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0.Prologue 御荘という男

 趣味趣向は誰にでも普通にあるもので、多くは生まれ育った環境や経験に大きく左右されるものの、思春期を経て大人になるころには概ね一定の形に定着する。

 基準がどこにあるかはさておいて、善人であろうと悪人であろうと好みの曲や感動した映画があったり、イデオロギーに左右されずに「これが良い」としたりといった“何か”は、まあ真っ当に感情がある人間であれば持っていると思われる。


 御荘みしょうという男にとって、それは食だった。


「美味い……!」

 人通りの多い通りにある創作イタリアン系レストランの片隅で、御荘は小さく呟いた。

 静かに流れるクラシックと、他のテーブルで食事とはまるで関係の無い話題に花を咲かせている人々の声にかき消されたが、そんなことは彼には関係が無い。

 ただただ、目の前にある料理が、小ぶりなカクテルグラスへ可愛らしく盛り付けられた魚介のカルパッチョだけが、彼の今の心を支配している。


「ジュレは単なるポン酢じゃない。ほんのりと出汁の香りがするが、他にも何かがある。あるはずだ」

 刻まれた魚介は赤身と白身、それにホタテと思しきものも混じる。

 とろりとしたポン酢のジュレを絡めてスプーンで掬い上げると、御荘はほんのりと漂う磯の香りと共に頬張った。


 直後、開眼する。

「キャビアか……!」

 かすかな塩気。それはキャビアによるものだと確信した。

 切れ長の目を細めて、スプーンの上に乗せたジュレを凝視すると、小さな粒が混じっているのが見えた。

 キャビアそのままではない。何らかの加工をしてすりつぶし、ジュレに混ざっているのだ。


 納得した様子で笑みを浮かべた御荘は、カルパッチョのカクテルを平らげ、さらに運ばれてきたメニュー一つ一つをゆっくりと味わった。

 たった一人、スーツ姿にロープタイという出で立ちで平日のレストランで夕食を取る姿は少々浮いていたが、当人どころか周囲の客も気にしていない。

「美味かったよ。最高だった」


 食後のコーヒーを運んできたウェイターは、食事を終えた御荘から突然声を掛けられ、目を丸くして一礼する。

「ありがとうございます。シェフも喜びます」

 こちらを、とケースに挟まれたままテーブルへと置かれた伝票を一瞥して、御荘は懐から一枚の万札を取り出すと、金額も見ずに挟み込む。


「釣りは要らない。シェフを呼ぶ必要も無い。ただ、美味い飯にありつけたお礼だ」

「……ありがとうございます」

 倍近い金額ではあったが、こういった粋がり方をする客に慣れていたウェイターは、ただ礼を言って差し出された伝票を受け取った。

「では、ごゆっくり」


 ウェイターが離れていくと、御荘はちらりと窓の外へと目を向ける。

 傍らにある窓枠の小さな縁に肘をつき、先ほどの笑みとは違う、淀んだ瞳で景色を見回す。

 冬は夜の訪れが早い。まだ六時半だというのに暗闇は夜の支配者たる傲慢さで町を包み込もうとしていた。

 だが、人々が行きかう通りはライトアップされたショウウィンドウや街灯の灯りで眩しいくらいの明るさで夜を拒絶している。


 彼のすぐ目の前。ガラスの向こうで白い息を吐いて通り過ぎていく人々の向こう側には、昼間にはジョギングや日光浴を楽しむことができる公園がある。

 さらにその向こうには、まだあちこちのフロアから光が漏れている五階建ての武骨なビルが建っていた。

 御荘の視線は、ビルの四回部分へと向けられている。


 ふと、指先で袖口をずらして腕時計へと視線を移すと、御荘は席を立ち、テーブルの横を通って向かいの席へと座った。そこは柱に寄り添うような格好になる席で、外も見えにくく、一人客である彼が案内される理由にもなった席だった。

 奇妙な動きだが、テーブルを勝手に移動したわけでもなく、支払いも終わっているのでウェイターは何も言わない。


 他の客も、御荘を気にすることも無かった。

 そして二分ほどが経った。

「時間だ」

 半分ほどの量になったコーヒーカップを置き、御荘は「コーヒーは普通だった」とやや残念そうに呟く。


 食を趣味にする人間は多い。

 食べること、作ること、知ること。楽しむ方法は様々であり、美食だけでなくゲテモノや希少な食材に心奪われて世界中から取り寄せたり、あるいは自ら出向いたり。

 御荘の食に関する興味の範疇は、専ら日常的な部分に集中していた。

 街角のレストラン。商店で見かけた食材。カフェのデザート。外食やデリバリー、ケータリングに自作など、およそ個人として手が届く部分に限られている。


 全国あちこちへ移動することが多い生業であり、各地の名産を口にして感動を覚えることもあるが、基本的には気が向いたら行ける場所にある美味を愛していた。

 そう、愛しているのだ。

 御荘は食を愛している。

 彼の生業である、爆破テロと同じくらいに。


 御荘が確認していた時間が訪れる。

「えっ?」

 レストランの中で最初に気付いたのはウェイターだった。

 先ほどまで御荘が座っていた席の向こう、公園を挟んだ先にあるビルから、電灯ではない、一際明るい光が広がるのが見えたのだ。


 しかし、それが何の光であるかをウェイターが知ったのは、爆風で叩き割られた窓ガラスや木枠がマシンガンのように全身に叩きつけられてからのことだ。

「爆弾……」

「すまないね。他の客と違って、君は俺に注意を向けていた。最初は声をかけて伏せるように伝えようかと思ったのだが」


 パニックになった客たちが我先にと店の外へ駆け出す中、柱の陰になって傷一つ負っていない御荘が、ウェイターを見下ろしていた。

 そして彼は覚る。御荘がなぜ席を移動したのかを。

「安心してくれ。ここの厨房にある窓は小さいし設置場所を考えてもシェフは無事だ」

 だから、と御荘は笑っている。

「この美味い料理はまた作られるだろうさ」

 そう言い残すと、御荘は混乱している人々に紛れるようにして店の外へと出て行った。


 御荘という男を表す二つの柱は「食」と「爆弾」に集約される。

 そこにイデオロギーや固定観念は存在せず、美味い食い物と効果的な爆弾だけが美意識として存在し、彼の全てでもあった。


 依頼を受け、対象を爆破する。

 稼いだ金で美味いものを食う。


 たった二つのシンプルな行動原理を持つ男。

 パトカーや救急車がサイレンを鳴らして走り回り、人々が困惑と恐怖の表情を浮かべる繁華街を、御荘は悠然と歩いていく。

 見た目は何の変哲もない彼は、誰の視線にも留まらない。

 爆発から数分後、警察によって絶命したウェイターが発見された時には、御荘はもう町を離れていた。

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― 新着の感想 ―
は?一話完璧か!?おもろすぎない!?!?
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