エルヴィーラ探索と救出作戦の旅(前篇)
隠れ里を離れて徒歩で一時間ほど。地図で目を通すに目的地まで半分くらいか。
距離は思ったよりも長く感じるが、恐らく半里にも満たないだろう。地図上では直線距離で約一里だが、小高い丘とはいえ急峻で起伏が厳しいのだ。紙の上では山道だとしても、体感では人の手を加えていない獣道のように感じさせる。
おかげで七月の暑気を身に受けて、額から珠のような汗が浮かぶ。しかし北方より流れゆく涼風が森の木々の間から吹き抜けて旅人に届く――それだけで充分に心地よい。
「なんだかんだいって、時間食っちゃったね」
「あら、作戦会議が長引いちゃったかしら?」
南中まではいかないまでも、いつの間にか陽は高くなっていた。諸々の作戦会議の他に、冒険服の着替えや装備の準備など、その他諸々に時間がかかったせいだろう。
進行はアーデライードが先頭に、瑛斗とレイシャ、ドラッセルとソフィアが後に続く。
「それにしても……」
そう呟いた瑛斗が後ろを振り向けば、その中で最も動きが鈍く、大きな背中を丸めて肩を落とした男が一人。いつもの元気はどこへやら。足は重そうにトボトボと歩いている。
「ドラッセル、かなり落ち込んじゃってるな」
「それはそうよ、やらかしちゃったんだから。自業自得よ」
辛辣で無慈悲なアーデライードは、犬を追い払う仕草でつっけんどんな態度を示す。
散々にお目玉を喰らって懲りに懲りたドラッセルは、全ての責任を持つ――と、禊ぎのために自らが買って出て、全員分の大きい荷物を背負っている。後ろを向いて眺めてみれば、まるで罰ゲームさながら全員のランドセルを抱え込んだ小学生のようである。
「ま、ほとぼりが冷めたら、大目に見てあげましょ」
振り向かずにそう言い放つと、軽快な足取りでさらに先へと向かう。
軽装で身軽なエルフたちは、物ともせずに大岩の上をポンポンと飛び跳ねてゆく。
急峻な岩肌が広がる厳しい渓谷を登り切ると、空が見えない鬱蒼な森を切り抜けた。
「さぁ、景色が広がったわ!」
小高い丘から渓谷の奥へと見下ろせば、山なみと豊かな大草原が広がっていた。
「おお……これは壮大だな」
「そう? 私にはどこにでもよく見かける風景だけれど」
峡谷に囲まれたこの草原は、高原の中の窪地にあった。この地形を眺めて考えるに、泥濘が堆積してやや周囲よりも盛り上がっているようだ。恐らく高層湿原といったところか。
渓谷の底にさらさらと流れる小さい川筋が、申し訳程度に草原を割って入る。山肌の切り立った崖、蒼く高い空と緑の絨毯といえる大草原。それらはカメラのレンズに入り切れない、大自然広がる絶景のパノラマに違いなかった。
「一応確認してみたけれど、この周辺に敵意は感じないわ」
精霊を使役する高位精霊使いたるアーデライードの所見である。
彼女曰く、術者中心から周囲約半里四方およそ四キロ圏内もの大規模な探査魔法を行なった、とのこと。戦闘能力では段違いに自信を持つ彼女だが、背の高い大草原の中へ分け入るに、背の小さいハイエルフをみつけ出すには、若木の小枝のようにひょろひょろしていて心許ない。よって怪物一匹、漏れなく隙なく間違いない――と信じたい。
「じゃ、さらに奥へと目的地に向かいましょう」
アーデライード自らが率先して小高い丘より窪地の大草原へさっさと下っていく。
徐々にこの草原に近づくにつれ、驚くほど背の高い草が茂っているのがよく分かる。夏の風が吹き抜ければ草の穂がそよぐ。まるで踊っているかのようだ。
「ところで、アデリィに聞きたいことがあるんだけど」
「んふー、なぁになぁに?」
瑛斗が誰にも目立たないように、アーデライードの耳元にこそっと呟く。
顔近くに寄せられたハイエルフは、久々にこそばゆくも喜ばしそうだ。
「君が水面下で動かせたのは、クリフさんだよね?」
「う……なんでクリ坊のことを知ってるのよ」
上機嫌だったアーデライードが、焦りを隠せず瞬時に顔がこわばる。
なおクリ坊とは、エーデルシュタイン公国剣術指南役にして騎士団最高顧問で在らせられる、クリフ・ヘイゼルダイン、その人である。半世紀前のアーデライードの感性に遡るその愛称は『クリ坊』のまま。もうアラ還だったとしても『クリ坊』のまんまなのだ。
「そりゃ分かるさ。今朝にあった手紙の封蝋を見たからね」
「あなた、そこまで封蝋の紋章まで知っているの?」
「うん、前に闘技場にあった騎士団旗を知ってたし」
「よくそこまで見抜いたわね……エイト」
手紙にある封蝋は、エーデルシュタイン公国騎士団最高顧問専用の紋章である。
オルソンとマルティンに簡単な説明を伝えた時、手紙の封蝋を目にして驚いた様子があった。それを見た瑛斗は、瞬時に察したのだろう。
「その手紙があるってことは、クリフさんと連絡を取り合っていたんだろうな、と」
「うっ……」
軽く仰け反ったアーデライードは舌を巻いた。
いつもは実直で堅実な瑛斗が、目敏さと洞察力を発揮するとは。
「なぁ、違和感の発端を教えてくれないか?」
「そりゃもちろん、お爺様の館でしょう」
古代語魔法による魔力増大と結界の増強――恐らく隠れ里の館を囮として、敵にとっては甘い蜜のように仕向け、目立つようにしていたのだろう。
「エルヴィーラを狙う敵側なら、数ヶ月もすれば焦りが生まれる。そうして高位魔法使いが標的だと分かれば、力づくでも殴り込んでくるに違いない。でもメイドたちが気付きを得た、先の内務大臣という社会的地位という付加価値があれば、もうひとつプラスになって断然に見方が変わってくるわ」
「それを動機に、クリフさんとの連絡を?」
「そう、真意を見極めるためにね。それにこんな危機的状況をみるに、お爺様が窮状を訴えに陰謀めいた城へノコノコと出向く訳にはいかないし、かと言って、現場じゃ居られないクリ坊だって灰色な状況じゃ判別は難しいわ。だから私は“クリ坊とお爺様の橋渡し役”に買って出たってワケ」
ちなみに、公国府・ヴェルヴェドまで手紙を何度か行き来したのは、サクラである。
狐の獣人族であるサクラは、素早さや器用さに特化した能力を有している。よって野生の勘と森の仕組みを巧みに利用したため、半日もかからず伝達できたのだ。
「疎遠だったクリ坊とお爺様だけど、旧誼のある間柄らしいし、噂によると公国における二大巨頭とも言われているとかいないとか。ま、それはあとで聞いてみたいけれど」
サクラが耳にした噂によると、公国における二大巨頭とは、流浪の黒騎士と雷撃の大魔導士などと目されているそうだ。だが庶民の流説であり、二十数年前も昔の話なので、今のところ単なる噂話に過ぎない。
「ともかく、それであの手紙を受け取ったんだね」
「まぁ、ね……探りを入れて、ね」
それとなく言葉を濁したアーデライードに、瑛斗はじっと目をみつめる。
「あら、何よ。他にも何か、質問でもあるのかしら?」
「そうだな、オルソンたちへの“頼み”ってのは、何だったんだ?」
「簡単なものだわ。里の正門付近に“見張り”をお願いしたのよ」
顎をつまんで考え事をしていた瑛斗は、零れたように呟いた。
「ふぅん……ということは、内部の犯行もしくは内通者なのかな……」
いつもなら冷厳で白皙美麗なハイエルフが、鳩が豆鉄砲を面食らったようになった。
面食らって言葉に窮していたが、ようやく遠慮がちに口を開く。
「……なんでさ?」
「だって“見張り”ってことはさ、推理小説などでよくある“張り込み”なんだろ? さっき彼らに腕っぷしと目利きはどうかって聞いてたじゃないか。だったら、特定した身柄の確保とか、人相を目で判断するには必要不可欠だろう。それに犯人の目星がついていたとしても、知っている人物じゃないと見分けが付かないだろうし――うん、だからさ」
張り込みとは、特定の場所に留まり、対象者の出入りや動きを監視する役割である。
オルソンとマルディンは、騎士団内での機密事項によって詳報まで届いていない。だが簡単な任務なら可能である。例えば、騎士団内の相貌を知っている者だとしたら、だ。
朝食後の話をじっくりと見聞きはしていたが、これほどまで熟考を重ねて解答に導くとは。瑛斗の瞬時の慧眼さと推理には、流石のアーデライードでも恐れ入る。
「フッ……ハーッハハハ! 見事だ少年、よくぞ見破った!」
「え、なんだいそれ?」
昭和の古典的なお約束よろしく、悪役やら怪人めいたように言われて面食らう。
「ま、言ってみただけだわ」
「なんだよ。じゃあ、犯人の可能性が高まったんだね?」
「とにかく! それはあとでのお楽しみってことで!」
はぐらかしたのか、唐突に「ハーッハハハ!」と高笑いして身を翻す。
恐らく、裏打ちされるまで腰を据えて待っておけ、という意味なのだろう。
「あのあーでれ、なにあれ?」
瑛斗の後ろから駆け寄ってきたレイシャは、ハイエルフの後ろ姿を毒キノコでも見るような目で指差した。
「そうだなぁ、木の葉を隠すなら森の中、さ」
「なにそれ?」
そのレイシャへの説明に困った瑛斗は、推理小説の名言を用いて誤魔化す。
木の葉を探すには、まだ先にある森の中へと踏み込まなければなるまい。今のままではそうそう辿り着かないだろう。だが、すぐさま飛び込んで賭けに出るアーデライードのことだ。美味しい高級な餌をばら撒いて尻尾を出す――いや、力ずくでも尻尾をむんずと掴んで引っこ抜くに違いない。
「つまり、隠した木の葉を探し出すには、森全体を占拠すべきということなんだ」
「ふぅん……あーでらは、もりのかせーしゃ、か」
レイシャの言う『森の苛政者』とか、なかなかに面白いことを口にする。
『聖なる森の大賢者』のアーデライード、ならぬ『暴君なる森の苛政者』のアーデライード――となると、ブラックユーモアとして言い得て妙である。
しかしそのまま放置して刷り込まれてしまうと、あとで大ごとになるので御免被る。
「ええっと、冗談だからね?」
「ん」
「とにかく、それはあとでのお楽しみってことで!」
「りょ」
アーデライードの台詞をオウム返しよろしく、つい口に出してしまったのが恥ずかしい。だが素直なレイシャは、それに従ったようだ。
斯くして目的地へと向かうべく、煙に巻いたように走り去る瑛斗であった。




