冒険の準備と不安な情報
夕食時。
ある程度旅の支度を整えて、あとは全員で最終チェック、というところで、全員の腹の虫が鳴った。残りは食事のあとにしよう、というところで全員の意見が一致し、宿の一階にある食堂へと降りた。
ちょうど夕食時を迎えていた食堂は、宿泊客以外の客もいるのか、かなり混んでいる。僕たちは運良く隅の方に空きテーブルを発見し、それぞれに腰を下ろした。四人がそろって食事をするのは何故か久しぶりのような気がしたけど、やっぱりリードとノイズがそろうとやかましい。お互いが選ぶメニューにそれぞれ文句をつけてみたり、あれをよこせこれをよこせとお互いにおかずを取り合ったりしてみたり。
そんな二人を眺めつつ、僕とクリストは静かにそれぞれのセットに手を伸ばしていた。
僕もクリストも、他二名の『準備』というものに一抹の不安を抱いていたんだけど、珍しく(と言ったら失礼だろうが)まともなものが揃っていた。
「あとは何か必要なもの、あったかな?」
隣でシチュー皿をかき混ぜているクリストに聞いてみる。
「そうですね……薬草を煎じておくのと……食料ももう少し欲しいですね」
などと足りないものを二人で確認しているところに、ノイズの声が混じってきた。
「あのさぁ、地図ってないの? 地図」
もっともなことを言う。
「今日ちょっと探し回ったんだけど、町の中のやつとか、周辺の町に行くルートしかわかんなかったのよ」
「ああ、それならわたしが買っておきましたよ。ちょっと入り組んだ話になりそうなので、あとで部屋に戻ったときに説明しますね」
さすがはクリスト。ノイズが見たものは、おそらく観光ガイドかそんなところだろう。周辺の町に行くルートだって、乗合馬車が通れるような大きな街道しか載っていないだろうし、当然、相当大きい森でなければ迂回するのが安全というものだ。
クリストの言う入り組んだ話、というと、何か罠でも仕掛けてあるのだろうか。でも、誰が通るともわからない森の中に……? もしかすると、塔の内部のものかもしれない。彼がここで話をしないので、ちょっとした期待が高まる。クリストのことだ、何か重要な手がかりでも聞き込んだのだろう。
そのうち、店内の客も少しずつ数が減り、あるいは宿の外へ、あるいは宿の一室へと戻っていった。僕たちも全員きれいに皿を空けると、宿の一室へと集合した。
「さて、と。んじゃまずは荷物の確認といこうか」
リードが仕切る。言いながら、鞄の中身をもう一度取り出し、一つ一つ確認していく。
まずは携帯用の食料に水。夜間使用するランタンやキャンプで使う携帯用の食器類一式。こいつはセットになっていて、まとめると非常にコンパクトで使いやすい。冒険者ならずとも旅をするときの必需品だ。中身もきれいに手入れされていた。
そしてこれも休憩のときに使うような、薄いが丈夫な毛布が数枚。今の季節、やはり野宿となると厳しい。まして森の中で風邪をひいた、なんてことになったら、あとあと笑い話のネタにされる。
その他にもリードが用意したのは磁石や大振りのナイフ。装備用の剣とは別で、森の中を歩くときに邪魔な下草などを払うのに重宝する。
ノイズも似たような内容だ。いつもはリードが持つ荷物だが、今回は森の中が中心となる。主戦力たるリードの負担を軽くするため、今回は僕たちも空いているスペースに荷物を振り分けて持つことにした。
そしてそれぞれの装備の確認。
リードはライトメイルにいつもの剣。足元や腕を防御する皮製のブーツとグローブ。
ノイズは、これから森の中に入っていくというのに、いつもの踊り娘スタイル。かなり露出度の高い服で、豊かな胸があふれそうになっている。耳、首、手首、足首にそれぞれじゃらじゃらとしたアクセサリー。武器を持たないノイズの攻撃力を高めているのは、爪と皮膚を保護するための肘ほどの長さのグローブと、デザインの派手なロングブーツ。グローブには指の部分、一番敵にヒットする部位に薄い鋼板が仕込まれている。ブーツも同様に、鋼板が仕込まれていて、こいつに直撃されると大人の腕ほどもある木の枝さえも簡単に折れるほどだ。……この装備ならば『武器』と言ってしまったほうが正しいのだろうが、それを言うとノイズにしばかれるので言わないでおいた。
クリストは僧侶の法衣に新しく買ったショルダーガードとマント。首から下げた十字架、そしてこれもまた新しく買った護符を両手首に。
僕は黒いローブに黒いマント、それに合わせてクリストに買ってもらったショルダーガード。それから、魔法屋のじーさんから譲り受けた新しい羽根飾りのついた錫杖。その他に、肩から掛けた鞄には資料や情報をまとめたものと、小さなメモ帳なんかを入れている。
今の季節は、ちょうど季節の変わり目で、日中は少し歩くと汗ばむくらいに気温が上がるが、朝と夜は極端に冷え込むこともある。結構変化しやすい時期だ。
僕やクリストはほとんどいつもマントを着用しているんだけど、リードとノイズは着ていない。
リードは一応持っているようだが、剣を扱うには邪魔らしく、普段は滅多にマントをつけない。ノイズはもともと好きじゃないのか、マント自体を持っていない。だけどこの季節にこの装備では、と、半ば強引にクリストに持たされたらしい。らしい、というのは、僕がそれを見たことがないからだ。クリストの話によると、どうやらフェイクファーのついた、見た目的にかなり派手なものだそうだ。
……まあ、クリストが着てるような清楚な感じのマントの下に、ちゃらちゃらとした踊り娘の衣装があったら、それこそ不自然だろうけどね。僕は何となく、動物柄の毛皮のコートを想像してしまった。
そして問題の、地図の件。
「わたしがよく行くお店の店主さんから聞いたんですが……」
と、少し古めかしい、複雑そうな図面を取り出しながらクリスト。図面は二枚あり、一枚は森、そしてもう一枚は、どうやら建物の見取り図のようだ。
「あの森、実は不思議なトラップがあるそうなんです」
『トラップ?』
地図を覗き込んでいた他の三人が同時に聞き返す。
「そうです。昔の話ですから、店主さんもあまり詳しくは知らないらしいんですけどね、どうやらワープゾーンがあるみたいですよ」
地図を指差しながら、クリストが説明を始めた。
僕も一緒になって覗き込んでいたが、あまりに細かく書かれすぎていて、何がなんだか正直よくわからない。でも、一本の道のように書いてあった線が、途中でぷっつりと途切れている地点が何か所か見つかった。
クリストが言うには、この線はとても細い獣道らしい。その地図に沿ってそのまま進んでしまうと、途切れている場所から別の場所へとワープしてしまう、というのだ。しかもその行き先がぽこぽこ変わってしまうというから、何度同じところを通ろうとしても、別の、まったく違った方角に出てしまうのだとか。
「ややこしいなあ……」
穴が開くほど地図を睨んでいたリードが、面倒臭そうな声を上げた。……その森に無謀にも先頭きって入り込んだのは誰だ……?
改めて見ると、こうして今宿にいる自分たちがいかに幸運だったかを思い知る。
「ワープでぽーんっ、て塔まで行けないのかしら?」
単純なことを呟いたのは、言うまでもなくノイズだ。
「それが無理みたいなんです。そもそも、この地図を書いた人っていうのも、何年もかかってワープ地点をチェックして歩いたらしいんですけど……結局分かっているのはこの空白」
と、ところどころにぽっかりと空いた部分を指差し、
「ここのどこかに到着するらしい、ってことだけみたいですし」
「なんだよ、それじゃこんなもんいらねーじゃん」
半ば投げやりに、リードがぼやく。いい加減、細かいものをじっくり見すぎたのか、それともただ単に飽きたのか、目をこすりながら後ろのベッドによりかかる。
「そんなことないんじゃない?」
と、これは僕。
「なんでそんなこと言えるのよ? これ見てよ、ほとんど全部の道がワープゾーンにつながってんのよ?」
ノイズも諦めかけた口調で言う。
「ちゃんと見てるって。だけどほら、この塔がある場所の周りって、空白ないでしょ? だから」
「だから何よ?」
「獣道を避けて行けばいい、ってことですよね、ルシア?」
クリストの言葉に僕は頷いた。
「道があるところばっかり見るからハマるんだよ。僕たちが別の道を作ればいいんじゃない?」
僕の言葉に、三人はなるほど、とばかりに頷いてみせた。
獣道がついているから、その道が正しいとは限らない。現に、どの獣道をたどっても、どこか分からない場所にワープさせられるのだったら、地図にない道を作って試してみればいい。
ただし、ただ闇雲に歩き回るだけではだめだ。この森は大きさからみて最短距離をまっすぐ突っ切ることができたとしても、五・六日はかかるだろう。それも普通に整備された道じゃなくて、細い獣道ならその倍はかかっても不思議じゃない。運悪く未発見のワープゾーンに入ってしまったら、森から生きて出られる保証はない。何しろ、町のこんな近くにあるのに誰も攻略していないのだから。
僕は皆の表情を窺いながら、僕なりの考えを話した。誰も何も言わない。他に方法がないか、あるいは何も考えていないか。
「だから、塔に一番近いところまではこの地図どおりに行って、あとは周囲を見ながら獣道を避けて行く、ってのでどう?」
しばらくの沈黙。
「……そうね、それが一番簡単だわ」
「わたしもそれに賛成ですね。リード……は……?」
リードに目をやったクリストの目が点になった。
……寝てる。
胡坐をかいて両腕を頭の後ろに組んだまま、器用にベッドによりかかって寝息を立てていた。
「………………あ・ん・た・ねえ……」
ぷるぷると握り拳を震わせながら、怒りに震える声を絞り出すノイズ。
がっ! と音さえ立てながら片膝を立てて、リードの両肩をわしづかみにしながら、ノイズの揺さぶり攻撃が始まった。
「人が真剣に考えてる時に何のんきに寝てんのよっ! 起きなさいってばっ!」
絶叫に近いノイズの声が部屋中に響き渡る。僕とクリストは慣れたもので、『あんたねえ』の台詞の辺りから、リードとノイズから少しずつ遠ざかり、今は部屋の隅で両耳をしっかりと塞いでいる。いつものパターンだと、これが十分くらい続いてから話を再開することになる。
リードが起きるのを待つんじゃなくて、ノイズが諦めるのを待つのである。……何故こんな男がこのパーティのリーダーなんかをやってるんだろう……。
頭脳労働が僕とクリストなら、肉体労働はリードとノイズ。ノイズだけは他の役割もあるが。どちらにせよ、これが我がパーティの在り方なのは間違いない。
森の攻略法は一応これでGOサインが出たわけだが、もう一つ図面がある。見た限りでは、ごくありきたりな、建物の見取り図。
四角い部屋が階段やらハシゴやらでつながれている、六階建ての塔だ。一階以外は外からの入り口らしきものはない。おそらく窓か何かはあるだろうが、それは記載されておらず、ただ直線的な図面が各階ごとに並んでいるだけだ。
「これについては?」
聞いたのは僕だ。だがクリストは首を振り、その紙切れの隅っこにあるかすれた文字らしきものを指差した。
「ここに何か書いてあるんですけど……かすれていますし、どうやら今は使われていない文字らしいんです」
これも同じ店の店主から貰ったものらしいが、これはかなり古いものを何度も書き換えて今まで保存してきたものらしい。おそらくは建築当時のものだろう。入り口や階段の配置など、必要最小限のことしか書かれていない。ノイズの仕入れてきた情報が本当ならば、ここに住んでいた人物が何がしかの仕掛けやトラップを組んでいるのだろうが、何せ誰も攻略したことのない塔だ。得られる情報が少なすぎる。
しかしこれが、僕たちにとっては期待の星なのだ。誰も攻略したことのないもの、そしてある程度謎めいた情報。冒険者の心をくすぐるものがある。この程度の地図か、などと言ってさじを投げるような者は、冒険者ではなく不動産屋にでも転職すべきだろう。
何が待ち受けているかわからない恐怖、そしてそれを凌駕する好奇心こそが、冒険者たる者の心得である。
この考え方は、僕ら四人に唯一といっていいほど一致するものだ。
「……あれ、この文字……」
僕はふと思い当たって呟いたのだが、この小さな声を二人は聞き逃さなかった。ばっ、と二人同時にこちらを見る。
「知ってんのっ?」
やや興奮気味にノイズが身を乗り出す。リードのことはもういいらしい。
「うん……前に見たことあるなぁ……確か」
そう遠くはない昔、別の町にあった大きな図書館で、この文字を見た、というか読んだ記憶がある。僕は必死にその記憶をたどる。
確か僕が魔法使いになってからまだそう経験を積んでいなかった頃だから……。
「目に見える……もののみが……、こそが……? 真実……に、あらず……?」
かなりかすれてしまっていて、読み取りにくかったが、多分内容はこんな感じだった。
「見えるもののみが真実にあらず? 見えないものが真実ってことかしら?」
「謎かけみたいですね……」
一瞬静まり返った室内に、リードのいびきが大きく響き、それが合図になった。
これ以上のことは、この図面からは読み取れなかった。考えてもわからないし、実際にその塔に行ってみないことには始まらない。
この問題は、森を抜けて塔を目の前にしてから考えようということになった。
「うっし、行くか」
よく晴れた次の日の早朝。冷んやりとした朝の空気をめいっぱい吸い込み、意気込んでパーティの指揮をとるリード。
それぞれに装備を整え、宿のご主人が何故か張り切って作ってくれたスタミナたっぷりの朝食を腹に収め、一行は森へ向かって出発した。
森の入り口まではすぐ。この町の北側にある、申し訳程度の門を抜け、三時間ほど歩けば届く距離だ。
門からはちょっとした街道がはしっているが、その街道は森まで続くことなく、途中で反対側、東側へそれる。そこからはまばらな下生えのある野原を通り、徐々に潅木などが増えていき、そして高い木々や鬱蒼とした茂みへと続いていく。
町から一歩外へ出ると、隠れる場所の少ない野原などには比較的小柄なモンスターたちがいる。こういう場所にいるモンスターは、それなりの装備をしていれば苦労なく倒せる程度だが、大きな森の中に入ると、そうはいかない。この間出会った気色悪いモンスターが、いや、それ以上のものがうようよしている。
僕たちはそれなりに経験も積んでるし、ある程度のモンスターなら、わけなく倒せる自信はある。……この前は、リードが暴走したために装備も何もきちんとしてなかったし、油断していた。それさえなければ、それほどの苦労もせずに森を抜けられるだろう。
……そう思っていた。少なくとも、出発した段階ではパーティの全員がそう思っていたはずだ。