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10.三つ

「ご苦労だった。これを二百部コピーして配布してくれ。それで君はもう自分の仕事に戻っていい」

「わかりました。失礼します」

 捜査本部が設置されて早々、本庁から来た責任者から資料を提出するように命じられた坂江は、まとめてファイリングしたものを用意した。


 さらさらと流し読みをした警視正が坂江に向かって『自分の仕事』と言い放ったのは、捜査本部に居場所は無いと宣告されたような物だ。

 他の刑事たちからボンタン刑事などと揶揄される立場であり、それもこれも爆破事件の捜査のためではなかったのか、と反論したくもなったが、グッと堪え、命じられた通りに複数の重たいファイルを抱えてコピー室へと向かった。


「酷い話ですよね。坂江さん、頑張ってたのに……」

「そういうもんだと思いますよ。ここで上に逆らったら、自分のような立場も弱くて実績も無い“なんちゃって刑事”なんて、どこまで飛ばされるかわかったもんじゃないよ」

 成績の問題なのかどうかは不明だが、テロとは無縁な平和な町に派遣された他のボンタン刑事たちは、成果どころか調べるような場所すらほとんど無いままに日を過ごしているらしい。


 昨日おにぎりをくれた婦警が、今日もコピーの手伝いを申し出てくれた。

「私、機械とか結構得意なんですよ」

 地元への貢献をしたい一心で採用試験を受けてまだ巡査でしかなく、やっているのは所内での事務仕事がメインだという彼女は、それなりに自由が利く立場なのだと以前に坂江は聞いたことがある。


「うちの署、機械とか苦手な人が多いんですよ。昨夜の捜査本部設置の時も、どれがルーターだか電話線だかわからないって言うんですもん。大変ですよ、もう」

 耳につけているイヤホンマイクのことも「携帯電話を使いながらの作業に便利なのに、おじさんたちは理解してくれない」と婦警は不満げだった。

 そこまで話して、ようやく坂江は彼女の名前をまだちゃんと聞いていないことに気付いた。何度も顔を合わせているものの、厳密には部署が違うので正式な自己紹介はしていないのだ。


「あ、申し訳ないんですが、名前を聞いてもいいですか? 昨日のうちに聞くべきだったと思うんですが、どうもうっかりしていて……」

 頭を掻いて恐縮する坂江に、婦警は少しも嫌な顔をせず、頭一つ分背の高い彼を見上げてにっこりと笑う。

「藤島です。藤島玲子。よろしくお願いしますね」


「はい。改めて、坂江壱隆です。よろしくお願いします」

「それにしても、坂江さんは凄いですよね。その年齢で刑事だなんて」

 藤島が刷り上がった紙束をテーブルに置くと、その間に坂江は原本の次のページを読み取り台に乗せる。

 写真などを張りつけたページがあるせいで自動読み取りが使えなかったので、とりあえず各ページを印刷してから並べ直すことになったのだ。


 署内の者たちの中には、警視庁から来て地方警察の人間を部下のように扱う連中に対して反感もあるが、基本的には諦観している様子だった。

 数か月もすればいなくなる連中であるし、面倒な事件や記者会見なども全て自分たちでやってくれると考える者たちもいて、『数年に一度の行事』程度に受け止めているというのが全体の雰囲気である。


「でも、これで事件が解決したら、坂江さんも警視庁に戻っちゃうんですよね」

 残念、と言っているように見えたのは坂江の欲目だったかも知れないが、同じ不安を抱えているのは事実だった。

「すぐにどうとかは無いと思いますけれどね。元々その捜査のための試験昇進枠ですから、なんとも……」


 しかし現状を見れば、もうお役御免に等しい扱いでもある。

「こっちに来て、署の道具の使い方なんかも藤島さんから色々教わりましたし、このままこの土地で続けられたら、一番良いとも思いますけれど」

「地元で待っている方とかいらっしゃるんじゃないですか?」

 いませんよそんなの、と苦笑いで返し、坂江はコピーのスイッチを押す。


「このまま事件が解決しなかったら……なんて言っちゃうのは、警官としては失格ですね。坂江さんの頑張りが認められるようにしないと」

 笑って励ましてくれる藤島の存在をありがたいと思いつつ、坂江はコピーを終えてから向かう先を決めていた。

 それは今回設置された捜査本部の対象から外れた案件の重要な手掛かりを補完している警察病院だ。


 そこの遺体安置所には、先日の火災現場で発見された刺殺体と射殺体がある。

 どうしてもあの放火と思われる事件が、坂江には爆破事件や病院で相対した男と無関係には思えなかったのだ。

「“自分の案件”だろう? 好きにやらせてもらうよ」

 逸る気持ちを押さえて、坂江は藤島と並んで資料を並べていた。



「おはようございます!」

 朝一番というよりはまだ未明とも言える時間帯。元気よく挨拶をした御荘がやってきたのは、郵送の下請けをしている配送業者の集配施設だった。

 集荷担当者の制服を着た彼を見とがめる者はおらず、荷物の集積場所にいくつも積み上げられた箱は、大きさこそ違えど中身が何なのか、誰も確認などしようとはしなかった。


 ダミーの荷物が大量に入っている中で、一つだけ爆弾が仕掛けられた箱が入っている。

 あっという間に分配場所まで運ばれてしまった荷物を、御荘は素早く目で追う。しかし、その荷物だけに近づこうとする者もいなければ、当然水野の姿も無い。

「ここではない、か?」

 その後、作業をしている大勢の人たちに混じるようにして荷物を移動させる振りをしながら爆弾が仕込まれた荷物を追う。


 御荘はこの場所での起爆を、水野には電報で伝えていた。

 他に二か所、爆弾を仕掛ける予定だが、それらを電話やPCのメールアドレスで伝えており、全て違う日時と場所での起爆を予告している。

 水野は多少混乱したかも知れないが、全ての返信や電話連絡を無視していた。

「直接、俺を見張っているわけでは無いのか?」


 そうなると、何らかの方法で御荘が他者と連絡を取っているのを傍受している。あるいは依頼人の方を監視しているということになるが、後者は現実味が薄い。

「俺の依頼主なんて、それこそ大人数の監視が必要になるしな」

 お疲れ様です、と会釈しながら集荷場所を離れた御荘は、人目の無いところで制服を脱ぎ、停めておいた車へと乗り込んだ。


 残りは二か所。

 そこへ向かう前に、御荘は先ほど集荷場所へと送り込んだ爆弾のスイッチを入れた。

 建物はすぐ目と鼻の先だが、音はほとんどしない。

 それもそのはずで、爆弾の構造上、爆発が起きているのは分厚い金属製の銃身の中。しかも大した量でもない発射薬程度なのだから。


「……わかり難いな」

 いつもならば派手な爆発音があり、僅かに遅れて煙と炎のコントラストが見られるのだが、今回はそうはいかない。

 水野の説明からして、吸い込んだり皮膚に触れたりしたからと言って即死するわけではない。恐らくは異常を察した作業員らがどんどん逃げ出してパニックになるはずだ。


動きが起きるまでの間、御荘は助手席に乗せていたランチボックスを取り、膝の上に広げた。

小さなボックスの中には、一つずつラップで包まれたおむすびが三つ入っている。全て御荘の手作りであり、今日の朝ご飯だ。

「まずはこれだな」


 一つ目は、白だしと一味唐辛子で味付けした天かすを混ぜ込んだ『たぬきおむすび』だ。一口頬張ると、口の中に出汁の香りと同時に天かすの風味が広がる。

 天かすそのものも御荘が手作りしたもので、砕いたイカが含まれているのも、風味づくりに一役買っている。

 かすかにピリリと利いた唐辛子もアクセントになり、後を引く美味さだ。


 二つ目は、先日食べたわさび菜の味が忘れられずに、スーパーを三軒渡り歩いてようやく見つけたそれを使ったおむすびだった。

 きざんだわさび菜は、軽く炒めたものと生のものを混ぜ合わせて、香ばしさと爽やかさが両方味わえるようにしている。

 敢えて具は入れず、混ぜご飯を味わっているかのような、とにかくわさび菜を味わうための逸品だ。


「さて、いよいよこれだ」

 二つのおむすびをぺろりと平らげ、お茶を一口すすってから、残り一つを目の前に持ち上げる。

「具の味見はうまくいったが……」

 見た目は単なる白いおむすびであり、中身は見えない。


 一口齧る。

 次の瞬間、御荘の目がカッと見開かれた。

「美味い……! 我ながら、手間をかけた以上の大成功だ……!」

 感動に震える手で、もう一口を齧る。そこに現れたのは、明太子だった。

 しかし、単に明太子を握っているわけではない。天ぷらの衣を纏わせて手早く揚げ、天つゆに潜らせた渾身の具材だった。


 しっとりと天つゆを吸い込んだ衣はほろりと甘く仕上がっており、その内側は火が通ったポロポロとほぐれる明太。そして中心部は生のしっとりとして力強い辛味が残っている。

 焼きたらこでも生たらこでも無い、いうなれば半生明太天おむすびだ。

 衣と二色の明太子が、齧るたびに違った比率で口の中を舞い踊る。ご飯の量に比べて具は小さめに作っているが、それでも全く問題ないほど声高に主張する具だった。


「はあ、美味かった……」

 倦怠感を感じている御荘の視界の先、荷物集積場の大きく開いた出入り口から、次々と作業員たちが逃げ出すのが見え始めた。

 中には顔や腕を押さえ、痛みに苦しんでいる者もいるようだ。

「さて、ここは終わりだな」


 車をスタートさせて集積場の横を通り抜ける瞬間に被害者たちの様子を見た御荘は、眉を顰めて視線を逸らした。

 粉を浴びたらしい作業員たちの露出した皮膚が、赤くただれていたのだ。

 カエンタケに素手で触れた時のような症状であり、びらん性のある毒薬だったのだろう。

「……なにが水に入れ、だよ。死なないだけで症状は出るんじゃないか」


 背筋が寒くなるのを感じながら、御荘は文字通り現場を逃げ去った。

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