少女戦士の修行の旅
遥か遠方の、古き友より届いた一通の手紙。
封蝋に施された印璽の刻印。吹き込まれていた風の精霊。
これらは紛れもなく、古き友より届きたる証である。
開封した途端、予想通りに吹き荒れた暴風。
執務机に積み重ねられた書類は、吹き飛ばされて散らばった。
数多くの貴重な法具が、装飾が、あっちこっちへ飛んで行った。
切り揃えたばかりの前髪も、くしゃくしゃに乱れてしまった。
何もかも懐かしい。これは古き友のよくやっていた悪戯だ。
あまりの懐かしさに、ふと笑みが零れるくらいだった。
しかし、そんな事は一瞬でどうでも良くなった。
これに比べれば、こんな悪戯など実に些細な事である。
問題は、この手紙の内容にあったのだ――
◆
オーク退治の探索完遂より三日後。
ここは港街・エルルリアにある、聖ヴァルガ修道院の謁見室。
荘厳な装飾を施されたこの部屋に、緊張した面持ちの少女がいた。
赤髪の少女戦士、チルダ・ベケットである。
エルルリアの街へと到着した彼女は、すぐさま修道院へと向かった。
そこで疑心暗鬼気味に恐る恐る修道女へ手紙を差し出してみる。
すると何故か、あれよあれよという間に中へと通され、謁見室にいる。
目の前に座るは、柔和な微笑みで静観するひとりの女性。
勧められるがままに、チルダは瀟洒なソファーへ腰掛けた。
座り心地が良すぎる柔らかさ故に、かえって居心地は悪い。
しかも腰かけてからずっと、一言も会話を交わしていない。
件の女性は、微笑むばかりで何も話そうとはしなかったから。
ただし瞳の奥からは、じっと射抜くかのような眼力を感じる。
まるで査定されているかのような。そんな視線に息が詰まった。
耐えきれなくなったチルダは、おずおずと声をかけてみた。
「ええーっと、あの、私は、その……」
「いい瞳をしている」
「はぁ」
「向こうっ気の強そうな、いい瞳だわ」
「はぁ、あの……」
「まだ粗削りだけれど、磨けば様になりそうね」
「あ、ありがとうございます……」
「いいのよ。貴女は何も、悪くない」
「は、はぁ……?」
話がまるで見えてこない。
しかも微妙に噛み合っていない気がする。
そうこうしていると重厚なドアが開き、侍祭が現れた。
目の前の女性は、その侍祭に用件を告げる。
「至急、司祭エルケとヘルマを此処へ」
「畏まりました、高聖司教」
こーっここここ、高聖司教様ですって?!
高聖司教と言えば、この修道院で一番偉い人。
この修道院で一番偉い人と言えば、魔王退治の六英雄が一人……
「エッ、エルルカ・ヴァルガ高聖司教様ぁ!?」
「ええ、そうですとも」
柔らかな、神々しさすら感じる程の、柔らかな微笑み。
彼女こそ聖ヴァルガ修道院にその名を冠するカリスマである。
齢は六十を超えているはずだが、その年齢を感じさせぬ美があった。
彼女自身の、内面から溢れ出る凛とした生気からであろうか。
『世界で最高に後衛を熟知する人、紹介してあげるわ』
確かにあのハイエルフの美少女は、そう言っていた。
エルルカ・ヴァルガ高聖司教。
今でこそ教会の要職に就く彼女であるが、元は戦士である。
勇者ゴトーと出会い、のちに聖職者へと転身した経歴を持つ。
『勇者の背中に傷はなし』
決して背を見せず、常に敵と対峙したという勇者の逸話だ。
だが、その逸話には続きがある。
如何なる時も、後衛に於いて勇者の背中を護り抜いた少女。
勇者の背中には、常にエルルカ・ヴァルガあり。
そう謳われた、生ける伝説の一人だ。
まさしく。これほど後衛を熟知した人は、二人といまい。
あのハイエルフ、何気に凄い?
もしかしたら、ちょっと尊敬できる人なのかも?
「貴女、お名前は?」
「はっ、はいっ! チルダ・ベケットですっ!」
「チルダさんね……貴女には最高の技術と加護を授けましょう」
「ええっ、わっ、私に?! あっ、ありがとうございます!」
「その代わり、貴女にお願いがあるわ」
「はいっ、なんなりと!」
その安請け合い。その受け答え。チルダは迂闊であった。
高聖司教の目つきが一瞬にして変わる。
「これは、代理戦争なの」
「は?」
やがて呼びつけられた司祭が二人現れた。
双方ともに、若く美しい女性である。
しかし鋭い眼光に引き締まった肉体。隙のない空気と身のこなし。
チルダの、戦士としての直感が、かなりの手練れと告げている。
「早速だけれど、この娘に史上最高の猛特訓を」
「はっ!」
「……え?」
「戦士の下地はあるようよ。半年……いえ、三か月で仕上げなさい」
「お任せ下さい、高聖司教様」
「えっ……ええっ……??」
「戦闘だけではなく、女性としての器量も磨き上げるように」
「必ずやご期待に沿った成果をお見せいたしましょう」
「えっ、やっ、はっ、あ、あの、えっ、ええええーっ?!」
有無を言わさず両脇を抱えられ、チルダは連れ去られていった。
まるで荷馬車へ載せられ市場へ売られてゆく仔牛の様に。
六英雄が一人、エルルカ・ヴァルガの通り名は『鉄壁の聖闘士』。
聖職者としての教養と、戦士としての武力を併せ持つ。
そんな聖闘士を育成する大陸最強にして最高機関。
これが武闘派で知られる聖ヴァルガ修道院最大の特色である。
◆
あれから――
思えば私も随分と歳月を重ねたものだ。
勇者と共に旅をした日々から、相当な時が経ってしまった。
数多くの古き友は去り逝き、かの勇者ももういない。
そんな晩秋の想いの中で受け取った、古き友の手紙。
ペーパーナイフを使う間を惜しんで、開いた。
彼女の悪戯なんて、ほんの些細なものだ。
時を経て、円熟味を増してしまったせいもあろうか。
あまりの懐かしさに、思わず笑みが零れたくらいだ。
だがその内容が、私の心に火を点けた。
かの勇者――あの人と共に全力で駆け抜けた輝く日々。
あの人の背中は私が護る。無茶ばかりするあの人の背中を。
誰かのために闘い続ける、かけがえのないあの人の背中を。
私が必ず、護ってみせる。
限りある時の中で、私はいつだって全力だった。
才能も技量も、何もなかった私が出来る、精一杯の事。
誰にも負けたくなかった。絶対に付いて行きたかった。
追い駆けて、追い駆けて、やがて辿り着いたその場所。
でもその場所は、決してゴールではなくて。
地位と名声。栄誉と称号。羨望と喝采。義務と責任。
そんなものは全て、投げ捨ててしまいたかった。
辿り着いたその先へ、私も行ってみたかった。
貴女は今でも変わらないのね、アーデライード。
いえ、あの頃のように、アデルと呼ぶべきかしら?
いつだって、アデルと顔を合わせればケンカばかり。
いつだって、二人でたわいなく競い合ってばかりいた。
けれど最後は、置いてけぼりを食らった二人。
二人で大いに泣きに泣いて、明かした夜もあったっけ。
でもね、アデル。私はやっぱり負ける気がさらさらないの。
それは今でも同じ。この気持ちだけは、まるで変わることがなかった。
私はそれに、気付かされたわ。
何故かですって? だってその手紙の内容は――
今にもアデルの高笑いが聞こえてきそうだったから。
『ごきげんよう。お元気かしら。
大した用事じゃないのだけれど。
この赤毛のお猿さん、預かってくださる?
貴女みたいになりたいんですって。
私は今、とっても忙しいの。
なんてったって、ゴトーのお孫さんと
旅をしなくてはならないのだから!』
修道院大聖堂の執務室。
その窓を大きく開き、私は叫ぶ。
「巫山戯るなよ、アデル! 売られたケンカなら買うからな!」