バトルと休息
序盤はまずまず好調だった。
出てくるモンスターにリードとノイズが先制をとり、僕も攻撃魔法で援護する。クリストは最後方で待機。いざって時には彼も戦闘に参加する。
「いやああああっっ!」
「ぎゃあああっ!」
例によってノイズの絶叫が響き渡る。ダメージを受けたわけではないようだ。リードの顔面にノイズの靴あとがついている。
出現したのはイノシシとトカゲを足して二で割ったようなモンスター。巨大な一対の牙と、それに近い大きさの巨大な鼻。釣り上がった両の目がいかにも凶悪。
モンスターに突っ込んで行ったリードの体勢が悪く、敵の持つ巨大な鼻っ面に吹っ飛ばされ、彼女に激突したのだ。正確には、激突する前にノイズのケリが見事に炸裂したのだが。牙ではなく鼻で飛ばされたのは、不幸中の幸いだと思うべきだが、吹っ飛んだ方向が悪かった。
ノイズの放ったカウンターが、再び敵の方へとリードを吹っ飛ばした。
「どおおうええっっ!?」
何が起こったのか分からないままも、見事に空中で一回転し、左手に構えた剣で相手の眉間を一突きにする。
ぎおおおぉぉっ……
悲鳴とも雄叫びともつかない奇妙な声を上げる。それがそいつの最期だった。地響きをたてて横向きに倒れこむその下に、どす黒いシミがじわじわと広がっていく。
モンスターの眉間に突き刺さった剣を力任せに引き抜くリードは、剣を収めながらノイズに向かって叫んだ。
「てめえ、よくもヒトのこと蹴り返しやがったなっ!」
「うるさいわねっ! 体勢も整えないで勝手に突っ込んでって勝手にこっちに吹っ飛んでくるから悪いんでしょっ!」
ノイズも負けじと叫び返す。今回はノイズが正論だ。
もともとあまり剣の練習などしない彼だが、せめてきっちり構えてから敵に向かってほしいものである。
さすがに今回は、あのリードも非を認めたのか、剣をしゅるっ、と左腕に収め一息つく。
「ちょっと休みましょう。リード、怪我はしていませんか?」
クリストがリードを心配する。ノイズに蹴られた顔面は無視して、さっきのヤツにやられたのであろう腕についた牙の跡を診る。かすり傷のようだが、少し血が流れている。クリストが簡単な回復の呪文を唱え、あっという間に傷はふさがった。
「ほんとに無謀だよね、リード」
「うるさい」
多少むくれながら、リードが持っていた水筒にそのまま口をつける。
それぞれが持っていたお菓子などをつまみながらの小休憩。お菓子というのは非常に便利なもので、小さくて持ちやすく、栄養補給も簡単にできるから、僕たちはそれぞれに好きな物をいつも持ち歩くようにしている。
昼まではまだ時間がある。ほとんど日差しはないけれど、だいたいの時間は見当がつく。お昼は、これまた宿のご主人がお弁当を用意してくれていた。僕たちの冒険を考慮して、荷物にならないように配慮して。
「で? 道は合ってんの? ルシア」
ノイズが僕に聞いてくる。僕が地図とコンパスを持っているからだ。クリストと僕で交互に道を確認しながら、細い、あるかないか分からないような獣道を辿って来ている。間違っていなければ、今僕たちは森に入ってから順調といえるペースで進んできているはずだ。
「うん、クリストと確認しながら来てるから大丈夫だと思うよ」
「でもリード、前に進むときは気をつけて下さいね、先頭が一番重要なんですから」
クリストが何度目か分からなくなった言葉をまた繰り返す。
そう、この森にはワープゾーンがあるのだ。まず引っかかるのは先頭を歩いているリードだ。ちなみに、僕たちは一列になって歩いている。この道幅だと、一人通るのがやっとなのだ。それでもリードは手にした大振りのナイフで、突き出した枝や鬱陶しい下生えを薙ぎ払いながら進んでいる。先頭はリード、次にノイズ、そして僕、その後ろにクリストがいる。後方からの不意打ちに備えて、ノイズかリードのどちらかが後ろに回ってほしいところなんだけど、この細い道、先頭を歩く二人もあまり余裕がないのだろう、時々振り返って見てくれるだけで精一杯の様子。木々に阻まれて後ろまで回り込めない。
休憩をはさんで再び歩き出した僕たちは、今後の戦闘を考えて順番を入れ替えた。といっても、僕が最後方になってクリストを真ん中にしただけ。
だけどこれはこれで大きな違いになる。僕は攻撃魔法を使えるけど、クリストは防御や回復の魔法だけ。新しく手に入れた護符もあるけど、いざというときに使えるかどうか、まだ分かっていないからだ。その彼が真ん中にいることで、もし挟み撃ち、なんてことになっても前後ともに攻撃を仕掛けられるし、クリストの防御結界がパーティを包み込んでくれる。
この隊列が効果を発揮してくれたのは、それから間もなくのことだった。
「ルシア、後ろはっ?」
リードが叫ぶ。前方から向かってくるモンスターの牙をその剣で受け流しながら。僕は応える代わりに『風』の魔法を解き放つ。
「風の牙よ! 我が意に従い薙ぎ払え!」
ごおおうぅんっ……
辺りの空気が無数の刃を成し、鋭い音とともに舞い踊る。が、皮膚を切り裂き肉に潜り込むはずの風の刃は、襲い来るモンスターの鱗のような皮膚を浅く凪いだだけだった。
「……だめかっ……クリスト、こいつらの弱点はっ?」
我ながら女らしくない台詞をはきながら、なおも襲いかかって来るモンスターを錫杖でぶん殴る。それもそいつらの動きをわずかに鈍らせるだけで、かなり弱々しい牽制に過ぎなかったけど。
「多分、口の中くらいでしょう……」
苦々しい口調で、僕たちを結界で包むための意識を途切れさせないように、クリストが応えた。彼が使っている防御の魔法は、個人の防御力を上げる、というもの。僕たちの周りにうっすらと光の布のようなものが張り付いている。一人分ならそれほど集中力を必要としないんだけど、四人分、しかもそれぞれにモンスターと格闘しているものを維持し続けるとなれば話は別。ということは、かなり強い集中力を必要とする。その証拠に、クリストの額には大粒の汗がいくつも浮かんでいる。
僕たちにかけられた防御呪文は、うっすらと光を放ち、動き回る僕たちの行動を遮るどころかいつも以上に身体を軽くしてくれている。
今僕たちに襲い掛かってきているモンスターは、大きさならば大人の人間よりも頭二つ分は大きい。外見はほとんど魚に近く、トカゲのような手足が生えている。だから『背が高い』というよりは『体が長い』という表現のほうが正しいのかもしれない。分厚い鱗に全身をびっしりと覆われて、手足には鋭い爪、尻尾には同じように鋭い棘、大きく開いたその口からは、気味が悪いほどに紅い牙がきれいに並んで生えている。
そんなモンスターが合計七匹。
リードがちょいちょいと三匹を相手に何とか剣で対抗し、二匹はノイズに、そして僕に二匹張り付いている。
その巨体で辺りの木々は根こそぎ倒され、即席の広場ができたために僕たちとしては多少助かった。あの狭い獣道でこんな奴らとやりあうのは、こちらとしても分が悪い上に勝ち目はなかっただろう。
クリストの言うとおり、口を開けばその中は他の生物と同じ、何か粘液質のようなもので覆われている。その中に炎の玉でもぶち込んでやれば、かなりのダメージを与えられそうだ。でも、そいつらも自分の弱点をカバーする術を知っているのだろう、巧みに口を閉じたりしてこちらの攻撃をかわしている。
「きいやああああっっ!」
悲鳴なのか気合いなのか、とりあえず一声叫んでから鋼板入りの靴底で見事に相手の横っ面を一撃、ものの見事にモンスターは吹っ飛び、木々を薙ぎ倒しながら地面に潜り込むようにして倒れた。ダメージ自体は少ないだろうけど、そいつが起き上がって再び襲いかかってくるまでの時間。僕が魔法を完成させるだけの時間は十分にあった。
そしてラッキーなことに、いきり立ったそれは、大口を開けて、その牙でノイズを噛み砕こうと踊りかかってきたっ!
「炎よっ!」
声とともに、魔力をためた錫杖を振り上げる。
同時に、ものすごい勢いで炎が錫杖からほとばしり、モンスターの口の中に命中した!
ごっがああっっ!
「よっしゃあっ命中っ! ナーイス、ノイズ!」
自分で想像していた以上の炎が、そいつの口の中で炸裂し、そいつは内側から弾けるように燃え尽きた。
「喜んでる場合じゃないわっ、次いくわよっ!」
早くも要領を得たのか、次に来たモンスターも同様に張り倒し、同じパターンで大口を開けて突進してくるそれを、またしても僕の魔法が塵と化した。これで二匹。ノイズに向かっていたものはいなくなった。
次の相手に狙いを定めるその前に、僕は呪文を唱え出す。ノイズはすぐさまリードの助っ人に走る。クリストは一人で頑張って結界を張り、向かってくる二匹の足をなんとか抑えている。僕に張り付いていたやつがクリストに的を変えたのだ。よく見ると、加勢に来たのか、同じようなモンスターが僕たちの後ろから突進してきている。
僕の狙いは、クリストに襲い掛かっているその二匹。
「大地よっ!」
錫杖を地面に突き立てると、僕の意志どおりに大地が鳴動し、モンスターの足元の土を舞い上げる。土煙で視界が一瞬閉ざされるが、モンスターが土砂と一緒に宙に舞うのがちらりと見えた。
モンスターが身動き取れない一瞬のうちに、僕は急ぎ次の術を唱え出す。
「ルシア、来ますよ!」
クリストが僕の後ろから叫んだ。背後に殺気が迫るのがわかる。振り向きざまに唱えていた術をそれに向かって放つ。が、そいつの強靭な鱗の皮膚を焦がしただけだった。
「だめか……っ」
ごんっ!
多少勢いは削がれたものの、そのまままだ突っ込んでくるモンスターの眉間を錫杖でぶん殴り、クリストを庇いつつ後ろに退がる。
退がった場所にはさっき空中に舞い上がった二匹が落ちてくる!
「クリスト!」
声に応えてクリストが僕たちの頭上に強化版の結界を張る。次の瞬間、衝撃が二人を襲った。
「ぎいやあぁぁああっっ!」
ノイズが二匹目を蹴り倒し、リードのもとへ走っていったとき、彼女が目にしたのはそれだった。
リードがモンスターのエラの辺りに剣を突き刺したまま、そのモンスターが走り回っていた。手にした得物が普通のものならば、その手を離せばすむことなんだけど、残念ながらリードの剣は『普通』じゃない。左腕から直接伸びているように見える彼の武器は、装着するのは楽だけど取り外すのはどうやら結構大変なシロモノらしい。突き刺したはいいが、そのままモンスターが動き出したのだろう。
魚とトカゲのハーフのようなモンスターに左腕を捕らわれたまま、バランスを取れずに振り回されている。もう一匹も、そのあとをからかうように追いかけていた。
「何やってんのよリード! 遊んでる場合じゃないでしょーがっ!」
走りながらノイズが叫ぶが、リードにはもはやどうすることもできないようだ。
みしいっ!
駆け寄りざまに放ったノイズのドロップキックが、見事にリードごとモンスターを薙ぎ倒した。
「ふぎゃっ」
下敷きにならなかっただけマシだろう。奇妙な悲鳴を上げながら、リードも一緒になって地面に転がる。間をおかずに自分の剣を引き抜き、迷わずモンスターにとどめを刺す。
彼が狙った場所は、そいつの目。びくんっ、と一回痙攣し、そのまま動かなくなった。
あと五匹!
「きゃあああっ、痛い痛いっ! ……ぬぁにすんのよっ!」
後ろからノイズにその爪を立てた一匹は、振り向きざま文句とともに放たれた彼女の拳に打たれ、その一瞬の隙をついてリードに仕留められた。
その後も同じようなパターンで、ノイズが隙を作り、そしてリードが仕留める。なかなかの連携プレイである。口の中もそうだが、目というのも生物にとっては大きな弱点。それはこのモンスターにとっても同じらしく、魚の大半がそうであるように、目蓋がない。
「ルシア、いいですかっ?」
クリストの言葉に、僕は言葉ではなく、頷いて応える。タイミングを見計らい、クリストが頭上に張った結界を解く。同時に、二人は前後に飛ぶように避け、僕が唱えておいた『風』系列の術を解き放つ。
「風よ! 我が意に従い刃と成せっ!」
ぎじゅしゅっ!
巨大な矢となった『風』をさらに強化したものを放つ。それはモンスターの鱗を切り裂き、突き刺さる。前に使ったものとは違って、それは相手の体内にまで潜り込み、内側からモンスターの息の根を止めた。
「あと一匹、いらっしゃい!」
集中力は解かないまま、同じように強化した風の矢を、まさにシャワーのように浴びせかける!
あるいは目、あるいは鱗の隙間から体内に潜り込んだ風の矢が、最後のモンスターにとどめを刺した。
はじめに使った風の呪文は大した効力はなかったが、後者のは違う。その中でも凶悪、と言っていいほどの威力のある風の矢を生み出し、かまいたちのように空間を切り裂いたのだ。これで二匹同時に仕留められた。
周囲にも影響を及ぼす魔法だが、巻き添えを喰うことのないようにクリストは自分の防御結界を張ったまま、僕とは反対方向に飛んだのだ。
見ると、リードとノイズも決着をつけてこちらに向かってくる。二人とも多少の怪我をしているようだけど、足取りはしっかりしている。クリストのほうは、僕のさっきの魔法が結界を貫いて届いてしまったようで、頬を少し切っているし、かなり消耗しているようだ。そういう僕も、多少の消耗は否めない。
「ごめんねクリスト、大丈夫?」
自分が生み出したとはいえ、想像を超えた威力を発揮したことに自分で驚きながら、クリストのほうに歩み寄る。彼はすっかり疲れきった様子で、それでも弱々しく笑ってみせた。
「大丈夫ですよ。かすっただけですから」
肩で息をしながら、四人はクリストを中心に集まった。それぞれに怪我をしていたけど、クリストの消耗状態をみると、彼の回復魔法はしばらく使えそうになかった。
クリストはすまなそうにしていたが、こればかりは仕方がない。
「ちょっと……回復するまで時間がかかりそうです……」
「仕方ないわよ、結構強敵だったしね……」
ほとんど無敵なノイズも、後ろから襲われたときのものか、肩から背中にかけての傷が痛々しく、じわじわと血が滲んでいたりする。
リードはモンスターに振り回されたときに痛めたのか、左手首をさすっている。他にもあちこちやられたらしく、服も所々破れて出血もある。
「しばらく休もうか……」
僕もその場に座り込む。
頭の上からモンスターが降ってきたときの衝撃で、まだ頭がくらくらする。クリストの結界があったから助かったものの、あれがなかったら命を落としていたかもしれない。
「辺りにモンスターの気配はないな……。これだけ場所が空いてんだし、どうせだから、早いけど今日はここでキャンプにしよう」
リードの提案にみんな賛成したが、気力が回復するまでただ黙ってその場に座り込んでいた。
「そうだ、ノイズ」
「何?」
まだ痛そうに肩口を押さえているノイズに向かって、自分の荷物の中身を探りながら僕が声をかける。
「ああ、あったあった。ちょっと傷口見せて」
「?」
僕が荷物の中から取り出したのは、擦過傷なんかによく効く薬草を煎じて、他の薬草類と混ぜ合わせて作った塗り薬と、傷当て用に消毒液を染み込ませた布。普通の包帯よりも傷口への刺激が少なく、感染予防にも優れている。
回復の魔法が使えないときや、万が一のときに備えて自分で用意したものだ。
だけど、それを取り出して見せたとき、ノイズの顔から血の気が引いた。……嫌いなのだ、彼女は。こういうかたちでの傷の治療というのが。魔法での回復ならそんなに嫌がることはないのに、だ。
「ちょ、ちょっとそれ、シミないでしょうねっ?」
かなり腰が引けた様子で、片手で待ったをかけるように制しながらノイズがわめく。
僕は一瞬、面白半分にからかってみようかとも思ったが、今はそんなことをして遊んでいる場合ではない。早いところ主戦力たる格闘組を回復させなければならない。いつまたモンスターが襲ってくるか分からない森の中。いくら辺りが開けたからといって油断はできない状況なのだ。
「多少しみるかもしれないけど、そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。ほら傷見せて」
強引にノイズの後ろに回りこみ、傷を見る。思っていたよりは浅いようだ。後ろから襲われたときに咄嗟に前に飛んだかしてダメージを軽減させたのだろう。
僕は、薬と一緒に荷物から出した水筒を傾け、ノイズの服を濡らさないようにして傷口を洗う。滲み出ていた血が乾いていてなかなか落ちなかったが、少しずつ傷の周辺から汚れを落とす。出血はもうほとんどないようだったけれど、傷の深い部分はまだじわじわと出血が続いている。
血の跡に土埃がついたどろどろとした汚れが落ちたところで、薬草を塗りこみ、布を何枚か重ねて当て、その上から丁寧に包帯を巻いて固定する。痛みがとれたらすぐに動き出すであろう彼女の性格を考えて、多少動いてもずれないようにしっかりと巻く。
……この汚れと傷口の様子を詳細に説明したら、ノイズは自分の悲鳴で失神するかもしれない。そういう所はしっかりと女なんだよね、ノイズって。冒険者としてはもっと順応してもらいたいところなんだけど、これに慣れてしまったら、ノイズは叫ぶ全身凶器と化してしまう。
最初に傷口を洗ったときからガーゼを当てるまではきゃんきゃんわめいていたノイズだけど、包帯を巻き始めると静かになった。途中で傷口の状態を生々しく説明してやろうかと思うほど、よく騒いでくれた。
「……? 終わったよ?」
「……………………もういい?」
「他に傷がなければね」
「…………………………」
あさっての方を向いて明らかに何かを隠している。
「……分かりやすすぎるよ、ノイズ。で、どこ怪我したの?」
目を泳がせていたが、今度は僕が正面からじっ、と彼女を見つめているのに気づき、しぶしぶ答える。
「…………太もも。」
ぼそりと、蚊の鳴くような小さな声で白状した。
「太ももね」
男連中には見えないように僕のマントで隠しながら、ノイズの太ももの傷を見る。
「結構派手にやられてるんじゃない。よく我慢できたね。……そんなに薬草で治療するのが嫌いなの?」
「…………うん。苦手なのよ、自分がどういう怪我したかって、誰かに見られるのが。第一、武道家として、恥ずかしいじゃない! ………………それから、白状するけど…………嫌いっていうか苦手なのは、血とか砂でどろどろに…………って、ああもうっそれを想像するだけでも失神しそうになるのよ。情けないわよねぇ」
心底情けないというで、珍しく弱気になっているようだ。改めてノイズの傷口を見ると、先程のとは別の感じの傷がある。かなり深くまでざっくりと抉られるように裂けている。
「爪か何かにやられたんだね」
かなり深いようだけど、この薬草で効くんだろうか。
「ねえクリスト」
呼びかけながら振り向くと(もちろんマントはそのままで)、クリストは気力も限界だったのか、大地に横になり、体力回復のためすでに眠りに落ちていた。
(ま、あとで聞けばいいよね)
ちょっと無責任かなとは思ったけど、この傷を放っておくことの方が無責任だ。
ふと顔だけ上に向けると、ノイズはしっかりと目を閉じ、傷口を見ないようにしている。
「ノイズ、そのままでじっとしててね」
言って先程と同じように傷を洗い、薬草を塗り込みガーゼを当て、包帯でしっかりと固定する。薬草には毒消し効果のあるものも混ぜておいたので、もしモンスターの爪や牙に毒があっても中和できるはずだ。
「はいっ、終わり。他は?」
「あとはただのかすり傷だけよ、平気よ。ありがと」
「擦り傷にも効くっていうから塗っておいた方がいいよ、ここ森の中だし」
「どういう意味よ?」
「そこからバイ菌が入って化膿しちゃったら、痛いよ?」
そこまで説明すると、ノイズがしばらく悩んだ後、
「…………一応塗っといて」
と、観念したように僕にお願いした。
何とかノイズの手当てを終えて、今度はリードの前に荷物を持って移動する。
「リード、傷の具合は?」
ぼんやりとしていたリードだったが、僕の言葉で顔を上げると、思い出したかのように左手をさすりだした。
「ひねったの?」
「多分。さっきのヤツに振り回されたから……その時にね」
「ちょっと見せて」
リードは素直に左手を差し出した。表面には少し擦り傷があったけど、骨折はしていないようだ。僕は荷物の中から炎症を抑えるための塗り薬を取り出し、先程ノイズに使ったものと合わせて、リードの左手首のあたりに塗った。
「痛ててててっ……」
やはり擦り傷にしみたのだろうが、ノイズのように喚くことはないので、こちらとしてはかなり楽だった。
「あとは?」
「んー、あっちこっちぶつけたけど……それほどでもねーよ?」
僕が話しかけてから少しすっきりとた顔で、手足をぐるぐる回したりして確認している。動きも鈍くないし、本人の言うとおり、たいしたことはないのだろう。
「でも顔から血が出てる。痛くないの?」
「ああこれ、んなもんたいした傷じゃねーって」
言いながら、右手の甲でぐいと血をぬぐった。よく見ると、出血のほうもすっかり止まっていて、すでに傷口も乾いてかさぶたが出来ている。恐るべき回復力だ。
「だけどこれ、ぶつかった所が痛み出してきたら困るから、一応塗っといたほうがいいんじゃない?」
「結構心配性なんだな、お前」
「リーダーが戦闘中に筋肉痛で動けない、なんてことになったら大変じゃない。念のために言っておいただけだよ」
結局リードは、僕の言いたいことが分かったのか、とりあえずぶつけたらしい所に、僕が渡した薬を適当に塗りたくった。出血しているように見えたのは、どうやらモンスターのものだったらしい。実際リードは顔の出血以外は軽い打撲程度ですんだみたいだった。
「あとはクリストだね……彼の場合は、起こさないほうがいいかな」
「そうね、あたしたちもまだ十分じゃないし、しばらくこのまま休みましょ。ルシア、あんたは大丈夫なの?」
「まあ、怪我はないし、クリストほど消耗してないから大丈夫だよ」
「そう? ありがとね、ルシア」
「あ……うん」
珍しいノイズの言葉に、何となく照れくさくなった。
とりあえず動ける三人で、さっきモンスターたちが作ってくれた広場を中心にして焚き火をし、キャンプの準備を開始した。
辺りには枯れ枝がそれこそ掃いて捨てるほどあるので薪には不便しない。それぞれに一抱えほど集めてきたので、明日の朝までは十分にもつだろう。集めた枯れ枝に、僕が魔法をかけて火をつける。ぱちぱちと心地良い音を立てながら、オレンジ色の炎が周囲を暖かく包んでいく。
かなり遅めの昼食というのか、早すぎる夕食というのか、とにかく時間的にはそんな感じ。まだ日が沈むには早い時間だけど、焚き火というのはそれだけでもモンスターを除ける効果がある。
炎を苦手とするモンスターが多いから、というのはあまり理由にならない。逆のモンスターも結構多く存在するわけで、炎をまったく恐れないものもかなりいるからだ。モンスターとは区別される獣の中にもそういう習性をもつものがたまにいるが、自然に炎が発生するという現象がほとんどない森の中では、炎を恐れる獣のほうが多い。
森の中で焚き火をする利点の一つはこれ。普通の獣たちの襲来を減らすことができる。
そして二つ目。僕の魔法の一つに、焚き火を中心として作ることが出来る結界があるから。……炎を媒介にするので僕の消耗はほとんど全くといっていいほどない。
焚き火を中心にして、僕たちの周囲に五芒星になるようにして杭を打ち、魔力を込めた糸を張る。これで簡易結界の出来上がり。中心にいる僕たちの気配は、これでほとんど外には知られずにすむはずだ。
この結界の中で、僕たちはそれぞれのお弁当を広げた。少し焚き火の炎で温めると、美味しそうな料理の香りがあたりに漂う。ここで改めて、大きな溜め息が漏れる。疲れた体と心に染みていくように、じんわりと癒されている気分になってくる。
しばらくは、お弁当を食べる音が、焚き火のはぜる音に混じるだけの時間が続く。
「しっかし……あの親父もほんと親切だよな……結構うまいぜ、これ」
リードがまだ口の中に食べ物を入れたまま、もごもごと話し出した。リードの言う『親父』というのは、言うまでもなく宿屋のご主人のことだけど、確かに親切だし、このお弁当だって僕たちが冒険者であることを知った上で、外で食べることを想定して作ってくれたものだろう。あれだけ暴れまわった後でも型くずれすることもなく、温めることを前提としていたのか、再度加熱しても脂っこくなったりすることなく、逆に美味しさが増すという素晴らしいお弁当だ。
「汚いわね……口の中のものちゃんと飲み込んでからしゃべんなさいよ。こっちに飛んできたじゃない!」
ノイズはしっかりと飲み下してからリードに文句をつける。お弁当には文句のつけようもない。彼女が文句を言わずに料理を食べているのがその証拠。
「……それにしても、そうとう疲れてたんだね、クリスト。まだ起きないよ」
クリストの様子を窺いながら、僕は一度手を止めた。どうやら完璧に熟睡モードに突入してしまったようだ。焚き火のお陰で辺りの空気が温まり、その心地良さに安心しきって眠っているのだろう。
僕は寝ているクリストに、持っていた毛布をそっと掛ける。マントなどの装備品はそのままで、焚き火から遠すぎず近すぎず、一番いい場所に彼を寝かせていた。
三人ともお弁当を平らげ、大欠伸をかいているのはリードだ。
「それじゃ、リードが最初の見張りね」
「……何でそうなるんだよ?」
「あんた一回寝たら起こすのにすんごい苦労するのよ。だから真っ先に寝ちゃうあんたが適役なの」
一理ある。ノイズの押しに、あっさりと観念し、器用にくみ上げた枝の上に片肘を乗せ、剣の手入れなどを始めた。
剣の手入れだとかキャンプ用の簡易セットも、いつもリードが手入れをしているようなんだけど、どうやらこれは彼の趣味らしい。
「さて、あたしたちも寝ましょうか」
「そうだね。それじゃ、次は僕が見張りをするから適当に起こして。おやすみリード、ノイズ」
「おやすみ~」
言うと、僕はさっさと自分の寝床を確保した。
僕はショルダーガードごと外したマントの上に寝転び、その上から自分の毛布を掛ける。荷物はまとめて枕にした。万が一に備えて、錫杖はすぐ手の届くところに、ショルダーガードもすぐに装備できるようにマントから外さずにいる。
ノイズはしぶしぶ自分のマントを取り出し、僕とは逆に毛布の上に寝転んで、マントを自分の上に掛けた。彼女は着の身着のままで寝るのだ。彼女の武器は自分の身体に常に装備しているようなものだから、面倒臭い装備をする必要もないし、いざというときは一番先に、しかも持ち前の身のこなしですぐに臨戦態勢に入ることができる。
クリストに言われた通りしっかり準備していたものだけど、なかなか造りのしっかりしたいいものだ。襟元と裾にふわふわの毛皮がついている、動物柄の派手なマント。
僕たちは、しばらく焚き火のはぜる音を聞いていたが、やがて昼間の疲れが出たらしく、いつの間にか寝息を立て、束の間の夢の世界へと入っていった。
次に目を覚ますまでにはあまり時間がない。先程から大欠伸をしているリードのことだ。結構早い段階で起こされるかもしれない。それまでに何とか、少しでも体力と魔力を回復させるべく、僕はあっさりと熟睡モードに入っていた。
いつ何が襲ってくるとも限らない森の中。だからこそ交代で見張りを立てるわけなんだけど、それでもやっぱり得体の知れないモンスターが続々と出てくる恐怖からは逃れられない。僕たち冒険者は、瞬時に危険を察知して起きられるようにできている。というか、必然的にそうなってくる。
予想通り、リードは僕たちが眠っている間、時々大きな欠伸を連発していたが、やはり昼間の疲れがあったのだろう。時間にして三時間ほどで僕は起こされた。
見張りを交代すると、すでに寝る準備を整えていたリードは、三秒もたたないうちに寝息を立て始めた。
僕は焚き火を絶やさないように、時々薪を追加したりしながら、武器や防具を身につけ、皆を起こさないようにこっそり魔法の練習をして過ごした。
辺りはすっかり夜の帳が落ち、かすかに虫の声や木々のざわめきに混じって、夜鳥の声が時々聞こえてくる。モンスターが現れることはなさそうだ。辺りの気配がそう言っている。
モンスターなど、攻撃の意志を持ったものが現れると、まず虫の声が聞こえなくなることが多い。そして夜鳥の声も。
辺りの様子に気を配りながら、僕は今練習中の呪文を口の中で唱えてみた。ほんのりと両の掌が温かくなっていく。
実は今、回復系の魔法を覚えようとしているのだ。今のところはまだ相当な集中力を必要とするし、簡単なものしかできない。簡単というのは、ほんの少しの切り傷や擦り傷を治す程度。
昼間の戦闘を思い出してみると、あの錫杖を媒介として使えば、あるいは今の術程度でも、かなりの効果が期待できるんだけど、やっぱり練習するにこしたことはない。
ただ、僕は戦闘用の攻撃魔法が専門なので、術がきちんと発動してもクリストほどの効果が得られるかどうかは分からないが、それでも彼の負担を少しでも減らしたい。
小さな声で呪文を唱えてみる。今度は結構高度なもので、錫杖をしっかりと構えて意識を集中する。自分の魔力が錫杖に吸い込まれていく感覚が、握り締めた両手に伝わってくる。そして少しの魔力の消耗。
錫杖の先についている深紅の宝玉が光を帯びる。
「よし……」
僕は手近にあった折れた木の切り株に近づき、その木に向かって魔法を発動させる。
「我らが命の源よ…… 我が錫杖を媒介に 汝が青い炎にて 新たな息吹を与えよ」
ぼおおうぅう……
炎が静かに燃え上がるような音とともに、錫杖の先端が青白く光り、無惨に薙ぎ倒された切り株を優しく包み込んだ。
「…………え?…………」
魔法をかけられた切り株は、みるみるうちに新たな芽を出し、伸びていく。ちぎられたような切り口からも、その木の太さに合わせてその細胞を急速に増やしている。
あっという間に、その木はほとんど元の姿を取り戻し、その場に一本だけ、凛とそびえ立った。
「…………すごい……」
呆然と、それが回復していくのを眺めながら、僕はポツリと呟いた。
結果は見ての通り、成功だ。しかもかなり高度な術をほぼ完璧に。
しばらく呆然として見ていたが、はっと我に返って錫杖を下ろした。……これならばすぐにでも実用化できる。
ちょっとだけ誇らしくなって、そのあとも次々と数ある回復魔法の練習を続けた。
……気が付くと、辺りの一角だけに青々とした茂みが蘇っていた。
夜の風が、辺りの木々をすり抜けて小さなざわめきを起こす。僕が蘇らせた茂みも、その風を受けて誇らしくその枝葉を揺らしている。
夜の風がかなり冷たくなってきた頃に、起こしてもいないのにノイズが起きだしてきた。
「ルシア、見張り代わるわ…………って何これ?」
少し寝ぼけていたようだったけど、一角だけ青々としたその光景を目にし、急に眠気が吹っ飛んだように聞いてきた。
「いやちょっと……回復魔法の練習してたんだけど……こんなんなっちゃった」
後ろ頭をかきながらぺろっと舌を出し、僕が答える。
「すっごいじゃない!」
「ノイズ、大声出さないでよ、二人が起きちゃうよ」
「そ、そうね……でもあんた、いつの間にこんなの練習してたのよ?」
「僕はいつだって練習してるよ。……回復系はあんまり得意じゃないけど、クリスト一人に任せるのも悪いしさ。それにしてもノイズ、珍しく早いんじゃない?」
ノイズがあんまり感心しているので、僕は照れ隠しに話題を変えた。
「何言ってんのよ、あと四・五時間もすれば陽が昇るわよ」
「えっ? もうそんな時間なの?」
「そうよ、だからあんたも早く寝なさい。クリストにはしっかり休んで欲しいから、クリストの分まであたしが見張るわ。ま、あんたが頑張ってくれたお陰で、もうクリストの分も終わってるけどね」
言ってにこやかにウインクを一つ。彼女がこれをやると、男でなくても見とれてしまうだろう。今まであんまり言わなかったけれど、彼女はかなりの美人なのだ。いつも回し蹴りやら飛び蹴りやら、全身凶器と化したノイズしか見ていなかったので、ついそのことを忘れてしまうんだけどね。……人気ナンバーワンの踊り娘にもなるわけだ。
「うん、そうするね……なんか急に眠くなっちゃった……おやすみ、よろしくねノイズ」
「任せなさい、おやすみ」
僕はさっきと同じようにショルダーガードをつけたままのマントを地面に敷き、毛布を掛けて横になった。そしてまた、さっきと同じようにあっという間に熟睡モードに突入した。
目が覚めたのは朝だった。リードが起きたのを確認して、ノイズは朝食まで軽く寝ると言って、また横になっていた。クリストはというと、すっかり元気になっていて、新たに薪を集めて朝食の準備を始めていた。
「おはようクリスト、よく休めた?」
「ええ。申し訳ありません……わたしだけずっと寝てしまって」
本当に申し訳なさそうに謝るクリストに、僕は慌てて手を振って、すぐに装備を整えてからクリストを手伝った。
「クリストがいなかったら、あの時は本当に大変だったからね。これからもクリストには大きな仕事が待ってるんだから、夜くらいはゆっくりしてもいいんじゃない? こんな時なんだからさ」
手近にあった枯れ木を集めて薪を補充しながら僕は言った。
「で? 今朝は何にするの?」
「ええ、リードが今狩りに出ていますから、それ次第ですけど。森の中に食べられる野草が結構ありましたし、香辛料になるようなものもありましたからね、包み焼きでどうでしょう?」
「いいね」
僕はちょっとうきうきしながらクリストを手伝った。
包み焼きというのは、僕たちが野宿をしたり、こうした冒険の途中でキャンプしたりしたときに良く作るお手軽料理。
携帯していた食料の中には、保存食以外にも小麦粉とかちょっとした調味料も入っている。その小麦粉を薄い塩水で溶いて生地を作り、その中に肉や野菜を包んで遠火で中に火が通るまで焼く、というもの。
香草なんかがあれば香りも楽しめて、うちのパーティでは結構人気のある料理なのだ。
あとはリードがその日に狩ってきた獣をさばくだけ。獣といっても大きなものでなくていい。小動物、たとえばウサギなんかがいいんだけど、大きなものでも残ったらそのまま燻製にでもすれば、保存食になる。
小麦粉の生地が出来上がり、クリストが用意した野草も準備完了、というところでリードが帰ってきた。手には獲物を携えて、いつもと変わりない様子でこちらへ向かってくる。
「よお、おはよう」
「おはようリード。調子いいみたいだね、獲物は?」
「小さめだけどほれ、野ウサギが二羽。一羽は保存できるか?」
と、差し出したのは耳と手足が比較的長いのが特徴の野ウサギが二羽。リードが言うように標準サイズよりは少々小ぶりだけど、これで十分。
「うん、燻製でいいでしょ? じゃあ僕はそっちをやるね」
「OK、焦がすなよルシア」
「大丈夫だってばぁ」
言いながら僕は、少し離れた風下に、『土』の魔法で小さな縦穴を掘る。その中に枯れ枝と生の枝や葉を適度に入れてから火をつけ、火に直接当たらないように野ウサギを吊るすかたちで穴の縁からぶら下げ、その上に葉っぱで蓋をする。こうすれば、煙が食材に染み込んで風味も増し、長期保存ができる燻製が出来上がる。
一応言っておくと、野ウサギは吊るす前にしっかりとさばいてある。携帯していたナイフで丁寧に皮を剥いでおくのだが、この皮というのもうまく保存してやれば売り物になる。ちょっとした小遣い程度だが、貧乏性とは言うなかれ、パーティにとっては重要な資金源なのだ。
そしてさばいて出てきた『いらないもの』は、クリストのものと合わせて一つにまとめ、血の臭いが出ないように深めに穴を掘って埋めておく。この血の臭いというやつはかなり厄介で、それが目印になってモンスターを呼び寄せてしまうので注意が必要だ。
一応まだ僕の五芒星の結界の効力があるので、それほど心配はいらないだろうけど、用心はするにこしたことはない。それに、リードが血の滴るそのままでここまで運んで来たものだから、それにつられて近くまでモンスターが来ていないとも限らない。
僕が燻製の準備を終えた頃、クリストは早くも焚き火の周りに包み焼きの串を刺しているところだった。
「うーん……お腹すいたぁ……」
夜中見張りをしている間に魔法の練習をしていたんだけど、調子に乗っていくつも連発していた反動が今頃やってきたのか、お腹のほうがご飯を催促している。
リードもクリストも(クリストはあれからずっと眠っていたのだから余計に)同じような顔をしている。最後まで見張りをしていたノイズはまだ眠っているけど、そのうち包み焼きの香りがしてきたら自然に起きてくるだろう。
「そういえば、みんな水筒の水って残ってる?」
焚き火を囲んで丸くなって座っている二人に、僕が声をかける。
「ええ、わたしのはまだ少しありますが、料理にも使いましたからね」
「ん? 俺のは空っぽだ……やべぇかな」
自分の水筒を逆さにして覗き込みながら、あまり説得力のない口調でリードが言う。
「『やべぇ』んじゃない? 朝の分くらいは残しておこうよ」
軽く溜め息をついて僕が答える。飲料水がなくなりかけている。こんな状況でも誰も慌てないのは、僕の魔法のストックに便利なモノがあるからだ。つまり、水を呼び寄せるという、ごく簡単な魔法が。
「んじゃ水筒貸して、今作るから」
そう言って二人の水筒と、自分の水筒を取り出すと、その『水』の魔法をかけて水筒を満たす。本来は消火用に開発されたらしい魔法なんだけど、今ではもっと使いやすいものが出回っているため、これを使える魔法使いはあまりいないらしい。僕が面白がって魔法を覚え始めた頃に知った魔法の一つだ。これが案外役に立つ。ちょっとアレンジしてやれば、大量の雨を降らせることも出来るし、それで退治できるモンスターも実は存在していたりして、使い道は結構ある。
「これっていつの間に覚えたんです? ルシア」
「『水』の魔法をアレンジしてみたの。あ、他にもね、今回復魔法の練習してるから、ちょっとはクリストの負担を軽く出来ると思うよ」
最後にまだ実戦で使うにはちょっとの不安があることをつけたし、僕が答える。
「回復の魔法は集中力が勝負みたいな部分もありますからね。ルシアはその点魔法使いだから大丈夫だと思いますよ。錫杖もあるし、集中力を高めることができればすぐにでも使えるんじゃないですか?」
「うん、それなんだよね。僕ってば攻撃魔法専門だからさ、すぐそっちに集中力が向いちゃうんだよね」
「あははは、そのうち慣れてきますよ」
などと僕とクリストが魔法の話で盛り上がっていると、横から突然声がした。
「ルシア、お代わり」
言いながら水筒を押し付けてきたのは、言うまでもなくリードだ。どうやら一気に飲んでしまったらしい。
クリストと二人で苦笑しながら、もう一度水筒を満たす。
「簡単な魔法のようですから、わたしも覚えておいたほうがいいかもしれませんね」
「そうだね、魔法のストックは多いほうが心強いし」
さすがはクリスト。魔法を発動させるための呪文の飲み込みも早いし、あっというまにマスターしてしまった。その後も、包み焼きが完成するまでの間、回復呪文や魔法の使い方なんかを実際に試してみて、クリストからアドバイスももらった。気が付くと、夜に作り出してしまった青々とした茂みがその倍くらいに膨れ上がってしまい、僕たちは土肌むき出しの焚き火の周りに座りながら、青々とした茂みに囲まれる、という奇妙なことになってしまっていた。
そうこうしているうちに、包み焼きからいい香りが漂ってきた。包んでいる生地からは香ばしい匂いが、そして中の肉や野菜もジューシーな音を立てている。そろそろ完成かな、というときにノイズがむっくりと起きだしてきた。髪の毛をぼさぼさにして、半分ほど開いた目には、まだ重そうに目蓋が乗っている。
四人が焚き火の回りに集まって、簡単な朝食が始まった。ノイズはまだ少しぼんやりしているようだったけど、僕が水を補充するとそれを一気に飲み干して、それでようやくいつものテンションを取り戻したようだ。さっそく焼けたらしい串の一本をくわえたままで、いつものように髪の毛を整え始めた。
ノイズに先を越されたリードも、十分に火の通った串をクリストにつかまされ、なにやら言いたそうなその口に押し込んだ。僕とクリストも、順に焼けたものに手をつける。
外側はこんがり焼けていて、中身はジューシー。クリストの採ってきた野草も香辛料も程よくきいて、なかなかの味である。
焚き火を囲んでいる時は結構みんなリラックスしているけど、もちろん周囲への警戒は緩めずにいる。これも冒険者の心得の一つだ。何時いかなる時も油断は禁物。それを実感できるのは、やはりこういう場所で食事をしている時だ。
「味のほうはどうです?」
焼きたての包み焼きを食べながらクリストがみんなに問う。
「んん、いつもの通り、うまいぜ」
包み焼きをまだ口の中でもごもごさせながらリードが答える。
「だぁかぁらぁ……口の中に物入れたままで喋んないでよ! ほんっとに行儀悪いんだから! ……クリストの料理はいつも美味しいわよ」
ノイズがまたリードに厳しく突っ込んで、それからクリストの質問に答える。その後は、これもまた言うまでもないことだが、口の中に物をいれたまま反撃するリードに、きちんと食事を飲み込んでからビシっとノイズが注意するような口調で応える。……いつもの口喧嘩のちょっとしたアレンジ版だ。
僕とクリストは例によって顔を見合わせ苦笑しながら、自分たちの分を腹に収めた。リードたちも、口喧嘩をしながらもしっかりと包み焼きを平らげていた。食べていることに口を使っているのにこれで口喧嘩をするのだから、なかなかに器用なことをするものだ。
全員が軽いけどちょっと豪華な朝食を食べ終えたときには、僕が作った穴から、もくもくと煙が立ち昇っていた。
「大丈夫かな……」
不安になって様子を見てみる。
煙は上にかぶせた葉っぱの隙間から立ち上り、特有の臭いがする。それに混じってほんのりといい香りが漂ってくる。この分だと焦げていることはないだろうとは思ったんだけど、念のために口と鼻をローブの裾で覆いながら葉っぱを除ける。
「あ、いい感じじゃない?」
「どれどれ」
僕があげた声に応えてくれたのはクリストだ。彼もすっかり装備を整えており、僕と同じようにローブの裾で鼻と口元を押さえながらやってきた。
穴の中はかなりの煙で充満していたけど、焦げた臭いはしていない。
「うん、いい感じですね。あともう十五分くらいで完成かな」
吊るされた野ウサギを煙で目を瞬かせながら見て、クリストが言う。
「よかった……焦げなくて」
心底安心して呟く僕に、クリストが優しい笑みをくれる。
「燻製はもうすぐ完成するから、それに合わせて出発しようよ」
リードに向かって、穴にもう一度葉っぱで蓋をしながら僕が言う。
彼のほうを見ると、包み焼きでいっぱいになったらしいお腹を満足そうにさすりながら、OKサインを出した。それを合図に、ノイズも準備を始める。
僕たちは昨日の装備のまま(これはノイズも一緒なんだけど、彼女の場合はメイクがある)、焚き火の回りを片付け始めた。
ごみは臭いが残らないように、深い穴を掘ってそこに埋めておく。もちろん、肉や野菜をさばいたナイフを洗った水も一緒に。そして燻製が完成した頃に、ノイズのメイクも完成し、それぞれに荷物や装備を確認して、いよいよ出発の準備が整った。……ノイズって、誰もいないようなこんな森の中でもきっちりメイクは欠かさないんだよね。
「さて……と。出発する前にルートの確認しとこうぜ」
リードがリーダーらしく仕切る。
「えっと、今僕たちがいるのはここら辺」
と、僕が森の入り口から五分の一ほど進んだ位置を指差す。今はまだワープゾーンの場所には到達していないので、このまましばらくはこの獣道を辿っていけばいい。
「わたしも一緒にコンパス見ながら来ていますから、まず間違ってはいないと思いますよ」
と、クリスト。
「よし、それじゃ昨日と同じでいいな。俺が先頭を行く。次がノイズで、その後がクリスト。ルシアは最後尾だ。昨日みたいなモンスターがまた出てくるかもしれないからな、気をつけろよ」
「一番気をつけなきゃなんないのはあんたでしょ?」
「お前なあ……」
せっかくリーダーらしく仕切ったのに、横からノイズに突っ込まれて気分を害したようだ。
「そうだね、慎重に行こう。もしかしたら、どこかで地図が間違ってるかもしれないしね」
僕の言葉に、クリストもノイズも、そしてリードも無言で頷く。
「それじゃあ、結界を解くよ」
「ああ」
言うと僕は、五芒星に張り巡らせた魔力の糸を巻き取り、荷物の中にしまい込む。
再び、細い獣道を辿る旅が始まった。