-Lie man-
二十一章 -Lie man-
「総監、スウェート・ラビアを逮捕しました!」
「そうか」
警官から報告を受けたローエルは何の感情もなくそう言うと、車に乗り込んだ。
「全て終わった。皆署へ戻るよう伝えろ」
「はっ!」
指示を受けた警官はそれぞれの課の班長に伝えるべく方々へ走った。ディーズの元にも指示が来て、彼は交通課のメンバーを招集すると署へ戻るように言った。
パトカーの中で、シャルはレイマンが死んだことを伝えられた。悲しみはあっても、不思議と驚きはなかった。自覚はなくとも、やはりあの時にどこか覚悟はしていたのだろう。そう思うと、彼が死んでしまう前に礼を言えて良かったと思った。
署へ着き、パトカーから降りると怒鳴り声が聞こえた。
「てめぇのせいだ!!」
驚いて声のした方を向くと、カーサが一人の男の胸倉を掴んでいた。その男の顔は、指名手配の写真で覚えている。スウェート・ラビアだ。恐らく署へ連行されてきたところをカーサが見つけたのだろう。
カーサの様子を見る限り、彼にもレイマンのことが伝えられたらしい。傷口が開いたのか、彼のズボンに血が滲んでいる。
だがカーサはそんな痛みなどまったく気にもせず、必死に止める数人の警官を振り切って、スウェートの頬を思い切り殴った。
「てめぇのせいだ!!」
カーサはスウェートを殴り続ける。シャルは止めに入ろうとそちらへ駆け寄った。だが、その前にカーサを制する者がいた。
「そのくらいにしとけ」
クルだった。署の中から出てきて、カーサの右手を掴んだ。カーサはスウェートを放し、今度はクルの胸倉を掴む。そして怒鳴り声を上げた。
「てめぇ……時間があるなら望みが無くても解除しろよ!お前が解除してたらレイマンは魔法を使わずに済んだかもしれねぇんだぞ!!」
クルは何も言わずに黙っていた。悔しそうに唇を噛んでいる。拳に力が入った。
カーサは更に声を荒げる。
「お前が……お前がレイマンを殺したんだ!!」
その言葉にシャルは思わず止めに入った。
「先輩!」
しかしカーサにはもう何も聞こえていない。怒りを露にして叫び続ける。
「人殺し!!」
カーサは拳を振り上げた。すると2人の間にマシェンヌが割り込んだ。
「止めて!!」
「……マシェンヌ」
彼女はカーサを見つめ、必死な顔をして言った。
「止めて。お願い」
「……っ」
カーサはクルを突き放すとそのまま寮の方へ向かって走っていった。スウェートは不敵に笑う。
「なんだ、誰か死んだのかい。俺の爆弾のせいで」
クルは冷たい視線をスウェートへ向ける。しかし構わず彼は続けた。
「なぁ、レイマンって誰なんだい。クル、レイマンとかいう人は、一体どんな最期を」
「黙れ」
クルは思い切りスウェートを睨みつけた。その瞳は憎悪でギラギラと光っている。それにはさすがにスウェートもたじろいだ。クルはそのまま低い声で言った。
「レイマンからお前に伝言だ。『お前の爆弾による死者はゼロだ』」
スウェートはハッと笑った。
「なんだいそれは。君がかわいそうだからってそういうことを言ったのか?全く、レイマンとかいう人はおかしな人だね」
マシェンヌの体が震えている。スウェートは続けた。
「まぁ、どっちにしろこのゲームは俺の勝ちだ。だってそうだろ?君は死者を一人出してしまったんだから」
その瞬間、クルはスウェートの顔を掴むように口を塞いだ。
「黙れって言ってるんだ」
頬に爪を立てる。
「勝利が欲しいならくれてやる。こんなくだらないゲームの勝敗なんてどうでもいい」
スウェートは不敵に笑う。
「負け惜しみかい?」
クルはカッと目を見開いた。口を塞ぐ手に力が入る。その時、肩を誰かに叩かれた。振り返るとラウナルが立っていた。
「先輩……」
ラウナルはクルを下がらせると不敵に笑う。
「スウェート・ラビアいうたな。よくもあっちこっちに工事中の看板立てて騙してくれたな」
「君はたしか、ラウナル・イオンだね」
「ほぉ、よお知っとるやないか。ま、なんでもええけど、あんたちょっとお寝んねしてもらうで」
その瞬間、ラウナルはスウェートの頭を掴み、腰を折らせてみぞおちを膝で蹴り上げた。急所をやられたスウェートは気絶してしまう。ラウナルは彼を捕らえていた警官に言った。
「早よ連れてけ」
クルはうつむいたまま小さく言った。
「すみません」
「気にせんとき。今のは、レイマンの分や」
「……」
沈黙の中、悲しいほど紅い夕日が西へ沈もうとしていた。
それから、寮の裏にある墓地でレイマンの葬儀が開かれた。ここに並ぶ墓はラベル警察署の者たちの墓で、家族がいなくて入るべき墓がない者や、ここへ入ることを希望する者たちが葬られる。レイマンは生前、もしも私が死んだらここに入れてほしいと言っていたので彼の意見に従い、そうすることになったのだ。
葬儀には、レイマンと関わりのあった者や、関わりは無くとも身をもってこのラベル警察署と寮、そして街を守ってくれたことに感謝する者たちなど多くの者が出席した。しかし、そこにカーサの姿は無かった。シャルは葬儀に行く前にカーサを誘おうと思ったのだが、とてもそのような雰囲気ではなかった。一人部屋に閉じこもり、ルームメイトのシャルですら入れないのだ。仕方なくシャルは遅れる前に、と一人で墓地へ向かった。
どんよりと曇った空の下、多くの人に見守られながら、レイマンは土の中へ葬られた。皆、敬礼をしてレイマンに無言で想いを伝える。シャルもピシ、と背筋を伸ばしてしっかりと敬意を示した。周囲で、いくつもの泣き声が聴こえる。すると、ふとシャルの隣にいたルルが空を見上げた。悲しそうに、寂しそうに彼女は呟いた。
「空が、泣いてる……」
彼女を見たシャルは顔を上げた。その目尻に、ポツリと空の涙が落ちた。それはこめかみの方へ伝っていく。
「空が……」
ルルの声は震えている。シャルは左手で彼女の肩をそっと抱き寄せた。
レイマンの埋葬が済むと、彼の墓前にクルが立った。ゆっくりとこちらを振り向く。彼は、泣いていた。しかし、まるでレイマンのように明るく笑った。
「今までありがとう。楽しかったよ」
それが、レイマンからの伝言であることは皆わかった。だから、辛かった。皆次々とその場に泣き崩れる。
クルはレイマンを振り向いて敬礼をするとそのまま署の方へ向かって歩いていく。
空は泣くことを止めない。
遠くで、鳥も泣いていた。
木も、風も、草花も。
皆、哀しみの声を上げて泣いた。
その夜、シャルは寮の階段にいた。10階から11階までの階段には誰もいなく、やはり今日も静寂を保っていた。沈んでいる日は、いつもここでいろいろと考えるのだ。だが今日は何も考えられない。ボーっとしていると、階段の下から声をかけられた。
「シャル君?」
ふとそこを見ると、ネアンがいた。
「ネアン……」
「やっぱり、ここにいたんだ」
「うん」
ネアンは隣に座った。2人はしばらく黙っていたが、やがて口を開いたのはシャルだった。
「僕、わかっていたんだ。レイマン先輩が最後の命を使ってクル先輩を助けに行くことを。だから、レイマン先輩が来た時『ありがとうございます』って言った。……でもあの時引き止めていたら、何か変わっていたのかな」
シャルは膝の上で組み合わせた手をぎゅっと握った。
「レイマン先輩は、死なずに済んだのかな」
ネアンは少しの間黙って、ふとシャルを見た。
「ねぇ、シャル君」
シャルはネアンに顔を向ける。彼女は穏やかな顔をしていた。
「この前ここで、シャル君が世の道理を覆そうとしてたけどなかなか前に進めなくて、落ち込んでいた時あったでしょ?」
「うん」
「あの時私、シャル君に言ったよね。どうしてレイマンさんが掟と罰を知っても魔法を使い続けるのか」
「うん」
「あれ、覚えてる?」
『こんな愚かな私でも誰かの命が救えるのなら、それほど嬉しいことはない』
その言葉を思い出し、シャルはハッとした。ネアンはゆっくりと前を見る。
「悲しいよね。そんなに優しい人がこんな残酷な人生を生きたなんて」
しかし、彼女は優しく微笑んだ。
「でも、そんなに優しい人だからこそ、レイマンさんはこれで良かったんだと思うよ」
「……」
「私達には残酷で悲惨なことと思うかもしれないけれど、レイマンさんにとってはそうじゃない」
「……」
「例えシャル君が引き止めたとしても、結果は何も変わらなかったと思うの。だって」
ネアンはもう一度シャルを見て笑った。
「レイマンさんだもん」
シャルは苦笑する。
「そうだね」
ネアンは穏やかに微笑んだ。
「これを教えてくれたの、ヴァウェルさんなんだよ」
「え?」
「私がレイマンさんに魔法を使って助けてもらって、自分のせいで命を削っちゃったって、すごく落ち込んでた時あったでしょ?あの日、私も今日のシャル君みたいにここで落ち込んで泣いてたら、この上で本を読んでたヴァウェルさんにうるさいって怒られちゃったの。事情を話しても友達のはずなのに全然レイマンさんのことを心配してなさそうだったし、その時はヴァウェルさんのことひどい人だなって思った。でも、今日レイマンさんがクルを助けに行ったって聞いた時、ヴァウェルさんが言ってた意味がわかったの」
ネアンの表情は穏やかだ。
「あの人すごいね。長いことレイマンさんと友達だったからかもしれないけれど、ちゃんと理解してた」
「そっか……」
シャルは天井を見上げる。
「僕も、それぐらいもっと、レイマン先輩と仲良くなりたかったな……」
部屋のドアがノックされた。こんな時に来客か、とディーズは内心うんざりしながらもドアの奥の誰かに言った。
「どうぞ」
ドアがゆっくり開く。そこにいたのはヴァウェルだった。
「ちょっと付き合え」
そう言って彼は右手に持っていたウィスキーのボトルを軽く振った。左手にはグラスが2つ。ディーズは軽くヴァウェルを睨む。
「こんな時によく酒なんか飲めるな。第一俺はまだ未成年だぞ」
「このグラスはお前のじゃない」
「は?誰のだよ」
「いいから付き合え」
そう言ってヴァウェルは歩きだした。ディーズはゆっくり立ち上がって彼の後を追う。寮の屋上に出た。雨はもう随分前に上ったのか、タイルは乾いていた。正面に大きな満月が、暗闇の中に浮かんでいる。その光は強く、2人の影をくっきりと映し出した。
ヴァウェルは月の方を向いて座り、右脇にボトルとグラスを置いた。ディーズはそれを挟んでヴァウェルの横に座る。ヴァウェルはウィスキーを一つのグラスに注いで飲み始めた。長い沈黙が流れる。この沈黙が、悲しさを誘った。ディーズは隣で悠々と酒を飲むヴァウェルを睨む。
「なあ、ヴァウェル。お前さ」
ヴァウェルはこちらを見ない。ただ満月を見上げてグラスを傾けている。ディーズは更に彼を睨んだ。
「悲しくねぇのかよ」
ヴァウェルは静かに答えた。
「悲しいさ」
ディーズはすぐに反論する。
「嘘だ」
「なぜそう思う」
「大事な友達が死んだってのに、泣いてねぇじゃねぇかよ。今も、葬式の時もだ」
ヴァウェルは薄っすらと笑みを浮かべた。
「悲しいが、泣けないんだ」
「何でだよ」
「レイマンが、笑っていたからな」
「……え?」
ヴァウェルはもうひとつのグラスにウィスキーを注いだ。それを、ディーズと自分の間の前に置く。自分のグラスを上から掴んで、前に置いたそれにコツンと当てた。そして一気に飲み干した。グラスを口から離す。
「レイマンは、ずっとレイマンでい続けた」
「……」
「俺が以前、ここであいつに訊いたんだ。『魔法使いは止めないのか』と。そしたらあいつは」
『それは私が死ぬことと同じだよ』
「と言ったんだ」
「……」
「そして、嘘をついてばかりのあいつに『俺達に笑ってほしかったら、お前が心から笑え』と言った」
ディーズはレイマンの最後の笑顔を思い出す。明るくて、温かくて。幸せそうな笑顔だった。
ヴァウェルは満足そうに言った。
「あいつは最後に、心から笑って逝った。レイマンのあんな笑顔、久しぶりだと思わないか?」
「ああ。あんなに幸せそうに笑ったところ、最近は見てなかったかもな」
「だから、あの本物の笑顔を見せられたら、例えあいつが死んでも泣けない。それにあいつは、今頃天国か地獄で悲しんでるんじゃないか?」
「え?」
ヴァウェルはふっと笑ってディーズを見た。
「お前らが全員泣いているから」
「無茶言うなよ」
ヴァウェルは苦笑する。
「まあな」
そして空を見上げる。満月は煌々としていて、優しく光を放っている。ヴァウェルは2人の前に置いてある、ウィスキーを注いだままにしてあったグラスを月に向かって掲げる。
「お前も飲めよ」
そしてそっと元に戻す。ディーズはその時、そのグラスが誰の物かが分かった。そして、そのグラスの前にその人がいないことから、やはり彼は死んだのだと思い知らされる。ディーズは小さく呟いた。
「俺たち、レイマンに何かしてやれたのかな……?」
ヴァウェルは平然と答える。
「特別なことは、した覚えがないな」
「……」
「だがレイマンは、異常がつくほど欲がない。だからただ俺たちが元気に笑っているだけで十分だったんじゃないか?」
「……そうだな」
ヴァウェルは自分のグラスとボトルを持って立ち上がった。
「さて、行くか」
「どこに?」
「あのレイマンが、人生で初めて泣かした女の所だ」
「そういえば、頼むって言われてたな」
「皆レイマンの墓から引き上げたのに、あいつだけあの雨の中動かなかった。きっと今も」
ディーズは慌てて立ち上がった。
「風邪引くじゃねぇか」
ヴァウェルは肩を竦める。
「それでレイマンに化けて出られるのは御免だ」
2人は屋上を後にする。残された、ウィスキーの入ったままのグラスが、月明かりにキラリと光った。
シャルはラウナルの部屋の前に立っていた。どうしようか迷ったが、意を決してドアをノックする。
「誰や?」
部屋の中から声がして、シャルはハッキリと言った。
「シャルです」
ドアが開いてラウナルが顔だけ覗かせた。大きな彼だからシャルを見下ろす形になる。
「どないしてん。もうすぐ就寝時刻やぞ」
「すみません。床でいいのでしばらくここで寝泊りさせてください」
ラウナルは思わぬ頼みに目を丸くした。
「は?自分の部屋はどうしたんや」
シャルは少しうつむく。
「それが……カーサ先輩、塞ぎこんでて部屋の鍵閉めたまま入れてくれないんです」
「相当ショック受けてたからな」
「ノックして開けてくださいって言っても返事なくて……。規則違反なのは承知です。本当にすみません」
ラウナルはニヤリと笑う。
「規則違反?規則は破るためにあるもんやろ。第一俺がそんなん守ると思てんのか?」
シャルは苦笑しながらハッキリ答えた。
「いいえ」
ラウナルはけらけらと笑った。そしてドアを開けて中へと通してくれる。中はぐちゃぐちゃに散らかっていて、両脇にベッドが一つずつ置いてあった。片方は整っているのだが、もう一方は布団を剥いだままにしてあり私服もたたまずに放ってある。
「本当にすみません」
「かまへん。ルームメイトは今遠方の仕事でしばらくおらんからな」
「最初はクル先輩の方にお願いに行ったんですけどいなくて……」
「ああ。あいつ地下室で謹慎しとるで」
「え?」
ラウナルは散らかった方のベッドに座った。
「どういうことですか?どうして先輩が」
驚くシャルにラウナルは平然と答えた。
「レイマンの葬式の後、自分から言い出したらしいんや。理由はよう分からんけど多分」
ラウナルは壁にもたれた。
「責任感じてるんやろな」
「……」
「自分が爆弾を解除してたら、レイマンは助かったんやって思てるんやろ」
「でもそれは……」
「確かに、あの時間では無理やった。やから諦めたんや。せやけど、諦めへんかったら何か結果は変わってたかもしれんて、カーサに言われて気づいたんとちゃうか?」
シャルは夕方、カーサがクルの胸倉を掴んで怒鳴っていたことを思い出した。ラウナルは続ける。
「それに、今回のことでもっと気持ちを引き締めなあかんて思たんちゃうか?せやから2週間飯抜きの謹慎を自らやることにしたんや」
「2週間飯抜き……。それって謹慎処分の最高レベルじゃないですか」
「ああ。2週間、口に出来るんは水だけや」
「……」
「皆、今回のことでいろいろ思うことがあるんやろ」
「……そうですね」
沈黙が流れた後、ラウナルはパンと手を叩く。
「ほなもう寝るか。今日は疲れたやろ。そこのベッド使い」
「え?いいんですか?」
「しばらく帰ってこんからな。後でちゃんと断れば大丈夫や。それにそないなこと気にしとる奴やったら俺のルームメイトなんかやってけへんわ」
シャルは思わず笑ってしまった。
「そうですね」
マシェンヌは一人、レイマンの墓の前に座っていた。じっと、彼の墓を見つめている。すると背後から芝生を踏む音が聞こえた。
「もうすぐ就寝時刻だぜ」
ディーズだ。マシェンヌは頷いた。
「はい。知っています」
そう答えるともうひとつの声がする。
「規則を破ったら、しばらくここへは来れない」
ヴァウェルの声である。マシェンヌはレイマンを見つめたまま小さく頷く。
「知っています。でも、もうちょっと」
彼女はまるで祈るように呟いた。
「もうちょっとだけ」
「……」
ふわりと、背中に何か温かみを感じた。はっと気づいて振り向く。ディーズが上着を貸してくれたのだ。マシェンヌは小さく微笑んだ。
「ありがとうございます」
「風邪引くぞ。葬式の時からずっとここにいるんだろ」
「ええ。ずっと、お話をしていました。……でも」
彼女は悲しそうだ。
「いくら話しかけても、やっぱり返事は返ってこないんです」
「……」
マシェンヌは再び墓を見た。
「ハッピー・ハロウィン・バレンタインの日、レイマンが私のお菓子を受け取ってくれた時から、覚悟はしていました」
「……」
「でもやっぱり悲しいです」
ヴァウェルは低い声で尋ねた。
「後悔はしていないのか?」
マシェンヌは首を静かに横へ振る。
「後悔なんかしていません」
そして笑いかけた。
「レイマンと一緒にいた時間は確かに短かったです。でも、とても楽しかった」
彼女は本当に幸せそうだ。
「レイマンはただ、ずっと自分であり続けただけなんです。それを最期の最後まで貫いたことは本当に尊敬します」
照れたように小さく微笑む。
「そんな人が私の夫だなんて、ちょっと誇りに思えますね」
「夫……?」
マシェンヌは左手を見せた。その薬指にはめられた、銀色の指輪が月明かりに光る。それを見たディーズは目を見張った。
「いつの間に……!?」
ヴァウェルは苦笑する。
「なかなかやるな、あいつも」
マシェンヌもまた苦笑いを浮かべる。
「ほとんど私が強引に貰ったんですけどね」
ディーズは笑い声を上げた。
「いいんじゃねぇの?お似合いだし」
マシェンヌは少し頬を赤らめて微笑んだ。
暗い部屋の中。カーサは自分のベッドに座っていた。
何も考えられない。ただ、蘇るのは昔の記憶。彼に初めて会った時の記憶。
彼に、再会した時の記憶。
カーサは静かに目を閉じた。
「おい!」
警察署と寮を繋ぐ芝生の通り道で、カーサは遠くにいる3人の男の中に彼を見つけて駆け出した。その男はカーサを見るなり一瞬驚いた顔をしたがすぐに微笑んだ。
「やぁ、君か。久しぶりだな。大きくなったね」
カーサはレイマンの前に立った。レイマンは首を傾げる。
「こんな所でどうしたんだい?」
カーサは胸を張った。
「今日から俺も警官になったんだ」
「警官に?あんなに嫌っていたじゃないか」
「ああ。今でも嫌いだ」
「じゃあどうして」
カーサはニッと笑った。
「お前の為だ」
「私の?」
「俺は、科学課に入って魔法の謎を解いて、世の道理を覆すんだ。それで、魔法を使ってもお前の命が削られないようにするんだ」
レイマンは驚いた顔をしていたがすぐに微笑んだ。
「ありがとう」
すると彼の隣から不信の声が聞こえた。
「できんのか?そんなこと」
ふとそちらを見ると、カーサよりは少し年上と思われる美少年がいた。カーサはその少年に向かって牙を剥く。
「やるんだ!」
少年はその意気込みに目を丸くする。
「へぇー」
そしてニッと笑う。
「がんばれよ」
思わぬことを言われて拍子抜けしたカーサは反応に困った。すると少年は右手を出してきた。
「俺はディーズ・レイト。レイマンと同期だ。交通課班長やってる。よろしくな」
「は、班長!?若そうなのに……?」
「16だけど」
カーサはポカンとした。ディーズはさわやかに笑う。
「よろしくな」
「あ、えと。カーサ・レブンです。よろしくお願いします」
16歳で班長ということに突如尊敬の意を感じたカーサは、急にディーズに対して敬語になった。右手を握るとディーズはレイマンの左に立っていた男を見上げる。
「こっちはヴァウェル・オリント。交通課の副班長だ。ヴァウェルも俺たちと同期なんだぜ」
「よろしくお願いします」
そういうとヴァウェルはギロリとカーサを睨んできた。
「ああ」
するとレイマンが苦笑する。
「気にしないでくれ。ヴァウェルはもともと無愛想なんだ」
そして首を傾げる。
「ところで、寮はもう案内してもらったのかい?」
「まだだけど」
「じゃあ私が案内しよう。ディーズ、ヴァウェル、私はこれで失礼するよ」
「ああ」
「じゃあな、カーサ。夕食で会おうぜ」
2人が去った後、レイマンは寮を案内してくれた。寮長に確認すると部屋がレイマンと一緒だということがわかり、カーサは内心ホッとした。部屋につくとカーサは早速ベッドに倒れこんだ。
「疲れた……」
「今日はゆっくり休むといい」
レイマンは微笑みながら自分のベッドに座る。そしてふと尋ねた。
「そういえば、さっきの話だが、本当にいいのかい?私なんかの為に君の嫌いな警官になってしまって」
カーサは顔を布団に埋めたまま言った。
「レイマンは、恩人だからな」
「え?」
「あの日以来、目を背けていた警官のことを調べてみたんだ。そうしたら、実はすっげぇ奴らだってことが分かった。今日だって、一つしか歳違わねぇのに、ディーズ先輩が班長だってわかっただけで改めて警官ってすげぇんだなって思った。それに、今日ちょっと射撃場を覗いてみたんだ。そしたら、そこにいた奴らほとんど的に命中してた」
カーサは静かに呟いた。
「俺は、そんなすごい奴らの所に乗り込んで復讐しようとしてんだ……」
「……」
「そう思ったら、俺あの日レイマンに止められなかったら絶対死んでたって思うんだ。あの時は死ぬつもりで乗り込んだけど、今は死ななくて良かったって思ってる。レイマンは俺の命を救ってくれた恩人なんだ」
カーサはゆっくりと起き上がった。
「だから、今度は俺がレイマンの命を救ってやるんだ」
「そんなことをしなくても構わないさ。気持ちだけでありがたいよ」
カーサはレイマンを軽く睨む。
「何だよ、俺の決めたことにケチつけんのか?俺の人生どう生きようが勝手だろ」
レイマンは苦笑した。
「そう言われてしまってはどうしようもないな」
カーサは静かに目を開いた。ふと辺りを見回す。
二段ベッドの下のベッドには、彼が今朝まで来ていた寝間着がきれいにたたんであって。枕のすぐ横にはしおりの挟まれた本が一冊。その横に目覚まし時計があって、今も時を刻んでいる。昨夜一緒に食べたお菓子の包み紙はゴミ箱の中。壁にかけてあるカバンは、彼が何年も使っていたものだ。
生活感が溢れている。
彼がいなくなってしまったことなんか、まるで嘘のようだ。
カーサはハッとした。
……嘘。
そうだ。
嘘だ。
これは、全部嘘なんだ。
だって、ここにある全てのモノたちは彼の帰りを待っている。
また彼が使ってくれることを待ち望んでいる。
彼がいなくなってしまったことなんか、嘘だ。
レイマンは、帰ってくる―――。




