-To err is human, to forgive divine-
九章 -To err is human, to forgive divine-
その日はシャルとカーサが休みの日だった。レイマンを見送った後、2人は部屋にこもって魔法の勉強をしていた。
「おい、シャル。何かわかったか?」
2人は並んでカーサのベッドに座っている。
「さっぱりです。どの本読んでも同じことばかり書いてあるので」
「こっちもだ」
カーサは後ろへ倒れこんだ。
「だめだ……。行き詰った」
「それにこれだけ本を読みあさっているのにほとんど何もわかってないですよね」
「だよな……」
本を投げ出すと起き上がる。
「ちょっと外出てみるか。デカイ本屋行けば何かいい本があるかもしれねぇ」
「そうですね」
2人は外へ出た。木枯らしが冷たく体に吹き付けてくる。
「秋らしくなってきたなぁ……」
「そうですね」
シャルは近くに立っていた木を見上げた。
「木の葉の色も変わってきましたしね」
2人はそんな秋の街中を歩きながら、本屋を探す。
立ち寄った本屋で2人は魔法の本を片っ端から調べた。
「どうだ?」
「ないです」
「お!?」
「え、何かありましたか!?」
「あ……違うわ」
「まぎらわしいことしないでくださいよ」
「うるせぇ」
シャルは、カーサが焦っていることに気づいていた。レイマンは隠してはいるが恐らく魔法を使っているだろう。だが、世の道理を覆すと宣言した自分たちは何も進歩がないのだ。進歩がないまま、月日はみるみるうちに過ぎていく。
カーサはパラパラとページをめくり、すぐさまそれを本棚へ戻して隣の本を手に取る。シャルの何倍も早く作業をして魔法の本全てを調べつくすと、カーサはすぐに踵を返した。
「次行くぞ」
「はい」
シャルは本を戻して慌ててカーサを追う。
結局、今日当たった本屋は全てハズレだった。
「くそっ……。何にもわかんなかった」
帰り道、シャルも思わずため息が出た。
「そうですね……」
「『魔法と世の道理』っていう本が見つかればなぁ……。世の道理のことがちょっとは詳しく書いてあるはずなんだが」
「でも」
シャルは大きく頷いてカーサを見た。
「焦ってもしょうがないですよ。これだけ頑張ってるんだから、絶対に世の道理は覆せます!」
カーサは疲れたように笑う。
「そうだな」
寮へ帰り着くと、カーサは部屋に戻ってベッドに倒れこんだ。
シャルは部屋にいてカーサを起こすと悪いので、寮内を回ってみることにした。隅々まで行ったことがなかったので、まだシャルの知らない所がたくさんある。そこで、もっと上の階へ行ってみた。
男子寮は11階まである。だが、九階くらいまでくると急に辺りが静まり返った。先ほどまで聞こえていた人の声は遠く、この階には声どころか人の気配すらない。
「……なんでこんなに静かなんだろ」
首を傾げて階段の所で止まっていると、後ろから声がした。
「シャル君?」
振り返ると掃除機を手にしたネアンがいた。
「ネアン」
「どうしたのこんな所で」
「部屋でカーサ先輩が寝てるから、起こすと悪いし寮の中を散歩してたんだ。まだ行ったことない所とかあるし」
「でも、ここ来ても何もないよ。その分1人になりたい時はとっておきの場所だけど」
「ネアン、何か悩み事でもあるの?」
真顔で尋ねたシャルにネアンは苦笑した。
「違う違う。私は掃除しに来ただけ」
「手伝おうか?」
「ううん。大丈夫。そんなに丁寧にしなくていいから」
「そっか」
シャルは階段に腰掛けた。疲れの見える顔で、小さく息を吐く。その様子を見たネアンは掃除機を置くとシャルの隣に腰掛けた。
「どうしたの?悩み事?」
今度はシャルが苦笑する。
「ううん。何でもない」
「そんなことないでしょ」
「え」
ネアンは意地悪く笑った。
「シャル君の顔は正直だから」
「……」
「私で良かったら悩み事聞くよ?」
シャルはうつむくと小さく言った。
「……世の道理って、知ってる?」
「うん。魔法使いの宿命のことだよね」
「そう。カーサ先輩はそれを覆そうとしてるんだ」
「世の道理を?」
「うん。自分も、どうしてもレイマン先輩を助けたいから、協力して2人で一緒に勉強してるんだ。だけど、何も進歩がないまま時間ばかりが過ぎていって……」
シャルは力なく笑う。
「同じ課の先輩に言われたよ。そんなこと無理だって。確かに、これだけ頑張ってるのに何も手がかりが掴めないままなんて、本当にそんなこと不可能なのかなって、最近思うんだ……」
ネアンは黙って聞いている。
「カーサ先輩も焦ってるんだ。だから自分は『焦ってもしょうがない。これだけ頑張っているんだから絶対道理を覆せる』なんて偉そうなこと言ったんだけど。でもそれは結局カーサ先輩を元気付けるための、根拠のない言葉で。……自分も不安なんだ。このまま何も進歩がないまま、終わっちゃいそうで……」
沈黙が流れる。
そこでゆっくりとネアンが口を開く。
「私ね、よくレイマンさんに買い物とかいろいろ付き合ってもらってるの」
「え?」
「それでよくいろいろな話を聞くの」
「いろいろな話?」
「例えば、レイマンさんがどうして世の道理を知ってまで魔法を使い続けているのか」
「どうして、魔法を使い続けているのか……?」
「聞いたことある?」
静かに首を横に振ると、ネアンは微笑んで話し出す。
「あっ、ふうせんが」
少女が手から離れた風船を掴もうと背伸びをする。だが、風船はもうすでに手の届かないところまで飛んで行った。
「ふうせん……」
残念そうに赤い風船を見上げ、諦めきれない少女はその幼い手を伸ばしたまま下ろそうとしない。まるで青空に吸い込まれて行くかのように遠のいていく風船を、潤んだ瞳が悲しそうに見つめている。
レイマンは杖を手に取った。
「春風の神よ。今一度我が杖に導かれたまえ」
杖を上から下に滑らかに振った。風向きが変わり、風船がゆっくりと降りてくる。そしてそのままレイマンの手へ戻った。レイマンはそれを少女に手渡す。
「もう手を離したらだめだよ」
少女はまるで花開いたような明るい笑顔で大きく頷いた。
「うん。ありがとう」
そして嬉しそうに駆けて行った。
その様子を微笑んで見ていたレイマンはゆっくりと歩き出す。すると、先程のレイマンの様子を見ていた見知らぬ男が声を掛けてきた。
「あんた、魔法使いなのかい?」
「ええ」
男は感心したように言った。
「すごいねぇ、自分の命を削ってまで他人を助けるなんて。大したもんだよ」
「自分の命を削る?」
男は目を丸くする。
「あんたまさか……世の道理を知らないのか!?」
「世の道理?」
「俺も昔魔法をかじっていたんだが、世の道理を知って恐ろしくなって魔法使いをやめたんだ」
「何ですか?世の道理って」
男は眉を潜めて言った。
「世の中に秩序を保ってそこにある万物を、この世の物ではない力で無理に変えてはいけない。それがこの世の古今不変の掟。それを破りし者は命を削り償うべし。それがこの世の古今不変の罰」
それを聞いたレイマンは目を丸くした。
まさか。
疑いの方が強かった。
「あんた、今何歳だ?」
「21です」
「それならまだ間に合う。今すぐ魔法を止めるんだ。でなきゃ魔法を使うごとにあんたは命を削られていく。いいな、早死にしたくなかったら今すぐ杖を捨てるんだ。絶対だぞ」
厳しく言って、男は去って行った。
レイマンはすぐに本屋に駆け込んだ。疑いが徐々に崩れていく。魔法の本を見ると、どの本にも男が言っていたことが書かれていた。
レイマンは愕然とした。
魔法を使い始めたのは子供の頃からだ。家にあった古い魔法の本を見つけ、魔法に興味を持ち始めた。そしてお金を貯め、古道具屋で杖を買って早速魔法を使い始めた。一度成功するとそれが楽しくて仕方がなく、以来魔法はレイマンの心を魅了し続け、彼は独学で魔法を学び続けた。今では練習の甲斐もあってすっかり上手くなっている。それゆえ、今までに使った魔法は数知れず。
本屋を出たレイマンは急いで家へ戻った。屋根裏をあさって子供の頃から魔法の教科書として愛用していた古い本を引っ張り出す。分厚い本だったが、何も見逃すまいと隅から隅まで目を通した。だが、世の道理のことなど何も書いていない。
ふと一番最初のページに戻ると、下が破れていることに気づいた。その破れている所のすぐ上に、見にくいが『世の道理』と書かれていた。
記憶が、一瞬にしてよみがえる。
幼い頃、ここが破れていることに気づき、ちゃんとその上に書いてある『世の道理』という言葉も読んでいた。だが、特別気にも留めていなかった。
それが、間違いだったのだ。
本を閉じたレイマンはふらふらと外へ出た。行くあてもなくボーっとしながら歩き続け、ふとガードレールに腰を下ろした。手中の杖を見つめる。所々についている傷が、長年自分が魔法を使ってきたことを物語っていた。
一体自分はどこまで命を削ってきたのだろうか。
レイマンは自分を嘲笑った。
「古今不変の掟と罰を知ろうともせずに愚かなことをした罰か……」
世の中に秩序を保ってそこにある万物を、この世の物ではない力で無理に変えてはいけない。
それがこの世の古今不変の掟。
それを破りし者は命を削り償うべし。
それがこの世の古今不変の罰。
誰かの笑い声が聞こえた。
『バカな奴』
ケラケラと高笑いしている。
『あの時に掟と罰さえ知っていれば、こんなことにはならなかったのに』
声はだんだん近づいてくる。
『無知は罪だ』
この声は、
『さあ、お前は一体あとどのくらい生きられるんだろうな?』
魔の声か――。
声の主が、真後ろに立った。
―さ あ、 お 前 は 一 体 あ と ど の く ら い し か 生 き ら れ な い ん だ ろ う な ?―
ざわめきが戻ってきた。笑い声は消えている。レイマンは自分の手が震えていることに気づいた。
死ぬのが、怖い。
死にたくない。
レイマンは杖を手放そうとした。
すると、すぐ近くで悲鳴に似た声が聞こえた。
「危ない!!」
声のする方を振り返ると一人の男が道路の方を見て叫んでいた。
男の視線の先を追う。そこにはボールを拾っている子供の姿があった。そしてそのすぐ後ろに、大型のトラックが迫っている。
レイマンの口が思わず動く。
その瞬間、杖の先が白く光った。少年へ向かって飛んでいく。光は少年を包み込むと、そのまま宙へ浮かせた。少年は空高く浮かび上がり、丁度その下をトラックが通り過ぎた。
光は少年を歩道に下ろした。少年は驚いたような顔をしている。そんな彼に周りの大人達は『いきなり飛び出すな』と厳しく叱りつけていた。
その時、レイマンはやっと自分が無意識に魔法を使ったことに気づいた。思わず苦笑が漏れる。
「だめだな……」
そして杖を見た。
「私には、お前を捨てられない」
レイマンは踵を返して歩き出した。
子供の頃から魔法を使ってきた。きっと命は残り少ないだろう。ならば、この命は誰か他の人の為に使おう。誰かを救う為にこの命が削られるのは、本望だ。
レイマンのつま先は、ラベル警察署へ向いていた。
ネアンは優しく言った。
「レイマンさん言ってたの、『こんな愚かな私でも誰かの命が救えるのなら、それほど嬉しいことはない』って」
シャルは目を見開いてネアンの話を聞いていた。
ああ、どうして。
どうして彼はそんなにも……。
ネアンはシャルを見てニコリと笑う。
「私も手伝うよ。世の道理を覆すの。買い物に行ったら帰り道に本屋さん覗いてみたりするね」
「本当?ありがとう。助かるよ」
「何か探してほしい本ある?」
「うん。『魔法と世の道理』っていう本があったら買っておいてほしいんだ。どこ探してもみつからなくて……」
「わかったわ」
その返事を聞いてシャルは勢いよく立ち上がった。
そして笑顔でネアンに言う。
「ありがとう。なんかその話聞いて落ち込んでなんかいられないってことに気づいたよ」
シャルは拳を握った。
「やっぱり、レイマン先輩みたいな人がそんな悲惨な死に方していい訳がない。落ち込んでる時間が無駄だ」
シャルは階段を駆け下りようとしたが、途中でネアンを振り向いた。その顔は満面の笑みだった。
「ありがとう。ネアンのおかげで元気出た」
ネアンも嬉しそうに笑う。
「ううん。頑張ろうね。あ、そうだ」
彼女はいたずらっぽく笑ってウインクをした。
「今日の晩御飯にはブロッコリーのサラダがあります」
シャルの頭に一瞬にしてカーサの嫌そうな顔が浮かぶ。
「カーサに、全部ちゃんと食べるように言っといて」
「うん。わかった」
ネアンと別れて部屋へ走る。駆け込むとベッドで寝ていたカーサを叩き起こした。
「カーサ先輩!そうやってふてくされて寝てる時間がもったいないですよ!何か行動しなくちゃ何も変わらないんだから」
大声で言われてカーサは不機嫌そうに目を開けた。
「は?何だよいきなり」
「時間がないんです。研究再会しますよ」
「何かあったのか?いきなり元気だぞ、お前」
カーサはベッドからゆっくりと出て言った。シャルはニッと笑う。
「内緒です」
「は?」
シャルは本を開いた。
「先輩、魔法を使うことによって、悪魔がその人の命を削ってるんですよね?」
「ああ、本当かどうかは知らねぇけど悪魔が魔法使いの命を食うんだ。本の挿絵にあっただろ」
シャルは腕組みをして唸った。
「だったら、悪魔は世の道理を破った者を罰する者っていうことになりますよね。……でもそれならいい人っぽくないですか?悪魔なんてマイナスのイメージなのに」
「確かにそうだな……」
「……そういえばあの挿絵の悪魔、すごく嬉しそうな顔してませんでした?」
「ああ。まるで、それこそが一番の至福とでも言わんばかりの……」
「だったらやっぱり、悪魔はマイナスイメージになりますよね。人の命を食べるのが至福だなんて。それなのに世の道理を破った者を罰するなんて良い人っぽいことするんでしょうか?」
シャルはハッとした。
「もしかして、悪魔は誰かに命令されているんじゃないんですか?」
「誰かって誰だよ」
「分からないですけどもっと、世の道理を守ろうとしている……例えば神様とかそういう大きな存在に、世の道理を破った者を罰する役目として悪魔たちは使わされている、みたいな」
「神……か」
「考えられませんか?」
「でもそれが本当とは限らねぇぜ。魔法使いの命を削るのは悪魔だと言ったが、それはあの挿絵からの推測にすぎない」
「でも、魔法は魔界の力っていうのは事実なんですよね?それだったら、魔法っていうもの自体神秘的な物なんだから神様とかそういう存在がいてもおかしくないんじゃないですか?」
その後もシャルとカーサの討論は続いた。
やがて日も完全に落ちた頃、レイマンが部屋へ帰ってきた。
「あ、お帰りなさい」
出迎えた二人にレイマンは目を丸くした。
「なんだ、まだ夕食に行っていなかったのかい?」
「え?」
二人は揃って時計を見た。針は七時半を指している。
「うげ、もうこんな時間かよ」
「うわぁ……全然気づかなかった」
「なんか飯食ってないって思ったら急に空いてきたぜ」
「じゃあ、食堂に行きますか。レイマン先輩も一緒に行きましょう」
「ああ。すぐに支度するよ」
レイマンは杖を置いてローブから私服に着替えた。
「待たせたね」
「いいえ」
笑顔で答えたシャルは、既にドアを開けて歩き始めていたカーサに言った。
「あ、今日の晩御飯はブロッコリーのサラダがあるそうですよ。ネアンがカーサ先輩にちゃんと全部食べるようにって」
「てめぇ、そういうこと飯楽しみにしてる時に言うなよな」
睨んでくるカーサの視線を交わし、シャルは笑いながら彼を抜いて食堂へ駆けた。
レイマンはそんな彼らの様子を穏やかに笑って見ていた。