-Actions speak louder than words-
十五章 -Actions speak louder than words-
シャルは交通課の部屋へ向かった。途中、昨日のハッピー・ハロウィン・バレンタインの勇気が昂じて見事カップルになった人たちを数組見かけた。横目にそれを微笑ましく見ながら小走りで部屋へ走る。
「おはようございます」
元気よくドアを開ける。
「おはよう」
いつものように真っ先にキールの声が飛んできた。彼女はシャルの顔を見るなり小首を傾げる。
「どうしちゃったのさ、新人君。やけに嬉しそうだけど?」
「はい。嬉しいことがありました」
それに食いついてきたのはラウナルだった。
「なんや?さては昨日告白されたな?」
シャルは苦笑して首を横に振る。
「違いますよ。告白されたのは自分じゃありません」
「せやったら誰やねん」
シャルはニコニコ笑いながら言った。
「告白されたのは、レイマン先輩です」
それを聞いて、ディーズとヴァウェル以外の3人は目を丸くした。
「なんやて!?」
「あの32歳お人好しおバカさんが!?」
「告白されたんですか!?」
シャルは驚愕する3人を尻目に驚きもせず仕事を続けている2人を見た。
「あれ?お2人ともご存知だったんですか?」
「ああ」
「朝食ん時に一緒になったんだ」
ディーズは苦笑する。
「俺が冗談で『本命のお菓子何個もらった?』って聞いたら『一つもらったよ』って言うからさ。あん時は驚いたぜ」
ヴァウェルは少し意外な様子で言った。
「だがまさか、あいつが告白を受けるとはな」
「どういう意味ですか?」
ディーズは肩をすくめる。
「レイマンのことだ。どうせ、自分は魔法使いだから君を幸せにすることはできないよ、なんて言って断ったと思ったんだよ」
「そう言えばそうですね」
その謎に興味を抱いた他の3人も首を傾げた。
「確かに、レイマン先輩は優しいですからそのようなことをおっしゃりそうですね」
「せやったらなんで受けたんやろ?」
腕を組んで不思議がるラウナルとモカにキールはケラケラ笑った。
「告白した物好きさんに何か感動的なこと言われたんじゃないの?」
その発言にモカがキールを横目で見る。
「キール先輩、『物好きさん』は失礼ですよ」
「別に、あたしの無礼は今に始まったことじゃないでしょ」
モカはため息をつく。
「そういう問題じゃないですよ。大体、自覚しているなら直してくださいよ」
キールはひらひらと手を振った。
「自覚してても直さないってコトは、直す気がないってこと。あたしは別に無礼でもいいと思ってるし」
「キール先輩は良くても周りの人がそう思わないですよ」
「うるさい後輩ちゃんだねぇ」
「はぐらかさないでください」
「はいはい。直す努力はしますよぉー」
適当にそう答えてモカがため息をつきながらもやっと自分の仕事に戻った後、キールはモカの方を見てこっそりと舌を出した。そして小さな声で、
「ウ・ソ」
スッキリした顔でキールはノートを開く。
今日パトロールが一回もなかったシャルは仕事を早く終わらせることができたため、早々に交通課の部屋を出た。レイマンに彼女が出来たのなら、尚更世の道理を覆す研究を急がなければならない。早く部屋へ戻って、研究をしようとシャルは急いだ。
玄関へ行くと、大きな柱にルルがもたれかかっていた。その手にはいつものようにスケッチブックが抱えられている。
「あ、ルル先輩。お仕事終わったんですか?」
微笑んで挨拶すると、ルルは大きく頷く。
「うん。シャルもお仕事終わったの?」
「はい。今日は早く終わらせることができました」
ルルはニコリと笑った。
「お疲れさまぁ」
「ありがとうございます。ところで、ここで何をしていたんですか?」
「おかあさんを待ってるの」
「おかあさん?」
「うん。今日は家に帰る日なんだよ」
ルルは嬉しそうだ。
「よかったですね」
微笑んでいると、ふいに後ろから声がかかった。
「お、シャル。仕事終わったのか?」
振り向くとカーサがいた。その隣には、レイマンと見たことのない女の人がいる。
「はい。先輩達も終わったんですか?」
カーサはニヤリと笑う。
「ああ。んでさっきそこでレイマンとそのハニーにバッタリってわけ」
シャルは目を丸くした。
「え!?じゃあ、そちらの女性が……」
レイマンは照れくさそうに言った。
「マシェンヌ・ノールだよ」
マシェンヌはペコリと頭を下げる。
「初めまして」
見入っていたために反応が遅れたが、シャルも慌てて頭を下げた。
「初めまして。シャル・レンダーです」
するとシャルの後ろに隠れていたルルがひょっこり出てきた。
「マシェンヌ、お仕事終わったの?」
二人は仲が良いらしく、親しげに笑みを交わしている。
「ええ」
「お疲れさまぁ」
笑ってそう言ったルルはマシェンヌの前に行くと小首を傾げる。
「ねぇ、ハニーってどういう意味?」
「え……」
赤面して言葉を詰まらせるマシェンヌ。答えないマシェンヌの代わりに、カーサがしゃがんでルルの頭に手を置いた。彼はニヤニヤと笑っている。
「お嫁さんってことだ」
「カーサ!」
誤解を招くような言葉にレイマンは慌てた。しかしそれも既に遅く、ルルは納得したように頷いた。
「そっか。レイマンとマシェンヌ、けっこんするんだ!」
「ち、違うのよ!お嫁さんって意味じゃなくて」
「ちがうの?」
ルルは首を傾げてシャルを見上げた。
「カーサ嘘ついたの?」
シャルは微笑む。
「カーサ先輩は嘘なんてつきませんよ。ハニーっていうのは、お嫁さんっていう意味です」
きっぱりと言い放ったシャルにレイマンは驚いた。
「シャルまで……」
シャルは苦笑する。
「似たようなものじゃないですか」
レイマンは大きくため息をつく。
「……私に彼女ができたからって、からかっているだろう?」
「あ、バレた?」
いたずらっぽくカーサは笑った。
そんな時だった。
「ルル」
一人の女の人の声が聞こえた。ルルはくるりと振り向くと満面の笑みを浮かべた。
「おかあさん!」
ルルはトコトコと走って行くと母親に飛びついた。確かに、母親なだけ会って彼女はルルに似ている。母親はルルの頭を優しく撫でた。
「あのね、ルル。お母さんちょっとお話があるの」
「お話?誰と?」
「班長さんよ」
「何のお話?」
しかしルルの問いには答えず、母親は彼女に言った。
「ちょっと長くなるかもしれないから、先に車で待っていてくれる?」
「えぇ、つまんないよ」
ルルはふくれっ面をした後、シャルの方へ行き彼の手を握った。
「シャルとかと遊んでていい?」
「……でも」
母親は遠慮がちにチラリとこちらを見た。シャルはニコリと微笑む。
「構いませんよ」
カーサも笑いながら言った。
「どうせ暇なんで、帰ってくるまで外ででも遊んでますよ」
「すみません」
母親は申し訳なさそうに頭を下げると階段の方へ歩いていった。
「さて、何して遊ぶ?」
カーサの問いにルルは手を上げた。
「皆で絵描く!」
「絵?」
カーサは目を見開いた後、嫌そうな顔をした。
「俺絵描けねぇよ」
しかしルルはマイペースにも、スケッチブックをカーサに押し付けるようにして渡すとレイマンとマシェンヌの手を引っ張り、シャルに笑いかけた。
「早く行こう!」
レイマンとマシェンヌを連れて、春風のように外へ飛び出したルルの後ろ姿を見たシャルはカーサに苦笑した。
「これは行かなきゃいけない雰囲気ですよ」
カーサは軽く舌打ちをして歩き出した。
外に出ると噴水の所に3人は既に座っていた。ルルの隣にカーサが座り、その隣にシャルが腰掛ける。背中を、秋には寒い冷気が襲った。
しかしルルはそんな寒さにも負けないぐらいの明るい笑顔で言った。
「ルルから描く!」
そしてカーサの手からスケッチブックを取り上げるとペンをポケットから取り出してスラスラと描き始めた。5分程度で、できた、と叫ぶとそれをちぎり取って隣にいたマシェンヌに渡す。
「すえながく、お幸せに」
マシェンヌはルルの言葉に小首を傾げながらも、ふと渡された絵に目を落として驚いた。横から覗き込んできたレイマンも、照れたように笑いながら、感心して言った。
「ルルはやっぱり絵が上手いな」
シャルとカーサも覗き見る。そこには、ウエディングドレスを着たマシェンヌがタキシードを着たレイマンの隣に並んでいる様が描かれていた。二人共、そっくりである。
カーサはルルにニヤリと笑う。
「シャレたことするじゃねぇか」
ルルは嬉しそうに笑う。マシェンヌは呆然と言った。
「ほんと、ルルちゃんはうまいわね」
ルルはカーサにスケッチブックを渡す。
「次、カーサ描いて」
「俺が!?」
「うん」
「だから俺は絵描けねぇって」
「描くの!」
「……はい」
ルルの押しに負けたカーサは小さく答えた。その様子にマシェンヌはくすくす笑う。
カーサはしばらく何か考えた後、隠すようにしてスケッチブックに何か描き始めた。そして数秒とも経たないうちにニヤリと笑った。
「できたぜ」
「え、もうできたんですか?」
シャルは目を丸くする。
「ああ」
得意げに笑ってカーサはルルにスケッチブックを見せた。そこにはただ、『絵』と書かれている。
「ちゃんと書いただろ?『絵』を」
ルルはキョトンとそれを見ている。シャルもレイマンも、呆れたように笑った。
「なんだ、そういうことですか」
カーサはケラケラ笑う。
「我が秀才なる捜査課の頭脳をなめるなよ」
「自慢できることではないと思うが……」
やがてルルは睨むようにカーサを見ると両手でポカポカと叩き始めた。
「まじめにするの!」
カーサはニヤニヤ笑う。
「俺はまじめにやったけど?」
「絵を書くんじゃなくて絵を描くの!」
叩き続けるルルの手を掴んだカーサは笑って言った。
「人の嫌がることはしないようにって、習わなかったか?」
「……」
ルルは眉間に皺をよせてふくれっ面でそっぽを向いた。
「カーサなんか嫌い!」
「あーあ。ルル先輩怒らせちゃいましたよ」
「俺は、絵よりこっちの方がいいけどなぁ」
そう言いながら、カーサは自分が『絵』と書いたページをスケッチブックから切り離すと、膝の上で折り始めた。瞬く間に一枚の紙が飛行機へと姿を変える。カーサはスッとそれを飛ばす。紙飛行機は遠くへ飛んでいき、やがて芝生の上へ落ちた。
ルルは驚いていた。そして先ほど『カーサなんか嫌い』と言ったことなどもう忘れたのか、キラキラと光る目を彼に向けた。
「すごい!カーサ飛行機飛ばすの上手いね!」
カーサは得意げに笑う。
「飛ばすのだけじゃないぜ。作るのも得意だ」
「すごーい!」
ルルは立ち上がると落ちていた飛行機を取りに走った。そしてそれを飛ばしてみる。だが、カーサのように上手くはいかず、すぐに地面に落ちてしまう。
「カーサ、飛ばないよ」
「飛ばし方が下手なんだって」
カーサはゆっくりと立ち上がるとルルの方へ行った。
その様子を見ていたマシェンヌは小さく笑う。
「カーサさんてすごいのね。さっきまであんなに怒っていたルルちゃんの心をあっという間に掴んでもう仲直りしてる」
シャルも苦笑した。
「しかもちゃんと自分の嫌いな絵を描くことを避けて遊んでますしね」
するとルルがふとこちらを振り向いて、大きく手を振った。
「ねぇ、レイマンも教えてもらおうよ」
レイマンは笑いながら立ち上がった。
「そうだな。私は飛ばすのが下手だからな」
そしてゆっくりと2人の方へ歩いていく。
しばらく、カーサに紙飛行機の飛ばし方を教えてもらっているルルとレイマンを見ていたシャルは、ふと隣のマシェンヌへ目を向けた。
「そう言えば、レイマン先輩とマシェンヌ先輩の出会いってどういう出会いだったんですか?」
「え?」
マシェンヌは突然の問いかけに驚いてシャルを見た後、顔を赤く染める。そして微笑して言った。
「図書館よ」
「図書館?」
マシェンヌは小さく笑った。
「数年前のことでね、私が署の図書館で探していた本を見つけて取ろうと思ったんだけど、届かなくて困っていたら先輩が取ってくれたのよ」
シャルは微笑んだ。
「素敵な出会いですね」
マシェンヌは笑いながら頷いた。
「それで、それからずっと好きだったんですか?」
「ええ。その日から気になってたわ。その時は名前も知らなかったけれど、時が経つにつれてだんだん先輩のことが分かってきたの」
「いいなぁ」
シャルは空を見上げながら呟いた。
「シャルさんはどのくらいもらったの?」
その問いかけに苦笑が漏れる。
「本命は一つももらってませんよ」
「そうなの?ごめんなさい」
「いいえ。そもそも女性との交流があまりありませんから」
マシェンヌは優しく笑った。
「新人さんだからよ。1年後のハッピー・ハロウィン・バレンタインが楽しみね」
「だといいんですけどね」
シャルは笑いながら答えた。
その後も2人はいろいろなことを話し、ルルも飛行機を飛ばすのが大分上手くなってきた頃、彼女の母親が戻ってきた。
「ルル」
名前を呼ばれるとルルはまるで子犬のように母親の元へ駆け出した。
「お母さん!聞いて、ルルね、紙飛行機上手に飛ばせたんだよ」
「そう。よかったわね」
そう答える母親は、笑っていた。ただ、目だけは笑っていなかった。むしろ悲しそうな色がさしている。
「さあ、もうお家に帰りましょうか。駐車場に車が止めてあるわ」
「うん」
嬉しそうにルルは言うと、カーサを振り向いて右手の紙飛行機を高く上げて見せた。
「ねぇ、これもらってっていい?」
「ああ。壊れたらまた作ってやるよ」
「ありがとう」
満面の笑みでルルは皆に手を振った。
「じゃあね、バイバイ。また明日」
シャル達も手を振り返す。ルルは楽しそうに門の方へ走っていった。
母親はシャル達を振り向くと小さく言った。
「すみません、今まで。ありがとうございました」
「いいえ。大丈夫ですよ」
レイマンがにこやかに答える。母親は頭を下げながらゆっくりと言った。
「今まで、あの子がお世話になりました」
「……え?」
顔を上げた母親は何も言わず、静かに歩き出してルルの後を追った。シャルはカーサを見る。
「どういう意味でしょうか?」
「遊んでくれてありがとうって意味じゃねぇの?」
「……でもなんか、様子がおかしくありませんでした?」
「まぁ、ルルの親の気持ちって複雑だからな。いろいろと思うところがあるんだろう」
「どうしてですか?」
首を傾げて尋ねてきたシャルにカーサは肩をすくめた。
「だってあんな小さな子に飯食わしてもらってんだぜ」
「そう言えば、お金がなかったとか言ってましたね」
「ルルの親父さんは昔リストラされてから仕事が見つからなかったんだ。だからお袋さんのパートでの少ない給料と、ルルが路上で通行人の似顔絵を描いて調達する少しのお金で必死に生活してたんだ。そんな時、ここの似顔絵作成課の班長にルルの腕が見込まれて働けることになったんだ。そん時ルルの両親は反対したらしいぜ。いくら金がないからってまだ幼い娘に働かせるなんて考えられなかったんだろうな。だけど、このままじゃかわいいルルも栄養の良い物を食べれずに死んでしまうと思ったから、ここへ入れたんだよ。ここなら寮があって栄養のある飯もちゃんと食わしてもらえるしな」
「そうだったんですか……」
「まぁ、今では親父さんの仕事も見つかってまだ辛いとはいえ、昔に比べたら大分楽になってきてるらしいけど」
話を聞いていたマシェンヌは小さく息を吐いた。
「生活に余裕ができた分、心にも余裕ができたでしょうから、きっと今いろいろ思い悩むことがあるでしょうね」
カーサは頷く。
「だから、親父さんなんか特に自分のことを情けなく思ってるんじゃねぇのか」
レイマンも静かに言った。
「そうだな」
夕日は西へ沈み、東の空は徐々に暗くなりつつあった。その空を見上げたカーサは寮へ足を向ける。
「そろそろ戻るか」
「そうですね」
シャルがカーサの隣に並び、レイマンとマシェンヌもその後に続く。やがて男子寮の前まで来た時だった。
「シャル君、カーサ!」
2人を呼ぶ声があって振り向いてみれば、そこには息を切らしながら走ってくるネアンの姿があった。手には1冊の本が抱えられている。彼女は皆の前まで来ると、肩を上下させながら本を差し出した。
「これ……」
見ると、その表紙には『魔法と世の道理』と書かれていた。カーサは呆然とネアンを見る。
「ネアンが見つけてきたのか?」
「うん。買い物のついでに本屋さんに寄ったの。そしたらこの本見つけて。確かカーサとシャル君が探してた本だよね?」
「ああ。どこ探しても見つからなかったのに」
カーサは本を受け取ると早速読み始めた。シャルは微笑んでネアンを見る。
「ありがとう。覚えててくれたんだね」
ネアンはニコリと笑った。
「うん。私も力になりたかったから」
カーサは本から目を離さずに笑いながら言った。
「そうだよな。なんせレイマンにはハニーができたんだからな」
「え?」
キョトンとするネアンにシャルが説明した。
「レイマン先輩、昨日彼女ができたんだよ」
「え!?」
目を見開いてレイマンを見上げる。その時、ネアンは初めて彼の隣に見た事のない女性が立っていることに気づいた。マシェンヌは優しく笑う。
「マシェンヌ・ノールです。初めまして」
「じゃあ、あなたが……」
カーサがニヤニヤ笑う。
「そ。レイマンの彼女」
ネアンはマシェンヌに自己紹介を返すことも忘れて、嬉しそうに両手を合わせた。
「すごいじゃないですかレイマンさん!おめでとうございます」
レイマンは照れたように笑った。
「ありがとう」
ネアンは再びマシェンヌに目を向けた。そして何度も大きく頷く。
「こんな素敵な彼女ができるなんてやっぱりレイマンさんですね」
「からかうのは止めてくれ」
「からかってなんかないですよ」
するとマシェンヌが苦笑しながら首を傾げた。
「ところで、あなたのお名前、教えてもらえますか?」
「あ、すみません。つい興奮しちゃって……」
ネアンはニコリと笑う。
「ネアン・マーメルです。男子寮のヘルパーやってます」
「よろしく」
「はい。よろしくお願いします」
ネアンはグッと拳を握る。
「せっかく彼女が出来たんだから、私も世の道理を覆す手伝いをはりきらなくっちゃ」
その言葉を聞いて、レイマンが静かに口を開いた。
「そのことについて、ちょっと言っておきたいことがあるんだが……」
「え?」
シャルとネアン、更には今まで本に夢中になっていたカーサまでもが顔を上げた。
「今まで君達を心配させないようにと黙っていたんだが」
レイマンは真っ直ぐと3人を見た。そして、真面目な顔でハッキリと言った。
「私の命は残りわずかだ」
心臓が大きな音を立てる。3人は何も言葉が出てこなかった。
そんな中、働きを停止させられていた頭が真っ先に復活したのはシャルだった。
「それ……どういうことですか?」
恐る恐る尋ねてみる。するとレイマンはいつものように穏やかに微笑んだ。
「そのままの意味だよ」
「そんなんじゃわかんねぇよ」
焦らすレイマンに怒ったようにカーサが言った。レイマンは笑みを崩さない。
「前までは、魔法を使っても何も痛みは感じなかった。だが、この前魔法を使った時胸に激痛が走ってね。しまいには私の命を喰らう悪魔の姿を見たよ」
皆は再び目を見開いた。
「なっ……」
「悪魔!?」
レイマンは淡々と喋り続ける。
「きっとそれは私の命が残りわずかだということを表しているのだろう」
シン、と静まり返ったその場に、震える声が響いた。
「どう……しよう」
ネアンだった。いっぱいに見開いた目に涙を浮かべながら、恐怖におののく顔で小さく首を横に振っていた。
「私のせいだ……」
レイマンは優しく笑う。
「君のせいじゃない」
しかしネアンは更に大きく首を横へ振る。
「私が……あの時レイマンさんに魔法を使わせたから……。ごめんなさい」
「大丈夫だよ。心配しなくていい」
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
「ネアン」
もはやレイマンの声は彼女に届いてはいなかった。何かにとりつかれたかのようにネアンは同じ言葉を何度も繰り返した。
「私の……せいで。レイマンさんが……。死んじゃう」
その言葉がネアンの口から漏れた途端彼女は涙をこぼし、その場から、現実から逃げるように寮の中へ走り去った。シャルは彼女を追おうか迷ったが、とりあえず事情を聞いてからにしようと思いレイマンを振り向く。
「どういうことですか?どうしてネアンのせいなんですか?」
レイマンは彼女の去った方を悲しげな瞳で見ながら静かに言った。
「以前、彼女が洗濯物を干していた時、風にタオルが飛ばされてそれを取ろうとしたネアンが屋上から落ちたんだよ」
「え!?」
「それで私が魔法を使って助けたんだ」
カーサは彼女の去った寮の入り口を振り向いた。
「だからあいつあんなに取り乱してたのか」
「それに、私が痛みを感じて悪魔を見たのはその時が初めてなんだ」
「そんな……」
皆が息を呑み、重い沈黙に包まれた。レイマンは誰にも聞かれないよう一人小さく呟く。
「ヴァウェル……。本当に、これでいいのか?」
ネアンは一人、11階の階段で泣いていた。
「……っ」
恐怖に体が震え、涙が止まらない。体を抱きこむようにして小さくうずくまっている。嗚咽をもらしていると、後ろから低い声が聞こえた。
「うるさい」
ネアンはビク、と大きく体を震わせて振り向いた。そこには眉間に皺を寄せたヴァウェルが立っていた。
「ヴァウェル……さん」
その手には一冊の本が握られている。どうやら彼は静かなのをいいことにそこで本を読んでいたらしい。
「何を泣いている」
面倒臭いことに遭遇した、とでもいうような表情で彼は尋ねた。
「泣いてません」
涙を拭ったネアンはうつむきながら言った。
「そうか」
そっけなくそう答えて、ヴァウェルは階段を下りてきた。やがてネアンの隣を通り過ぎて、静かに階下へと下りていく。ネアンは彼が去らないうちに、と意を決して言った。
「ヴァウェルさん」
「なんだ」
嫌そうな顔をして振り向く彼のその顔を見ると、言葉が詰まってしまう。だが、それでもネアンは赤い目で真っ直ぐ彼を見た。
「レイマンさんとお友達ですよね?」
「まぁ、な」
ネアンはヴァウェルの前まで来ると彼の両腕を掴んだ。
「助けてください!私のせいで……レイマンさんが」
再び、涙が溢れる。
「死んじゃう」
ヴァウェルはその言葉にも涙にも動じずに、至極落ち着いた口調で言った。
「どういう意味だ」
「レイマンさんが悪魔を見て、それはわたしのせいなんです。だからレイマンさんが……死んじゃうんです」
「落ち着け」
ヴァウェルはネアンのその細い肩を掴んだ。
「順を追って話せ。意味がわからん」
「……すみません」
ネアンは屋上での出来事を小さな声で話し始めた。話を聞き終えると、ヴァウェルは冷笑を浮かべる。
「それがどうした」
思わずネアンは顔を上げた。ヴァウェルのその笑みに、怒りが込み上げてくる。
「ヴァウェルさんは、レイマンさんがどうなってもいいんですか!?友達じゃないんですか!?」
声を荒げる彼女とは対照的に、ヴァウェルは至って冷静に返す。
「くだらない」
「くだらないって……!」
怒りで体が震える。しかし、ヴァウェルはネアンが言葉を続ける前に口を開いた。
「あいつはディーズのつけたあだ名の通り、どこまでも『お人好しバカ』だ。人の為に尽くし、人の為に己の命を捧げ、人の為に死ぬ。それこそがレイマンの望みであり、あいつの生き方だ」
ヴァウェルは平然としている。
「あいつが好んで歩いている道が危なっかしいからってくよくよして泣いて、心配しているなどくだらない」
「でも……」
「それがくだらないことではないと思うのなら」
ヴァウェルは睨むようにネアンを見た。
「泣くより他に、やることがあるんじゃないのか?」
その言葉に、ハッとしたネアンは今までずっと掴んでいたヴァウェルの腕から手を離す。
「あいつに長生きしてほしいと望むのなら」
ヴァウェルはネアンに背を向けた。
「お前が奪った分の命を取り戻してみろ」
その後彼は何も言わずにそこから立ち去った。残されたネアンは呆然としながらも、ゆっくりと先ほどの彼の言葉を繰り返した。
「奪った分の命を、取り戻す」
ネアンは涙を拭った。
「よっしゃ、大急ぎで研究するぞ」
部屋に戻るなりカーサはシャルの後ろ襟を掴んで引き寄せた。首が絞まるのを右手で防いだシャルはカーサを見上げながら言った。
「カーサ先輩、意外と元気ですね……」
「そうか?」
シャルは首を傾げる。
「だって、レイマン先輩がこんなことになってるのに……。もっと沈んでるのかと思いました」
「バーカ。沈んでる暇があるんなら頭動かせよ。俺らには時間がないことがわかったんだから」
カーサはシャルの襟から手を離すとその頭を軽く叩いた。
「それにお前が言ったんだろ。『何か行動しなくちゃ何も変わらない』って」
シャルは微笑んだ。
「そうですね」
カーサはベッドの上に座って落ち込んだ顔をしているレイマンの方を見た。
「おい、お人好しバカ」
レイマンはゆっくりと2人の方に顔を向ける。
「ネアンのことは気にすんなって」
「そうは言うが……」
「あいつもバカじゃない。そろそろ気づいてここに駆け込んでくるんじゃねぇのか?」
「……気づく?」
「俺らには時間がねぇんだよ。レイマンの見たっていう悪魔のこと、もっと詳しく聞かせてくれ」
「ああ……」
メモを取ろうとカーサがノートを開きペンを手に取った。その時、ノックもなしにドアが突然開いた。そこに息を切らしたネアンが立っている。
「カーサ、シャル君。私も、研究に入れて」
カーサはレイマンに笑って見せた。
「ほらな?」
ネアンはレイマンの前に立つ。そして深く、深く頭を下げる。
「あの時は、助けていただいて本当にありがとうございました。それと、本当にごめんなさい」
ネアンは顔を上げた。
「私も研究に協力して、私が奪ったレイマンさんの命を取り戻します!」
レイマンは穏やかに笑って首を横に振る。
「大丈夫だよ。君はただでさえ忙しいというのに、私の為なんかにそんなことをしなくていい」
「いいえ!それじゃ私が嫌なんです!」
ネアンは必死に言った。
「私、レイマンさんに長生きしてほしいんです」
「……」
レイマンは微笑んだ。
「ありがとう」
ネアンはシャルとカーサを振り向いた。
「ねぇ、いいでしょ?」
シャルは大きく頷いた。
「もちろん」
カーサは指の上でクルリとペンを回すとペン先を2人に向ける。
「じゃあ、シャル、お前が今までの研究の内容をネアンに教えろ。俺はレイマンからいろいろ詳しいこと聞いとくから」
「わかりました」
シャルは大量の本やノートを開いてネアンに説明を始めた。その横でカーサはレイマンに質問を浴びせている。レイマンは微笑みながら一つ一つ丁寧に答えた。やがて、カーサはふと手を止める。そして顔を上げた。
「そういえば、レイマン。何かあったのか?」
「え?」
「だって、今までなら命が残りわずかだって分かっても絶対に言いそうになかったのに、今日いきなり言ったからさ」
カーサは首を傾げる。
「何があったんだ?」
レイマンはニコリと笑った。
「私も、本当に笑おうと思っただけだよ」
「は?」
レイマンはくすくす笑うだけでそれ以外は何も言わなかった。カーサは目を細めて彼を睨んでいたが、まぁいいか、と言うと質問を再開した。