-He who laughs last laughs best-
二十三章 -He who laughs last laughs best-
レイマンの葬式があった日の翌朝。人々は昨日のことなどまるで嘘のように忙しく仕事へ行く支度をしていた。中にはもうすでに署へ向かった者もいる。そんな騒々しさの中、ディーズとヴァウェルはいつものように食堂の長テーブルで朝食をとっていた。すると、前の席にシャルとラウナルが立った。
「ここ、いいですか?」
シャルが尋ねると、ディーズは頷きながら返事した。
「ああ」
「ありがとうございます」
シャルはディーズの前、ラウナルはヴァウェルの前にそれぞれ座る。席に着くなり、シャルは大きなため息を一つついた。それを聞いたラウナルは横目でシャルを睨む。
「なんや、せっかくこれから飯やっちゅう時にそないなため息つきよって」
「だって……人が一人死んだんですよ。それなのに昨日のことなんて嘘みたいに皆……」
ラウナルは肩を竦めた。
「あんた、知らんやろ」
シャルがラウナルを見上げると、彼は前を向いたまま言った。
「あんたがここに入ってからも、葬式が何回かあったんやで」
「……」
「それやのにあんたは忙しそうに毎日仕事しとった」
「でもそれは知らなかったから……」
「例え知ってたとしても、他人やさかいかわいそうやなて思うだけで、それ以外はいつもと何も変わらんのとちゃうか?」
「……」
「ここで忙しくしてる奴らの中には、実際レイマンとは全く関わりない奴の方がぎょーさんおる。そういう奴らもシャルも、結局一緒や」
「……じゃあ、レイマン先輩と関わりのあった人はどうなんですか?そういう人達もやっぱり何事もなかったみたいに」
「そういう奴らは、ただ警官としての任務をこなそうとしとるだけや」
ラウナルはパンをほお張った。
「仕事に私情は無用や」
「でも……」
「あんた、犠牲者増えてもええんか?」
シャルは首を傾げながらラウナルを見上げる。
「俺らは警官や。市民の安全を守らなあかん。警官が仕事せえへんかったら市民はどうなんねん。殺人事件の犯人を捕まえんと、野放しにしてみい。犠牲者がどんどん増えてくかもしれん」
シャルはうつむいた。
「俺らは、人の為に仕事してるんや」
「……」
沈黙の流れたそこに、ヴァウェルの鼻を鳴らす音が聞こえる。
「貴様もたまにはマシな事を言う」
ラウナルは口を尖らせた。
「何言うてんねん。俺はいつでも真面目なこと言うとるわ」
しかしそれ以上ヴァウェルは口を開かなかった。再び沈黙が流れて静かな朝食は着々と進んでいく。するとそこに、明るい声が響いた。
「おはようございます」
シャルは振り向いた。ネアンだ。片手に空のグラスを一つ持っている。
「おはよう」
返事をしたディーズにネアンは少し顔を赤らめた。そしてそれをごまかすように言った。
「このメンバーってなんだか珍しいですね」
「そうか?しょっちゅうやと思うけどな」
「でもいつもはもっと人数が多かったような……」
そう言った後、ネアンは慌てて口元を手で押さえた。そしてふと首を傾げる。
「そういえば、カーサはどうしたの?」
シャルは心配そうな顔をする。
「まだ、部屋にこもりっきりなんだ。さっきも様子を見に行ったんだけど、返事ないし開けてくれなくて……」
「そう。でも、昨日から何も食べてないのよね?後で朝食を持って行くわ」
「うん。ありがとう」
「それはそうと、そのグラスどうしたんだ?」
ディーズがネアンの持っているグラスを指差しながら聞いた。
「私いつも、朝は必ず朝日を見るっていう日課があるんです。それでさっき屋上に行った時に見つけたんです。ポツンと一つだけ置いてあって……。中身何も入ってなかったんですけど」
ディーズとヴァウェルは思わず互いに顔を見合わせた。
「……」
2人とも呆然とした顔をしている。しかしそのすぐ後、2人は突然大声で笑い始めた。シャルやラウナル、ネアンはポカンと彼らを見つめていた。笑い声は、暫く止まなかった。
それから数日経った頃だった。ディーズが交通課の部屋でシャルに向かって言った。
「今日はモカとパトロールしてくれ」
「はい。わかりました」
「ただ、あいつもお前も免許持ってねぇから歩きで頼む」
「あ、歩くんですか?」
そんなパトロールは初めてである。
「ああ。範囲は狭くしておいた。詳しいことはモカに聞け。じゃあ俺は用事があるから行くぜ」
「あ、はい」
ディーズは忙しそうに部屋から出て行く。部屋に残ったのはモカとシャルだけだった。モカは微笑んだ。
「パトロール、行きましょうか」
「はい」
シャルは帽子を取って立ち上がった。署の外へ出て、指定されたルートを歩き始める。
「モカ先輩とパトロールって初めてですよね」
「パトロールはパトカーで行うのが基本なので、免許を持っていない者同士がペアになることはほとんどありませんからね。今日は皆さん用事や非番で私とシャルさんしか残っていませんでしたから」
「先輩って、免許持ってないんですね」
モカは苦笑した。
「取れないんです」
「え?」
「何度も試験は受けたんですよ。筆記はいつも満点なんです。でも、いつも実技で落ちてしまって……」
シャルは控えめに笑った。彼女ならありえる、と思ったのだ。
するとところで、とモカが話を変えた。
「カーサさんはあれからどうしておられますか?」
シャルはうつむいた。
「まだ部屋から出てこないんです。ヘルパーの子が毎日欠かさず食事を持って行ってるんですけどドアを開けてくれないらしくて……」
「心配ですね……」
「はい」
それからしばらく歩き、大通りに差し掛かった時だった。
「誰かそいつを捕まえてくれ!銀行強盗だ!」
男の叫び声が聞こえてシャルとモカは振り向いた。こちらへ男が走ってくる。黒いニット帽をかぶり、サングラスとマスクで顔が隠れている。手には大きなバックを持っていた。男はシャルとモカの間を強引に通り過ぎた。モカが男とぶつかって倒れる。
「大丈夫ですか?」
「私は大丈夫です。早く追ってください」
「わかりました」
シャルは得意の俊足で駆け出した。犯人は金を持って走っているせいか、さほど速くはない。これならすぐに追いつけるだろう。そう思っていた時。男は急に立ち止まって、近くにいた女を無理やり引き寄せた。
「きゃっ」
悲鳴を上げた彼女の首に銀色に光る刃が添えられた。
「動くな!」
男が叫ぶ。シャルはピタリと立ち止まった。犯人は続ける。
「お前ら、そこから一歩も動くなよ!」
「くそ……」
犯人は女を捕まえたまま後ろに下がりだした。そのまま逃亡を図ろうというのだ。
しかし、数歩下がった男の背は何か壁のようなものにぶつかった。犯人は後ろを振り向く。そこには彼よりもずっと背の高い、体格のいい男が立っていた。
「てめぇ、どっか行きやがれ!この女がどうなってもいいのか!」
犯人が叫ぶと、2メートルはあるだろう、その長身の男は思い切り彼を睨み返した。
「お前、俺の女に手ぇ出して無事に帰れると思うなよ」
「あ?」
長身の男はすばやく犯人の右手を掴んだ。力を入れれば男は悲鳴を上げる。その手が緩みナイフが落ちた。しかし長身の男はそこで犯人を解放するなどという甘いことはしなかった。犯人の体を反転させ、みぞおちに膝でケリを入れる。
「ぐあっ!」
犯人が呻き声を上げて崩れる。そこを長身の男が胸倉を掴んで顔を上げさせた。
「口閉じてな」
彼はニヤリと笑う。
「舌噛むぜ」
そして右手で犯人の顎に、下から拳を入れた。犯人は一瞬宙に浮いたかと思うとそのまま仰向けに倒れる。
シャルは呆然と立ち尽くしていた。すると長身の男がシャルに向かって言った。
「なにやってんだよ。手錠ねぇのか?」
シャルは慌てて犯人に駆け寄って手錠をかける。そして男に敬礼をしながら言った。
「ご協力、ありがとうございます」
続いて女に向かって尋ねた。
「大丈夫ですか?怪我はありませんか?」
つい先ほど人質に取られていたというのにも関わらず、女は怖がってなどいなかった。むしろ目を輝かせていた。
「パルスすっごぉい!」
「……え?」
女は男に向かってニコニコ笑いながら両手を合わせた。
「すっごく格好よかったよ!やっぱり警察官だね」
「……え?」
シャルは目を丸くしながら女と男を交互に見やった。すると男はシャルの制服のボタンを見ながら言った。
「なんだお前、ラベル警察署の交通課か」
「え?あ……はい」
男はニッと笑った。
「俺はパルス・リコルド。今日は非番だが、ラベル警察署取調べ課に所属してんだ」
「警察署の方だったんですか」
「ああ」
そこでパルスは女を引き寄せた。
「で、こいつが俺の彼女のユマ・エスタ」
ユマは柔らかく微笑む。
「よろしくお願いします。いつもパルスがお世話になってまぁす」
「い、いえこちらこそ……って今初めてお会いしましたけど」
そこでやっとモカが追いついた。
「シャルさん、犯人は……」
「あ、パルス先輩が捕まえてくれました」
「え?」
シャルの隣で止まったモカはすぐそこで気絶している犯人を見た。その後パルスを見上げる。彼はニッと笑う。
「お勤めごくろーさん」
モカは慌てて敬礼をした。
「こちらこそ、ありがとうございました」
パルスは軽く肩をすくめる。
「まったく、非番の日まで仕事絡んでくるなんて思わなかったぜ」
「申し訳ありません」
「いいさ。じゃ、しっかりやれよな」
パルスはシャルの肩をポンと叩いた。
「新米」
「あ……はい!」
2人が去った後、シャルは署へ連絡して犯人を連行する助けを呼んだ。
レイマンの葬式から、1週間。シャルは寮の廊下で険しい顔をしているクルと出会った。
「クル先輩!」
シャルは彼に駆け寄った。
「お久しぶりですね」
「ああ」
「どうしたんですか?確か、2週間のはずじゃ」
クルはシャルの問いかけには一切答えなかった。その代わり、逆に問い返してきた。
「カーサはどうした」
シャルは思わず黙り込む。クルは鋭い視線で前を見た。
「部屋か」
そしてスタスタと歩き出す。
「あ、先輩」
シャルはクルを追いかけた。
「どうせ開けてくれませんよ。カーサ先輩だって相当ショックだったんですから、今はそっとしておきましょう」
シャルが何を言おうとも、クルはただ一心に前を見て歩き続けた。その瞳には、怒りの色が見えた。
部屋の前に着く。ドアの脇にあるルームメイトの名札を一瞥する。そこには3つ、名前が連ねられていた。一番下にはシャル・レンダー。真ん中にはカーサ・レブン。そして、一番上には、
レイマン・ダラーダ
もしルームメイトの誰かが死亡もしくは警察署を辞めた場合、その人の葬式が終わるあるいはその人が警察署を出て行った時にその人と同室の者が名札を外さなければならない。
クルは舌打ちをした。そしてドアを叩くようにノックする。
「おい、いるんだろ。開けろ」
返事はない。まるで誰もいないかのような静寂。クルはカッと目を見開いた。
「開けろって言ってんだよ!」
どんなに叫んでも、変化は何もない。クルはドアから離れるとぐっと拳を握った。
「先輩、何する気ですか」
「決まってんだろ。向こうが開けねぇならこっちから開けてやる」
「ちょ、ちょっと」
クルはドアに向かって体当たりをした。ドアはビクともしない。しかし構わずクルは何度も何度もドアにぶつかっていった。やがて鍵が壊れてついにドアが開く。
シャルは、1週間ぶりにカーサの姿を見た。ベッドにひざを抱えてうずくまっている。クルがドアをぶち開けたにも関わらず、虚ろな瞳でどこか遠くを見ていた。
クルはズンズン中へ入っていく。そしてカーサの目の前に立った。カーサは彼の目を見ようともしない。クルは思いきり睨みつける。
「てめぇ、仕事もしねぇでまだこんな所にいやがったのか」
カーサは反応を示さない。
「署でも寮でも、お前の噂で持ちきりだ」
「……」
「あの日から、一度も部屋から出てないって」
「……」
「葬式にも出ねぇで」
そこでやっと、小さく、小さくカーサが口を開いた。
「レイマンは……死んでねぇ」
小さく、独り言のように。
「まだ生きてる」
クルは怒鳴り声を上げた。
「現実逃避もいい加減にしろ!レイマン先輩は死んだんだ!」
クルは拳を握り締め、カッと目を見開いた。
「俺が殺したんだ!!」
シャルが部屋の外で悲しそうに目を細める。
「先輩……」
カーサはクルの目を見ずに言った。
「レイマンは死んでねぇ。今もどっかで生きてる……。そのうち、帰ってくるんだ」
「ならてめぇは何でいつまでもそうやってここにいるんだ」
クルはギロリとカーサを見る。
「レイマン先輩が死んだってわかってるからだろ」
カーサは目を見開いてクルを見た。
「違う!!レイマンは死んでない!」
クルはカーサの胸倉を掴んで自分の方へ引き寄せた。
「てめぇは葬式に出てねぇから知らないだろうが、レイマン先輩はあの日魔法を使う前に皆に伝えてくれって言ったんだ」
『ありがとう。楽しかった』
カーサはクルから目を背けた。
「レイマン先輩があの日、自分の命に代えて魔法を使ったのはそうやって現実逃避して動かねぇ奴のためじゃねぇ」
クルは掴んでいるカーサの服を一層キツク握る。
「俺も、お前も、シャルも」
声を荒げる。
「ラベル市内に住む全員が笑ってられるようにする為だ!」
怒鳴りながら、彼を突き放した。
「警官ってのはなぁ、仲間の死をも乗り越えて市民の安全を守らなきゃなんねぇんだよ」
「……」
「どんなに親しかった仲間が死んでも、俺達は悲しみに打ちひしがれて現実逃避してる暇なんかねぇんだよ」
カーサはクルを見ようとしない。
「てめぇがそうやって何もしないでいる間に、多くの人が事件に巻き込まれ、傷つき、死んでいってんだ」
静かな部屋の中で、クルの声が重く響く。
「俺達は、警官なんだ」
「……」
カーサは微動だにしない。クルは彼に背を向けた。
「それがわからねぇ奴はさっさとここ辞めて出て行け」
そしてそのまま部屋を出た。
「……先輩」
シャルはカーサとクルの姿を交互に見て、どうしようかとオロオロしていた。すると、廊下の向こうから歩いてきたラウナルが笑いながら手を上げた。
「何してんねや?」
「あ、ラウナル先輩」
「お?開かずの扉が開いてるやんけ。ついにカーサのお出ましってか?」
ニヤニヤ笑いながら歩いてきたラウナルに、シャルはうつむいた。
「違うんです」
「あ?」
「これは、クル先輩が無理やり開けたんです」
「ほお……。まぁ、何でもええわ。ちょっと覗かせてもらうで」
「あ、先輩」
止めるシャルを無視してラウナルは部屋の中を覗き込んだ。ベッドの上で、カーサは頼りなさそうに座っていた。クルに突き放されたままの姿で、やはり呆然とそこにいる。
「よお、カーサ。久しぶりやな」
ラウナルは部屋の中に入ってカーサの前でしゃがんだ。カーサは動かない。何も反応を示さなかった。その姿、その目を見てラウナルは低い声で言った。
「あんた、自分から逃げてへんか?」
一瞬、カーサの瞳に動揺の色が差した。ラウナルは肩をすくめる。
「何の根拠があるってわけでもあらへんけど、何となくな」
「……」
「そんだけや」
ラウナルは立ち上がると部屋を出る。シャルの肩をポン、と叩いた。
「ほら、行くで。仕事や」
「あ、はい……」
2人はカーサを残してそこから去った。廊下を出てしばらく行くと、シャルはラウナルを見上げた。
「先輩は、レイマン先輩が亡くなられたのは、カーサ先輩のせいだと思ってるんですか?」
「なんでや?」
「さっき、自分から逃げてるって……」
「ちゃうちゃう。あれはカーサが、レイマンが死んだんは自分に非があるて心のどっかで思てるやろうけど、それを認められへんでいるんちゃうか思て言っただけや。あんな状態の奴にあんたのせいやない言うても意味ない思たからな」
「でも、それじゃあカーサ先輩はずっと自分を責め続けてしまうんじゃ」
ラウナルはボーっと前を見たまま言った。
「俺は、レイマンが死んだ『きっかけ』は、スウェートのせいや思てる。せやけど、非があったんは、俺ら警察官やろな」
シャルはうつむく。
「今回のことで、自分を責めるんは間違いやない思てる。まぁ、レイマンはそないなこと望んでないと思うけどな。せやけど、俺ら警察官には確実に非がある。大切なんは、そこでちゃんと前を見て、正しい道を進めるかや」
「……そうですね」
2人が去った後、カーサはしばらくそこにいたが、やがてふらりと立ち上がった。そして、頼りない足取りでふらふらと部屋を出た。
そのまま何にも目をくれず、どこか遠くを見つめながら外へ。向かったのは、墓地だった。数多くある中で一番新しい墓石の前に立つ。そこに刻まれた名。
レイマン・ダラーダ
カーサは小さく呟いた。
「あの時、あいつに捕まりさえしなければ……」
拳を握る。あの時の、暗号の裏に隠された言葉。
『TIME OVER』
―――時間切れ
スウェートは最初からクルが狙いだった。最後の爆弾は、クルを殺すために作られた物だったのだ。だから、例えどれだけ急いで爆弾の隠された場所に向かったとしても、どんなにがんばったとしても、最初から間に合わないように計画されていた。自分はそれに気づいた。だが、真実を告げる前に気を失って……。そして、最終的に人が一人死んだ。
「あの時クル先輩に、暗号の裏に隠された真実さえ伝えられていれば……」
その声は頼りなく、弱々しい。
「レイマンは死なずに済んだ」
自然に、体が震えだした。
「レイマンを殺したのは―――」
小さく口を開いた時だった。
「もう、やめてくれない?」
厳しい声がした。振り向くとマシェンヌが立っていた。手にはどこからか摘んできたと思われる小さな花がある。
彼女はカーサの隣にしゃがむとその花を供えた。墓を見つめながら、彼女は言った。
「レイマンはあいつが殺したとか、自分が殺したとか、いい加減やめてよ。レイマンは誰にも殺されていないわ」
「……」
うつむいたカーサの横目に、キラリと何かが光る。ふとそちらを見ると、マシェンヌの左薬指に銀色の指輪が輝いていた。
「その指輪……」
呟くようにカーサが言うと、マシェンヌは微笑んだ。
「きれいでしょ?あの日、レイマンにもらったの。結婚指輪よ」
「ずっと、つけとくのか?」
「レイマンにも言われたわ……」
マシェンヌは立ち上がった。そして穏やかに微笑んでレイマンの墓を見る。
「そうね、もしもこの先、レイマンよりもずっと素敵な人がいて、その人が私を惚れさせちゃったら、私はこの指輪を外すわ」
優しく指輪に触れる。
「でもきっと、私はこの指輪を外さない」
彼女はニッコリと笑う。
「レイマンよりずっと素敵な人なんて、いる気がしないもの」
マシェンヌはとても幸せそうだ。カーサは心底不思議に思う。
「なんで……なんでそうやって笑えるんだ?」
マシェンヌはなんでもないという風に答えた。
「だって、これがレイマンが魔法使いでい続けた理由じゃない」
「……」
不思議そうな顔をするカーサにマシェンヌは優しい笑顔で、
「皆がずっと笑ってること」
彼女の笑顔とその言葉に、カーサは一瞬にしてレイマンの姿を思い浮かべた。
「レイマン……」
その呟きが聞こえたかは分からないが、マシェンヌは再び墓を見た。
「確かにレイマンが死んでしまったことは悲しいけれど、そうやって皆が泣いていたら誰がレイマンを快く天国に送ってあげるの?レイマンは皆が笑っていられるように魔法を使ったのよ。それなのに皆泣いていたらレイマンはきっと後悔して悩んでしまうわ」
「……」
「レイマンがそうなってるって思うと泣いてなんかいられない」
マシェンヌは穏やかな口調で続けた。
「あの人が望んだように、あの人が願ったようにしたいの」
彼女はカーサを見る。
「それが、レイマンがいなくなった今できる唯一の恩返しだから」
その顔は、本当に幸せそう。
「あの人が笑う時って、どんな時か知っているでしょ?」
ニコリと、彼女は笑う。
「ね?」
カーサの目から、涙が溢れた。
「……っ」
レイマンの墓の前に崩れるように膝をついて、両手で芝生の草を掴んだ。
「ごめん、レイマン。……ごめん」
やがてカーサは顔を上げ墓を見た。そして、微笑む。
「ありがとな」
涙は止まらない。
そのまま時はゆっくりと流れていった。ふと、カーサは立ち上がってマシェンヌに向き直る。
「ありがとう。俺、午後から仕事に行ってくる」
「あら、今すぐじゃないの?」
カーサは小さく頷いた。
「謝って、礼を言わなきゃなんない人がいるから」
マシェンヌは微笑んだ。
「そう」
カーサは寮に戻り、部屋の前に立った。そしてドアの脇にあるネームプレートを見る。
「さよなら、レイマン」
レイマン・ダラーダと書かれたプレートを、ゆっくりと外した。そして警察署へ向かってしっかりとした足取りで歩いて行った。