それぞれの思惑
ある情報筋から耳にしたのだが、いわゆる『魔道書』と呼ばれる書物が、この町の北の森の中にある、古い塔のなかに眠っているというのだ。
その塔というのが、昔とある魔法使いが研究所として使用していたもので、今はその持ち主もなく、荒れ放題になっているという。
それだけならば、そこら中にころがっているようなありきたりなものなのだが、その塔は少し特殊らしい。何でも、塔の所有者だった魔法使いが、自分の研究が明るみに出ないようにいくつもの罠が仕掛けたらしく、今となっては入ることすら困難だというのだ。
しかも、その北の森には、最近やたらと物騒なモンスターが出現するようになっていて、辿り着けた者もほとんどいないという。そしてまた、帰ってきた者も数少なく、ただ『恐ろしかった』と言うだけで、何があったのかを話す気力さえなかったという。
「ま、噂だからね、当然尾ひれがついてくるのは当たり前だけど、面白そうじゃない? ああ……森に巣喰う凶悪なモンスター……辿り着くのも困難といわれたその塔の謎を解き明かし……これで見事生還できたら一躍有名人よっ! ついでにその魔道書とやらを探せばいいじゃない!」
途中、ノイズは両の手を組み合わせ、夢見る乙女のように物騒なことを言いながら、すでにやる気満々だったりする。
しかしなあ……魔道書を『ついで』と言われてしまって、僕とクリストは一抹の不安を抱かざるを得ない心境になってしまった。
「まあでも、出かけるにしても、リードの回復を待ってから、ってことになりますね。一応傷の方は全部治ってるはずなんですけど……」
未だうんうん呻いているリードを心配気に見やってから、クリストがもっともな意見を言う。
確かに、いつものリードだったら、常人を遥かに凌駕した回復力であっという間に怪我から立ち直り、傷が治ればすぐにでも暴れ出すくらい無駄に丈夫なんだけど、今回はやたらと回復が遅い。
(ん……? もしかして……)
ふとあることを思いついた僕は、リードが寝ているベッドに近づき、よく観察してみた。
「……やっぱり」
溜め息とともに一言。
「何がやっぱりなのよ?」
無意味に両の手を腰に当て、偉そうにノイズが問う。そのノイズをやや半眼になって見上げ、
「リードの包帯替えたの、もしかしてノイズなんじゃない?」
と、リードの観察結果を伝える。
リードの治療をした医者が包帯を巻いたときと、今とでは、包帯の巻き方にかなり差がある。つまり、簡単に言うと、ザツなのだ。大雑把と言うかなんと言うか……。
医者の話では、『一応包帯の替えは用意しておくが、あまり必要ないかもしれない』とのことだったんだけど、今現在でもリードはミイラ男状態だ。……もっと早くに気づくべきだったのかもしれない。
「そうよ、傷口はもう完全にふさがってたけど、面白そうだったからあたしが巻きなおしたの。新しい包帯ももらってあったからね」
「うーん、うむうううう」
今度は何やら抗議したそうな声で、リードが何かを訴えようとしているが、呻き声にしか聞こえない。
「『余計なことしやがって』とか言いたいんじゃない? リード」
「うむうっ」
一声大きく唸ってみせる。肯定のつもりだったのか、頷こうともしたようだったが、さすがにそれは無理だったようだ。
「ちょっとぉ、何が余計なことなのよっ?」
僕がリードの言いたそうなことを通訳したものだから、今度はノイズがリードに喰ってかかった。それを必死で押しとどめているのはクリストだけど、ついついノイズと比較してしまい、やや貧弱に見えるのは僕の気のせいだろうか。確かにクリストは、男としてはやや線が細く、貧弱な感じは否めない。ついでに、言葉遣いも結構丁寧で、年下の僕にさえも敬語をつかう。
「待って待って、今説明するから」
言いながら、僕はリードの包帯をすべて取り外しにかかった。
包帯を外した皮膚には、傷口らしきものは確かにない。しかしその代わり、とでもいうのか、包帯の跡があちこちについて、赤い筋がいくつも見える。ここまで包帯が食い込めば、誰だって痛いぞ、これは。
ぶはあっ、とばかりに大きく息を吸い込み、何度か大きく息をつくリード。相当キツかったのだろう、目が少々血走っている。
「ノイズっ! てめえ力加減とかそういうのできねーのかよっ!?」
開口一番、自由になったその口でノイズを怒鳴る。
「何言ってんのよっ! 人がせっかく親切でやってあげたってのにっ!」
「これのどこが親切だよ、これのっ! お陰で体中痛えし息はできねーし……」
「うるさいわねっ! 初めてだったから仕方ないじゃない!」
「このやろ、練習台に人を使うなっての!」
……始まった。リードとノイズの無意味な水掛け論的ながなり合いが始まると、もう誰も止められない。しかも声だけがやたらとデカい。二人が力尽きるのを待つしかないんだけど……その前に、宿のご主人が苦情を言いに来ないことを祈ろう。
リードの回復が遅いと思っていたのだが、何のことはない。ただノイズが巻きなおした包帯が体中を締め付け、単に身動きとれないイモムシ状態になっていただけのことだったのだ。そして今、その包帯から開放されたリードは、元気いっぱい、ノイズと全力で口喧嘩している。
お互いが格闘しないことだけは確かだから、再び行動不能になることはないだろう。今までこの二人が取っ組み合いの喧嘩をしなかったわけではない。が、後先のことを考えない二人のこと、お互いが戦闘不能になるまで体力の限りを尽くし、周囲の物を損壊させながらの乱闘が続くのだ。そのあとは当然のようにクリストの回復呪文を受けるのだが、何しろ二人の実力は男女の壁を通り越して互角。体力の限界がくるまで戦うものだから、体力が回復してまともに動けるようになるには、相当の時間がかかる。何度も何度も同じことを繰り返し、ここ最近になってようやく、それが不毛な戦いであることに気が付いたのだ。気が付くのに時間がかかりすぎ、という説もあるが、この二人にとっては大いなる進歩である。
以来、何とか口喧嘩にとどまっているのである。
しばらくの後、部屋からの喧騒が突然おさまった。どうやら力尽きたらしい。時間はすっかり昼を回っていた。僕たちは二人で昼食をとり終えて、彼らの隣の部屋でまったりとくつろいでいると、唐突に辺りが静まったのですぐに分かった。
体力を使い果たしているであろう二人のために、またも宿のご主人が今度は二人分の食事をしっかりとトレイに用意してくれていた。上の階で騒がしくしていたにもかかわらず、本当に親切な人もいるものである。
二人分の食事を持って、二人が待つ部屋へと入ると、予想通りの光景が目に入ってきた。……完全に力尽きたらしく、肩で大きく息をついている二人。リードはそのままベッドの上、ノイズは床にへたり込んでいる。
二人が黙々と食事を口に運んでいる間に、僕とクリストは勝手に話を進めていた。といっても、リードやノイズはあまり興味を示さないような内容──つまり、魔法の道具などの魔法に関すること──だったんだけど。
「そろそろこの杖も古くなってきたからなぁ……強度も落ちてきてるし」
「そうですね、ルシアの場合それで叩くんですから。そのうちぽっきり、なんてことでもあったらシャレにならないですよ」
「クリストだって、そろそろ新しい防御魔法の一つでも欲しいんじゃない?」
「ですね……さっきノイズが言っていた塔に行くっていうんでしたら、やっぱりもう少し強化しないと」
などなど、自分たちの扱える武器や呪文のバージョンアップについて検討していた。
僕が呪文を唱え、発動させるために使っているのは、樫の木を削りだした、何の飾り気も愛嬌もない錫杖……長い棒のようなものだと思ってもらえるといい。長さは僕の背丈よりも少し長いくらい。
本来ならば、樫の木という木の本質がある以上、ある程度月日を重ねると、それなりの貫禄も帯びてくるんだけど、その逆、脆くなってしまう。脆くなる原因には、僕の場合二つある。
一つ目は、錫杖を扱う魔法使いなら誰しももつ悩みなのだが、これは『魔法』という本来この世界にはない『力』を別次元から無理矢理に引き出し、それを宿して使うためである。魔法を使用してある程度まで強化することもできるけど、それにもやっぱり限界はある。中には、錫杖そのものに魔力が宿っているものもあるんだけど、それこそ破格。とてもじゃないけど今の僕には買えそうもない。それに、その錫杖本来のもつ力というのも限られているから、上を望めばきりがない。高級な材料を使えばより強力な魔法も使えるようになるし、それ自体の強度も増し、長持ちもするのである。
そして二つ目、これは多分僕だけの問題なんだけど……この錫杖でそのままリードやノイズをどついたりするからなんだよね。いつも肝心なところで突拍子もない行動をとる二人を、いつも思わずぶん殴ってしまう。悪い癖だとは思いつつも、なかなかやめられない。別に楽しんでやっているわけではないんだけど……いや、多少は楽しんでいるかもしれない。多少。
一方、クリストが扱うのは武器でも防具でもなく、道具。魔法の道具として強度を上げ、クリストの魔力を増幅できるという十字架。いつも首からぶら下げているのがそれだ。この世界で最もポピュラーで、神聖視されているホワイトドラゴンの細かな細工が施された純銀製の十字架で、大きさは大人の掌ほどもある。銀というのは、金属や宝石類の中でも『聖』属性の力が強く、単に魔除けとして飾っておくだけでも低級のゴーストやなんかは近づけない。
その十字架を中心に意識を集中させて、防御結界を張ったり、それを相手に向けることで傷の治療をしたりできる。また、一般的にモンスターと呼ばれている生物は、それぞれに邪悪な意志をもっているといわれ、それらのモンスターに対しては攻撃することさえできる。モンスターに直接ダメージを与えるようなものではなく、いわばその邪念に対してダメージを与えるのだ。邪念を殺ぐ、とでもいうのだろうか。
実はこのクリストが持っている十字架、これが最高級の品だったりするのだ。だから、クリストの場合、能力のバージョンアップをするとなれば、本人の『格』を上げることが必要となる。僧侶の『格』を上げるには、教会に対してある程度の寄付をするとか、僧侶としてのそれなりの成果をあげることが必要不可欠事項となる。それで、登録している教会から認定してもらえばいいのである。『格』を上げれば、使用できる魔法のランクや種類を大幅にアップさせることができる。
因みに、僕たちが使う魔法というものを習得するにはいくつかの方法がある。一番手っ取り早いのは、自分たちよりレベルの高い人から直接教わること。他に、教会なんかで過去の偉人が残した魔法のノウハウを調べることで、自分のものにすることもできる。僕が比較的好きな方法は、冒険で手に入れた情報を基にして自分で魔法を組み上げるやり方。そうやることで、理論上は可能な魔法がいくつも組み上がることもある。
ここでクリストの話に戻ろう。僕たちのような貧乏なパーティでは、『格』を上げるほどの寄付はできないし、今のクリストなら、あと少しの、何らかの成果を上げることで『格』は上がるだろう。となれば、今度の冒険に期待するしかない。……そういえば、もう一つ手があった。より強力な護符や呪符を身につけることだ。これならば、こんな小さな町の魔法屋でも(出す物さえ出せば)、それなりのものを手に入れることができる。
あとの二人については、あまり詳しい説明はいらないだろう。
リードの武器は彼の左腕にぴったりと装着できる、特殊な剣。鞭のように意のままに操ることが可能で、その攻撃力もかなり大きい。刃はしなやか且つ丈夫で、ちょっとやそっとのことでは折れるどころか傷ひとつつかない。ではないから、魔力のないリードでも装備ができるんだけれど、その出所は不明なのだ。彼らとパーティを組んで間もない頃に挑んだ冒険で、ダンジョンの隠し扉の奥に厳かに安置されていた。これまでも何人かの冒険者たちが、この武器を手に入れようとしたらしいんだけど、何故かそれを手にすることはできなかった。ただ一人、リードだけが、何故か装備することができたという、いわくつきの一品だ。ただ一つだけ問題があって……本人が使いこなせていないのが現状。
ノイズは武器を持っていない。格闘家としてのプライドからか、それとも単に好きでやってるのか、必ずといっていいほど、自分の拳で戦いたがるのだ。でも、その体術はなかなかのもの。戦闘中は一番騒がしいくせに、いつも大抵は無傷で切り抜けている。俊敏さと物理的攻撃の強さにかけては、彼女の右に出るものはいない。自分の拳、といっても、グローブやブーツなんかに鉄製の薄い板を組み込んであったりはするんだけどね。直接触れると怪我をすることも多々あるし、何より彼女曰く『あたしの美しい肌に傷がつくのは死んでもごめん』だそうだ。
ノイズの踊り娘という副業も、その華麗ともいえる体術があってこそ成り立つのだろう。実際の彼女の戦闘は、無骨な男たちのそれとはまったく違い、まさに踊っているように見える。その動きには無駄がなく、敵の動きを読んででもいるかのように攻撃をよけ、あるいは受け流し、確実に相手の急所を狙う。実は一番強いのは彼女かもしれない。一番騒がしいのも彼女だけど。
「さて、それじゃ行きましょうか」
「そうだね」
言って僕たちは立ち上がった。
これまで黙っていたリードとノイズは、何事かと思ったのか、急に立ち上がった僕たちを不思議そうに見上げていた。僕たちの話を聞いていなかったのか、あるいは聞いていても理解できなかったのだろう。
「ちょっと町に出て、装備品でも調達してこようと思いまして」
「これから例の塔に行くんでしょ? リードもノイズも、準備しといてよ」
「出かけるったって、今日はもう無理だぜ。出発は明日の朝だ」
僕たちの言葉に、ここはリーダーが話をまとめる。
「……で、準備ってのは?」
リーダーがきっちり話を理解してまとめた、と思っていたんだけど。リードの次の台詞がこれだった。
「あのねえ……少しは考えてるの? 森を抜けて塔に向かうのに、どんな障害があって、何日かかるかはだいだい予想できるよね。それに合わせて、水とか食料とかキャンプに必要なものを確認しといてって言ったの」
と、これは僕。
「もちろん、ノイズもだよ」
こっそりドアから逃げようとしていたノイズに釘をさしたのも僕。彼女、冒険は好きだがその準備は嫌いらしい。自分であとからやれ何がない、これがない、と騒ぐくせに自分ではほとんど準備しないんだ。
「森で何があるか分かりませんから、できるだけの準備をしておきませんと。ね、ノイズ、あとで自分が困らないように」
いきなり背中から僕に釘をさされて、ややふて腐れた顔をしていたノイズを、クリストがなだめるようにフォローする。
「ただし、自分で持てる範囲で、必要最小限のものね」
さらに畳み掛けたのは僕だ。いつも彼女の分まで荷物を持たされるのは決まって僕とクリスト。リードはパーティ用の荷物係。
ノイズの準備……想像してみるといい。踊り娘の衣装をそのまま普段着として着ていることもあるノイズのこと、荷物といえば、大抵がその着替えの衣装。そしてやたらと数の多いメイク道具。いつも綺麗にしていたい、という気持ちもわからないではないけれど(一応女としては)、冒険にはおよそ似つかわしくないものを持ち歩くのは、多少なりと危険を伴う。万が一、奇襲でもかけられ、荷物が重くて逃げそこなった挙句、全滅……なんて笑い話にもならない。
しぶしぶノイズも納得した。それを見届けた後、僕とクリストは買い物に出かけた。
町に一つだけある預かり所。ここは冒険者たちを対象に、荷物やお金を預けておくことができる。もちろん、それなりの料金を取られることになるが、子供のお小遣い程度で引き受けてくれる、格安のロッカーのようなもの。料金は安いが、その保障はほぼ完璧。『信頼こそが商売の魂』などという商売人ならではの熱い信念をかかげた、気のいいおっちゃんが管理している。
ある場所を拠点として冒険する者たちは別として、各地を転々としているような冒険者にとっては大変ありがたいものである。生活には必要でも冒険ではあまり必要でないもの、そんなものをすべて持ち歩くなんてことは普通しない。だから、冒険に必要な最小限の荷物以外は、こういう場所に預けておける。僕たちの場合も、一応拠点としている宿はあるが、宿に大荷物を置いておくというのはちょっと気が引ける。だからお金を中心に預けてあるのだ。
こういう預かり所は、かなり小さな、忘れられたような村ででもない限りは、ほとんどすべての町や村に存在している。預かり所にも個別の情報網があって、それぞれに連絡をとりあい、経営しているらしい。
もちろん、不幸にも冒険の途中で全滅してしまったパーティや、預かり期間を超過してしまったパーティからの預かり物は、しっかりと品定めをした上、あるいはその縁の者に返したり、あるいはリサイクルショップなどに売ったりしている。まあ、だからこそ、こんな格安の料金で商売が成り立っているのだ。
僕とクリストは、実は他の二人には内緒で、それぞれに少しずつ貯金していたのだ。
「こんにちは、おっちゃん」
「こんにちは」
受付カウンターの奥の部屋でお茶を飲んでいた、この店の店主を呼ぶ。僕たちの声にすぐに反応して、おっちゃんは受付まで小走りでやってきた。
「やあ、いらっしゃい。今日はどうするんだい?」
四十代を半ば過ぎた、いかにもお人好しそうな顔は、人懐っこい声で僕たちを迎えてくれた。
「今日はお金を下ろしにきたんだけど……いくら預けてたっけ?」
取り敢えずは残高の確認。確認してから、そこから少し多めにお金を受け取る。
「わたしも、お金を下ろしたいんですけど」
と、クリストも同様にお金を受け取り、僕たちはそれぞれ別の店へ、それぞれの目的に向かって歩き出した。
預かり所から出た僕は、とりあえず魔法の店へと向かった。今持っているお金で、今の錫杖よりいいものが買えるかどうかはかなり疑問があったんだけど、行ってみないことには始まらない。
僕は町の大通りを少し外れた通りを歩き、行きつけのに向かった。
この辺りは、魔法屋や魔法の道具を扱う雑貨屋が比較的多く、魔法使いが必要な道具はこの通りで大体手に入る。
そこの通りの少し奥まったところ、あまり目立たない所に、これもまたあまり目立たない看板がかかっていて、かすれた文字で『マジックアイテム選びなら グリフォンへ』とある。看板には、その名の通り、翼の生えた猛獣、グリフォンが描かれているが、これもかすれて埃が被っていた。
「こんにちは、ルシアですーっ!」
ちょっと大きな声で、店内にいるはずの主人を呼ぶ。行きつけの場所だし、僕みたいに若い魔法使いは滅多にやってこないこの店、名乗ることで交渉の手間がかなり省ける。ここの主人はとても高齢で、ちょっとだけ耳が遠いのだ。それに僕が中に入らず、大声を出したのにはもう一つ、理由があった。……店に入れないのだ。所狭しと並べられた魔法の道具が、入り口を完全に塞いでしまっている。
「はいよー、おお、久しぶりぢゃの」
「うん、久しぶり。あのさ、新しい錫杖探しに来たんだけど……」
と、自分の錫杖を取り出し、話を切り出す。
「実はさ、これよりもちょっとでもいいから性能のいいやつ、ないかなーと思ってさ」
店のじーさんは、僕の錫杖を手に取り、しげしげと眺め、観察し始めた。
「ふむ……随分と無茶な使い方しとるのぅ……一応、強化の術をかけてあるようじゃが」
「そーなんだよ、そろそろ換え時でしょ? どっか探せば掘り出し物あるんじゃない?」
言いながら、すでに僕はありそうな場所をごそごそと物色し始めた。一応錫杖を集めたコーナーのようなものがあったんだけど、本当にただ『集めた』程度のものだ。
中には結構立派そうな物も混じっていたりするんだけど、手入れしていないのだろう、ほとんどがすっかり埃を被っていて、結局のところ、よく分からない。
「……ねえってば!」
ちょっと耳元で大声を出してみた。突っ立ったまま寝ちゃったりでもされたら困る。案の定じーさんは、はっと我に返ったようになったが、今度は何か考え事をしているようだ。
「ちょっとここで待っててくれんかの?」
「え? うん」
珍しくしゃきっとした声で一言そう言うと、再び店の奥へと引っ込んで行った。転がっている道具の数々を器用に避けながら……なかなかのフットワークである。
そこら辺の、何に使うか見当もつかないような道具の数々を眺めながら待つことしばし。やおら店の奥からじーさんの足音が聞こえてきた。心なしか緊張しているような……?
「……これじゃ」
もったいぶって見せてくれたのは、一本の錫杖。
長さは、今までのものよりも少し長いくらいで、これまでにはなかったような、不思議な装飾が施されていた。色の濃い木を材料としているようだけど、所々に包帯のような布が巻いてある。錫杖の先は、奇妙な形に歪んでいて、その中に一つ、大人の握り拳ほどもある深紅の宝玉が埋め込まれている。そしてその両側には一対の翼を模した純白の飾り羽。
変わったデザインだが、羽根がかわいい。
「これは?」
オウム返しに問い返す僕。
「うむ……あるパーティがな、不幸にも魔法使いを亡くされての。それで、これを引き取ってくれないかと持ってきたんじゃが……」
と、ここで何やら言葉を濁す。そういったことは、実は決して珍しいことではない。遺言にでも残しておいたのだろう。自分が死んだらこれを売って生活の足しに、とか、自分と一緒に埋葬してくれ、とか。その権利は持ち主たる魔法使いにある。自分がこれ以上冒険をできないと判断したときに、それは持ち主の意志でパーティの物として扱われることになるか、あくまでも自分の物として扱ってもらうか。
この場合は、前者にあたるんだろうけど……。
僕が訝しげにじーさんを覗き込むと、またもはっとしたような様子で、話し始めた。
「実はこれを求めにやってきた魔法使いは何人もいたんじゃがな……、どうも自分では使いこなせないなんぞと言い出して、返品にくるんじゃよ」
「いわゆる、イワクつき、ってやつ?」
「まあ、そんなところじゃろうが……僭越ながらワシが調べたところによるとだな、どうやらこいつは持ち主を自分で選ぶらしいんじゃ」
道具が持ち主を選ぶ。魔法の世界では珍しくはない。何か特殊な魔法の力がはたらき、その波長に合った者を持ち主として選ぶのだが。
「ふうん……で、僕にも試してみろ、っていうの?」
「その通りじゃ。もし使いこなすことができたなら、そいつはお前さんに譲ろうじゃないか」
「本当っ!?」
じーさんは鷹揚に頷いて見せた。
これはありがたい。もし使いこなせたら、タダで自分のものになるなんて……ラッキー以外の何者でもない。まあ、これが僕を認めてくれなければそれでお終いなんだけど、僕自身、その錫杖に何か惹かれるものがあったので、迷わずじーさんの申し出を受け入れた。
「ほれ、持ってみなされ」
受け取ったそのとたん、体中を何か暖かい風が走り抜けたような快感。何とも不思議な感覚が、僕の身体を支配した。
「どうやら……お前さんが気に入ったようじゃな」
じーさんは、何やら満足げに頷くと、顎にふさふさとたくわえた豊かな髭をなでている。これまでこの店に留まっていたアイテムが人手に渡る。……商売人ならこれほど嬉しいことはないのだろう。僕もまた、錫杖を手にしたときの心地良い感覚に満足していた。
というわけで、僕は何ともラッキーなことに、タダで新しい錫杖を手に入れることができた。これまで使っていた錫杖にはきちんとお礼をしてから、その店に置いてもらうことにした。『お礼』っていうのは、僕なりの儀式みたいなもの。かけてあった強化の魔法を解き、目に見えて新しい傷はじーさんに直してもらうようにお願いする。それから、いくつか魔法の道具を購入し、お礼も兼ねて代金より少し多めにお金を渡し、その店を後にした。
(あとでいろいろ試してみなくちゃね)
手に入れた道具は、実戦前にしっかりと性能を確認しておく。これは冒険者としての初歩的な心構えだ。新しいものを手に入れたはいいけれど、いざ実戦、となって使い方が分からないとか、誤った使い方をしてしまうとか、時には笑い事では収まらないような事態に陥ることさえある。
以前の冒険で、ノイズが手に入れたアクセサリーらしきものを何の疑いももたずに装備した途端に呪われちゃって、クリストが解呪するのに三日もかかったという情けない過去もあった。その後の調査で分かったことだが、それは敵に対して使用するもので、相手の動きを封じる力が宿っているものだった。
以来ノイズは必要以上に用心しているようだが、リードは……言うまでもないだろう。冒険中に手に入れた宝箱やアイテムなんかは、まず僕かクリストがチェックすることになっている。
そろそろ日も暮れようとしている頃、僕はクリストと宿屋の前で合流した。このあとは、二人でそれぞれが手に入れたアイテムのチェックをしようということになっていたからだ。
宿屋の裏に続く細い道を抜けると、周りを木々に囲まれたちょっとした広場になっている。僕たちがこの町を拠点とし始めた頃から、訓練だとか実験だとかは、ここでやることにしていた。もちろん、多少騒がしくなることもあるので、宿のご主人にはちゃんと断っている。
「何買ってきました?」
興味津々、クリストが僕に聞いてくる。僕の背より高い錫杖は、会ったときから目に入っているだろうから、一番聞きたいのはそのことだろう。
「うん、買ったっていうんじゃなくて、魔法屋のじーさんに貰ったんだけど……」
「貰ったって?」
かなり驚いて聞き返す。
「うん。何かイワクつきなんだって」
「……大丈夫なんですか?」
イワクつき、と聞いて急に心配そうな声になる。本当に心配性なんだからなあ。
「大丈夫だよ、多分。試してみないとわかんないけどね」
言って僕は広場の中央に歩み出る。口の中で『風』系列の簡単な呪文を唱えながら、錫杖を中心に意識を集中する。
「……風よ、我が意に従え……」
風の動きをイメージしながら、ゆっくりと錫杖を振る。
「おお……」
クリストが感嘆の声を上げる。
僕のマントが、ふわりと舞い踊る。僕を中心に、風がゆっくりと渦を描いて上昇し、辺りの砂や枯葉も一緒に螺旋を描く。
「静まれ」
僕の一言で、何ごともなかったように風が収まっていく。
「……凄いんじゃないですか、その杖?」
風が完全に収まるのを待たずに、クリストが駆け寄ってきた。
確かに、凄い。今の術でも僕はほとんど魔力を使っていないような感じだ。もともとそんなに消耗するような術ではないが、それよりも。錫杖自体に魔法がかかっているのか、念じるだけでも魔法を発動させることができるんじゃないだろうか。
「うん、僕もびっくりだ……これ、魔力の消費量をカットしてくれるみたい」
その後も『火』や『水』系列の魔法も試してみるが、結果は同様。今までよりも少ない魔力で、それ以上の威力があるようだ。『魔』や『聖』に属する魔法は、それ自体がかなり強力なので、ここでは試さなかった。もしかすると、系列によって効果が違うのかも知れないけど、もし思いっきり強化された魔法が発動したら、建物などを破壊しかねない。
「クリストは? 何買ったの?」
今度は僕がクリストに尋ねる。なにやら大きな紙袋をもっているので、結構買い込んだようだが。
「ん、一応薬草の類と、あと掘り出し物の護符を発見しましたよ」
ちょっと嬉しそうに、その護符を取り出してみせる。
それはペアになっていて、両手にそれぞれ一つずつ装備するもののようだ。銀色に輝く不思議な宝玉の中には、不思議な文字が浮かんでいる。そしてそれを中心として施された細かな木製の、円形枠。それらを手首に固定するためのリングは、魔力を込めた繊維、魔道繊維と呼ばれるもので編み込んだもので、黒地に銀の魔道文字が施されている。細工は細かく且つ立派なものだが、決して派手ではない。かなりセンスの良いものだ。
町にはよく見た目ばかりを重視し、ちっともその効果などを示さない、いわゆるまがい物、というやつが出回ったりもしているけれど、これは……ちょっとやそっとじゃ中々手に入らないくらい立派な代物だ。値段は聞いてないけど、まさに掘り出し物だ。
「へえぇ……すごいキレイな宝玉だねぇ、ねぇ、これ何て書いてあるの?」
好奇心に負けた僕は、矢継ぎ早に質問を繰り出した。
「これはね、魔道文字の一種なんですけど、わたしたち僧侶の歴史でも初期のころに使っていた文字ですね。今は死滅してしまっていますけど……確か、その宝玉のほうが、それの属性を示しているんですよ」
嬉しそうに説明を続ける。僕も僧侶の分野には多少なりと興味がある。じっくりと観察しながら、クリストの説明に耳を傾ける。
「護符自体の属性は、もちろん『聖』です。魔道文字からみると、多分それの強化、ってところですね。『我を纏いし者……に……』えっと『聖なる雷を』……?」
「聖なる雷? ってこれ、攻撃用?」
「確か店の人も言っていましたね。使い方次第では攻撃することも可能だそうですけど、未だそれをやってのけた人はいないそうですよ。そういうわけだから、しょっちゅう返品されてくるからっていうんで、安かったんでしょうね」
呑気なのはクリストの地だ。こういうと、ほぼ全員が呑気、ということになってくるが、クリストはそれでも『慎重さ』とか『心配性』とかっていういわば個性があるのだ。……地味なのは変わりないけど。
「そっちのは?」
と、指差しているのはリングの魔道文字。
「えーと、これは……よくある守りの言葉ですね。『真摯なる心をもつもの、祈りは神の御所へと汝を誘うものなり』と」
読み上げると、早速両の手首に装備する。……結構似合っている。
「なんか……身体が軽く感じますよ、これ。何かに守られているみたいですね」
言うと、僕と同じように簡単な魔法で実験を始めた。防御系のものが多い彼の術だから、見た目の派手さはともかく、何がどうなっているのかもよく分からなかった。だが、彼の周囲を淡い銀の光がふわふわと優しく包み込んでいるのが見える。
もともと彼が使っている呪文は、目に見えることは滅多にないのだが、簡単な呪文であるはずのそれが、光をまとうなどというところは見たことがない。
どうやら、二人ともかなりの掘り出し物を発見することができたようだ。ついでに言うと、クリストは薬草や護符の他にも、自分の着ている清楚な白いローブに似合う軽量のショルダーガードとマントを買っていた。そしてなんと、僕の分まで買ってきてくれていたのだ。僕が立ち寄らない店にも、クリストはよく出入りしているみたいだけど、そこで僕にぴったりのものを見つけてきてくれたのだ。
クリストが僕にと買ってきてくれたのは、呪符と魔道文字とが施された軽量のショルダーガード。デザインはクリストのものに似ているが、使われている魔道文字は古の魔法使いが使っていたとされる文字。こちらもすでに死滅してしまっているけど、少しでも魔道というものをかじったことがあるならば、多少は解読できるだろう。また、呪符の方も同様に、魔道文字と組み合わされている。
僧侶独自の文字はほとんどわからない僕でも、魔術に関する文字ならば独学だけど学んだことがある。僕のショルダーガードに描かれた魔道文字は、魔術に属する分類のものだったので、解読しようと思えば僕にでもできるだろう。
「わたしは防御系の魔法が使えますから多少軽装備でも大丈夫ですけど、ルシアの場合は結構無防備なんですよね、見てると」
「え? ……そうなんだ……。自分じゃあんまり気にしてなかったんだけどなぁ。ありがと、クリスト」
そういえば、呪文の詠唱中に何度か肩をやられたりしたこともあったっけ……などと振り返ってみると、確かにその通りだ。今着ているローブだって、ところどころほつれかけているが、よく見ると肩口のほころびがひどかったりする。
いくら着ている物が黒ずくめとはいえ、さすがにつぎはぎが気になってはいたんだけど、ショルダーガードとマントがあれば、ある程度隠れるかもしれない。……自分の貧乏性が無性に悲しくなった。
いくら格安とはいえ、これはクリストにとってはかなりの出費。いくらお金を払うといっても受け取らないものだから、僕はせめて半分くらいはと、半ば強引にクリストの手の中に押し込んだ。
クリストはなおもそれを返そうとしていたが、僕はうやむやのうちに宿へと向かう小道に入った。彼も溜め息をつきながらそれに続く。
太陽は早くもその姿を半分以上山間に沈め、辺りは夜の気配に包まれていった。