私の五月日記
五月一日(木)
今日から日記をつけ始めることにした。
高校二年生になって、しかも新学期が始まる四月ではなく五月の今かよと思うには思ったが、ついつい筆を取ることになったのは、日記のネタになりそうな変わった奴に出会ったためだ。
記録しておいても面白いかなと思ったので、つらつらとその日あった出来事を書いていきたいと思う。
ちなみに四月の日記は面白くなかったので破り捨てた。
新学期が始まってクラスが変わった、としか書いていなかった。日記は三日で終了していた。
一日はエイプリルフールだったので、「私はクラスの人気者よ! おほほほほ」とか書いていた気がする。
夜中でテンションがおかしかったのだ。どうかしていた。
もっと詳しくありえないことを書いていたので、黒歴史にならないうちに破いた紙は消し炭になるまで燃やした。
で、その変わった奴のことなんだが。
今日の昼飯時のことだ。
ほぼ毎日金欠気味の私は「三回まわってワン! と愛らしいポーズをとったら百円をやろう」という友人の言葉に乗せられて見事にミッションをやり遂げて三百円を手にいれてホクホクしていた。
三百円も手に入れられたのは、言い出した友人が「ま、まさか本当にやるとは」と私の芸に敬服しての上乗せ料金が発生したためだ。
二百円もはずむとは、金持ちめ!
べ、べつに虐められているわけじゃないんだからね。ぷんぷん。私が芸達者なだけなんだから! と書いておけば問題ないかな。父母よ。万が一私が事故で屋上から落ちて死んでも、友人を責めてくれるな。
話がずれた。
手に入れた三百円のうち、百円でパンを購入して八十円で自販機の紙コップのジュースを購入した。残りは明日にとっておくことにした。
小食なたちなのでそれだけあれば事足りる。私は燃費がいいのだ。
昼食を学校裏の林の中で食べて草の上に転がって目をつぶっていたときのことだ。
すぐ近くで茂みがかさかさと鳴って、きゃっきゃウフフな桃色オーラが立ち込め始めた。
学校裏の林は人の通りはないが新緑の季節は木漏れ日が落ちていい感じの空間を作り出すので、格好の告白&デートスポットとなっている。
夏は駄目だ。蚊の発生が増えてムードどころではない。
気持ちの良い風に誘われてここまで来てしまったが、仕方ない。出刃亀してやるか。と私は音を立てないように体を起こして太い木の幹に隠れた。
どこかに行く気はなかった。思春期は好奇心が旺盛なんだぞ。面白かったら学校中にネタをばらまくに決まっているだろ。
「私、××クンのことが」
「俺も。お前のこと」
定番の告白現場だった。
女子は二年生の間でも可愛いと評判の女子だった。
しょっちゅう男子から告白されては断ってきたという逸話を持っている彼女もとうとう年貢の納め時が来たようだ。
相手は男子バスケ部の主将だったはずだ。そういや風の噂で彼女とは幼馴染だったと聞いたことがある。
ちっ。よくあるパターンかよ。
美少女が根暗のヲタクと付き合うとかのほうが話題になるのに。そんで冴えないヲタクが自分を変えていくサクセスストーリーだ。最近の定番ネタだが、そっちのほうが数倍面白い。
たいしたものじゃなかった。つまらない情景だったので、退散することにした。
足を止めたのは横から聞こえてきたすすり泣きのせいだった。
「○○~!」
そいつはハンカチを咥えてうめいていた。
びっくりした。いつの間にそこにいたのか、茂みに隠れて小さくしゃがみこんでいたのだから。
お前は忍者か! 今の今まで気配感じなかったぞ。
つっこんでやろうかとも思ったが、私はそこでとても面白いことを思いついた。
「おい、あんた。とられたくないなら今奪ってこいよ。指を咥えて泣いていたって(実際に咥えていたのはハンカチだったが)何にも手にできないぞ。これが最後のチャンスなんじゃないのか。完全にあの男のものになっちまったら、もう手も足も出ないんだぞ。何もしないままで良い子ちゃん顔で済ませていいのかよ」
まあ、そんなことをもう少しオブラートに包んで言った気がする。
「男なら今行け! さあ行け!」
けけっ。修羅場だ修羅場! 奴らは私の憩いの時間を奪ったんだ。退屈な空間をぶち壊して来い、とまでは思ってはいなかった。私がそこまで猟奇的な感情を抱くわけないじゃないか。……多分。
「そ、そうだよね」
涙をひっこめて明るい顔になったそいつは勢い込んで、桃色空間に飛び込んでいった。
って行くのかよ。
馬鹿が。ありゃどう見ても纏まった感じだろ。止める間もなかった。
まあいいか他人事だし、とそのまま隠れ続けてきた私は鬼だろうか? どうせなら悪魔がいい。そっちのほうが格好良い。
はい、見事に玉砕しました。詳細は省く。
奴が「俺もお前のことが好きだ」みたいなことを言って、彼女に「ごめんなさい」されていた。
けしかけた手前、慰めないのは可愛そうかと思ってカラオケに誘ってやった。
私は当然金欠なので、カラオケ代は奴の奢りだ。
二時間ぶっ通しで奴の一人カラオケだった。全曲失恋ソングだった。
私はジュースを飲みながらタンバリンを打ち続けてやった。さながら念仏を聞きながら木魚を叩く坊さんの気分だった。
男の作る失恋ソングはうざかった。ねちねちしていて女よりも未練がましい。
店員からの電話で延長をどうするか聞かれたが、即断った。
「楽しかった」とかウキウキ顔で奴が言ってきたので、「これ以上聞くと耳が壊れる」と感想を述べた。
「また一緒に行ってくれないかな。まだ消化不良ぎみなんだ」
そうだろうな。オールでもあんたはいけただろうな。
奴はめげない人間だった。悪し様に言われてもまた一緒に行きたいとか言うなんて、こいつマゾなんじゃないかと思ったが黙っておいた。
いいよと答えたらぱっと暗かった電球に明かりがついたみたいな笑顔になっていた。
たかが他人の一言で顔色が変わるのかこいつ、とか思うとなんか面白く感じた。
馬鹿正直に桃色空間に突っ込んでいく猪突猛進さはどうにかしたほうがいいんじゃないかと思った。いつか急カーブでガードレールに突っ込んで死ぬんじゃないだろうか……。
なんかこれからも付きまとわれ……ごほごほ、縁があるような気がした。邪魔になったら蹴り倒して逃げよう。
この辺で今日は日記を止めておく。勢いのまま筆を走らせていたので指が疲れた。
明日からはもう少し短くしようと思う。
五月二日(金)
新たな事実が判明した。
奴は私と同じクラスだった。
女子の顔は全員名前と顔が一致するのだが、一部目立つのを覗いて男子の顔は全部へのへのもへじに見えていた私だ。
おはようと教室に入ってきた私に挨拶をしてきてくれたのに、なんでこいつうちのクラスにいるんだと思った私を許してくれ。
「おはよう。う……えーっと鈴木クン」
適当に言ったら脱力された。
全国に山田とか鈴木とかの姓は多いので、適当に言っても当たるかなとか思ったんだが……。
一文字も合っていなかったらしい。
奴の名前は泉田と教えてもらった。ひらがなにして四文字もあるのか。しかもちょっと言いづらい。覚えられるかな。
下の名前は銀次郎だった。下も長いのかよ。めんどくせぇ。
だが観察日記のためだ仕方がない。
私は手帳を取り出して読み仮名つきで奴の名前をメモした。
「いやいやいや。待って。書いておかないと俺の名前覚えらんないの!?」
まあそうですが。
頷いたところで、「じゃあいっくん、って呼んでよ。みんなそう呼んでるし」と提案された。
お前が「いっくん」って柄かよ。
奴は背が高くて、鍛えてあるのか体つきもしなやかだ。背が高いからといって猫背なわけではないようだった。タッパのある男子はそれだけでまともに見えるものだ。
そんなのが小学生男子につけられるようなあだ名で呼ばれているとか意味分からん。
奴はバスケ部の副主将なんだとさ。主将と副主将で女の取り合いしてたのかよ。男子バスケ部の顧問が誰かは知らないが大変だったろうな、と哀れんでおいた。
問題がありそうな気がしたが、昨日あの後で固い友情の握手を交わしていたから大丈夫なんだろうか。
彼女のこと頼むよ、とかお前どんだけ良い奴なんだよ。どこの少女漫画の当て馬ヒーローだよ。
「いっくんてなんか変。私的にしっくりこない。泉田君でいいじゃん」
言ったらがっくりとうなだれたので、「へこむなよギン」と言ったら瞬時に浮上していた。
心の中で奴に「オジギ草のギン」と二つ名を与えておいた。
奴の中ではあだ名で呼び合ったら仲良しという図式でもあるのだろうか。
「じゃあ鹿山さんは千代理だからちよ、でいいよね」
満面の笑みで言ってきたので駄目だと返しておいた。
友人からは苗字の鹿山で呼ばれている。
昨日知り合ったばっかりの女子に向かって気軽にあだ名で呼ぶなよ。どこのナンパ野郎だよ。
「かやま、かやま、かやま」
「ちよ、ちよ、ちよ、ちよ」
しばらく言い合って負けた。「ちよ」と言うほうが「かやま」より言いやすいのだ。息切れがした。肺活量ではバスケをやってる奴には負ける。
授業中は奴の「ちよ」の連発が反芻されて正直耳鳴りがしていた。
顔も認識していなかったくらいなので、奴のことをまったく知らない。なので授業中に奴を観察してみた。
奴は真面目に授業を受けているようだった。真剣な顔は、昨日号泣しながら失恋ソングを歌っていた奴と同一人物だとはとても思えなかった。
目が合うと手をひらひらと振ってきたので、気がつかないふりをしておいた。奴は八方美人タイプかもしれないなと思った。
休み時間も観察してみた。
近くだと気配を察知されるため、弟から拝借してきた双眼鏡で奴からは離れた遠い位置で身を潜めてだ。
弟の双眼鏡はなかなか性能の良い代物だった。
アイドルグループのライブでもお目当ての子がバッチリ見えるというのは伊達ではなかった。奴の顔をズームアップしてもよく見えた。
開始一分で気づかれた。やつはこちらに向かってひらひらと手を振っていた。
驚きすぎて双眼鏡を落としてしまった。ちょっと欠けた。後で瞬間接着剤で直して、こっそり弟の部屋に戻しておいた。
一度目は私の気のせいかもしれないので何度か試してみたが、全部気づかれた。背後からでも駄目だった。
奴は全身にセンサーがついているのかもしれない。
それ以上続けると精神的ダメージが大きくなるような気がしたので、観察は断念することにした。
明日からは連休が続く。
休みは寝て過ごす計画を立てていた。
連絡先を聞かれたので家の電話番号を教えた。なんで学校以外で連絡を取り合う必要があるんだ。
必要なことは学校の時間内に直接言え。
携帯もスマホも持ってないと言うと、希少人種だとびっくりしていた。お前のほうが希少人種だバーカ。素直に騙されおってからに。実はスマホ持ってるんだよ。ふはははは。
「いや、さっきスマホいじってたよね」
思い出すなよ。
連絡先交換とかうざい予感しかなかったからついた嘘だったのに瞬時にバレた。ちっ。
バスケ部の試合があるらしい。
来てほしいと言われたが断った。またうなだれていた。
奴は意外と煩い奴だと判明した。かまってちゃんかよ、うっとうしい。
暇だったら行く、と言ったら顔を上げて電球みたいに笑った。
やっぱりオジギ草だ。すぐ復活するところもよく似ている。
五月三日(土)
連休一日目。
昼まで寝ていた。
学校から出されていた宿題に手をつけた。分からなくてまた眠気に襲われた。
ギンから連絡が入っていた。
『明日は試合。朝からあるからね』
ついでにバスケットボールをする棒人間のデコが貼ってあった。
机の上に置いて寝こけていたら、またギンから連絡が入っていた。
『ガンバレって言って』
うぜえ。泣き顔の顔文字がさらにうざい。お前は私の彼女か。
無視してもまた何か送ってきそうだったので、スマホを取って『ギンうざい』と打った。
改行しまくって『ガンバレ』と送ったら、なぜか空メールで返ってきた。
すぐに着信がきた。
「ごめん、まさか本当にガンバレって言ってくれるとは思わなくて。びっくりして空メール送っちゃった」
「……あっそ」
あくびをかみ殺した。やたら眠かった。
ギンが何か話していた。バスケの練習のこととか試合のことだったと思う。
眠すぎてスマホを机に置いて、ついでに自分の頭を置いて目を閉じた。
起きたら履歴に通話時間が残っていた。通話時間は四十分を少し越えていた。
あいつ相手の相槌なしで四十分も話していたのか。すげえなと感心した。
ギンは一人でもしゃべり続けられると判明した。
五月四日(日)
やばい。寝過ごした。
起きたら十時を回っていた。
遅れて行ったらうるさいんだろうなと思った。だが行かなかったらそれに輪をかけてうるさいだろうから、制服に着替えて自転車をこいだ。
いやぁ、ギンの試合会場がうちに近い高校で良かった。
とりあえず足は運んだんだから文句はないだろう。
試合はもう終盤だったようだ。点数は同点で、残り時間で結果が決まるだろうというところだった。
ギンが跳んでゴールを決めて試合は終了となった。
ギンを振った彼女も来ていた。彼氏の応援なんだろう。手を叩いて喜んでいた。
良かったなぁ、ギン。彼女喜んでたぞ。自分の彼氏のチームが勝って嬉しいんだろうけどな。けけっ。
後で報告してやろうと思った。
帰ろうとするとギンにつかまった。
「来てくれたんだ」
「いや、寝過ごした」
最後にギンがゴールしたのは見たと言うと喜んでいた。
寝起きで動いたのでおなかがすいていた。早く帰って何か食べたい気分だった。
試合の分析用に録画があるので見るかと聞かれたが断った。試合とか長いし、正直バスケに興味がない。生で見るなら耐えられるけど、録画したものはちょっと……。
「いや、待って。他の奴の雄姿を見せたら……やっぱ駄目。ちよちゃんは見ないで」
ギンは自分一人に注目が集まることが好きなようだと判明した。
ギンは試合の打ち上げがあるらしいので、その場で別れた。
打ち上げを抜け出してこようかなんて言っていたが止めておけと注意しておいた。
バスケはチーム競技だろ。チームワークを乱してどうする。
「ちよちゃんは優しいね」
今までにない微笑みでギンが笑った。
鳥肌が立った。そんな生ぬるい目で私を見るな!
ギンの笑顔は私に鳥肌を立たさせる能力があることが判明した。
五月五日(月)
宿題に励んだ。正直終わりそうにない。
眠気に負けそうだったのでコンビニに目がシャキッとなるドリンクを買いに行った。
ギンに会った。
なんか偶然じゃないような気がしたが、追求すると背中に嫌な汗をかきそうだったので止めておいた。
昨日の鳥肌効果が続いている気がした。
目がシャキッとなるドリンクは意外と高い。
買おうかどうしようか迷っていると、ギンが奢ってくれた。昨日試合に来てくれたお礼だそうだ。遅れて行ったけどな。
なんかタダより高いものはないという格言を思い出した。
「宿題ははかどってる?」
お前はエスパーか、と突っ込みたかったが止めておいた。昨日の鳥肌効果が……以下略。
正直宿題は進んでいない。
ギンが教えてくれるというのでファミレスに集合することになった。ギンは宿題のために図書館に行くつもりだったらしい。
金はないが、ギンにだけ注文させておけば私は水だけですむだろうと思った。
ギンはスパルタだということが判明した。
奴の宿題を写させてもらう気満々だったのに……。
公式暗記しとけだとか、そこはさっき教えただとか、はいもう一度って何だそれ。
写させろと言ったら、「駄目、ちよちゃんのためにならない」とか言いやがった。
最後にケーキを奢ってくれたので、宿題を丸写しさせてくれなかったことはそれで簡便してやった。
教え方は上手かった。
スパルタだが、ギンは意外と秀才だということが判明した。
五月六日(火)
宿題も終わったので、今日は一日寝ることにした。が出来なかった。
ギンに呼び出された。
無視していたら、『昨日奢ってあげたじゃん。宿題も教えたよ』と書いてきやがった。
人ごみが嫌いだと言ったら公園に呼び出された。
お前暇なのか、と聞いたら、「ちよちゃん限定でかまい倒したいだけ」と薄ら寒い答えが返ってきたので耳を塞いだ。
なんだろう。先日は私のほうが奴を観察していたのに。立場が逆転している気がする。私のほうが観察されている気がするのは間違いだろうか……(思考停止)
私から興味を外させるために、適当な女子を紹介でもしてやろうかと本気で悩んだ。
公園では手漕ぎボートに乗った。
私は白鳥に乗りたかったのに、ギンに無理やり乗せられた。今度一人で来て乗ることにした。
白鳥ではムードがないとかなんとかギンはぼやいていた。
「ムードって……。彼女ができたときの予行演習でもしたいのか」
そんなことを言った気がする。
「むぅ、自分が彼女になったときの予行演習になるとか思わないのかな、ちよちゃんは」
ギンがそうむくれていた。
思うか。私は色気より眠気だ。
ただ乗っているだけなのもつまらないので、目の前ではしゃいでいるギンを不意打ちで水に落としたら楽しいかなと想像してみたら笑えた。
「ちよちゃんが笑った」
ギンが不思議な生き物を見るような目つきで見てきた。
失礼な。私だって笑うときくらいあるわ!
腹いせにボートを揺らしてやったら、「やめてぇ」とボートにしがみついて泣いていた。ざまあみろ。
五月七日(水)
久々の学校だ。宿題はばっちりだった。
担任が珍しいこともあるもんだと目をむいていた。
「ご褒美くださいよ」
言ったら宿題を追加されそうになった。
「ご褒美だったら俺があげるよ」
後ろの席でギンが両手を広げていたが無視しておいた。クラスのみんなは笑っていた。私は貝になった。
ギンはアメリカンジョークが好きなようだ。これまた意外な事実が判明した。
五月八日(木)
珍しく目が冴えて早く起きてしまった。学校にも早く着いてしまった。
することもなく、何となく思いついて学校裏の林に行くことにした。バスケ部が早朝練習で走りこみをしていた。
草の上に寝転ぶと気持ちが良かった。木の葉の切れ間から太陽が目に入ってもまぶしくない。
夏になって蚊が大量発生する前に五月の陽気を満喫しておくのも悪くないと思った。
ギンに邪魔された。
女子がこんなところに一人だと襲われるよだとか、スカートのままで寝転ぶだなんてとか文句を言われた。
お前は私のおばあちゃんか。
うちは父母は口うるさくないが祖母が躾に厳しかったことを思い出した。
私みたいなのを襲う奴は気が知れない。
スカートの下には短パン履いているから見えないって。
私はいつでもどこでも寝転ぶ癖があるので、用心にジャージの短パンを履いているのだ。
ほれ、とスカートを捲し上げてみたらギンが猛スピードでスカートを押さえにかかった。
「ちよちゃんは無防備すぎ。この間のファミレスでも寝ちゃうし」
そういえばファミレスの勉強会で疲れて、ケーキを食べたあと寝てしまったっけ。忘れてたわ。
私が起きたときギンはノートを広げて何か書き付けていたので、がり勉野郎だなと思ったくらいで記憶の彼方に消えてしまった出来事だ。
「あのときは起こすのが勿体無くて俺ずっと見てたんだよね。電話したときも――」
起こせよ。
お前、人がよだれたらすのを笑って見てたんだな!? と思ったら腹が立って、ギンに脳天チョップをかましてさっさと教室に戻った。
ギンは人の寝顔を見て笑う奴だと判明した。
後で土下座する勢いで謝ってきたので、コンビニで売っている駄菓子で手を打ってやった。
五月九日(金)
今日は昼休憩に林へ行った。
家から持ってきた塩むすび二つでおなかを満たした。
さすがに高二女子が昼食に塩むすびオンリーだなんて。さもしい気分になったので人のいないところへ行きたくなったのだ。
お米は偉大だ。パンよりおなかがいっぱいになる。
五月の陽気に眠くなって、いい感じの木の幹を見つけてそれを枕に横になった。
気がつくとギンの膝枕の上で眠っていた。
私を起こさないように移動させるとは、やるなこいつと思った。
ギンも眠っていた。
寝顔は無防備で、今なら額に落書きしても起きないだろうなと思った。黒マジックを持参していなかったことが残念だった。
私の寝顔を見ていたギンの気持ちが分かった。
奴はこの衝動と戦っていたのか。なるほど。顔に落書きされなくて良かったとほっとした。
あまりにいい寝顔だったので、起こさずに立ち去った。
授業が始まってから教室に入ってきたギンは当然怒られていた。
「置いていくなんてひどいよ」
ギンはそう怒っていた。
だが、寝顔を見ていたら時間が経つのを忘れた、授業に遅れそうになったから慌てギンを置いて戻ってしまったとか言ったらものすごい形相になっていた。
実際はそうたいした時間は過ごしていない。授業に間に合うには余裕綽々だったという事実は伏せておいた。
顔が赤いような気がしたので、急な発熱でもしたんじゃないだろうか。
「いや、ちょっとこっち見ないで」
顔を背けられたので、病院に行くことを薦めておいた。
五月十日(土)
午後に弟の明雄と買い物に出かけた。
一つ違いの弟とは高校は違うが、兄弟仲は良いほうだ。休日に一緒に出かけることもよくある。
弟が漫画を買いたいというので、今日は市内の大型書店に行くことにした。
書店に行く前にクレープを食べた。
育ち盛りの弟はすぐにおなかがすく。イチゴと生クリームにバニラアイスのトッピングのてんこ盛りなクレープだった。
買ったのは私だ。料金はもちろん弟の財布から出した。
弟は思春期特有の「男子が甘いものを食べるのはおかしい」病にかかっているので、買いに行くのは恥ずかしいようなのだ。
「ねえちゃんと一緒だと、こういうのも恥ずかしげなく食べられるからなぁ」
あまりに嬉しそうだったので、ついでに私にジュースを奢らせてあげた。
横暴だという言葉には耳を閉じておいた。
弟がクレープを食べおわった頃か。
口元に生クリームをつけるだらしない弟の顔を拭いてやっていたときだ。ものすごく痛い視線を感じると弟が訴えてきた。
「ねえちゃん、俺の気のせいかな」
「弟よ。気のせいじゃない。私も感じる」
私はハンカチで弟の顔に手を当てているままで金縛り状態に陥った。弟は恐ろしさのあまり血の気が引いていた。
視線で人を殺せるんじゃないだろうかというくらい痛い視線だった。
先に気づいたのは弟で、その視線を追うと――般若の顔をしたギンが立っていた。
周囲にバスケ部らしき仲間がいた。スポーツバッグを持っていたのでそうじゃないだろうか。
あまりに恐くて弟と二人で猛ダッシュした。
気づいたら家に帰っていた。二人とも喉から心臓が出るんじゃないか、っていうくらい荒い息をしていた。
何に怒っていたのか知らないが、ギンは怒ると般若のように恐ろしい顔つきをするということが判明した。
休日あけに会うのが恐い。
部屋に入ってタオルケットにくるまり、ガクガクブルブルしてみた。
ギンからの連絡が入らないことが逆に恐かった。
五月十一日(日)
朝、階下の笑い声で目が覚めた。
父母の声ではなかった。一つは弟の声で、もう一つはとても聞き覚えのある声だった。
「……何故お前がいる」
我ながらどすの利いた低い声が出せたと思う。
ギンがコーヒーを飲みながら弟と談笑していた。
弟の説明曰く――、
一つ、朝刊を取りに行ったら、昨日すげぇ睨みを利かせてた兄ちゃんがいてびっくりした。殺されるかと思った。(それは恐かったな)
二つ、俺がねえちゃんの弟だって知ったら、突然豹変して大笑いしだした。(突然豹変って、コワッ)
三つ、笑いが止まらないので体調が悪いのかと思って家に上げてあげた。すぐに直ったので体調不良ではないとのこと。(そのまま放っておけばよかったのに)
四つ、人を射殺すほどの睨みと素敵な笑顔との落差にギャップを感じてうっかりときめいてしまった。ギャップ萌えという言葉を実感したよ。(そんな報告はいらない)
五つ、話をしてみたら意外と馬が合って、楽しい時間を過ごしていた。
弟の人を気に入るポイントが分からない。とりあえずよく知らない人間を家に上げるな、と注意しておいた。
ギンは初対面の相手でも気兼ねなく話をすることができる奴だと判明した。
昨日の怒りポイントは教えてもらえなかった。
「俺の勘違いだから」
ギンはそう恥ずかしそうに笑っていた。
その後、買い物から返ってきた父母がギンを引き止めて(母が妙に熱心だった)、みんなでお好み焼きをして食べた。
「ちよちゃん、口にソースがついちゃった」
てへ、という顔でギンが言ってきたので、机の上に置いてあった台拭きを顔面に投げつけてやった。
それでも笑っているギンは真性のマゾなんじゃないだろうか。
父親が始終微妙な顔をしていたのが気になった。
今日はお好み焼きの気分じゃなかったのかもしれない。母さんは強引なところがあるから、嫌とは言えなかったのだろう。
五月十二日(月)
朝、玄関を出るとギンがいた。
一緒に学校に行こうとか言っている。なに出待ちしているんだ。お前の家はけして私の家に近いわけじゃないだろ。
後から出てきた弟が、「邪魔になったらいけないから、俺先に行ってるね」と変に気を遣ってきたので、袖をつかんで引き止めた。
「ねえちゃん、諦めなよ。ああいうのに掴まったらもう逃げ場はないんだから。それにいっくんは優しいし、話していて楽しいし、ああいうお兄ちゃんなら俺――ぐふっ」
とりあえず弟の首に腕を回して絞めておいた。
っていうか、いつの間にお前はギンを「いっくん」呼びするくらいまで仲良くなってるんだ。
お好み焼きのときはまだ「泉田さん」って呼んでいただろ。
頭の中に「根回し」や「懐柔」などの単語が踊り始めたので思考を停止しておいた。
ギンが羨ましそうに見てくるのが恐かった。
「これからもたまには一緒に学校に行こうね」
火曜日と木曜日は朝練があるから来れないとギンが言っていた。
毎日ならうっとうしいがたまにならいいだろうか、と考えるのは私がギンに懐柔されているからだろうか。
ギンがにっこりと笑うのを見て、なぜか弟が頬を染めていた。
五月十三日(火)
今日は美化委員会の奉仕作業があった。
ゴミ袋を持って。学校周辺のゴミを拾い集めるという生徒による慈善活動だ。
月一回あるそれに毎回出ていると内申が良くなるという噂があるので、参加者はまあまあ多かった。
内申につられて参加する生徒もいるが、私は内申関係なく美化委員会なので強制参加だった。
バスケ部は部活があるので、ギンは参加していなかった。
途中でギンから写メが送られてきた。部活中に何をやっているんだあいつは。
写真は休憩中のものだった。仲間と楽しく写っている背後でマネージャーが睨みつけていた。
ほら、やっぱり休憩中でもふざけていたら怒られるのだ。
『真面目に部活しろ』
そう注意しておいた。
五月十四日(水)
私と友人たちの昼食の輪にギンが混じってきた。
みんな最初は「なんでこいつが混じってるんだ」という目をしていたが、すぐに楽しく会話を始めた。
会話の中心はギンだった。
最近のお勧めスイーツだとか美味しい喫茶店の話で盛り上がっていた。女子力の高い会話だ。
みんな話に夢中だったので、私は売店で購入していた三色おむすびをメインにみんなのおかずを一品ずつ食べていった。
途中でバレて怒られた。ミートボールを食べ損ねた。
見かねたギンが卵焼きを「はい、あーん」してきたが放置してやった。
「もう妬けちゃうなぁ」
何が? アウト
「いっくんてば大胆だねぇ」
こいつの場合は変態と言うのですよ、お嬢さん。オブ
「あっつあつだね」
奴の脳内だけがな。沸いているんだよ。眼中!
言いながらも、みんなゲラゲラ笑っていた。
ってか、いつの間に「いっくん」呼びが定着していたんだ!? さっきまでみんな「泉田くん」って言ってたじゃないか。
とてもいたたまれない気分になったのでトイレにたった。
ギンがついてきそうな雰囲気だったので、奴が椅子をひいた瞬間に頭をはたいておいた。
戻ってくると親友の馬木がギンと睨み合っていた。
「鹿山はあんただけのおもちゃじゃないんだからね!」
馬木は二年生になってから知り合ったが、ギャグでなく馬が合う私の親友だ。
鹿山と馬木の二人合わせて「馬鹿」だ。どうだ、すごいだろう。実際、それに気づいてから馬木とは仲良くなった。
みんなが懐柔されていく中で、馬木のこの友情あふれる宣言に私は「う、馬木……」とちょっと感動した。
あんただけだよ。私の味方は。
私をおもちゃ扱いしているということには気がつかないふりをしておいた。突き詰めると悲しい事実が発覚しそうだった。
「ほら、鹿山。三回まわって頬ずり! ご褒美は明日の食堂の定食。デザート付き!」
犬と呼んでください! ワンワン。
私は飛びついて馬木に頬ずりをした。
ギンがとても悔しそうな顔をしていた。何を張り合っているんだ、お前は。
「じゃあ俺は明後日の分! ジュース付きで。はい、ちよちゃん。お手。おかわり」
ほいほい。それくらいならお安い御用ですぜダンナ。
左右の手を順に乗せるくらいで私のプライドは崩せないことをみんな分かっていない。
「犬だ。犬がいる」
若干引いた声が聞こえたが、気にもならなかった。
だって週末の昼食代が浮くんだぞ? やるっきゃないだろ。
左右の手を乗せ終えたところでギンが「そこで俺に飛びつく!」と両手を広げた。
頬が上気していた。目がランランとしていた。気持ち悪っ。
すかさずアッパーカットをおみまいしておいた。
かなりうまく決まったと思う。ギンが顎を押さえてうめいていた。
ギンは調子に乗りやすいことが判明した。調教が必要なんじゃないだろうか。
もちろん私に奴を調教する気はない。だが人様に迷惑がかかるので(特に私に)誰かやってくれないだろうかと思った。
私の知り合いで思い当たる人間はいなかった。
五月十五日(木)
今日は馬木に昼食を奢ってもらう予定だったのに、「ごめーん。財布忘れたわ」とカラカラ笑われて明日に延期になった。
予定を変更してギンに昼食を奢らせた。
ギンに注文を言いつけて、私は席の確保として座っておくだけですむという至れり尽くせりな対応だった。
そのうちギンは彼女に貢いだり尽くしたりして身を滅ぼすんじゃないかと思った。
でも私の感知するところではないので、ギンが持ってきた昼食を美味しく頂いてごちそうさまをした。
帰り際にギンからCDを手渡された。私の弟に貸す用らしい。
弟はいつの間にギンとCDを貸し借りするような仲になったんだろう。ギンにうっかりときめく弟の顔を思い出して、弟の将来が少し不安になった。
CDならまだ軽いからいいけど、マンガとかになったら重たいから嫌だ。直接弟に持っていけよ。そう伝えておいた。
「じゃあ、ちよちゃんの家にちょくちょくお邪魔していいってこと!? やったぁ」
待て。どこがどうなってそういう流れになった。
時々ギンとは意志の疎通がうまくはかれない。同じ言語を喋っているはずなのに……。きっとギンの言語に関する脳内変換路は普通より曲がりくねっているのだろう。可哀想に。
哀れみの視線を送っていると、男子バスケ部のマネージャーがギンのところに来た。
「センパイ、練習前に相談があるから早く来てくださいっ」
間に割って入ってくるように身をすべらせて来た女子はもうジャージに着替えていた。
どんだけ部活が好きなんだよ。
「ほら、早く来てくれないと部活始められませんよ」
慕われてるなぁ、ギン。腕に絡みつかれて。マネージャーはそのままギンの胴体に絡みつかんばかりの勢いだった。ギンはさながらツタ植物に絡みつかれる支柱のようだった。
その子、部活の後輩だろ。運動系は上下関係厳しいんじゃなかったっけ。だったらよく言ってきかせておけよ。私は敵じゃないって。こちらを見る目がギラギラしているのが恐いんだけど。
連行されながらも、ギンはへらへらと手を振っていた。
私は口の動きだけで「バーカ」と返しておいた。
廊下の角に消えていくとき、マネージャーが口の端を上げるのが見えた。
あれは、まあ……あれなんだろうな。あの子はギンのことが……(思考停止)
なんかおなかが痛い。今日はこのくらいで日記を終わらせておくことにする。
五月十六日(金)
今日はむしょうにギンのへらへら顔にむかつく一日だった。
奴の「ちよちゃん」と呼ぶ声すらむかつく。そのうち胃まで痛くなって、昼食は食べることができなかった。
せっかく芸を披露したのに……。馬木には、私の胃が直り次第昼食を奢るという念書を書かせておいた。
金曜日最後の時間割は体育だ。
女子はベースボールで男子はサッカーだった。六月には球技大会もあるので、その練習のためだ。
体育館では女子はバレー、男子はバスケをしているのだが、各部活の者は公平さを考えて自分の部活の競技には参加できないようになっていた。
ギンはバスケ部なので、サッカーのほうに回されていた。
思いっきりバットを振ると、胃のむかつきが少し落ち着くような気がした。
試合中にも関わらず、ギンが「ちよちゃん、ファイトー!」といらん歓声を上げていた。黄色い声を出すな、阿呆。
腹立ちまぎれにバットを振ると思いのほかよく飛んで、ギンのすぐ横の地面に落ちてボールは勢いよく跳ねた。
ちっ。顔面に当たれば良かったのに。
おなかの痛みが激しくなっていたので、友人に代走をしてもらった。
月一回のアレが来そうな予感がしたので、トイレに行こうと思った。
でもお前は来るんだよな。
「ちよちゃん、大丈夫?」
なんで本当に心配してるんだよって顔をしてるんだか。
お前には関係ないだろ。さっさと部活に行って、マネージャーの桃色光線でも受けてろ。
そんなことをオブラートに包まず言った気がする。言葉を噛み砕く余裕はなかった。私はトイレに駆け込みたいんだよ。邪魔をするな。バカギン。
「えっ、ちよちゃん、ヤキモチ?」
人が苦しんでいるというのになんとも嬉しそうだな、おい。
だ・れ・が・モチを焼いてるって?
ギンにはすばやく後ろに回って、膝かっくんをやり逃げしておいた。
放課後は鞄を持ってさっさと帰った。
玄関の鍵を開けたところで力尽きた。昼食を食べ損なったからな……。
帰ってきた弟に拾ってもらって家に入った。
ギンむかつく、ギンむかつく、ギンむかつく。お前なんか一生桃色バスケやってろ、バーカ。
五月十七日(土)
おなか痛い。二日目しんどい。一番きつい。
天岩戸作戦を決行した。
部屋に閉じこもってタオルケットにくるまって一日寝倒す作戦だ。人がいないのを見計らってトイレにだけは行く。
平日であっても、二日目は学校を休んでこれを決行するので、母からは諦められている。
二日目はどうしても人の顔を見たくなくなるのだ。笑顔、無理。お話し、無理。暴言、発動。
弟だけは近づいてもまだ許せるので、昼食等は弟に運んでもらう。それでも部屋の前止まりだが。
「ねえちゃん、昼食ここに置いとくからね。ねえちゃん好きだろ、卵サンド」
ん、とだけ返事をしておいてもぞもぞとベッドから降りた。弟よ、この苦しみが終わったら後で優しくしてやるからな。
ドアを少しだけ開けると美味しそうなサンドイッチが目に入ってきた。よいしょと腕を伸ばす。
そしたら腕を掴まれた。ぶんぶん振っても振りほどけなかった。痛くはなかったが、絶対に離さないという意志を感じた。
「離せ」
「離さない」
ギンだった。
弟が連絡したらしい。姉が引きこもって出てこないからヘルプ、だそうだ。するなよ、連絡。一番会いたくない奴に。明雄、後で殺す。
「ごめんね。すぐに来れたら良かったんだけど、着信に気づいたのが部活の後だったんだ」
マネージャーのにやり顔がちらつく。
コブシを握ったら、爪が手の平に食い込んだ。痛い。けど痛いと色んなことがまぎれる。
「なんで来た」
「ちよちゃんが呼んでたから」
呼んでねえよ。呼んだのは明雄だろ。電波か、お前。
そうしてしばらくドアを挟んで硬直状態が続いた。
あまりにおなかがすいたので、ギンに離れるよう言ってからドアを抜けて卵サンドを頬張った。
タオルケットを被ったままで、何も見えないように、誰にも顔を見られないようにした。
横にギンが座る気配がした。
そのまま部屋に戻ろうとしても無駄な気がしたので、そのまま廊下に横になってふて寝をした。
寝てしまったらもう胃のむかむかも何もかも感じることはない。
完全に寝落ちする直前、ギンが頭に触ってきた気がした。勝手に触るな、バカギン。
こんな面倒くさい女、放っておけよ。
腕に鈍い痛みが走って、ぼそぼそとギンが何か言っていた。「放っておけるか」とかなんとか言っていたような気がするが、はっきりとは分からない。
気がつくとベッドに寝ていた。
腕を見ると、赤い点がついていた。いつ刺されたんだろう。膨れてはいないが薄くうっ血している。もしかしてギンに腹いせで腕をつねられたとか?
たしか寝落ちするときに腕が痛んだような気もするが……と鈍い頭で考えたが原因は分からなかった。
もしギンが原因だとしても、ベッドまで運んでくれたのは奴なのだろうから、今回だけは怒らないでおこうと思った。
階段を下りていくとギンが弟と格闘ゲームをしていた。
とりあえず床に胡坐をかいてリモコンを操作する弟の頭を踏みつけておいた。ギンが「いいなぁ」と呟いていた。コワイ。
二日目の地獄は去っていた。
復活したので日記を書くことができた。
そういえばギンが家を出るときに「いつでも呼んでいいからね」と言っていた。
そうか、お前は深夜二時頃に連絡しても来るんだな。聞いたら絶対「行く行く」と答えそうだったので、聞かないでおいた。
そんな真夜中に連絡しても私がそのまま起きていられる自信がない。
しかしギンは家中施錠していても、ヘアピン一本で侵入してきそうな気がする。部屋の窓はきちんと施錠して、用心を怠らないようにしようと思った。
五月十八日(日)
復活記念に弟にカラオケを奢らせた。
途中でギンが乱入してきた。弟はギンとカラオケ代を折半するつもりのようだった。最近仲がいいなお前ら。
ギンが真向かいに座ってにこにこ笑ってきた。何の理由もなくそうしてくるので、挑戦をされている気になり、私は目をそらさずじっと睨みつけてみた。
「そんなに見つめちゃいやん」
体をくねらせてきたので、視線を逸らした。何かに負けた気がした。
弟を中心にひたすらアニメソングを歌ったのは楽しかった。
最初のときは歌詞にうんざりしてよく聴いていなかったが、ギンは結構歌が上手いと判明した。
懐かしくなって、弟にアニメのDVDをレンタルしに走らせた。体調が悪いときにいらないことをした腹いせだ。十五分以内に帰ってくることを強要しておいた。走れ、さあ走れ。
これからDVD鑑賞だ。今日のところはこれくらいにしておく。
五月十九日(月)
アニメDVDの鑑賞は深夜まで続いた。
弟に叩き起こされ、眠さにぼやきながらも学校の準備をした。
眠さに足元がふらつくのを弟に手を引かれて登校した。半分くらいまでは弟と通学路が同じだ。それまでには頭をはっきりしておかないと……ぐう、といった感じで歩いていた。
どうしてだか学校まで手をつないだままだった。
私の学校まで付いて来て弟は学校に間に合うのだろうかと顔を上げると、弟はギンにすり代わっていた。
いつの間に入れ替わったのだろう。弟にも忍者の才能があるのかもしれない。
未だぼうっとする頭で手をグーパーして見つめ、学校に来るまでのことを思ってみた。
信号が赤だったとき、肩を抱かれて止まったような気がする。私はそれを弟の明雄だと思っていた。
トラックが横を通ったとき、手を引かれて避けた気がする。そのとき体がぶつかったのを私は弟の明雄だと思っていた。
校門を抜けるとき、自転車にぶつかりそうになって抱え込まれたのを私は……以下略。
うん、私がおかしいのか。
気がついてしまったが、いまさら照れるというのも私のキャラに反しているような気がしたので、手を思いっきり振り払っておいた。
それでも嬉しそうなギンは真性のマゾなので、この際放置しておくことにした。
五月二十日(火)
馬木に昼食を奢らせた。
すっかり忘れた顔をしても駄目だ。こっちには念書があるんだぜ。今日はちゃんと財布を持参してきていることも確認済みだ。
休日を経て馬木は昼食を奢ることをケロッと記憶から消去していた。ほら、やっぱり念書を書かせておいて正解だった。
ギンは部活のミーティングだとかでいなかった。奴がいないと静かでいい。
「寂しい、の間違いでしょ」
ギンがいないと静かで平和だと言うと、馬木がそう返してきた。
馬木は何かを勘違いしているようだったので、こめかみをぐりぐりして訂正してさしあげた。
五月二十一日(水)
友人がギンの噂話をしていた。
ギンは真面目で成績も良く、見目も悪くないので結構モテていたらしい。特に下級生に。
それが最近変わってきて、おバカキャラになってしまって前ほどモテてはいないという。
へえ、ギンってモテていたのか。それが変人キャラが流出してしまったと。ふむふむ。
見た目は重要だが、人間中身も大事だからな。それが表に出てきて、変態と付き合おうという子が減ってしまったのも頷ける。
「まあ、この鹿山とつるんで楽しいっていう男子だからねぇ」
「貴重な存在なんだから、もっと可愛がってあげなよ」
なんだよ、それ。私と関わるようになってからギンがおかしくなったとでも?
奴は最初から変態だったよとどれだけ熱弁しても、誰も信用してくれなかった。
あげくに周りにいた男子も加わって、「いっくんのおかしくなった原因は鹿山」と責めたててきた。
特に失礼な奴の首を締め上げていたら、後から来たギンに引き剥がされた。
「ちよちゃん、やるなら俺にやって」
語尾に星マークやハートマークがつきそうな言い方だったが、目が笑っていなかった。全身の毛穴が開く思いをした。ギンに見つめられた失礼男子はぶるぶると震えていた。
「ほら、変態じゃん!」
言っても誰も味方になってくれなかった。しくしく。
また天岩戸作戦を決行したくなった。
五月二十二日(木)
地理の授業で居眠りをしてしまい、準備室の掃除を言いつけられてしまった。
居眠り三回でペナルティ一回だ。私の他にも居眠りしている生徒はいるのに、きちんとそれぞれ回数をチェックしている地理教師が恐ろしい。
準備室には地図や資料、授業で使う手作りの教材プリントなどが多くひしめいている。
掃除は先生が後で分からなくならないように、それらの配置を変えずにきれいにしないといけないのだ。
一年生の頃から数えてペナルティ四回目だとさすがに覚える。
窓を開け、ほうきでざっと掃いて雑巾までかけた。重労働は体にくる。後は先生のチェックを受けて終了だ。
準備室は何気に日当たりが良く、降り注ぐ温かさに壁に背を預けて目を閉じた。
日差しはぽかぽかとして気持ちが良かったが、そこまで深い眠りにはならず、奇妙な夢を見た。
庭がとても広い家で、私はギンという大型犬を飼っていた。
すごく大きくて、でも甘えたがりですぐに後ろ足で立って飛びついてくる犬だ。私は犬がじゃれてくると「うぜぇ」と叫ぶのだが、とても可愛いとは思っているようだった。
ボールを投げて大型犬ギンが取ってくる
「よしよし、ギン」
頭を撫でると、嬉しそうに「ちよ、好き」とペロリと赤い下を出して口をなめられた。
そこで夢は終わった。
また寝ていたのかと先生に注意されて「もう寝ませーん」と準備室を出た。
とっくに夕方で、バスケ部ももう帰った後のようだった。
私の中でギンは犬なのだろうか。
確かにギンはどちらかというと猫というよりかは犬だろうが、あんな面倒くさい犬を飼う気にはなれない。
まあまあ毛並みの良い野良犬が呼んでもいないのに後からついてきている、という表現がぴったりな気がした。
五月二十三日(金)
ギンと一日目が合わなかった。
いつもは「ちよちゃん、ちよちゃん」と煩いのに、えらく大人しい。
うるさいのもうっとうしいが無視されるのも腹が立つので、通り過ぎる間際におなかにボディブローをおみまいしておいた。
やっと目が合いそうになったが、すぐにそらされた。むかつく。
五月二十四日(土)
弟と格闘ゲームをしてぼこぼこに打ち負かした。
決めワザを出そうとする瞬間にわき腹を突くといいのだ。笑いすぎて手元が狂うので、絶対にワザを出せないのだ。私に勝とうなど百万年早い!
「ねえちゃん、ズルイ!」
非難する弟の声は聞こえなかったことにしてあげた。
昨日から腹立ちが収まらない。
ギンはこの場にいないので、代わりに弟に八つ当たりしてやる。罰ゲームとしてコンビニに走らせた。
弟がジュースとお菓子と一緒にギンを連れて帰ってきた。
スポーツバッグを肩に下げていたので、部活帰りに弟に捕まったらしい。
「ねえちゃんのうっ憤が溜まってるのって、いっくんのせいだろ」
さあ溜まったものを吐き出すがいい、とさすが私の弟といった台詞を吐いて弟は部屋に引き上げていった。
格闘ゲームをシューティングゲームに変えてギン一人にやらせた。
その間、私はじっとギンを見ていた。
これはいわば罰だ。ギンは何か後ろめたいものがあって、私の目を見られないようなので、耐え切れなくなるまで見つめてさしあげることにしたのだ。
「ごめん、ギブ」
ゲーム開始三十分だった。ゲームの中の戦闘機が爆発炎上していた。
見られることって結構きついだろ。でも見られないで無視され続けるのも結構きついんだぞ。
「ちよちゃんはきつかったの?」
不思議そうにギンが見てきた。久しぶりにこっちに目を向けたギンは、いつものような笑顔だとかではなくて、本当に不思議だという顔をしていた。
「どうかな」
きちんと答えたらギンがまた調子に乗りそうだったので、私はお茶を淹れに席を立った。
ギンがしつこく食い下がってくるので、熱々の熱湯でお茶をなみなみと注いで出した。
一気飲みできたら答えてやる。さあ飲め。できるものなら一気飲みで。
「あの、これすごく熱いんですけど」
ふうふうしながら遅々として量が減っていかないので、疑問には当然答えてやらなかった。
ギンは結構な猫舌だということが判明した。
無視したいきさつは聞かないでおいた。
どうせどうでもいいことでうじうじと悩んでいるのだろう。
「ちよちゃんって、そういうとこかなり男前だよね」
ギンが感心したように言っていた。私は細かいことは気にしないのだ。すごいと感心したのなら敬うがよい。
五月二十五日(日)
朝、起きるとギンが母と庭仕事をしていた。
毎日雑草を抜いたり、水遣りをしたりして花を育てるのが母の趣味なのだが、ギンはそれを手伝っているようだった。
なんでいつも家にいるんだ。お前、暇なのか?
「いっくん、こっちもお願いね。助かるわぁ」
完全にいいように使われている。嫌な顔をせず手伝うギンは、ぱっと見気の良い好青年だった。中身は変態だけどな。
「うちの子たちったら誰も手伝ってくれないんだもの」
母よ、それはあなたがあれこれ指図してうるさいからだよ。
私に雑草とハーブの違いが分かると思っているのか。前に雑草と間違えてハーブを抜いたら一日中プリプリしていただろ。
「いっくん、少し休憩して将棋でもやらないか?」
父がいそいそと将棋盤を持ってきた。
とうとう父までが「いっくん」と呼び始めてしまったのか、と愕然とした。
「うちの子たちは誰もしてくれなくてな」
父よ、だってあなたと将棋をすると「待った」が多いじゃないか。しかも熟考タイプだから一手が長いんだよ。
「いっくん、それよりゲームしようよ」
弟よ、お前は混ざるな。
ギンの取り合いで三つ巴の様相を呈してきたので、私はさっさと準備して外出することにした。
どこに行くの、と母に言われたので「家出」と答えておいた。
ギンが付いてこようとしたが、父と弟に阻まれてできなかった。私はその合間に靴を履いて外に出た。
公園に行って白鳥のボートに乗った。
どうしても暑くならないうちに乗っておきたかったのだ。今日立てた予定はそれだけだった。ギンの相手をする予定は組み込まれていない。
全力で漕いだので足が痛くなった。かなり満喫できた。ふうっ。しばらくはボートに乗らなくてもいいくらいの満喫度だ。
記念として白鳥のボートと並んで写真を撮ることにする。
満面の笑みで写った写真はなかなかいいアングルで撮れていたので、すぐにプリントアウトしに行った。
帰ったらギンが家の前をうろちょろとしていた。どちらに行けばいいのか分からないようで困っている様子だった。
面白そうだったので、電柱の陰に隠れて観察してみようと思った。すぐにバレた。
「家出って言ったからびっくりした。お父さんも明雄くんも離してくれないし。お母さんは、ちよちゃんはすぐにふらっといなくなる癖があるから心配するなって言うけど、俺心配で……。どこに行ってたの」
さりげに人の両親をお父さん、お母さん呼びかい、おい。
つっこみを入れたかったが、青白い顔で肩を掴んでくるのでできなかった。戦意喪失させられた。
白状するまで離さないという勢いだったので、公園に行って一人で白鳥のボートに乗ってきたことを白状した。
「俺も連れてってよぅ」
地面にしゃがみこんでイジイジし始めたので、お土産としてさっき撮った写真を進呈してみた。楽しい雰囲気だけでも味わえばイジイジも止まるかと思った。
ノリで現像したはいいものの、自分の写真を部屋に飾るナルシストでもないのでどうしようかと思いあぐねていたのだ。
ギンが写真を受け取ったまま固まって動かなくなったので、私は乾いた喉を潤すためにさっさと家の中に入っていった。
「ねえちゃん、いっくんが石化してるー!」
知るか。
しばらくして弟に引き連れられて家に入ってきたギンは、始終にやにやして気持ちが悪かった。
何か変なものでも拾い食いしたのだろうか。母に胃薬を出しておくようにお願いしておいた。
五月二十六日(月)
ギンがおかしかった。いつも変だが、いつも以上に変だった。
私との距離を開け、一歩寄ると一歩下がるという感じだ。興味が湧いたので追い掛け回してみた。ギンはバックで器用に私を避けた。
「ごめん、ちよちゃん。嬉しいけど、昨日のショックで近づかれると何するか分からないから寄らないでっ」
壁際に追い詰めたところで、よく分からないことをしどろもどろに言ってくるので、それ以上追い詰めるのは止めておいた。
ふんふん。何かがあって頭がちょっとおかしくなっているということは分かった。
離れるとため息をついて下を向くので、いつもよりは元気がないのかと判断する。
ギンを残してその場を去った。振り向くと、置いていかれた犬の目をしてこちらを見ていた。
いつも奢ってもらってばかりなのも悪いので、今日は私がジュースを奢ってあげた。一番安い自販機の八十円の紙コップのジュースだ。
ギンは私が行って戻ってきても、壁に背中をつけたままの状態でいた。
ジュースを差し出すと、ギンはかなり驚いていた。
「あのちよちゃんがジュースを奢ってくれるなんて」
そこまで驚かなくてもいいだろうに。私だってたまには人のために財布の紐を緩めることもある。
ギンはありがたがってチビチビとジュースを飲み干した。
「あー、早くなんでもできる関係になりたい」
そう呟くのが聞こえた。何か友人関係で悩んででもいるのだろうか。
またカラオケにでも行くか、と誘ってみた。もちろんギンの奢りで。
「いやぁ、今個室に行ったらキレる自身がある」
意味の分からないことで断られた。
ギンはちょくちょく私には解読できないような言動をする。誰か翻訳してくれないだろうか。
五月二十七日(火)
休み時間に男子バスケ部のマネージャーに呼び出された。いったい何の用事だろう。喧嘩なら買わないよ?
「もう泉田センパイには関わらないでください!」
彼女が発した一言目は、なんと女子の呼び出しの常套句だった。
「センパイはあなたと関わるようになってから変わっちゃったんです」
以下、覚えている限りの彼女の発言を書き留める。
泉田センパイは一年生の頃からスタメンに選ばれるほど才能のある人なんです。
あなたは知らないでしょうけど、センパイは小学生の頃からバスケをやっていて、ずっと休まず練習を続けてきたんです。
真面目で、練習に取り組むのも熱心で。後輩にも優しいし、面倒見もあるから慕われていて……。
以前の泉田センパイを知っていますか?
合理主義で無駄なことは嫌いで、練習はいつも試合みたいに白熱していて熱気がありました。
厳しいけど、みんなセンパイのこと尊敬していました。私ももちろんそうです。
それは部活だけじゃありませんでした。センパイは勉強ができて成績が良くて、先生受けもよかったんです。
生徒会にも誘われてたけど、部活のほうに集中したいからって断ったんですから。それくらい先生たちからも信頼を得ていたんですよ。
センパイは私にもすごく優しかったんです。重たい荷物とか運んでいてもすぐに気づいて持ってくれて。
本当にメンバーのことも考えてた人だし、マネージャーにだって気を遣えるすごく素敵なセンパイだったんですから。
それがあなたと出会ってから変わっちゃったんです。
部活の休憩時間も自分のフォームの確認を怠らなかったのに、メンバーや後輩とふざけあって写メとか撮るし。練習が終わったらそそくさと帰っちゃうし。
以前はあんまり笑わない寡黙な人で格好良い人だったのに……。今では誰にでも愛想振りまくようになって、おかしなことばかり言って周りを沸かせて――まるでピエロみたい。
センパイは前ほど人に気を遣わなくなっちゃいました。私の仕事も手伝ってくれなくなって、他の人にふっちゃって自分は助けてくれないんです。そんなの酷い。
なのに、みんな今のセンパイのほうがいいだなんて……そんなのおかしい。みんな楽しいほうに流されちゃってるのよ。
あなたがセンパイをおかしくしちゃうんです。センパイはあなたのこと気に入っているようですけど、センパイ絶対無理してる。私にだけは分かるんだから。
以前のセンパイに戻れるように、あなたから身を引いてください!
……以上、こんな感じ。我ながら日記を書くまでよく覚えていられたなと感心する。
ほうほう。どれだけそのセンパイとやらが好きなのかは伝わってきた。
が、内容の矛盾に私は思わず発言してしまった。
「言いたいことは分かった。けどその真面目で滅多に笑わないところが寡黙で格好良いセンパイって誰のこと? そんな人間知らないんだけど。男子バスケ部に泉田って人間は二人もいたっけ?」
だって、本当に私は彼女の言う泉田という人間を知らないのだ。
私が知っている泉田は変態でいつも口元が緩く笑っていて、おかしな発言ばかりする人間なのだ。
ギンが変わらず彼女の話すような生真面目な人間のままでいたら、たぶん私は奴の存在に気づかないまま過ごしていたことだろう。
それはなんとなく面白くない気がした。
こういう子を刺激しちゃいけないってのは分かっていたんだけどね。ついつい、うっかり口がすべってしまった。
「はあっ? 何言ってるの。ふざけるのもたいがいにしてよ!」
彼女の両手がスローモーションのように伸びてきた。人間は危機に陥ると世界がスローモーションのように見えるって言うけど、本当なんだな。
彼女は咄嗟に私を突き飛ばそうとしたらしい。
体はギンに当たって止まった。そのまま壁に背中を打っても、たいした怪我にはならなかっただろうが助かった。一応礼を言っておいた。
「泉田センパイ……」
ショックを受けたような顔をしていたので、彼女の言っていた泉田はやっぱりギンのことなのだと分かった。
おいおい、女同士の話し合いに男が出てきちゃいかんだろ。
見上げるとギンのまつげが震えていた。これは泣くのか? いや、そうじゃないな……お前、笑いをかみ殺してないか? ギンの目の奥が笑っていた。
笑いが止まらなくて肩が震えるギンが大型犬のごとく抱きついてきた。真剣な後輩を前に笑ってはいけないという気持ちは分かるが、抱きついてくるな!
今怒ると話がごちゃごちゃになりそうだったので止めておくことにした。ギンにはお触り料として後でパンを奢らせた。
どこをどう見てそういう結論に達したのかは分からないけど、こいつは無理なんかしてないだろ。
ギンはそれはもう毎日楽しそうに活き活きとしているぞ。
後輩説得モードでそのようなことを私としてはかなり優しく言ってみた。
だが彼女には相当なショックだったようだ。
やり方はどうかと思うが、好きな相手のためを思ってしたことが何の成果も得られなかったのだ。当然だろう。
泣きながら走り去っていった。後でフォローしとけよ、ギン。
ギンがなかなか離れなかった。上戸が止まらないようだった。
「何を笑ってるんだ、バカギン」
離れようとするとギンの腕に力が入って、ぐえってなった。
しまいにはふふふっと笑い始めたので、私は本気でギンの脳みその状態が不安になった。
「ちよちゃん、最高」
そこからしばらくギンの上戸は止まらなかった。
ギンの笑いのツボが分からない。
五月二十八日(水)
朝、玄関を出るとギンが待機していた。
ここまでくるともう驚かない。いるなぁ、くらいにしか思わない。感覚が麻痺していることに改めてびっくりしてみた。
「ちよちゃんはさ、俺のことどう思う?」
しどろもどろにギンが聞いて来た。
どういう意図で聞いてきているのか分からないので、ここ一ヶ月弱で知りえたギンに関することを思い返してみた。
以下、私が知りうるギンに関する印象のあれこれを記載しておく。
ギンは変人で変態だと思う。
物陰に隠れてハンカチを咥えていたのは最高に笑えた。
馬鹿だこいつ、と思ったから声をかけたのに、告白しに行けと言ったら本当に行くからびっくりした。
邪険にされてもにこにこしているのは気持ちが悪いと思う。真性のマゾなんだと常々感じているんだが、本当のところはどうなんだ?
最初に名前を覚えていなかったことは悪かったと思っている。だって私の中では目立たない存在だったんだ。
でも変人さを表に出すようになってから印象はどぎつくなったから、もう誰にも認知されないということはないと思うぞ。よかったな。
遠くから見ていてもこっちに気づいたり、謀ったように人前に現れるところは人間業じゃないと思う。
あと、人の寝顔を見て喜ぶところは変態としか思えないから止めたほうがいいんじゃないかな。
あとは何だっけ……。
すぐうなだれるけど復活は早いよな。オジギ草みたいでちょっと笑える。ポジティブでいいんじゃないか。
でも時々会話が噛み合わないのは苦労する。勝手にへこんで、勝手に浮上してくるから先が読めない。
人のちょっとした言動ですぐ笑うのは悪くないと思う。電球みたいで面白いから。
それくらい話したところで、もういいと止められた。
「ちよちゃんが思っていたより俺のこと見ててくれたのは分かった」
いつもなら満面の笑みに変わるところだが、ギンは少し落ち込んでいるように見えた。
オジギ草しぼみバージョンだった。
帰ってから弟にギンの様子がおかしかったことを話したら、珍しく真剣な顔になって目の前に正座させられた。
「あのね、ねえちゃん。それって自分はどういう人間だと思うかって聞いたんじゃなくて、ねえちゃんの感情としてどう思っているかって聞きたかったんだと思うよ。ねえちゃんが激しく鈍いことは知ってたけど、そんなんじゃいっくんが可哀想だよ」
深いため息をつかれた。
なんだそういうことか。
だったら始めにそう言ってくれれば良かったのに。
「そうか。嫌いじゃないと伝えてやればいいんだな」
スマホを取り出すと弟に取り上げられた。
「ねえちゃん。お願いだからすぐ答えを出そうとするのは止めて。すげぇいたたまれないから。あと何日かよーく考えてから答えてあげるのがベストだと思うよ」
それもそうだな。
今、答えるための言葉を探しながら日記を読み返している。日記はほとんどすべてがギンのことで占められていた。
うざいとか気持ち悪いとかうっとうしいとかの言葉がたくさんあった。
でも嫌いじゃないんだ。嫌いなものは目にいれないから。でもそれ以上の言葉が見つからない。
……もう寝よう。頭が痛い。
五月二十九日(木)
ギンを待ち伏せしてみた。
私の教室からは、体育館の入り口が見える。
窓辺に座ると、コートの端っこだけが顔を覗かせる。そこを走っていくバスケ部の部員の姿を目で追った。
その中にはギンの姿もあった。
「来い」
聞こえないだろうが言ってみる。奴のエスパー的潜在能力を以ってすれば聞こえるんじゃないかと思った。
それだけしてから、自分の席に座って眠った。部活の時間はまだまだある。疲れた脳を休ませることにした。
自分の髪が流れていく感触で目が覚めた。ギンだった。
「なあ、どうして私にかまうんだ」
顔を伏せたまま聞いた。
ギンの顔を見たら多分鳥肌が立つ。冷静に考えるためにも、生ぬるい目を直視はできなかった。
結果――、ギンが話したことについて、私は真剣に考えなければならないという結論に達した。
※※ ※
「なあ、どうして私にかまうんだ」
伏せる頭に触れる手が止まった。あぁ、止まってしまった手を惜しいと感じるのは何でなんだろうな。
「ちよちゃんのことが好きだからだよ」
そうか。まあ、そうなんだろうなとは思ってたけど。でもお前の言う好きって何?
今までそういうこと考えたことないから分からないんだ。
私に分かることは、お前が私のことをどういう意味でかは分からないが好きで、私はお前のことが嫌いじゃないってことくらいなんだ。
「ちよちゃんは俺のこと変人だ変態だって言うけど、そういう人間を作ったのはちよちゃんなんだからね」
「私は何もしてないよ。私がギンに能動的にしたことといえば、最初に声をかけたことくらいだろ」
あとはお前が勝手にかまってきたんだ。
「だけど、その最初が一番重要だったんだ。俺、ずっと好きだった子がいて――」
それは、私がギンに告白してこいとけしかけた子のことか。よく覚えているよ。
お前、馬鹿みたいにハンカチ咥えて泣いていたものな。
「でも、その子にはずっと好きな奴がいることは知っていたんだ。俺の入る隙間なんてないってどこかで諦めてて、何もせずに指を咥えて見てた。傍にいられればそれでいいかって。彼女が告白することを知っても何もしなかった。彼女への感情はこれでおしまいって何もしてないくせに終わらせて……。そしたらクラスの女子が傍で寝てて、よし、出刃亀してやるかって立ち上がるんだもん。びっくりした」
なんだ、見ていたのか。私の存在には気づいていなかったとばかり思ってた。
「でも、俺たちの恋愛って他人から見たらそれくらいのもでしかなかったのかって思ったら、どん底にいる気分に浸っている自分が急に馬鹿らしくなった」
自分の人生は自分が主役だものな。その気持ちはよく分かる。
所詮他人から見たら笑い事ってことはよくあることだ。
「だから試してみたんだ。馬鹿みたいにうじうじ泣いてる男を見たら、この子はどうするのかって」
あれは演技か。
本気だと受け取っていた自分が恥ずかしいんだけど。話の途中だが、一発殴っていいか? 私は試されることは嫌いだ。
肩がぴくりと動いたことに「ごめんね」と言葉が降ってくる。
どうせお前は生ぬるい目で見てきているんだろう。ちっ。止めておくか。
「何もしないままで良い子ちゃん顔で済ませていいのか、ってのはすごく効いた。それまでの自分を一番的確に言い当てたことだったから」
つまり私は、ギンの一番痛いところを突いてしまったということか。それは悪かったな。
「ちゃんと玉砕できて良かったよ。そうじゃなかったら、ずっと引きずってたままだった」
時には当たって砕け散ったほうが回復が早いときもあるわな。
私にはそのつもりはなかったが。
変な男子がいるから、退屈紛れにけしかけただけなんだから。
「すっきりして戻ってきたのに、肝心のけしかけた本人はすごく後ろめたそうにそわそわしてるんだもん。やっちゃったって感じで。でも、他人事みたいに突き放すのに心配もしてくる矛盾が俺には嬉しかったんだ。この子の傍にいたら元気になれるかなって思ったんだ」
ギンは私がいて元気になれたのか……。あぁ。やばい。嬉しい。顔が熱い。
人にこれほど褒められたことがないからか? それとも……。
「同じクラスなのに名前も知られてなかったのは悔しかったけど、」
それに関しては謝る。ごめん。
「だったら思いっきり印象に残ってやろうって思ったんだ。ちよちゃん曰く、指を咥えて見てたら何も手に入らない、でしょ? それを実行してみました」
それで私が今のお前を作った、に繋がるのか。それは確かにそうだな。きっかけを与えたのは私だ。
「ちよちゃんが好きだよ。最初は興味本位でかまってただけだけど……。バスケの試合の日のこと覚えてる? ちよちゃんてば寝坊して――」
ああ、寝坊して慌てて自転車を走らせた日のことか。お前が来いってうるさいから行ったんだっけ。
「それでも来てくれたんだ。慌てて来たことは見れば分かった。制服ぐちゃぐちゃで、髪もぼさっとしてて」
遅れていたんだから、仕方がないだろ。
「しかも俺の機嫌を伺うような顔しておいて、寝過ごした、って悪びれないような口ぶりをするんだもん」
そんな顔してたっけ? 最初から見られなくてぐだぐだ言われたら嫌だな、とは思っていたけど。
「この子は今俺のことだけを考えていて、俺のためにここまでしてくれたんだって思ったら、自分の中の何かが満たされる気分になった。もし今度も知った顔で何もしなかったら、これが手に入らなくなるかもしれないって思ったら必死になった。他の奴が寄ることが我慢できなくなった」
その結果が私への粘着か。どうりで時々恐いと思った。
「ごめんね。もっと待つつもりだったんだ。でも待てない。ねぇ、ちよちゃん。俺のこと好きって言って」
極論だな。
お前の中では確定事項かよ。私の中では全然確定してないんだけど。
「ギンは今の自分が好き?」
私と関わるために変わってしまう前は、真面目で寡黙で先生受けも良い優等生だったんだろ。
変わってしまったことを残念がる後輩だっているじゃないか。
それが良かったことなのかどうか私には分からないんだ。
ただお前は毎日楽しそうだから、私は変わってしまった後のギンしか知らないから比べることができない。もっと知っておけばよかったと、今後悔しているよ。
持ち上げる頭が重い。亀みたいにノロノロとしか動かないのはどうしてかな。
ほら、やっぱりお前の目は生ぬるい。口元緩みすぎ。でももう鳥肌は立たない。
触ってくるなよ。まだ無償で触らせていいものかどうか考え中なんだ。それにしても熱いな。お前の指と私の頬とどっちが熱いのかな。
「好きだよ。だって今の俺はちよちゃんのために作られているんだから。元に戻る気はないよ。今の積極的な自分嫌いじゃないんだ。前の自分のままだったら、ちよちゃん俺に興味も抱かなかったでしょ?」
ちょっと、顔が近いんだけど。
「本当にもう少し待つつもりだったんだ」
息がかかるくらいの近さで、もうギンの口元しか見えない。
「ちよちゃんが呼ぶのが悪いんだよ」
本当に近い。これまで何度か接触することもあったが、ここまで近いってなかったよな……思考停止――、
「っって、するかぁっ!!」
肩で息をする。あぶねぇ、あぶねぇ。私としたことが流されるところだった。
「ちよちゃん……」
捨てられた犬の目をしても無駄だからな!
「か、考える! ちゃんと考えるからもう少し待ってろ。ステイ!」
「……うん。分かった。待ってる」
って、おい。腕を巻きつけるな! 頬にチューも駄目! 口を狙うな! お前、本当に待つ気があるのかっ!?
今までずっと我慢してきたから、一度触り始めたら止まらないって? 違うだろ。今は大人しく引き下がるところだろ!?
こうなったら――。
※ ※ ※
五月三十日(金)
昨日は散々だった。貞操の危機だった。
咄嗟にヘッドアタックをかまして逃げたのだが、ギンは大丈夫だったろうか。一応心配してみたが、平気そうに登校してきていたから大丈夫だったのだろう。
今日は私のほうが目を合わせられなかった。
ギンの視線を感じたが、そっちを見ることはできなかった。
放課後、部活後のギンを呼び出した。
校庭の隅には、外用のバスケットゴールが設置してある。
私はそこでシュートの練習をしながらギンがやって来るのを待った。
ボールをゴールに入れるのはなかなか難しかった。近くでならまだしも、スリーポイントシュートは全然入らない。
「何やってるの、ちよちゃん」
見て分からないのか。シュートだ。
先日からずっと考えていることがある。
私は今のギンを知っているが、前のギンのことも知っておくべきなんじゃないだろうか。
マネージャーの子の言葉では、以前のギンはバスケ小僧でいつもいつも練習ばかりしていたそうだ。私はそれを知らない。他の女子が知っていて、私が知らないことが悔しい。
シュート。
駄目だった。そのあと三回チャレンジしてみたが、全然入らなかった。
ギンはいつもこんな難しいことやっているんだな。
やってみて初めて分かった。ゴールを決めることはとても難しい。もっと簡単だと思っていたのに。ギンは試合のとき、軽々とこなしていたから。
ギンの部活中ずっとこれをやっていたが、もう汗だくだった。
変人で変態だけど、ギンはこんな難しくて苦しいことをいつもやっているんだと思うと、素直に感心できた。
これを毎日真剣な顔してやってるのか。大変だな。
スリーポイントの位置からシュートを決めることができたら、ギンに言うべき言葉がすんなり出てくるんじゃないかと思った。
「ちよちゃん、がんばって! 俺のためにも!!」
それを伝えてみるとギンが熱心に応援し始めた。確実に鼻息が荒くなっている。お前……欲求に素直だな。なんだ、その目の輝きは。
とうとう力尽きて地面にへたりこんだ。息が苦しかった。
「息切れするちよちゃんもエロくていい……」
ギンはちょっと頭のネジがゆるんでいるようだ。気持ちを抑えるとか、せめて言葉に出すのは遠慮するとかということを忘れているのではないだろうか。
靴を脱いで顔面に叩きつけておいた。ちょっと頭を冷やせ。
今日は無理だった。諦めて帰ることにした。
「帰って風呂に入る」
「俺も一緒に入っていい?」
ギンは風呂場に沈められたいのだろうか。今のギンなら嬉しそうに沈んでいきそうだ。気持ちが悪いので考えることすら頭から放棄しておいた。
玄関まで付いてくるので、さっと入って鍵を閉めた。「開けてぇ」とドンドン叩く音は聞こえないことにした。
風呂から上がるとギンが居間で母とお茶を飲んで待っていた。
「風呂あがりもまたオツだね」
もういやだ、と頭を抱えたくなった。
五月三十一日(土)
これからまたシュートの練習に行ってくる。
ギンも付いてくると言うので、ボールを持ってくるように伝えておいた。
万が一シュートが決まったらその場で押し倒されそうな気がするので、私が持っている靴の中で一番足にフィットする靴を選んでいこうと思う。
ふうっ。気が重い。
ギンが下で呼んでいる。誰だ奴を家に入れたのは。この家に私の味方はいないのか?
ギン、むかつく――
※ ※ ※
「むかつくって酷いなぁ。俺はいつでもちよちゃんの味方だよ」
「いつの間に部屋に入って来たんだ、バカギン! 人の日記を盗み見するな! ってか、耳に息を吹きかけるな!!」
「うわぁ、いっぱい書いてあるね。もしかして俺のことばっかり書いてる? 今度見せてよ」
「い・や・だ!」
「日記ってのはいつか誰かに盗み見されるものなんだよ。ちよちゃん知らなかったの?」
「なんだその理屈は。見られるくらいなら燃やす。今燃やす!」
ビリビリビリッ ボウッ
「あー、俺とちよちゃんの愛のメモリーがぁっ」
「断じて違う! お前と私はまだ何も始まっちゃいないだろ」
「あっ、ねえ、今まだって言ったよね。まだって」
「はあっ。どんだけポジティブシンキングなんだよ。まだ言うなんて決まってないだろ」
「言う? 言うって何を? 言って、言って。さあ、言って」
「知るか。しつこい。うるさい。黙れ」
「ちよちゃん、酷い……でも好き」
「はあっっ。……さっさと行くぞ。来ないと置いていく。ゴール決めても教えない」
「行く、行く。行きます。そんでもって俺に好きって言って」
完全に流されている気がする。
「ほら、ちよちゃん。早く行こうよ」
「あー、はいはい」
もう日記は書けないな。ギンに盗み見されそうだし。あとはただのノロケになりそうだし。……でも、まあ、がんばってくるか。
天気は良いし、地面も乾いている。外で運動するにはいい日だ。
これならシュートが決まった後、すぐ逃げられるかな。なんて思うのは、ズルイだろうか。まあ、そのときはそのときだ。なるようになるさ。
※ ※ ※
プチ番外編:六月の彼ら
「もう六月も三日目なのに、ちよちゃんがシュートを決めてくれない。ちよちゃん運動神経悪くないはずなのに……ベースボールでもバシバシ打ってたのに、俺もて遊ばれてるのかな」
「そんなことないって、いっくん。ねえちゃんは真剣にやってるって」
「もういっそ襲ってもいいかな」
「こら、ぼそっと恐いこと言わない! そんなことしたら半年は口利いてもらえなくなるよ? ねえちゃんって、ああ見えて相当頑固だからね」
話を聞いた限り、いっくんがねえちゃんを好きになってまだ一ヶ月だろ。
なのにこのデレっぷり……。
あんなねえちゃん(我は強いし、口は悪いし、すぐに手を出す)のどこがいいのかな。
もうそれだけで相当の変人だよね、いっくんは。
でもいっくんて変人だけど、好きな子に対して殺人的な視線を繰り出すまで真剣になれるというところだけは本当に尊敬できるんだよな。
「はい、どうどう。ちょっと落ち着こうね、いっくん」
あんな変わり者のねえちゃんだけど、貞操の危機を黙って見過ごすわけにはいかないもんな。
早く好きだって言ってあげなよ、ねえちゃん。
「それは嫌だ。待つ」
まぁ、なんだかんだ言ってめちゃくちゃ大事にしてるんだよな。愛されてんな、ねえちゃん。
ねえちゃんのほうもそうだと思いたい。
そうでなきゃ、色気より眠気のねえちゃんが苦労して毎日頑張ったりなんかしてないだろう。
ねえちゃんなりに真剣に考えていっくんのことを知ろうと努力していることは、言動の端々に感じていることだ。
「でも、シュート決まって好きだって言われたら即効押したおす」
「って、それはまずいって。ねえちゃん、逃げてー!!」
……こんな日々が、もう一週間は続くことになる。
その後:
いっくんは変態度が増した。
ちよちゃんスコープの精度がますます上がった。
ちよちゃんは徘徊が減った。
脚が早くなった。