18.特定
TVから流れるニュース速報の音声は、些か早口になったキャスターの声と、現場からの悲鳴とが入り混じったものだった。
「怖いねぇ。最近こんなことばっかりだ。大将の店も狙われないようにしねぇとな!」
「俺の店なんか壊したって、なんも出てこねぇよ」
繁華街にほど近い場所にある中華料理屋の大将は、常連客のいじりに笑顔で答えた。
「あっ、いらっしゃい!」
夕食時には少し早い六時前。新たに入ってきた客の顔に、大将は見覚えがあった。何の仕事しているか知らないが、スラックスにジャケットだが、着こなしはカジュアルの雰囲気に近い青年だ。
彼は時折ふらりと現れては、細身の身体に似つかわしくない量を、しかも美味そうに食べて帰るものだから、大将は当然憶えていた。
「塩ラーメンと海鮮餃子。あと唐揚げね」
「あいよっ」
カウンターに座った青年は、メニュー表も見ずに注文し、連絡を待っているかのように、カウンターへスマホを置いた。
その視線は、大将の手つきを見ている。これもいつものことだ。
料理人として、大将は技術を見て盗もうとしてくるのは大歓迎だった。
そう簡単に真似はできないだろう熟練の技を持っていると自負していたし、研究に研究を重ねたタレは製造風景を公開しているわけでも無い。舌で盗むしかないのだ。
同業者でもないだろう青年は、おそらく趣味で料理をしているのか、あるいはインターネットでグルメ記事のようなものでも書いているのかも知れない。
いずれにせよ、料理人たる大将のやることは一つだけ。
美味い物を作ることだ。
「先にラーメンね」
「どうも」
カウンター越しに受け取ったどんぶりは、とても熱い。
素早く目の前に置いた青年は、見た目のチェックもそこそこに、割り箸を手にして食べ始めた。
ここのラーメンは基本が鶏ガラで出汁を取った塩系のスープだが、決してあっさり系ではない。
スープに直接では無く、もやしや刻んだ地鶏を炒める時に混ぜたごま油の香りが漂うが、別に特製の鶏油を使用した焦がしニンニクでがっつりとしたコクを生み出している。
緩いウェーブがかかったちぢれ麺が、ほどよくスープを絡めとる。
遠慮なく音を立ててこの店の空気と共に吸い込めば、コシのある麺に脂が程よく絡む。
「美味い。いつも思うが、麺とスープのバランスが最高だ」
「でしょ? ほい、海鮮餃子ね」
待ってました、とばかりに御荘は餃子に胡椒だけをさっと振る。
ここの餃子は種にしっかりと味が付いているので、胡椒だけ利かせるのが一番美味い。
「……やっぱりいいね。海鮮」
見た目は普通の餃子だが、白菜メインで肉が入っていない。代わりに、刻んだイカと海老に軽く味付け衣をつけて揚げた、揚げ玉のようなものが練り込まれている。
甘みがある白菜の餡の中に、カリッとした食感と潮の味。これがもっちりとした厚みのある皮に胡椒だけの刺激が混ざり、よく合う。
商売として大量に作るのでなければ、これだけ凝った餡を用意するのはなかなかの手間だ。食い入るように調理風景を見ていた青年……御荘は、この店に来た時は必ず食べるようにしているが、いずれ自分でも作ってみようと思っている。
しかし、白菜と皮の風味に紛れて、イカと海老に使われた衣の仄かな風味を生み出す正体がわからない。
「むむむ……」
やはりわからない、と唸っている間に、目の前では唐揚げ作られている。
この店のから揚げは、鶏ももを骨付きのまま大きな中華包丁で豪快に叩き切っていくのが特徴で、たっぷりとタレに絡めると、薄く粉を付けて中華鍋で揚げていく。
タレは醤油とニンニクがしっかりと力強い、日本人好みの味付けだ。
「はいよ。唐揚げね」
出された直後の揚げたてに胡椒を付けて、はふはふと言いながら噛り付く。
骨ごと揚げているせいなのか、肉汁の味がそのまま出汁になっているかのように、濃厚な出汁が混ざったかのような脂の風味だ。唐揚げだが、油ではない。脂だ。
鶏もも肉二本分というボリュームだが、カリッとした軟骨部分も楽しめるのも好きで、一人前には多いものの御荘にとっては辛い量ではない。
「うむ、うん……。ふぅ……」
何かに納得するかのように食べていた御荘は、ふとスマホのスイッチを押して、時間を確認すると、また食べ始めた。
唐揚げや餃子を摘まみながら、ラーメンを食べる。
油の多い食事だが、飽きない、もたれない。
御荘は“本場の味”に拘ることはほとんどない。
興味を示して試してみることはあるが、この店のように本格中華に拘らず、客層に合わせた工夫をする店の方が好きだった。
「食の価値は食べる者が決める」
中国で食べる中華と日本で食べる中華の味が違うのは当然なのだ。
「ごちそうさま。お勘定、ここに置いておくよ」
「あいよ。毎度ありがとうね」
胃と心の満足感たっぷりで表に出た御荘が二分ほど歩いたところで、爆発音が響いた。
当然、対象は中華料理店ではない。その近くにある駅の構内だ。
「予告通り、完了だ」
逃げ惑う人々と黒煙を見ていた御荘に電話がかかって来た。
相手は坂江だ。
『……やりやがったな』
「約束は守るタイプだからな。たった今も駅を爆破した。どこの駅かはそのうち通報が行くだろう。それで、送った音声の内容は聞いてもらえたかな?」
坂江が苦しそうなうめき声を上げて言いよどむのを、御荘は黙って待っていた。
『あの音声だけで、断定はできない。第一……』
「いいから、あの声の女が誰かわかったんだろう? 間違いなく警察関係者だ。お前も知っていると思ったが、知らない奴だったか? なら仕方ない、一人ずつ捕まえて……」
『待て。対象はわかったから、あとはこちらに任せてもらいたい』
御荘は録音した通話から抜き出した“ボイスチェンジャーを通していない声”を坂江に送っていた。もちろん、声の主を探すためだ。
『お前は、彼女を殺すつもりなのだろう? それは許されない』
「お前の許可なんていらないんだよ。探せないなら、予定通り警察所を丸ごと爆破してから、ゆっくり三崎を探すだけだ」
もちろん、警察署と言っても坂江のいる県警だけではない。
「県内のすべての警察署をまず潰してしまわないとな。それでも動きがあるなら、今度は近隣の署も全部壊す。派出所も何もかも」
『待て……くそ、こんな……』
「あと十秒待つ。いち、に、さん……」
『藤島巡査だ……。あの声は藤島さんだ』
間違いない、と振り絞るような声。
「ご協力感謝する」
電話を切り、御荘はすぐに探偵へ連絡を入れる。
「ターゲットは藤島という巡査だ。渡した名簿と顔写真に名前があったよな? じゃあ、頼んだ」
これで三崎の居場所か、少なくとも場所を知る者を“確保”できるだろう。
御荘は満足げに頷き、消防車がけたたましいサイレンを鳴らして向かっている駅へと背を向けて歩き出した。