狂気の書物
ここで書かれている旧支配者とは創元推理文庫ラブクラフト全集四巻の狂気の山脈の訳に則っています。
私があの骨董無形な恐怖の書物に出会ったのは町内会主催のフリーマーケットの時だった。
私は普段そういうところには行か無いのだが、その日、何を思ってか二日に渡って開催されているそれにふらりと足を運んだ。
様々な物を色々な人が売っている中にその男がいたのだ。浅黒い肌をした、ニット帽を冠った男だった。
その男が売っていたのは恐らく年代物の書物で、数冊が男の前に並べてあった。私は一目見てその書物が気になった。惹きつけられた。私はその中の一つ『大木扇の手記』を手に取った。それを見て、浅黒い肌の男は濁った黄色い歯を出しニッと笑い、私に話しかけた。
「旦那、この本が気になるのですかい?はは、いやぁ誤魔化しちゃあいけない。この手記にはそれだけの価値があるんだもの。オリジナルだと場合によっては何千万する物ですよ。それがそこに書いてあるとおり、たったの千円でいいのですからね。ええ、勿論レプリカですよ。本物を態々売るような酔狂な物はいない。それほど価値がある本だということだ。では何故この本を売ろうとしているのかと言いますとね、何、唯これを広めたいだけですよ。世界にはこんな物が有るのだ、てね。
「この本ですが、書いてある通り大木扇と云う人物が書いた物でね、その筋では有名な人ですよ。この本に惹かれたと云うことは貴方もそう云うのに興味が有るのでしょう?なら読む価値がある。素晴らしい物ですよ」
男の言葉通り私は怪奇譚に少なからず興味があったので、男に勧められるままその本を買うことにした。それがどんな恐ろしいことを書いて有るのかもかも知らずに。
私は家に帰ると早速浅黒い肌の男から購入した『大木扇の手記』を読み進めた。
「七月十四日 今日からこの怪奇道中見聞録と名付けた手記に私の行動を逐一記そうと思う。なにせ私がこれからしようとしていることを考えたら、無事にいられる保証が無いからだ。
私が何故そのような危なかしい真似をしようと思いたったかというと、先日四国沖に起きた地震と、それにより隆起した島に関係が有る。
私はこの出来事を聞いた時、かつて読んだ狂えるアラブ人アブドゥル・ウェルハザードの記したネクロノミコンの中に有る、旧支配者が人類が発祥するよりはるか昔に日本がある場所にまで至り、四国のある場所で祭祀までを行っていたことを仄めかす文章を思い出した。
私は其れ迄も四国の各地でそういった物事を究明する為に探索をしていたのだが、一向に見つからなく、大方沖に有ると当たりを付けていた。私は早速この島を探索する為持ち得る限りの権力と、コネを使い、一週間後にこの島に上陸をする算段をつけた。
「七月二十一日、愈私は考古学者や船の操縦士といった人を引き連れ数人のチームで四国沖へと旅立った。前日から四国入りはしていたので、今日は昼までに島ー暫定的に浮城島と名付けるーの最北端に上陸することができた。私は浮城島へ降り立った瞬間に戦慄した。長年海の下へと沈んでいて、大分朽ちていたとはいえ、明らかに人工的な代物がそこに有ったからだ。その有様は大いなるクトゥルーが眠る死せる海中都市ル・リエーを思わすものであった。
私達がかなり重い荷物を抱えながら浮城島を歩き回ったところ、島は等しい二辺に挟まれた角が三十度の三角形の短い辺に正五角形が連なっているような形で、然程大きくなく、半日もあれば一周でき、2日もあれば充分に調べることができるであろうことが分かった。最も地下に何か有る場合はその限りでは無い。尚、私達が上陸したのは三角形の鋭角の部分だった。
丁度一周したところで日が暮れて来たので、私達は上陸した場所で眠ることにした。
「七月二十二日、昨日は酷い夢を見た。この島へ上がったことに興奮しているのかもしれない。夢の中で私は幾何学が狂ったかのような不可思議な街にいて、周りには二.三メートル程の高さを持ち、樽状の胴を持ち、先端に孔が有る翼を持ち、江良が有る首の上には海星の頭部が有る、『ネクロノミコン』に記されていた旧支配者そのものがいた。
街には水が満ちていて、其処が海の中で有ることを思わした。
私は彼らより少し高い位置で見下ろすようにしている。そこで、目が覚めた。
今日は二等辺三角形の部分を探索したが、旧支配者の存在を知っている者だったら、当たり前な物ばかりで、めぼしい物は無かった。
明日は五角形の部分を探る。
五角形と三角形の繋ぎ目の部分で睡眠をとる。
「七月二三日、今日も不思議な夢を見た。昨日見た夢の続きのようで、水の都市と、旧支配者を高いところから見ている夢だ。昨日は気が付かなかったが、此処は今、起きている私達がいる都市のようだ。何か旧支配者達の動きに規則性が有るようで、星型の都市の中心に有るドーム状の建物へと向かって移動していたのだ。
そこで夢が覚めた。これ以上見るには恐らく五角形の島の中心に行かなくてはならないのであろう。そこに何が有るかは分からないが。
今日から明日にかけて五角形を外側からぐるぐると中心に向かって調査して行く。此処も大した物は無く、ただ狂った都の残骸が有るだけである。然し全ての辺の中心から発する道が中心の恐らくどうにか形を保っているドーム状の建物に繋がっていることは興味深い。明日はあのドームを調べる。その為に今日はドームの近くで眠ることにする。
「七月二十四日、今日見た夢を記す。私も混乱している。旧支配者達はドームの中に入って行った。私の視点も彼らについて行くように、ドームの中に。地下へと下る階段を、恐らく十m位暫く降りて行くと交代な空間が有る。誰かが呪文を唱えると、其処の床の中心に、混沌が現れた。そして旧支配者達は宇宙のエーテルを飛ぶ翼を広げて、混沌へと飛び込んで行った。私はそこで目が覚めた。
準備をして最後の調査へと向かう。
そこからのことは記したくは無い。だが記さざるを得ないであろう。私達は当初の予定通りドーム状の建物に入って行った。夢で見た通りの内装である。階段を十m程降りる。其処に広大な空間が有った。混沌はーー無かった。
その時、私は行ってしまったのだ。それは絶対しては行けなかった。夢で旧支配者が唱えていた呪文を呟いてしまったのだ。
その時、混沌が部屋の中心の床に現れた。それは、その場にいた、調査員の一人と、その隣にいたもう一人を飲み込んだ。私だけが助かった。私が今これを記せていられるのは唯私が一等階段に近くにいたからだけで有り、そして一等臆病者で有っただけで有る。その後私は海に漂っていたのを漁船に助けられた。島は沈んでしまったらしい。願わくばもう二度とあの島は浮かんでこないでほしい。あの混沌の奥から聞こえてきた、テケリ・リと云う笛を吹くような、旧支配者に支配されるショゴスの鳴き声を思い出すたびに私はそれを思う。」
私が浅黒い肌の男から買った手記にはそう記されており、後はネクロノミコンから引用されたであろう語句の説明が記されていた耳であった。
私は胸騒ぎがしてフリーマーケットへと翌日も行ったが、其処にはあの男はおらず、賑わい耳が其処にあった。