-While there's life there's hope-
二十章 -While there's life there's hope-
電話を切ったクルに、シャルは首を傾げた。
「スウェート、何て言ってましたか?」
「手荷物を忘れずに」
「……どういう意味でしょうか」
「単なる時間稼ぎだろ」
そっけなく言った彼は、携帯をポケットにしまう。シャルはカーサの携帯を覗き込む。
「今度の暗号文は長いですね……。爆弾の場所はわかりそうですか」
するとクルが頷く。
「警察署の屋上だ」
「警察署の屋上?」
シャルが目を丸くする。クルは険しい顔をしている。
「矛盾の館。偽善者。俺たちに恨みを持っているあいつが考えそうなことだ。屋上は、『青き空の下 天に近いその場所』が表している」
そこへ、ローエルがやって来た。
「無事に爆弾を解除したそうだな。連絡はしろと言ったはずだ」
「申し訳ありません……」
「次の場所は分かったのか?」
「はい。ラベル警察署の屋上です」
「署か……」
「総監、今すぐラベル警察署に連絡して、周辺の住民を非難させてください」
「しかし、人を非難させれば爆弾は爆発するのだろう」
「今回限りは大丈夫です。今回の暗号では、奴は爆弾を仕掛けたその場所が、『貴様一人の墓場となるか』とあります。つまり、俺一人だけが死ぬ場合もあるということです」
ローエルはその鋭い眼差しでしっかりとクルを捉えた。
「間違いないのだな?」
クルは真剣な顔で大きく頷く。
「はい」
「わかった。お前は直ぐに署へ向かえ」
「はい。すぐに向かいたいので、ラウナル・イオン先輩のパトカーの運転を許可してもらいたいのですが」
「よかろう」
「ありがとうございます」
一方カーサはずっと携帯に視線を落していた。
まだだ……。まだこの暗号には何かが隠れている気がする。この改行の仕方といい、字間の開け方といい、不自然すぎる。爆弾のある場所がラベル警察署だということは確かに間違いないし、住民を避難させても大丈夫だというのは同感である。しかし、それだけではないはずだ。この暗号にも、もっと深い意味があるからこそわざわざメールにして送ってきたのだ。
カーサは懸命に考えた。
『他人 を守るため 冷たい体を引きずって 動かぬ足が向かうべきは
矛盾 の
館 矛で突くのは正義の為か 盾で防ぐのは己の為か
錆びた 鉄矛を振り回し 脆い木盾で防ぐのは 愚かなる偽善者たちよ 果たしてその場所 貴様一人の墓場となるか 同胞たちの墓場となるか 守るべき者たちの墓場となるか 青き空の下 天に近いその場所で 共に眠るは誰なのか
勝利 は誰の手に
終焉 は誰の手に
安らかな死 を
IYKWIM
偽善者たちは最期に笑う』
シャルもカーサの携帯を覗き込んできた。
「この、『IYKWIM』ってなんなんでしょうかね」
「ああ、これはメールの時に使う略語だ。略さずに言うと、『if you know what I mean』。つまり、『もし私の真意をおわかりいただければ』って意味がある」
「へぇ、そうなんですか……」
カーサは再び真剣に考える。しかし考えれば考えるほど、気分が悪くなってくる。目がかすんで、頭がふらふらしてきた。
「くそ……」
カーサは必死に頭を働かせた。
そもそも、どうしてIYKWIMなんて英語を使っているんだ? もしこれが、この暗号を英語に置き換えろというメッセージなら……。そして、この改行の仕方と字間の開け方から、一行の最初の字間までの単語を英語に置き換えるとすれば……。
O I M R V E E
……だめか。これじゃ意味が分からない。並べ替えても無駄そうだし……。
カーサはふと思い出してシャルを見た。
「そういえばシャル、さっきスウェートからクル先輩に電話があったよな」
「はい」
「なんて言われたんだ?」
「大したことは言ってなかったみたいですよ。ただ、最後に『手荷物は忘れずに』って言ってたみたいですけど、クル先輩はただの時間稼ぎだろうって」
「手荷物は忘れずに……」
カーサは嫌な予感がした。
手荷物を英語に直すと『trap』。同じつづりで、『罠』という意味もある。
忘れてはいけない。付け足すということか。そうすると……。
O I M R V E E T
その頭文字を並び替えてできるのは―――
寒気が走った。慌てて手を伸ばし、ラウナルと合流した目前のクルを呼び止めようとした。
だがその瞬間。
頭がグラリと大きく揺れる。先ほどの怪我による出血のせいだろう。
気が遠くなるその前に。早く言わなければ。
カーサは口を開こうとした。
「先……輩」
しかし蚊の鳴くような声がクルに届くはずもなく。彼はラウナルと共に署へ向かうべく、歩を進めた。カーサの意識は途切れた。それに気づいたシャルは椅子の上でぐったりとしている彼の体を揺する。
「カーサ先輩!大丈夫ですか?」
その声にラウナルは振り向いたが、なんともなさそうに言った。
「軽い貧血やろ。ぎょーさん出血しとったからな。どっか寝かしといたり」
「はい」
「先輩、行きましょう。時間がありません」
「おう」
歩き出しながらラウナルはニヤリと笑う。
「ところでクル、乗り物には強いんか?俺の素晴らしいハンドルテクニックで気分悪ぅなったら意味あらへんで」
クルも不敵に笑った。
「望むところです」
「ええ度胸や。ほな行こか」
「はい」
クルとラウナルはパトカーに乗り込んだ。ローエルは既にディーズを始めとするその他の警察官に、住民を避難させるよう指示を出していた。
ラウナルはエンジンをかける。
「ほな行こか。連休一日目の土曜やから道混んどるやろうけど心配せんとき」
そしてパトランプを回し、サイレンを鳴らす。けたたましい騒音が鳴り響いたかと思うとパトカーは急発進した。クルは思わず天井にある手すりを掴む。
「久々の運転や。腕が鳴るわ」
ラウナルはニヤリと笑ってハンドルを右へ切った。そしてクラクションを鳴らしながら猛進していく。あまりの乱暴な運転に逆にクラクションを鳴らしてくる車もあったが、ラウナルは車内にあるマイクを取り上げて怒鳴った。
「だぁほ!さっさとそこのけや!こっちは急いどんねん」
「……先輩、また罰喰らいますよ」
ラウナルはハッと笑った。
「警察署がぶっ壊れへんたらな」
「……」
「なんや、プレッシャーかけてしもたか?」
「いいえ」
クルは口の端を上げた。
「逆に気持ちが引き締まりましたよ」
「ええ根性しとるやないか」
そう言ってハンドルを右に切る。しかしそこには通行止めの看板が立っていた。どうやらこの先は工事中らしい。ラウナルは軽く舌打ちをする。
「しゃぁない。もうひとつ奥から行くで」
バックをしてハンドルを左に切りながらアクセルを踏み込んだ。そしてすぐにまた右へ曲がる。
「なんや、ここもかいな」
ラウナルは再びバックすると更に奥へと進んだ。そして右へ。だが、そこも工事中の看板が立っていた。
「時間がないのに……」
クルは少しイライラしているようだった。しかしラウナルはハンドルの上に両手を置いたまま、ジッと止まっている。
「先輩?」
クルはラウナルを見上げた。
「時間がありません。別の道で」
「なぁ、クル」
「はい?」
「スウェート・ラビアって奴。めちゃめちゃ卑怯な奴やって聞いたけどほんまか?」
「ええ……」
「そうか」
「そんなことどうでもいいですから早く別の道から行きましょう」
「ええわ。ここ突っ切るで」
「え?」
ラウナルはハンドルを握り直すと、顔にいたずら気な笑みを浮かべて右足を踏み込んだ。車は看板に向かって突っ込んでいく。
「先輩!通れませんよ!」
「通れるで。これはあいつの罠や」
「え?」
パトカーは通行止めの看板を吹っ飛ばした。しかしラウナルは止まらない。更に奥へ進んで、やがて左へ曲がる。開けた道へ出た。
「通れた……?」
「時間を少しでも失くしたろ思たんやろな。あらかじめ俺らが通ると予想していろんな場所にあの看板置いといたんや」
ラウナルは吐き捨てるように言った。
「ほんま陰険な奴やな」
「それにしてもよく分かりましたね。あの看板がニセモノだって」
「アホ。俺は交通課やで。ここら辺ならパトロールしとるしどこを工事しとるとかいう情報もちゃんと知っとるわ」
「そうですね」
「最初は思わず騙されたけどもう騙されへんで。あの憎たらしい奴に一発かましたろやないか」
「はい」
そうして暫く行くと、警察署が見えてきた。その頃にはラベル警察署の警官たちの働きもあってか、警察署周辺は静まり返っていた。周囲の人々を非難させたのだろう。
「ほら、着いたで」
門の前に車を止めてラウナルはクルを見る。
「ありがとうございました」
「気にすんなや」
パトカーを降りたクルをラウナルは呼び止めた。
「クル」
「何ですか?」
ラウナルはニヤリと笑う。
「気ぃつけや」
「はい」
クルは力強く頷いてドアを閉めた。ラウナルは走っていく彼の姿を見送る暇はなかった。すぐに無線でディーズと連絡を取る。
「班長サンか?俺やけど。今クルを送ってきたさかいそっちに加勢できるで」
そしてディーズから指示を受け、再びパトカーを発進させた。
署の中へ入ったクルは階段を駆け上がっていた。爆弾のある場所は、屋上。普段は締め切られていて入ることが出来ないが。やはり鍵はかかっていない。クルはドアを開ける。太陽の光りが燦々と降り注ぐ。
クルは屋上の隅に、赤い光りが点滅するそれを見つけた。駆け寄って時間をチェックする。残り時間は10分を切っていた。
「……できるか」
焦る自分を落ち着かせ、作業に取り掛かろうとする。しかしふと視線の端に赤い光が見えた。クルは左へ顔を向ける。するとそこにも爆弾が置いてあった。驚いたクルは屋上をぐるりと一周してみる。爆弾は四隅にそれぞれ一つずつ配置されていた。しかも残り時間は全て同じ。つまり、あと10分弱でこの4つの爆弾を全て解除しなければならないのだ。
「……」
クルはふっと笑った。
「ほんと、最悪な奴だぜ」
ポケットから携帯を取り出す。ローエルへ電話をかけた。すぐに彼の声が聞こえる。
「爆弾は解除したか?」
クルは疲れたように笑った。
「いいえ。ここには全部で4つの爆弾があります。しかもこの爆弾は構造が複雑です。時間内に爆弾を解除することは不可能と考えられます」
「一つくらい無理なのか?」
「この爆弾は規模が大きいものと考えられます。一つ解除したところで残りの三つで警察署ごと吹き飛びます」
「お前はどうするんだ?」
クルはふっと笑う。
「どうせ逃げても巻き込まれるなら、ここで最期を迎えます」
「そうか……。止む終えんな」
ローエルはハッキリした口調で言った。
「ラベル警察署付近の者は皆非難させた。今回の事件で一般人の被害者はいないだろう。君のお陰だ。礼を言う」
「当然のことをしたまでです」
「誰か、言伝を伝えたい人はいるか?」
クルは穏やかに笑う。
「何も、言うことはありません」
「そうか」
「では、失礼します」
クルは電話を切った。そしてポケットへ携帯を入れるとゆっくりとその場に座った。
空を仰ぐ。冬にしては温かい日である。目を閉じた。様々なことが思い出され、そのまま時だけが過ぎていく。爆発まで、残り3分程になっただろうか。ゆっくりと目を開ける。映るのは、穏やかな光景。小さく微笑んでポツリと呟いた。
「最期が、こんな日で良かった」
するとその時、後ろで声が聞こえた。
「君は死ぬにはまだ早いよ」
クルから電話が切られ、ローエルが小さく息を吐くと同時にディーズが駆け寄ってきた。
「クルは爆弾を解除したんですか?」
彼は首を横へ振る。
「時間がないらしい。逃げても巻き込まれるならとあそこで最期を迎えるそうだ」
「そんな!ヘリは飛ばせないんですか?」
「スウェートはゲームを放棄したと見なした瞬間爆弾を爆発させる。ヘリが警察署へ向かえばそれまでだ。ヘリを飛ばそうが飛ばすまいが、どちらにしても同じことだ」
「しかし……。他にも何か手があるはずです」
「残り10分弱だぞ。何ができる」
「……諦めるというのですか」
「仕方あるまい」
「……っ」
「まだ何が起こるかわからない状況だ。さっさと戻って待機していろ」
ディーズは睨むようにローエルを見るとその場を去った。そのすぐ傍で、会話を聞いていたレイマンは手中の杖を握りなおし、ゆっくりとその場を後にする。向かったのはカーサとシャルの所だった。
「あ、レイマン先輩」
「カーサはどうだい?」
レイマンは地面にシートを引いて寝かされているカーサに目をやった。
「大丈夫みたいです」
「病院には連れて行かないのかい?」
「カーサ先輩が、この事件が終わるまで絶対連れて行くなって……。責任を感じているみたいなんです」
「そうか……」
レイマンはカーサを見て微笑んだ。そしてそっとその額に手を乗せた。やがてシャルに視線を移すと穏やかに笑う。
「カーサを、頼んだよ」
「はい」
レイマンはゆっくりと立ち上がった。こちらに背を向けて、凛と背筋を伸ばして去っていく。
その姿を見て、シャルは思わず叫んだ。
「レイマン先輩!」
彼はゆっくりと振り向く。
「何だい?」
「あの……」
シャルは立ち上がってレイマンを真っ直ぐ見た。
「ありがとうございました」
何を言っているのだろう。正直自分でもそう思った。だが、杖を握り締めてゆっくりと去っていく彼の姿を見ていて、シャルは急にそう言いたくなったのだ。まるで、このまま彼がいなくなってしまうような気がして。そう思ったら、何よりもまずその言葉が自然と出てきた。
レイマンは小春日和の陽だまりの中、温かい笑みを見せた。そして、やはり温もりのある声で、
「シャル」
シャルは続く言葉をジッと待った。
「ありがとう」
彼らしいその言葉を聞いて、シャルもまた自然と微笑んだ。レイマンはその場から去って行った。シャルの頭にはずっと彼の笑顔が残っていた。
その場を離れたレイマンは続いてディーズとヴァウェルの元へ向かう。
「レイマン……。クルが」
ディーズが悔しそうな顔をして苦しそうに言った。レイマンは静かに頷く。
「知っている。だから私は行くよ」
その言葉にディーズは目を輝かせた。
「そうか、レイマンが行ってクルを一緒に連れ帰ってくれば」
レイマンは首を横に振る。
「テレポートは魔力がとても強い。もしそれを使ってしまえば、魔力に直接的に触れた者は例え魔法を使っていなくても罰を受ける可能性がある」
「え……?」
「つまり、私がクルの所へ行って一緒にテレポートして帰ってきたら、私も、そしてクルも命が削られるということが考えられるんだ」
「じゃあ……」
「クルが爆弾に巻き込まれないように結界を張ってくるよ」
するとヴァウェルは冷静に言った。
「だがお前、もう後がないのだろう?」
「そうさ。だからこそ」
レイマンは微笑んだ。
「その方がいいだろう?」
ヴァウェルはレイマンを真っ直ぐ見たまま頷く。
「確かにそうかもしれないな。……だがマシェンヌはいいのか?」
「これから話しに行くさ」
「お前は、どうなんだ」
「悲しいさ。離れたくないし、彼女のことを思うと行きたくないと思う。だけど」
レイマンは幸せそうに笑った。
「私は魔法使いでい続けるんだ」
ヴァウェルはしばらく黙っていたが、彼には珍しく微笑を浮かべる。
「クルの命をとるかお前の命をとるか。そんなこと俺たちが決めるべきことではないから何も言えない。それにお前が決めたのなら俺は止めない」
彼の言葉にディーズはヴァウェルを見上げたが、やがてうつむいた。
「そうだよな……。俺たちには何も言えないよな……」
レイマンは穏やかに、
「ありがとう」
2人の間をゆっくりと通り過ぎた。その時、レイマンは微笑みながら言った。
「マシェンヌを、頼む」
ヴァウェルは力強く頷いた。
「ああ」
レイマンはゆっくりと歩き出した。去っていくその後ろ姿を見送りながら、ディーズが呟いた。
「……本当に、これでいいのか?」
「知らないな。だがあいつが選んだんだ。間違っているかそうでないかなんて俺たちには判断できないし、止めたり進めたりできる権利もない」
「……そうだけど」
ディーズは手を握り締める。
「悲しすぎねぇか?」
ヴァウェルは真っ直ぐレイマンの背を見たまま頷いた。
「そうだな……」
レイマンが最後に向かおうとしたのは、マシェンヌのところだった。署の方へ連絡が行き、マシェンヌも周辺の住民を避難させてこちらへ来ているはずだ。だが彼女の姿が見当たらなく、どこにいるかと近くの者に訊いたところ、すぐそこの教会に行っているという返事が返ってきた。レイマンはすぐに教会へ向かった。
紅い絨毯が真っ直ぐ敷かれ、その一番奥に彼女はいた。他に人は誰もいない。マシェンヌは、ステンドグラスから差し込む光を浴びて、凛と立っていた。
「マシェンヌ」
彼女の後ろまで行って声を掛けると、マシェンヌは前を向いたまま言った。
「行くのね」
レイマンは首を横へ振る。
「違う。逝くんだ」
「……」
「すまない。だが私は」
「わかってるわ」
マシェンヌは静かに返した。レイマンは後ろから彼女を抱きしめる。
「すまない。大切な恋人よりも自分が自分であり続けることを選んだ私が言えることではないが」
重みのある声で、それは間違いではないとわかってもらえるように、
「愛している」
マシェンヌはレイマンの腕の中でくるりと振り向いて、彼の背に腕を回した。
「私も、大好きよ」
2人は互いに力を緩めた。そのまま離れようとするレイマンを、マシェンヌは服を掴んで引き止める。
「ねぇ、レイマン。今から、2人だけの結婚式しない?」
レイマンは悲しそうに首を横に振った。
「だめだ。これから死ぬ者に縛られる必要なんてない」
「あら、私はあなたと結婚することを望んでいるのよ。たとえあなたがこれから逝くんだとしても」
「……しかし」
マシェンヌは悲しそうに言った。
「さっきの言葉は嘘だったの?」
「そんなことはない。君を愛しているからこそ、結婚できないんだ」
「そんな優しさなんていらないわ」
「……」
「それに大丈夫よ。私、もうあなた以外好きになれないもの」
レイマンは困ってしまった。何も言わない彼に、マシェンヌは口を尖らせた。
「あーあ。せっかくあなたが逝く前に結婚してくれるんだと思ってここに来たのに」
「私が逝くことを、知っていたのかい?」
「それくらいわかるわ。ねぇ、早く。時間ないんでしょ?」
「……」
マシェンヌはニッと笑う。
「泣くわよ?」
レイマンは苦笑した。
「子供だな」
「ええ、子供よ」
レイマンはポケットから一つの指輪を取り出した。銀色のキレイな指輪だ。
「え……?」
さすがのマシェンヌもこれは予想していなかったらしい。驚きを隠せない。
マシェンヌの左の薬指にそれをはめてやりながら、レイマンは言った。
「実は私も、そろそろ申し込もうと思っていたところなんだよ」
彼女は嬉しそうに笑った。しかしレイマンは真剣な眼差しで続けた。
「だが、この指輪に縛られる必要はない。誰か好きな人ができたら、迷わず捨ててほしい」
「レイマン」
呼ばれてレイマンはマシェンヌの目を見た。彼女は、本当に幸せそうに笑っている。
「愛しています」
その言葉が、全てを教えてくれた。彼女の想いも、未来も、全て。
レイマンは彼女に優しいキスをした。ゆっくり離れて、マシェンヌは指輪に触れながら微笑んだ。レイマンは静かに頷いて、心から笑った。
そうして右手の杖を掲げた。青い光が彼を包む。その中で、レイマンは穏やかな表情をしている。
「マシェンヌ」
姿が徐々に消えていく。
「ありがとう」
彼は完全にそこからいなくなった。シン、とその場が静まり返った。沈黙が、現実を語る。
マシェンヌはその場に泣き崩れた。大声で泣き続ける。何度も、何度も、愛しい彼の名を呼びながら。
突如現れた魔法使いにクルは目を丸くした。
「レイマン先輩?」
レイマンは爆弾に近づいた。
「何をする気ですか?」
彼は振り返って微笑んだ。
「君を爆弾から守るんだよ」
「何言ってるんですか!」
「警官が人を助けるのは当たり前のことだろう?」
「ダメです!」
「なぜだ」
「俺知ってるんですよ。先輩の命が残りわずかだってこと。これ以上魔法を使ったら確実に死んでしまいます」
レイマンは笑みを崩さない。
「だから、魔法を使うんだ」
「え?」
「残り少ない私の命を助けても私はそれから先多くの人々を救えないだろう。それよりも、まだまだ若い君を助けた方が、必ず私よりもたくさんの人を救える。それならば、私が犠牲になって君を助けることは本望だよ」
クルは声を荒げる。
「マシェンヌは……!」
「ついさっき、会ってきたよ。私が逝くことも知っている。それでも、許してくれたよ」
「……っ」
クルは拳を握った。そして再び反抗の声を上げる。
「カーサはどうするんですか?あいつはあなたを救うために今まで頑張ってきたんだ」
「ああ。良い夢を見させてもらったよ。本当に感謝している。だから、恩返しをしよう」
「恩返し?」
「君と一緒にこの警察署も寮も、街も、全てを守る」
「そんな大きな魔法使ったら本当に」
「クル」
レイマンは優しく笑った。
「スウェートに笑ってやるといい。お前の『爆弾による死者』はゼロだと」
「……」
「君の勝ちだ」
レイマンは杖を掲げる。
「時間だ」
クルは悔しそうにうつむいた。
「すみません。俺のせいで」
「気にすることはない。人を助ける魔法を使って死ぬのが魔術課の宿命だ」
「あなたは本当に、最期まで」
クルの目に涙が浮かぶ。
「お人好しバカだ」
レイマンは声を上げて笑った。
「よく言われるよ」
そしてクルを見た。
「皆に、今までありがとう。楽しかったと伝えてくれないか?」
「はい、必ず」
「では、始めよう」
クルは穏やかに笑って敬礼をした。
「ありがとうございます」
すると、カウントダウンが開始された。
「残リ時間20秒……19……18……」
レイマンは呪文を唱え始める。クルとレイマンと、警察署と寮と街を蒼い光が包み込んだ。
耳元に、悪魔の笑い声が聞こえる。
『バカな奴。最期まで人のために命削りやがって。本当にバカな奴』
レイマンは心の声で返した。
『そうかもしれないな。だが、私の人生、少しの悔いもない。良い生涯だったよ』
悪魔は声高く笑う。
それもやがて消えた頃、レイマンは呪文を唱えきった―――
ドン、という音が遠くで響き、地面が微かに振動した。
警察署から爆風が起こる。
足に生暖かい風を受けて、目を覚ましたカーサはハッと顔を上げた。
「レイマン……」
遠くに小さく見える警察署の旗を見て、小さく彼を呼ぶ。
レイマンの手から杖が落ちた。クルは倒れる彼を受け止める。その顔は、穏やかで、幸せそうだった。クルも彼に習って笑いながらも、目からは涙が溢れる。
「本当に、ありがとうございました」




