16.使われた刑事
「実のところ、まだ確定的な情報は持っていなんだ。あんたと同じさ。坂江さんよ」
「……どうして、名前を知っている?」
ここまで、話をしてはいても自己紹介はしていない。警察手帳も見せていない。名を知られている筈がないのだ。
肩を竦めて、御荘は「種明かしをする」といって耳から小型のイヤホンを取り外した。
「最近のイヤホンは小さくて目立たないよな」
コードも無く耳の中にすっぽりと嵌るタイプのイヤホンを御荘がテーブルに置くと、坂江の視線がそこに注がれる。
「渡していた……というより、ポケットに滑り込ませたスマホだけどな、少し細工がしてある。色々と面倒な説明は省くが、要するに通話状態じゃなくても音は聞こえていた」
「なっ……」
つまり、ポケットにスマホを入れていた間に坂江がしていた会話や聞こえていた物音は全て聞かれていたのだ。
「と、盗聴じゃないか、それは!」
「爆弾テロ犯を前に、今さら何を言っているんだお前は」
言われてみれば、と坂江は浮かした腰を下ろしたが、それはそれで違う気もする。
「警官が怪しいと思ってしばらく色々と聞かせてもらったんだが、お陰で色々と推察もできた。怪しいのが何人かいるな。捜査本部の連中やら県警の連中やら」
御荘は確定できる要素こそ見当たらなかったが、おびき寄せるための策は思いついていた。
「まあ、まだ警察が一番怪しいと思っているだけなんだが、こうして突いてやれば出て来るんじゃないかと思ってね」
御荘の腕が坂江へと伸ばされ、指先が先ほどマークを書き記した紙ナプキンへと届くと、摘まみ上げてくるりと裏返した
「どうか、お願いを聞いてもらえないかと思ってね」
指先が指し示すそこには、『会話が警察にも聞かれているはずだ』と書かれている。
「な、そ、それは……!」
たった今聞かされた御荘の盗聴の話から、そのメモが指し示す内容を坂江も理解できた。
「頼みというのは、警官の中で怪しい奴を探って欲しいというものなんだが」
言葉ではそう言いながら、御荘の手は別の言葉をナプキンへ書き添えている。
――――無線を出せ。お前はすでに監視されている。
坂江は迷いに迷っていた。
警察の仲間を疑いたくはない。特に、この無線はあの藤島が取り付けたものだ。だが、功を焦っている捜査本部の連中が指示を出している可能性は否めない。
恐る恐る、懐に入れていた無線機を見る。
「まさか……」
スイッチを入れた覚えはない。
実際、スライド式のスイッチはOFFになっている。しかし、パイロットランプは緑色に点灯し、すでに起動していることを示していた。
裏切られたという思いが、坂江の心中をかき乱す。
そこに、御荘の言葉がかけられるものの、行動とは裏腹だ。
「そうか、いやいや、流石はボンタン刑事どの。見上げた正義感だな。参った、参った」
芝居がかった声音で語る御荘の手が、坂江の手から無線機をそっと奪い取り、手早くバッテリーを抜いた。
パイロットランプが消えたことを確認した御荘は、その無線機を坂江の前に置く。
「……無線の電源は落ちた。程なく警察がここへ入り込んでくるだろうな。とりあえず、これは回収しておく」
御荘は呆然としている坂江の懐に手を伸ばして自分が密かに持たせていた方のスマホ兼盗聴器を回収すると、そのまま相手の耳に口を近づけた。
「ようやく聞き耳を立てている奴はいなくなったな。本題の“脅迫”といこうじゃないか。時間が無い。手短に言っておく」
御荘の言葉を聞いた坂江は、そのまま目を見開いて硬直してしまった。
いつの間にか御荘の姿は消え、危急を察した藤島が依頼した応援の警官が店に飛び込んだ時、個室の中にはたった一人、坂江だけが残されていた。
☆
坂江が持ち帰った脅迫は、警察署内をひっくり返す騒ぎとなった。
「警察署を爆破するとは……!」
「考えられるのでしょうか? 警察署内に不審物の持ち込みなど、かなり難しいのではありませんか?」
「難しいだけで、決して不可能でないのかも……」
捜査本部ではテロ犯の捜査どころではなく、一度捜査本部を畳んで避難すべきではないか、いや県民の目がある手前、逃げ出すのではなく爆発物の操作と検問を、などと夜通しの会議を繰り返している。
その間、坂江の方はほとんど犯罪容疑者のような扱いで、警察署内からの外出を禁じられていた。
「いや、参りましたよ」
「災難でしたね」
宿直のための部屋をあてがわれ、夜を徹した捜査員たちからの聞き取りに繰り返し答えていた坂江は、三時間ほどの睡眠時間をようやく確保したものの、朝には目が覚めてしまい、すっかりくたびれた様子で座り込んでいた。
そこに食事を運んできたのは、藤島だ。
一人暮らしの自宅から通勤する途中にあるコンビニで、どうにか材料を揃えた手抜きのご飯ですけれど、と申し訳なさそうに藤島は笑っているが、坂江にしてみれば充分なごちそうだった。
「いやいや、助かります。本当に迷惑をかけてしまいました」
個人で容疑者と接触したことで処分は確実であろうが、坂江の使い道はまだあるとばかりに、保留とされている。
藤島も手伝ったということで多少のペナルティはあるだろうが、坂江の説明によって通常通りの業務を続けられている。
「疲れたところに、あまり重たいものもどうかと思ったんです」
彼女が用意したのは、茶漬けと漬物、それに卵焼きだった。
「どうぞ。私の奢りです」
ふふん、と自慢げに胸をはる藤島に、坂江は照れくさそうに笑いながら食事へと目を向ける。
茶漬けはおかかを混ぜ込んでふんわりと大きなおにぎりにしたものに、薄めの出汁をかけたものだった。たっぷりの海苔とほんの少しのわさびが香りをグッと引き立てる。
箸でおにぎりを解して口へと流し入れると、優しい出汁とおかかの味でホッとする。
漬物はカットして売られている大根やキュウリのパックをさらに細かく刻み、昆布やゴマと混ぜ合わせてあった。
箸で摘まんで噛みしめると、コリコリとした食感の中に色々な味わいが混じり合って、本来強めだった塩味が、昆布によって優しく穏やかなものに和らいでいた。
そして、卵焼きはほんのり甘く、お茶漬けや漬物で塩気がついた口の中で柔らかくほぐれる。
「美味しいです」
「ふふっ、嬉しい。昨日食べたギリシャ料理みたいに豪華じゃありませんけれど」
「いや、食べ慣れないものより、こういうのが落ち着きます」
坂江が食べ終えるのを待つことなく、藤島は「本部の手伝いをするから」と立ち上がった。
「色んな機材を移動させて検査するらしくて、今日は遅くなりそうです」
「そうですか。お手伝いできれば良いんですけれど」
署内には坂江のことをあからさまに疑っている者もいる。今の状態で爆弾探しを手伝っても、邪魔になるだけだろう。
藤島も、それを理解していた。
「大丈夫ですよ。坂江さんはお疲れでしょうから、ゆっくりしていてください……あっ」
耳につけていたハンズフリーマイクを押さえて、藤島は申し訳なさそうに片手で礼をして部屋を出て行った。
「電話、か」
彼女は彼女で忙しいらしい、と坂江は用意してもらった食事の続きをしようと箸を上げた瞬間、テーブルに置いていたスマホが振動を始めた。
「こっちもか」
震えているスマホを掴み取り、見慣れない番号からの着信を怪しいとは思いつつも耳に当てた。
『昨夜は挨拶も無く帰って悪かったな。美味い食事を楽しんでもらえたかな?』
つい昨日、直接耳にした覚えがある声。
『返事は不要だ。これから言う場所を二時間ごとに爆破する。これが脅しでない証拠に、今すぐ一か所、警察署近くの公園を爆破する』
言葉が途切れた直後、遠くから地響きのような音と振動が坂江の耳にも届いた。
しかし、坂江は何も言わない。
そういう約束なのだ。
『二時間後は駅。四時間後は、昨夜伝えた通り、警察署が標的だ。安心してくれていいぞ。今度は毒を撒くなんて真似はしない。しっかりと爆発で殺傷するタイプのものを使う』
「……要求は、なんだ?」
『おっと、そうそう。それを伝えるのを忘れていたんだ。……全国放送のテレビやインターネットの主要ニュースサイト。その全てで一連の爆破事件で爆弾の製造と設置を行ったのが俺、“御荘”がやったと報道させろ』
全ての“成果”はこの俺がやったことだと世界に知らしめろ。
そこまで伝えて、御荘からの電話は切れた。
かけ直してみたものの、誰も電話には出ず、数コール目で留守番電話に繋がったところで、通話を切る。
そして、無言のままスマホを握りしめて立ち上がり、捜査本部へと向かう。
「すみません。先ほど例の容疑者から電話がありました」
ざわついていた捜査本部の中で、責任者に坂江がそう伝えた瞬間、捜査員全員の耳目が注がれた。
「爆破予告です」
警察署が再び慌ただしく動き始める。
そして同じころ、今まで坂江と会話していた御荘のスマホに着信が来た。
坂江のスマホからではない。番号は非通知。
「かかったか」
御荘は相手が罠にかかったと確信して、ほくそ笑んだ。