-Every Jack has his Jill-
十四章 -Every Jack has his Jill-
仕事を全て終えて、シャルは寮へ戻った。階段の所では早速女子が好きな男子にお菓子を渡している所だった。慌てて道を変えて別の階段へ向かうが、そこも一組の男女がいる。仕方なくシャルは着替えもせずに食堂へ向かった。
トレーを持って席についていると、カーサがやってきた。
「何?お前着替えてないのか?」
「はい。どこに行っても告白現場に遭遇するんです」
「確かにそれは通りにくいな……。ところで、お前は今日何個もらったんだ?」
「2個ですよ。キール先輩とルル先輩」
カーサはニッと笑った。
「俺の勝ち」
「でも先輩も全部義理でしょ?」
「ほっとけ」
クスクスと笑うシャルの横から声が聞こえた。
「楽しそうだね」
声の主を見たカーサは手招きする。
「お、レイマン。ここ座れよ」
「ああ」
「レイマン先輩は本命のお菓子もらいましたか?」
「いいや。まったく」
「皆見る目ないですね」
レイマンが笑っていると、シャルの前にクルが座る。今日の晩御飯が乗っているそのトレーには、お菓子もたくさん積まれていた。
「先輩、それ全部もらったんですか?」
「ああ」
「うっわ……」
カーサも唖然としながらクルに尋ねた。
「それ全部本命ですか?」
「義理も何個かあるんじゃねぇか?」
「だが、告白を受けてはいないのだろう?」
「はい」
「じゃあどうしてそんなにお菓子をもらっているんだい?」
「断ったら、それでもいいから受け取ってほしいって言われたんですよ」
レイマンは感心したように頷いた。
「本当にすごいな、クルは」
すると、クルの傍に一人の女の子が立った。
「クル先輩」
クルはふっとその子を見上げる。女の子は、付けていた仮面を取りながら小さな声で言った。
「トリック・オア・トリート」
仮面の下から現れた顔は真っ赤になっている。女の子は静かにその両手に握られているお菓子を差し出す。
「ずっと前から好きでした。……もしよろしければ、付き合ってください」
クルは女の子の目を真っ直ぐ見た。
「悪いけど、俺興味ねぇし」
「そうですか……。すみませんでした」
「いや」
女の子は小さく微笑むと、逃げるようにしてその場を去った。シャルは彼女の目に涙を見た。カーサもそれに気づいたようで、クルに冷たい視線を送った。
「うっわー。今先輩女の子泣かしましたよ」
「そんなこと毎年やってる」
「それ嫌味ですか」
口を尖らせるカーサの横で、シャルは驚いたように言った。
「先輩、ハッキリ言いましたね」
クルはスパゲティを口に運ぶ。
「だってハッキリ言わねぇと相手に失礼だろ。例えそれが相手を傷つける結果になっても」
カーサはため息をついた。
「俺もそんな台詞言ってみてぇよ」
「でも、カーサ先輩はどうしてモテないんでしょうね?」
クルはニヤリと笑う。
「見た目じゃね?」
「えー?でも顔は普通にいいと思いますよ」
「じゃあ……何か足りないんじゃねぇの?」
「んー……」
考え込むシャルの頭をカーサが叩く。
「何勝手に人のモテない原因を探ってんだ」
「あはは、すみません」
シャルはごまかす様にフォークを取ってスパゲティを巻きつける。
やがて夕食を終えると、ふとクルが3人を見る。
「なぁ、これから俺の部屋来ないか?」
「いいですけど、どうしてですか?」
「もらった菓子全部食いきれねぇんだよ」
カーサがギロリとクルを睨む。
「……先輩、それ素で嫌味ですよね」
レイマンも首を捻る。
「だが、クルが食べないと意味ないんじゃないのかい?」
「全部一口ずつ食べたらいいでしょう?」
「まぁ……それはそうかもしれないが」
「それに食いきるのに何日もかかって腐らせたらそれこそ失礼だし」
「まぁ……」
そうして結局、3人は2階にあるクルの部屋へ行くことになった。
「今同室の奴仕事で抜けてるから、誰もいないし」
そうして案内された部屋は、きれいに片付いていた。
「へぇ、意外とキレイなんですね」
驚いたように部屋中を見回すカーサにシャルは苦笑した。
「自分たちの部屋が汚すぎるだけだと思いますけど」
レイマンも小さく笑う。
「カーサの食べたお菓子の袋が転がっているからな」
「うるせぇよ」
カーサは鼻を鳴らした。
クルが床にお菓子を置いて、ベッドに座ると早速包みを開けて一口ずつ食べだした。シャル達もそれぞれ座って、クルが一口食べたお菓子を口に運び出す。カーサはやけ食いのようにガツガツ食べているが、レイマンは少し控えめに菓子を手に取っている。
シャルはふと小首を傾げた。
「先輩って、甘いの好きなんですか?」
クルはチョコレートに手を伸ばしながらハッキリと答える。
「嫌いだ」
「嫌い、なんですか……?」
シャルが心底驚いていると、ドアがノックされた。クルは手を止めて立ち上がり、ドアを開ける。
「ハッピー・ハロウィン」
ネアンだった。部屋の中を覗き込むと驚いたような声を上げた。
「皆ここにいたんだ」
そしてクルに一言断って部屋の中へ入った。
「皆、お菓子持ってきたよ」
ニコリと笑ったネアンは袋の中から菓子を取り出し、シャル達に『ハッピー・ハロウィン』と言いながらそれを手渡した。シャルも笑顔で返した。しかしその後すぐに首を傾げる。
「ひょっとして、ネアン皆の分作ったの?」
「うん。他のヘルパーの子達と、この男子寮にいる人全員分、毎年作ってるの」
「全員分!?」
目を丸くするシャルにネアンは笑った。
「だって『これからもよろしく』って皆に伝えたいじゃない?」
最後にネアンは部屋を出ると入り口の所に立ったままだったクルに包みを渡した。
「ハッピー・ハロウィン。ちゃんと甘くないのにしといたからね」
クルは菓子を受け取りながら言った。
「ハッピー・ハロウィン」
そしてネアンを見る。
「ありがとよ」
「どういたしまして」
「けど、お前こんなことしてる場合か?」
「え?」
クルはネアンをしっかりと見た。
「渡してねぇんだろ。本命を」
「……」
「俺らなんか後回しにして、一番大事なことからしろよ」
ネアンはうつむいた。
「……もう、『ハッピー・ハロウィン』って言っちゃった」
「は?」
「シャル君にも頑張ってって言われたんだけど、やっぱり勇気がなくて」
ネアンは小さく苦笑する。
「片想いの時が一番幸せだって言うじゃない?」
「お前」
「じゃ、おやすみ」
そして逃げるように去って行く。クルは部屋に入ってドアを閉めると、吐き捨てるように言った。
「ったく……。あのバカが」
シャルは首を傾げた。
「どうかしたんですか?」
クルはベッドに座りながら怒ったような、呆れたような顔をした。
「本命の菓子を『ハッピー・ハロウィン』で渡しやがった」
「ええ!」
シャルの隣ではレイマンも残念がっている。
「せっかくのチャンスだというのに、もったいない」
「片想いの時が一番幸せだとか言って逃げやがったし」
舌打ちするクルや、残念そうな顔をしているシャルとレイマンを見て、カーサは目を細めた。
「おい、ひょっとして全員ネアンの好きな人知ってんのか?」
「あ、そうか。カーサ先輩は知りませんでしたね」
カーサはケロッとしている。
「ま、どうせ俺も知ってるけど」
「え?」
驚くシャルにカーサはニヤリと笑った。
「ネアンの好きな人、ディーズ先輩だろ?」
「何で知ってるんですか!?」
カーサは少し意外な風だ。
「へぇ、当たったんだ」
「え?」
「ちょっとひっかけただけなのにまさか当たるとはな」
「……じゃあ先輩知らなかったんですか?」
「ああ。ディーズ先輩はラベル警察署ナンバーワンのモテ男だからな。確率高かったし言ってみただけ」
シャルは小さく言った。
「ごめん、ネアン。カーサ先輩にもバレちゃったよ」
カーサはケラケラ笑っている。クルも呆れたような顔をした。
「お前ってホンッとドジだよな。俺とレイマン先輩にバレたのもお前のミスだし」
「え?マジで?」
「はい……」
レイマンは穏やかに言った。
「まぁ、カーサも口は堅い方だから心配することはないさ。ネアンにも一言謝れば大丈夫だろう」
シャルはため息をついた。
そしてふと、再び菓子を食べ始めたクルを見る。菓子が嫌いと言っていたにもかかわらず、嫌そうな顔をして食べているわけではない。一口食べると、それをしっかり飲み込んでから次の菓子へ手を伸ばしている。そんなクルの様子をジッと観察していると、その視線に気付いたクルがシャルを軽く睨んだ。
「なんだよ」
「いえ、ただ」
シャルは微笑んだ。
「クル先輩って実は優しいんだなぁ、と」
「は?」
「だって、甘い物嫌いとか言っている割には食べる時嫌そうな顔はちっともしていないし、今食べている物をちゃんと飲み込んでから次のお菓子食べてるでしょ?それに、相手に失礼だからって腐る前に全部手をつけようとしているし、断る時もハッキリ言ってる。あとは、興味ないとか言っているけれどネアンのことを心配して『本命を渡せ』って言ったところ」
シャルはニッコリ笑う。
「クル先輩って、冷めてるけど実は相手のことをちゃんと考えてる優しい人なんですね」
クルは鼻を鳴らしてシャルから視線を逸らした。シャルのあまりにも正直な感想に何も言葉が出てこないらしい。
その様子を見ていたカーサは呆れたように言った。
「お前ってさ、なんでそんな恥ずかしいことサラっと言えるわけ?」
「え?だって本当のことじゃないですか」
「思ってても言えねぇよ」
レイマンも穏やかに笑った。
「シャルは素直だからね」
するとクルはまるで犬を追い払うかのように左手を振った。
「もういいよ、帰れ」
「え?」
「後は俺が全部食うから」
「え、でも先輩甘いの嫌いなんじゃ」
「だからいいって」
レイマンはゆっくり立ち上がった。
「さあ、クルもそう言っていることだし出るとしよう」
そしてシャルの腕を引っ張り、カーサと共に部屋を出た。クルは部屋の奥から『助かった』とだけ言ってドアを閉めた。
カーサは軽く舌打ちをする。
「クル先輩が照れてるとこ初めて見たからもっといたかったのに」
レイマンは首を横に振った。
「見世物ではないだろう。部屋へ戻ろう」
そして3人はそのまま部屋へ向かった。
その頃、交通課の部屋ではラウナルが一人、残業をしていた。
「ったく……。こんな日になんで俺だけ残業やねん」
昼間、ラウナルが居眠りをしていたためにディーズが帰る前に残業を言いつけたのだ。書類整理を今日中に済ませろ、と。
「どこが『ハッピー』なんや」
悪態をつきながらもラウナルは手際よく書類を整理していく。普段サボっているように見えて、実はキールよりは真面目に仕事をしているし、要領もいいのだ。本気になればラウナルもこれくらいは朝飯前である。
「あーあ。コーヒー飲みたいわぁ……」
背もたれに身を預け、空に呟いた。だが、ここには誰もいない。返事をしてくれる者など一人もいなかった。ラウナルは舌打ちをしてから、ゆっくりと立ち上がる。
「俺が入れろってか、はいはい」
そして部屋の奥にある湯沸し室へコーヒーを入れに行く。
マグカップを持って戻ってみると、部屋の電気が消えていた。ついているのは、自分の机の電気スタンドだけである。
「……ん?」
首を傾げたラウナルだったが、慌てる様子もなくゆっくりと椅子に座った。
「なんや?お化けでも出てくるんか?」
ケラケラと笑うとコーヒーを一口飲んで、部屋の電気もつけずそのまま仕事を再開した。
すると、部屋のドアをノックする音が聞こえる。ギィ、とドアが開いて現れたのは、仮面をつけた女だった。ラウナルは彼女の方を見た。大して驚きもしない。
「なにしてんねや」
ニヤリと笑う。
「キール」
キールは肩をすくめた。
「なんだ。せっかくラウナルがちょっとは浮かれるかなぁ?と思ったのにさ。真っ暗にして雰囲気までだしたのに」
「ないない。こんなオッサンに誰が告白なんかしにくるかいな。第一そんな変装まだまだやな。バレバレやで」
キールは中へ入ってくる。彼女がまだ仮面を取らない様子から、ラウナルはニヤリと笑う。
「さては、誰か好きな奴に告白する気やな?」
「そうだよ」
あっさり答えたキールにラウナルは、へぇ、と意外そうな顔をした。
「あんたにも好きな奴おったんやな」
一口、コーヒーを飲む。そんなラウナルにキールはゆっくり近づいた。
「ねぇ、ラウナル」
「あ?」
キールはラウナルの正面に立った。そっと仮面を外す。微笑むその口から、静かに言葉が紡がれた。
「トリック・オア・トリート」
そしてお菓子の包みを差し出す。
「今度はイタズラじゃないよ」
ラウナルはマグカップを置くと不敵に笑う。
「それやったら、ちゃーんと証拠見せてくれへんか?」
キールはニヤリと笑った。
「いいよ」
窓から差し込む月明かりが、2人の影をしっかりと作り出していた。
「結局今年も本命なしかよ」
ベッドの上で今日もらったお菓子をばら撒きながら、カーサがため息をついた。
「それなら、カーサ先輩も好きな女の子を見つけたらいいんですよ」
「そう簡単に見つかってたらこんなに悩まねぇよ」
「そうですね」
シャルは苦笑した。
すると、トントンと音がした。ドアに一番近かったレイマンが立ち上がる。そっと開けると、背の低い女が仮面を付けて立っていた。
「あの、こんばんは……。マシェンヌ・ノールです」
レイマンは優しく微笑んだ。
「用があるのは、シャル・レンダーかい?それともカーサ・レブンの方かな?」
「いえ、違います……!」
慌てたようにマシェンヌは言うと、震える手でゆっくりと仮面を外した。現れたのは、20代くらいの小さな顔。大きな青色の瞳が潤んでいる。桃色の唇が、小さく開いた。
「……トリック・オア・トリート」
差し出された両手に、お菓子の箱がそっと包まれている。
突然のことにレイマンは驚き、すぐには状況が理解できなかった。
部屋の中では、マシェンヌの告白の一部始終を聞いていたカーサが興味深々に部屋の外を覗こうとしている。シャルは慌ててレイマンの後ろに立つと、彼の大きな背を外へ押しやった。
「自分達はここにいますので、どうぞごゆっくり」
そしてバタンとドアを閉めた。カーサはシャルを睨む。
「何で追い出すんだよ」
「当たり前じゃないですか。見世物じゃないんだから」
「だってあの32歳のレイマンに告白しに来た子がいるんだぜ!?どんな子かちゃんと見たいと思わねぇのか?」
「そりゃちょっとは思いますけど……。でもその告白しに来た人の気持ちを考えたらそんなことできませんよ。相手は勇気を出して本気で来てるのに」
「なんだよ、お前真面目だな」
シャルはポンと手を打った。
「そうか、カーサ先輩がモテない理由がわかりましたよ」
「あ?」
「女の人の気持ちを考えないからですよ」
キッパリと言い放ったシャルに、カーサは枕を投げつけた。
「そういうお前だってモテてねぇだろうが!」
飛んできた枕がシャルの頭に直撃する。頭を押さえ、カーサを睨みながらシャルは口を尖らせた。
「でもカーサ先輩よりはわかってるつもりですよ」
そして再び手を打つ。
「それにほら、クル先輩だって女の人の気持ちを考えてるからああやってたくさんお菓子もらえるんだし、レイマン先輩だって女心がわかってるからさっきだって告白されてたんですよ」
「うるせぇなぁ。どうせ俺はモテねぇよ!」
落ち着きを取り戻していたレイマンはドアの前でカーサの怒鳴り声を聞き、マシェンヌに微笑んだ。
「少し静かな所へ行こうか」
「あ……はい」
マシェンヌは小さく頷く。
2人は屋上へ行った。もう夜も遅く、寒かったためにそこには誰もいなかった。レイマンは上着をマシェンヌに着せてやる。
「君は、確かよく図書館にいる子だね」
「はい」
「いつだったか、君が取りにくそうにしていた本を取った記憶があるんだが……」
マシェンヌは目を丸くした。
「覚えていてくださったんですか?」
「ああ。図書館に行くたびに見かけている子だったし、勉強熱心だと感心していたからね」
そしてゆっくり彼女に向き直る。
「さっきの話だけれど」
レイマンは優しく微笑んだ。
「ありがとう。君の気持ちは嬉しいよ」
「じゃあ」
マシェンヌは希望の光る瞳を上げて、再びお菓子を差し出した。しかし、レイマンは小さく首を振ってマシェンヌのその手をそっと押し戻した。
「私は魔法使いだ。君は世の道理を知っているかい?」
マシェンヌは頷く。
「はい。知っています」
レイマンの瞳は悲しい色をしていた。
「私は、君を幸せにはできない」
そしてゆっくりと頭を下げた。
「申し訳ないが、私は君の告白を受けることはできない」
レイマンの耳に、マシェンヌの小さな声が届いた。
「私の幸せは、私が決めるんです」
レイマンは顔を上げる。マシェンヌの、今にも泣き出しそうな顔があった。
「私の幸せは、私が決めるんです。レイマン先輩が私の幸せを決めるんじゃありません」
マシェンヌは更に言った。
「ずっとじゃなくていいです。永遠とか、ずっととか、そんな贅沢なことは望みません。私の幸せは、好きな人とその時を過ごすことです。だからそんなこと言わないでください。魔法使いだから幸せにできないとか、そんなことはないです」
「だが私は……」
レイマンはその続きが言えなかった。少しでも魔法を使えば胸に激痛が走る段階まできている。これは、もう命が残りわずかだということを示しているということを。言えば、今ここで彼女が悲しむこととなる。だからこの告白を受けないで、そのことを黙っているのが一番なのだ。
レイマンは頑なに首を横に振った。
「それでも、受けられない」
「どうしてですか?」
「悪いとは思っているよ。けれど、受けられないんだ」
マシェンヌは真っ直ぐレイマンを見上げる。
「レイマン先輩、ひょっとしてご存知なのですか?」
「何をだい?」
「ご自身の命があとどれだけなのか」
レイマンは笑おうとした。いつものように笑って、『それは私には何もわからないよ』と。そう言おうとした。
しかし、その瞬間いつもの後ろめたさを感じた。嘘をつこうとすれば、いつも感じる。この心優しい人たちを騙していいものか、と。いつもはその後ろめたさを振り切って、この人達を心配させないために嘘をついてきた。
だが、今日は違った。以前ここでヴァウェルと話した時のことが思い出されたのだ。
『バカにするな。俺はそんなことをされても笑えない』
レイマンは嘘を付こうと少しばかり開いた口をそのままに、マシェンヌを見ていた。マシェンヌはじっとレイマンの答えを待っている。その青い瞳を見ていると、まるで全てを見透かされそうだ。
『嘘なんてくだらない。どうせ俺も、あいつらも皆知っている』
いや、もう既に見透かされているのか。それならば、嘘を付く必要などないのか。
レイマンはふと真実を告げようとした。だが、自然と唇を噛み締める。
そんなレイマンに追い討ちをかけるかのようにヴァウェルの言葉がよみがえった。
『笑ってほしいなら、お前が心から笑うことだな』
「……」
ついに閑念したレイマンは全身の力を抜いた。そして悲しそうにマシェンヌに告げる。
「そうだよ。私は魔法を少し使っただけでも胸に激痛が走るところまできている。この前なんか、私の命を食べている悪魔を見たよ」
マシェンヌは息を呑んだ。心配そうな顔をしている。
レイマンは続けた。
「それは、きっと私の命が残りわずかだということを表している。私はあと少し魔法を使えば死ぬんだよ」
再び頭を下げた。
「だから、君の告白は受けられない」
マシェンヌの目から涙がこぼれた。面を上げたレイマンの心が痛む。こうならないために、自分は嘘をつき通してきたというのに。
しかしマシェンヌは泣きながらも強い口調で言った。
「それなら、尚更諦めきれません」
「え?」
「レイマン先輩の命が残り僅かなら……尚更、諦められません!少しでもいいです。レイマン先輩の命が途切れるのが、明日でも、一時間後でも構いません」
マシェンヌは、頭を下げながらお菓子を差し出した。
「レイマン先輩が死ぬまで、傍にいさせてください」
レイマンは正直驚いた。そして、驚いたと同時に嬉しくもあった。
この子は、こんなにも自分のことを好いてくれているのか。
自然と穏やかな笑みが漏れる。
「本当に、覚悟はできているのかい?」
マシェンヌは顔を上げて、大きく頷いた。
「はい」
レイマンはそっと、差し出されていたお菓子を受け取った。
「ありがとう」
その瞬間、緊張していたマシェンヌの体から一気に力が抜けた。
アカーシアはヴァウェルを男子寮裏に呼び出していた。
「何だ、こんな時間に」
不機嫌そうなヴァウェルに、アカーシアは微笑みながら菓子を差し出す。
「ハッピー・ハロウィン」
「……」
「あら、せっかく仲直りしたっていうのに受け取ってくれないの?」
ヴァウェルは無言でそれを受け取る。
「……ルルの時はハッピー・ハロウィンって言ったそうじゃない?」
少し寂しそうにそう言われて、ヴァウェルは小さく舌打ちした。そしてぶっきら棒に返す。
「ハッピー・ハロウィン」
アカーシアはニコリと笑った。
「ありがとう。ごめんなさいね。こんな時間に呼び出しちゃったりして」
「いや」
「それじゃ、おやすみなさい」
アカーシアは女子寮の方へ去って行った。ヴァウェルも寮に戻ろうと、もらった菓子をポケットに入れる。
その時、後ろから声が聞こえた。
「あ、ヴァウェル先輩ここにいらしたんですか」
振り向くと息を切らしたモカが立っていた。
「そんなに急いで、何か用か?」
モカはヴァウェルの前まで来ると呼吸を整える。大分落ち着いてきたところでモカはにこやかに微笑んだ。
「はい」
そうして差し出されたのはお菓子の包み。
「ハッピー・ハロウィンです」
笑いながら言ったそのすぐ後に、慌てたように訂正をする。
「あっ!告白とかそんなんじゃないですよ!私はヴァウェル先輩を尊敬しているから……」
「わかっている」
ヴァウェルはモカの手からお菓子を取り上げるようにした。モカは首を傾げてヴァウェルを見上げる。
「ルルちゃんの時のように言ってくれないんですか?」
「これだから女は……」
聞こえぬように呟いたヴァウェルはため息交じりに言う。
「ハッピー・ハロウィン」
モカはニコリと笑った。
「ありがとうございます」
その時、ふとヴァウェルはモカを見る。
「……ディーズ達にはあげたのか?」
モカは苦笑して首を横に振った。
「本当は、誰にもあげる気はなかったんです。私お菓子作りが下手ですから……。でも、ルルちゃんが言っていたことを聞いて、急にヴァウェル先輩に渡したくなったんです」
そしてまたモカは慌てて言った。
「あ、ですから告白とかじゃ」
ヴァウェルはため息をついた。
「そんなに何回も言うと余計に怪しまれるぞ」
「……すみません」
そして間を開けると、モカはおずおずと切り出した。
「あの、先輩」
「何だ?」
「私、本当に本当にお菓子作りすごく下手なんです。ですから、あんまり美味しくないと思いますけど……。一口だけでいいです。一口食べて美味しくなかったら捨ててください」
モカは一度頭を下げると、
「おやすみなさい」
そう言ってその場から逃げるように走り去った。残されたヴァウェルはモカが女子寮に入るのを見届けると、踵を返してゆっくりと寮へ帰った。
「……で?」
カーサはふてくされたようにベッドの上にあぐらをかいていた。
「結局付き合うことになっちゃったってわけ?」
「ああ」
レイマンは穏やかに笑って頷いた。
「すごいじゃないですか!おめでとうございます!」
シャルは嬉しそうに拍手する。
「それで、その人は今どこに?」
「もう夜も遅いから女子寮に送ってきたよ」
「そうですか」
カーサはベッドの上に寝転んだ。
「あーあ。スタートラインは同じだったのに俺より14も年上のレイマンに先越されるなんて」
シャルは苦笑した。
「いいじゃないですか。おめでたいことなんですから」
そして再びレイマンに向き直った。
「名前は何ていうんですか?」
「マシェンヌ・ノール」
「どこの課ですか?」
「少年課と言っていたよ」
「へぇ……。年はいくつなんですか?」
レイマンは首を横に振った。
「女性にそんなこと聞けないよ」
思わぬ答えにシャルはキョトンとし、カーサは大笑いした。
「女の人に年齢聞けねぇなんてさすがレイマンだな」
シャルも控えめに笑っている。
「彼女なんだからいいじゃないですか」
「だがたった15分程前のことだよ」
「それくらいどってことねぇって」
涙を流しながら笑っていたカーサはため息をつくとレイマンにニッと笑った。
「ま、あれだけ人気のなかったレイマンにもついに春が来たことだし、悔しいけどしょうがねぇから応援するぜ」
「ありがとう」
シャルもニコリと笑った。
「今度紹介してくださいね」
「ああ」
微笑んだレイマンの表情は、シャルが今までに見たことなかった顔だった。