した。
「こちらがお願いする側だ。お前は黙っていろ」
「こんな思想の無い奴に頼むことありませんよ!」
渋面を浮かべた男性は、若者を説得するための言葉を探しているようだった。
御荘は二人の言い合いに我関せずと言った様子で、運ばれてきたパンケーキにナイフを差し入れている。
さっくりと香ばしさが伝わってくる感触を通り抜けたナイフは、柔らかく、それでいて弾力がある生地の内側を断ち割っていく。
一口目はハチミツをかけないのが御荘のやり方だ。
フォークで口に運んだ生地の熱さに一度だけ吐息を洩らし、それから五感の全てを使って味わう。
サクサクした食感は一瞬で消え、口内に甘く柔らかな刺激がゆっくりと広がっていく。
「美味い」
一言だけ呟いた御荘は、味に満足した笑みを浮かべつつも、どこか残念そうだった。焼き加減は解っても、生地の秘密までは解明できなかったからだ。
それでも二口目を切り分けることはしない。本来の楽しみ方であるハチミツをたっぷりと垂らし、甘さでコーティングされた二口目に移る。
「ここに来るたびに、敗けた気分になるよ。わからないけれど美味い。残念だと思いつつも満足感がある。今日もマスターにやられたってね」
御荘が視線をずらすと、カウンターで洗い物をしているマスターと視線が合う。
澄ました顔をしているマスターだが、自信たっぷりといった雰囲気だ。
「……彼は、“この道”では二人と居ないプロだ。今回の件はなんとしても成功させねばならん」
絞り出すように男性が言うと、若者は憮然とした表情ではあるが、浮かせ気味だった腰を椅子におろし、コーヒーを啜った。
「そうそう。お前たちは希望を言って金を払う。俺は作って設置する。それだけだ。そこにお前らの思想や俺の信条は関係無い」
「その件だが、一つ頼みがある。食べながらで構わないので、聞いていただきたい」
ナイフとフォークの動きは止めず、視線で言葉の続きを促した御荘に、男性は一礼して口を開いた。
「設置に関しては、こちらに任せて貰えないだろうか? 今回は失敗をしたくない……というと語弊があるな。私たちの手でやりたいのだ」
「お断りだ。それが絶対条件だと言うなら、この件は断る」
拒否を宣言した御荘の目は、男性が喉を鳴らす程の圧力があった。先ほどまでのような、美食に舌鼓を打つ笑みは消えている。
「どうも勘違いしているようだが、俺の扱う“もの”はそうホイホイ持ち歩けるようなものじゃない。それに設置場所は元より、向きや高さが少し変わるだけでも、効果範囲は変化する。ただ爆ぜれば良いというなら、自分たちで花火でもほぐしていろよ」
「てめぇ、荻さんが下手に出てるからって調子に乗るんじゃねぇ!」
激高して立ち上がった若者を男性が止めようとしたが、御荘に飛びかかる彼を押さえる手は間に合わなかった。
テーブルに踏み出された足は、パンケーキの皿を蹴り飛ばし、半分ほどの大きさになったそれが床へと落ちる。
「ふぅ……」
呆れと共に怒りを抑えるためのため息。
乱暴に、やみくもに振り回された拳は首を傾げた御荘のすぐ横を通り抜けた。
直後、御荘から襟首を掴まれた若者は、胸元に倒れ込むような姿勢で引き込まれたかと思うと、胸元に硬い何かが押しあてられる。
「お、おい……」
ちらりと一瞬だけだが、銀色に光る銃口が見えた。
背筋が凍りついたような冷たさを感じた若者が恐る恐る見上げると、間近に御荘の顔がある。
「食べ物を粗末にするな。特にこんなに美味いものを」
銃口がさらに強く押しつけられ、若者は息をのむ。
「わかったか?」
「あ、わ、わかった……」
死を覚悟した若者は、不意に笑みを浮かべた御荘に返事をして解放されると、その理由に気付いた。
ウェイトレスが駆け寄って来たのだ。
「悪いね。連れが転んでしまったみたいだ。さすがにあのボリュームを一枚半は食えないから、お替りは良いよ。皿は割れてない?」
「は、はい。服は汚れていませんか?」
「大丈夫、大丈夫。いやほんと、申し訳ない。なあ?」
ただ転んだわけじゃないと言うのはウェイトレスにもわかっていたが、御荘が言う下手な言い訳に納得させられてしまった。
というより、あまり突っ込んだことを聞くのが怖かったのだろう。
若者や男性もウェイトレスに謝り、手早くテーブルが片付けられると、コーヒーが三つだけ載ったテーブルは酷く殺風景に見える。
「先ほどはうちのがすまなかった。……設置の件も理解した。これは報酬の前金だ」
「確かに」
差し出された封筒をつまみ、御荘は中身の確認もせずに万札を一枚だけ引き抜くと、残りを封筒ごとジャケットの内ポケットへと放り込む。
万札を伝票の下に滑り込ませた彼は、コーヒーの残りに口を付けた。
すっかり冷めてしまっているが、喫茶店として矜持を感じる濃くて深みのある味わいは感じることができる。
同じようにコーヒーを傾けている若者に、御荘は問う。
「うまいだろう?」
「え、ああ……」
「そのコーヒーを淹れるのに、お前と同じような“思想”が必要か?」
返事が出来ずに、若者は隣にいる男性を見た。先ほど彼が「荻さん」と呼んだ人物だ。
「たまには指導者の言葉や思想に照らし合わせてではなく、自分で考えろ。答えはノーだ。俺が作るのも同じだ。客に美味いと感じさせる料理を作るのと、俺がやることは同じだ」
残ったコーヒーを飲み干し、御荘は伝票ごと金を掴み取って立ち上がった。
「では、事が終わってから」
荻が立ち上がり、一礼する。若者もそれに倣った。
「地方本部の件。よろしく、お願いする」
御荘は答えず、恐縮するウェイトレスに詫びも込めてと金を渡して店を出た。
「……何者ですか、あいつは」
「御荘……本名かは定かじゃないが、そう呼ばれている。俺たちのような抵抗組織の間では有名な男だ」
爆弾を作り、設置する。依頼を受けて行った爆破テロではほとんどの例で成功しており、失敗に関しても元々依頼主が調べていた情報が間違っていたり、何らかの理由で情報が漏えいして妨害された場合のみだった。
「どんなイデオロギー集団にも属さず、誰であろうと何であろうとターゲットにする。……いや、詳しくは知らないが、断られる場合も有るらしいが。例えば先日の新聞社爆破事件も彼の仕業だ」
「あれも……」
荻が例に出したのは、御荘がレストランで見届けた爆破のことだった。
新聞社の社会部を狙った爆破で、記者や編集者数名と、一般人が十人以上犠牲になっている。
「誰が依頼したかは知らないが、数日前にあの新聞社の記事で資金の流れを暴露された連中がいる。恐らくはその連中だろうな」
荻たちとは係わりの無い者たちで詳しい内容までは彼も知らないことだが、理由は問わずに依頼を受けるのは評判通りらしい。
「なら、俺たちの団体に引き込みましょうよ!」
先ほどまで御荘を悪しざまに言っていた若者が、手の平を返して身内に欲しい人材だと言い始めた。
それを見た荻は冷たくなったコーヒーで口を湿らせてから「無理だ」と呟く。
「そう考えた連中は過去にもいくつかあったが、どこも成功していない」
「でも、俺たちの考えを理解させれば……」
判っていないな、と荻は食い下がる若者に視線を向けてから、目を閉じた。
「彼の頭には爆弾と食事のことしかない。それを無視して無理に引き込もうとして、制裁を受けた組織がいくつもある」
「せ、制裁?」
「わかるだろう? 彼のやり方は一つだ」
息を飲んだ若者を引っ張り上げるようにして立たせた荻は、マスターに迷惑をかけたと詫びを入れてから、店を出た。
「余計なことを考えるなよ。私たちはただ、結果を待てばいいんだ」
「わかりました」
世間には牙を剥き、自分には従順な若者のことを不安に感じながらも、組織存続のためにはこういう者たちも育てなければならない、と荻は改めて肩の荷を重く感じていた。
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