-All work and no play makes Jack a dull boy-
十三章 -All work and no play makes Jack a dull boy-
「おじゃましまぁす!」
元気よくドアを開けて交通課の部屋へ入ってきたのは、似顔絵作成課に所属するルルだった。今日もスケッチブックとペンを持っている。
「あ、ルル先輩。どうしたんです?」
シャルはニコニコ笑って尋ねた。ルルもまた同じように笑う。
「遊びに来たの」
「仕事はお休みなんですか?」
「お仕事はあるけどお仕事がないの」
「え?」
するとラウナルがルルを招き入れながら言った。
「似顔絵作成課は暇な時が多いからな」
「そうなんですか?」
「ああ。ひったくりとか、被害者が犯人の顔を見た時とか限られた場合やないと仕事が回ってこぉへんのや」
椅子に座ったルルにキールがお菓子を差し出してやる。
「でも他の課に遊びに行くのは許されてるわけじゃないから、また部屋抜け出してきたんでしょ」
「うん」
ルルはお菓子を受け取りながら言った。
「いいんですか?抜け出してきたりなんかして」
「まぁ、上もルルの場合は大目に見てくれるしええんちゃうか」
「え?どうしてですか?」
ルルのためにジュースを持ってきたモカが言った。
「ルルちゃんは正式な警官じゃないんです」
「どういうことですか?」
するとルルはジュースを一口飲んでシャルを見上げる。
「ルルのお家はね、お金がないの。だから前はルルが道でいろんな絵を描いて売ってたんだ。人の顔の絵も描いていたんだよ」
「そんで、今の似顔絵成作課班長にその腕見込まれてここに連れてこられたんや」
「へぇ……」
「それでその班長が総監に頼んでここで働かせてもらえるようになったんですよね」
「うん」
「お給料は家の方に送ってるから今では生活も結構楽になったって聞くけど?」
キールの問いにルルは嬉しそうに頷いた。
「うん。お父さんとかお母さんとか皆喜んでるよ」
「でも、ここは寮制ですよ。お父さんとかお母さんに会えないのは寂しくないですか?」
「大丈夫だよ。ルル、ちゃんとした警官じゃないからたまに家に帰れるんだ」
「ルルはまだ幼いさかい、警察署の厳しい規則から自由にするために、特別に正式な警官やないっちゅうことになってんねん」
「泊まりたい時に泊まって、帰りたい時に帰る。自由でサイコーの生活だね」
「いいでしょー」
ニコニコとキールに笑いかける。キールは頬を膨らましながら椅子の背もたれに身を預けた。椅子が軋む音がする。
「ほんと、いいご身分ですこと」
そう言った時、ドアが開いてディーズとヴァウェルがパトロールから帰ってきた。
「あ、おかえりぃ」
満面の笑みでルルは二人の方へ駆けていき、ディーズに飛びついた。
「ルル」
ディーズは飛び込んできたルルを難なく受け止めた。ヴァウェルはそんなルルを見下ろす。
「なんでお前がここにいるんだ」
ルルはヴァウェルを見上げる。
「お仕事だけどお仕事がないの。だからひまなの」
「だからってここに遊びにくるな。邪魔だ」
その言葉を聞いた瞬間、いつものラウナルとキールのペアによる反論が始まった。
「うっわ。ひどいこと言いよるなぁ」
「ほんと、ルルはまだ子供なのになんてひどいこと言うのさ」
「そうだそうだぁー」
ルルも負けじと加わっている。
ディーズはルルを下ろしてラウナルとキールに預けると、仕事に戻った。
シャルはルル組対ヴァウェルの対決を見ながらモカに言った。
「ルル先輩、慣れてるんですね。ヴァウェル先輩にあんなこと言われても動じないなんて」
「確かに、最初はヴァウェル先輩を怖がってすぐに泣いたりしていたんですが、どうやらキール先輩やラウナル先輩に何か言われたようで」
「キール先輩とラウナル先輩に?」
「はい。キール先輩とラウナル先輩とルルちゃんはすごく仲がいいんですよ」
「そうみたいですね」
シャルは目の前の三人の様子を見て微笑んだ。ルルはキールとラウナルの間で二人の手を握っている。二人ともそれを嫌がる素振りは全く見せていない。むしろ彼女の手を握り返しているようだ。そんな微笑ましい光景にシャルはクスクス笑った。
すると言い争いに疲れたのか呆れたのか、ヴァウェルが大きくため息をついた。
「勝手にしろ。どうなっても俺は知らないからな」
その言葉を聞くなりラウナルがグッと拳を握った。
「よっしゃ。ルル、勝ったで!」
キールもケラケラ笑う。
「あのお堅い副班長サンを黙らせたよ!」
ルルは両手を挙げ飛び跳ねて喜んだ。
「わぁい!ヴァウェルに勝ったぁ」
ヴァウェルは鼻を鳴らして席についた。
するとハッと何か思い出したようにルルは動きを止めた。
「そうだ、思い出した」
「何を?」
ルルはスケッチブックとペンを持ってきてラウナルを見上げた。
「甘いのが好きですか?辛いのが好きですか?苦いのがお好きですか?それともすっぱいのがいいですか?」
「は?」
首を傾げていたラウナルだったが、ふとカレンダーに目をやると頷いた。
「なんや、もうそんな時期か」
そしてルルに微笑んだ。
「俺は甘党やで」
ルルはスケッチブックに『ラウナル 甘い』と書くと今度はキールを振り向く。
「キールは?」
「あたしは苦いのが好き」
次にルルはシャルの所へ来た。
「シャルは?」
「あの……何の話ですか?」
ルルは首を傾げてまじまじとシャルを見上げる。
「ハッピー・ハロウィン・バレンタインだよ。知らないの?」
「ハッピー・ハロウィン・バレンタイン?」
キョトンとするシャルにラウナルが説明してやる。
「その名の通り、ハロウィンとバレンタインを合体させた行事や」
「そんなのがあるんですか?」
「ああ。何十年も前に、ここで働いとるもんが総監に内緒で作り出したんや。まぁ、ここにはハロウィンもバレンタインもないし、恋愛やってそうそうできるもんとちゃうから、恋ができてしかも男も女も楽しめる行事を作ろうっちゅうわけや。それが出来てから何年かしたら総監にバレてしもたんやけど一日くらいならええかって、仕事に支障がでたら直ぐに止める条件でお許しが出たんや」
「でもハロウィンとバレンタインを合体したのって……どんなのなんですか?」
「ま、女の子が好きな男に告白するっていうのが基本やな。顔を仮面で隠して仮装して、手作りのお菓子を持っていって『トリック・オア・トリート』って言いながら仮面を外すんや。本来は『お菓子くれへんといたずらするで』って意味やけど、ここではそれは『あんたの愛くれへんといたずらするで』って意味になるんや」
「……なんか、脅しですね」
「アホ、そんなん言葉のあややんか。ホンマにいたずらしとったらガキやガキ」
するとキールが話に割り込んできた。
「ちなみに、好きな男の人の所に行くまで誰にも正体を見破られなかったら恋が実るっていうジンクスもあるんだよ」
「へぇ」
「最近では好きな奴だけやなくて友達にもお菓子あげとる女子がおるけどな」
ルルがシャルに向かって背伸びする。
「だからルル今、皆はどんなのが好きか調査してるの。シャルにもあげるよ」
「ありがとうございます」
「シャルはどんなのが好き?」
「自分は甘いのも苦いのも好きですよ」
「わかったぁ。モカは?」
「私にもくださるんですか?」
「うん」
「ありがとうございます。私は甘いのが好きです」
「ディーズは?」
「俺は何でも食べれるな」
スケッチブックにペンを滑らせたルルはヴァウェルの所へ走った。横に立つと彼を見上げる。
「ヴァウェルは?どんなのが好き?」
ヴァウェルは目も合わせようとしない。そして短く答えた。
「いらん」
しかしルルは引き下がらない。
「あげるよ」
「だからいらないと言っているだろうが」
「どうして?」
「そんなことをして何の意味がある」
「意味?」
ルルは一人首を傾げる。
「いみ?」
そしてうつむいて考え込んだ。
「いみ……?いみ……?」
ラウナルの方を見る。
「ねぇ、何のいみがあるの?」
ラウナルはため息をついてヴァウェルを見た。
「またルルに難しいこと言いよって」
「俺は事実を言ったまでだ。そんな行事なんかに意味などない」
「いみ……。どんないみ……?」
ルルは一人ぶつぶつと呟いている。そしてヴァウェルを見上げた。
「わかった。じゃあ、ルルがそのいみを見つけてヴァウェルに教えてあげる!」
「……なんだと?」
「そしたら、ちゃんとおかしもらってね」
そしてヴァウェルには有無も言わせず、ルルは『おじゃましましたぁ』と元気よく言って交通課の部屋を飛び出していった。
ラウナルはニヤニヤ笑う。
「ルルがどんな答えを見つけるんか、見ものやな」
「大丈夫でしょうか……ルル先輩」
「いーんじゃないの?どうせ意味を見つけられなくてもお菓子もらえないのは副班長サンだけなんだし」
「わからんで?あいつのことや。意味を見つけるんに必死で菓子作る暇なかった言うて結局もらえへんかもしれんで」
「ええ!?何それ。あたしのお菓子は!?」
「知らんわそんなん」
「なんでラウナルそんなに落ち着いていられるのさ!当てがないくせに」
「ほっとけ。どうせ俺はモテへんわ」
キールはヴァウェルを指差した。
「副班長サンのせいだからね!」
「知らん」
あっさりと流したヴァウェルは書類に目を通した。
「あーあ。これでひとつあたしのビターチョコが消えた……」
キールは小さくため息をついた。
その夜、寮へ戻るとカーサとレイマンは先に部屋に帰っていた。
「よう」
「お帰り」
笑顔で出迎えてくれた二人にシャルも微笑んで返す。
「ただいま帰りました」
ベッドへ座るとカーサが読んでいた本から顔を上げた。
「そういえば、もうすぐハッピー・ハロウィン・バレンタインだな。シャル、お前にとっちゃ初めてだろ」
「はい。今日ラウナル先輩に聞きました。なんでも、女の人が好きな男の人に告白する日だとか」
「ああ。10月31日にあるから、丁度あと一週間後だな」
「そういえば、カーサ先輩って前さっぱりした子が好きだって言ってましたけど、彼女とかいるんですか?」
「いねぇよ」
「へぇ……。去年のハッピー・ハロウィン・バレンタインには誰からかもらったんですか?」
するとレイマンがくすくす笑う。
「そういえば、たくさんもらっていたな」
「え?先輩モテるんですか?」
カーサは自嘲気味に笑った。
「ああ、義理だけどな」
「え?」
「去年もらったのは、捜査課で一緒に仕事している年上の女の人三人とルル。あとネアンからももらったな」
「ええとそれは……」
「捜査課で一緒の人も、ルルもネアンも皆にあげてた」
「ホントに義理ですね」
「ハッピー・ハロウィン・バレンタインなんてモテる奴には最高の行事だろうがそうでない奴にとっちゃ最悪の行事だよな」
吐き捨てるように言った後、ふとシャルを見た。
「そういえばお前はどうなんだよ?」
「へ?」
「モテるのか?」
レイマンはシャルを見ながら言った。
「シャルは性格もいいし、女の子に優しいからきっとモテるだろうな」
シャルは頭と両手を大げさに振った。
「全然モテませんよ。ていうか、そもそも女の子との交流がありませんでしたよ」
「なんだよ奥手かよ」
「別にそういうわけじゃ……」
シャルはレイマンに顔を向ける。
「レイマン先輩はどうなんですか?去年誰からか本命でお菓子もらいました?」
レイマンは声を上げて笑った。
「30過ぎのおじさんにお菓子をくれようなんて人は残念ながらいなかったよ。義理ならカーサと同じくルルとネアンと課で一緒の人にもらったけどね」
「でもレイマン先輩こそ優しいからモテると思うんですけど」
「ハッピー・ハロウィン・バレンタインは若者の行事だよ。実際ディーズはたくさんお菓子をもらっているけど、ヴァウェルと私はさっぱりだからね」
「え!?ディーズ先輩たくさんもらってるんですか?」
その驚きようにカーサは首を傾げた。
「なんだよ、お前知らないのか?お菓子をもらう数はディーズ先輩は毎年上位にいるんだぜ」
「その中には本命もかなりあるらしいね」
「でもその告白全部断ってんだぜ。贅沢な人だよ」
「なんだ、カーサ。ひがんでいるのかい?」
「誰が」
そんな二人の会話を聞いていて、シャルはネアンのことを思っていた。ネアンはディーズがお菓子をたくさんもらっていることを知っているのかが気になったのだ。すく、と立ち上がるとシャルは部屋を出た。
「ちょっと、用事を思い出しました」
大急ぎで去るシャルを見送ったカーサは不思議そうにレイマンを見た。
「用事?こんな夜に?」
レイマンは穏やかに笑っている。
「彼は優しいから」
「は?」
シャルは寮内を闇雲に駆け回っていた。この時間帯、ネアンが何をしているのか全く知らない。しかし使っていない階があるとはいえ、11階まである広い寮だ。これ以上適当に走っていても無駄だと思って立ち止まる。荒く息をしながら考えを巡らせた。
今は夜の10時半。食事が終わったのは8時。大勢の食器を洗わなければならないがさすがにそれは終わっているだろう。洗濯物もとっくに取り込んでいるはずである。とすると―――。
シャルはハッと顔を上げて1階へ走った。食堂に明かりがついている。台所へ勢いよく駆け込む。
「ネアン!」
「うわ!」
突然大声を出されて、明日の朝食の準備をしていたネアンは飛び上がった。
「びっくりした……」
「あ、ごめん」
「どうしたの?そんなに慌てて」
ネアンは驚きながらも、コップ一杯の水をシャルに手渡した。
「ありがとう」
それを一気に飲み干すと、シャルはネアンを見た。
「あのさ、ハッピー・ハロウィン・バレンタインのことだけど」
「うん」
「ディーズ先輩にあげるの?」
その問いを聞くなりネアンは固まった。
「……」
長い沈黙の後、ネアンはため息をついて言った。
「迷ってるんだよね……」
「何を迷うの?」
「だって……ディーズ先輩毎年女の子からお菓子を30個以上はもらってる人だよ。その中には本命が半分以上あるらしいし……」
「でも、全部断ってるらしいよ」
「知ってるわ。でもそれって、逆に言えば好きな人がいるから断ってるってことじゃないの?」
「でもネアンには言ったと思うけど、ディーズ先輩には好きな人いなさそうだよ」
「そうだけど……」
シャルは微笑んだ。
「ネアン、毎年お菓子をあげようとしてるけど今まで本命としては一度もあげられてないでしょ」
ネアンは心底驚いたようだ。目を丸くしている。
「え!なんでわかるの?」
シャルは苦笑する。
「なんとなくだよ」
ネアンは小さく頷いた。
「……毎年皆にお菓子をあげるから、あげるところまではできるの。でもね、『トリック・オア・トリート』って言えないんだ」
「大丈夫だよ」
「え?」
「先輩がモテてるからって逃げちゃだめだよ。何かしなきゃだめなんだから」
「わかってるけど……」
「大丈夫だって」
「断られたらどうしよう……」
「だって、過去に断られて落ち込んでる子がたくさんいるのに、女の子たちは皆その事実を知ってても勇気を出して想いを伝えてるんだから、ネアンもがんばらなきゃ」
ネアンは頬を膨らませた。
「他人事だからってそんな簡単に言わないでよ」
「あ……ごめん」
ネアンは苦笑した。
「でもありがとう。ちょっと勇気でたよ。今年はがんばってみる」
「うん」
「だから、落ち込んでたら慰めてね」
「もう失敗した時のこと考えてるの?」
「だって失敗する確率の方が高いもん」
「まだわからないじゃん。とりあえず美味しいお菓子を作ることだけ考えようよ」
「うん。ありがとう」
ネアンは小さく笑った後、ふと小首を傾げた。
「そういえば、そのことを言うためだけにわざわざ走ってここまできたの?」
「うん」
素直に答えたシャルに、ネアンは噴き出した。
「え、何がおもしろいの」
「ごめん。ただ、やっぱりシャル君て優しいなぁって思って」
そしてニッコリと笑った。
「ありがとう」
シャルは一瞬唖然とした。
「……」
「どうしたの?」
首を傾げるネアンにシャルは笑った。
「それだよ。その顔」
「へ?」
「その笑顔で告白したら、誰だって断れないよ」
苦笑がもれる。
「僕も思わず逆に告白しそうになったよ」
ネアンは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「からかわないで!」
「ええ!?正直に言っただけなのに……」
ネアンは慌てたようにシャルの体を反転させてその背を押した。
「ほら、早く部屋に戻らないと!もうすぐ11時だよ。また寝坊したら怒るんだからね!」
「わかったって」
シャルはクスクス笑いながら笑顔で言った。
「じゃ、おやすみ」
「おやすみ」
目も合わせようともせずにネアンはそっけなく答えた。
腕時計に目をやったシャルは部屋に走る。
一週間はあっという間に過ぎた。
ハッピー・ハロウィン・バレンタイン。その日、シャルは廊下へ出て驚いた。男子寮であるはずのこの場所に、女子が複数いたのだ。
「あれ……?」
振り向いてカーサに疑問の視線を投げかけると、カーサは何事もない風に答えた。
「なんだ、お前聞いてねぇのか?」
「何をですか?」
「今日はハッピー・ハロウィン・バレンタイン。男女ともお互いの寮に行くことは厳禁だが今日一日だけは許されるんだ。もちろん、就寝時間になったら自分の部屋に帰らなきゃなんねぇけどな」
「そうなんですか」
「だから、今ここにいる女子たちは誰かにお菓子渡すつもりで来たんじゃねぇか?」
「へぇ……」
朝食を取るためにカーサとレイマンと三人で廊下を歩いていると、すれ違う女子は友達と楽しそうに騒いでいたし、男子は大抵の者がソワソワしていた。
「本当に、仕事に支障がでていないんでしょうか?毎年」
朝食の席で、シャルは周りを見渡しながら呟いた。レイマンは隣で小さく笑う。
「まぁ、こうなるものだよ」
そしてふとシャルを見た。
「シャルは落ち着いているが、当てでもあるのかい?」
「いいえ、全く。最初からもらえるわけないって思ってるから落ち着いてるんですよ」
「まだわからないじゃないか」
「交流のある女の人の数なんて片方の指で数えられますよ」
レイマンは、笑いながらパンを手に取った。
そうしていると、目の前にクルが来た。彼はトレーをシャルの前の席に置きながら尋ねる。
「ここ、いいか?」
「あ、はい。どうぞ」
クルは椅子に座ると黙々と食べ始める。シャルは首を傾げて訊いてみた。
「クル先輩は、去年誰かから貰ったんですか?」
「何を?」
「お菓子ですよ。今日はハッピー・ハロウィン・バレンタインじゃないですか」
「興味ねぇよ。そんなもん」
するとカーサが口を尖らせながら言った。
「けど、クル先輩って毎年多いですよね」
「え?そうなんですか?」
「カーサ、余計なこと言うなよ」
するとレイマンが穏やかに笑う。
「いいじゃないか。自慢できることなのだから」
「すごいですね先輩。……あれ?ということはひょっとして彼女が」
「いねぇよ」
「え」
「全部断った」
「何でですか!?」
声を荒げるシャルをいまいましげに見やって、クルは目を細めた。
「だから興味ねぇって言ってんだろ」
「でもそんなもったいない。青春しなきゃだめじゃないですか」
「青春=恋愛なんてくだらねぇ」
「あ、今先輩女子を敵に回しましたよ。ついでにその態度、モテない男子をも敵に回してますね」
「知るか」
そっけない態度を取る彼に、シャルはしみじみと言った。
「クル先輩ってホント冷めてますよね」
「だから何だ」
何か言えばすぐに、まるで牙でも剥くように返してくる。シャルはだんだん気持ちが沈んできた。
「……先輩、自分が嫌いですか?」
「別に」
クルはすくっと立ち上がる。
「ごちそうさん」
いつの間にか食べ終えた食器を持ってカウンターへ向かう。
「じゃあな」
「行ってらっしゃい」
彼を見送った後、レイマンが微笑んで言った。
「クルはいつもああなんだ」
「そうそう。気にすんなよ。俺に対してもレイマンに対してもいっつもあんな感じだしな」
「わかってますけど、さすがにあそこまで冷めた態度取られると……」
「気にすることはないさ。だがクルもあれでいて、なかなか優しい心も持っている」
「そうなんですか?」
レイマンは満足げに頷いた。
「ああ」
シャルは交通課の部屋へ向かった。
「おはようございます」
そこには既に皆揃っていた。
「新人が一番遅くてどうする」
すぐさまヴァウェルの怒りを含む声が飛んできた。
「すみません」
するとキールがニコニコ笑いながらヴァウェルの肩を叩いた。
「まぁまぁ、今日はハッピー・ハロウィン・バレンタイン。皆ハッピーな日なんだからさ、そんな細かいこと気にしない気にしない。だから副班長サンはあの『お人好しおバカさん』より老け顔なんだよ」
ヴァウェルは鼻を鳴らして席につく。それを見届けたキールは満面の笑みで両手をパンと叩いた。
「さてさて、皆揃ったところだし、キールちゃんからのハッピープレゼントといきますか!」
「今日の仕事内容が先じゃねぇのか?普通」
ディーズの静かな突っ込みに、キールはギロリと睨む。
「空気読めない人だね班長サンて。せっかくあたしが皆のために汗水流して必死にお菓子作りなんて面倒くさいことやってきてあげたっていうのにさ」
「はいはい。悪かったよ」
すると待ちきれなくなったラウナルが急かす。
「班長サンなんてどうでもええからはよくれや。キールの手作り菓子はめっちゃ美味いんやから今年も楽しみにしててんで」
「え?そうなんですか?」
驚くシャルにモカがニコリと笑った。
「はい。面倒くさいなどと言ってらっしゃいますが、お菓子作りはとても上手なんですよ」
「へぇ」
キールは投げるようにしてラウナルに渡すと、シャルとモカの所へ向かってきた。
「はい、ハッピーハロウィン」
「ありがとうございます」
「違うよ。そこはハッピーハロウィンって返すんだよ」
「え?」
「ここでは、『トリック・オア・トリート』は『あなたの愛をくれなきゃイタズラするぞ』。『ハッピーハロウィン』は『これからもよろしく』。っていう意味。だから、『トリック・オア・トリート』って言われた時はお菓子を受け取るのが『いいですよ』っていう返事になって、『ハッピーハロウィン』って言われた時は同じように言い返すことが『こちらこそよろしく』って意味になるわけ」
「へぇ。そうなんですか」
シャルはニッコリと笑った。
「ハッピーハロウィン」
その笑顔を見たキールは、一瞬ピタリと動きが止まった。
「え?どうかしたんですか?」
するとキールは突然腹を抱えて笑い出した。シャルは呆然としている。やがてキールは笑ったまま言った。
「あっはは!危なかったぁ」
「何がですか?」
「だって今、新人君の笑顔見た時思わずドキッとしちゃったよ」
「……またからかってるんですか?」
「違うよ本気、本気」
キールはまだクスクス笑っている。そしてモカの方を見た。
「初めて新人君がここに来た日、後輩ちゃんが新人君の笑顔見て硬直したのはこれだったってわけだ」
モカは苦笑した。
「はい」
「モカ先輩までからかうんですか?」
「違いますよ!」
「そうそう。罪なのは新人君のその笑顔だよ」
キールはニヤニヤ笑いながらシャルの頬に人差し指を突きつけた。
「ひょっとしたら今日、その笑顔にやられた恋する女の子たちが次々と訪問しにくるかもしれないよ」
「まさか。だって自分と交流のある女の人なんてキール先輩とモカ先輩とアカーシア先輩とルル先輩とネアンぐらいですよ」
「さぁ?どうだか」
いたずら気に笑って、キールはモカにお菓子を渡すとヴァウェルとディーズの所へ向かった。
その後ディーズから今日の仕事の内容が告げられ、皆はいつものように仕事をしだした。
途中、シャルはキールからもらったお菓子の包みを開けた。小さな箱の中にチョコレートやバニラ味と思われるクッキーが数枚入っている。それを口に入れてみた。
「!」
その美味しさに目を丸くしていると隣でラウナルが笑う。
「な?最高やろ?」
「これ見た目もいいし、普通にお店で売っててもおかしくないですよ」
「せやのにこれまでお菓子を作った経験があんまないやなんて不公平な世の中やな」
シャルは苦笑する。
「才能って羨ましいですね」
「ほな、俺もその才能の味とやらにそろそろありつくとしよか」
そう言ってラウナルは引き出しから包みを取り出した。机の上に置いて、リボンを解く。ニコニコ顔で箱を開けた。しかし、次の瞬間ラウナルの笑顔は崩れ落ちた。
「はぁ!?」
大声を上げた彼に、皆の視線が飛ぶ。
「どうしたんですか?」
シャルも首を傾げて尋ねた。しかしラウナルはそんなシャルを無視してキールを振り返った。
「どういうことや!これは!」
シャルがラウナルの指さす箱の中を覗いてみると、そこにはクッキーではなく一枚の紙が入っていた。
その紙には赤い字で大きく
『ハズレ』
と書かれていた。
キールは笑い出した。
「あっはは!残念。ラウナル、ハズレちゃったねぇ」
「ハロウィンにハズレもアタリもあるか!」
「今年から導入したんだよ。サプライズがなきゃおもしろくないじゃん」
キールは楽しそうだ。
「それにしてもラウナルってばもらってすぐに開けなかったから待ちきれなかったじゃないのさ。笑い堪えるのも必死だったんだよ」
「ちょー待て。まさか最初から俺をハズレにする気やったんちゃうやろな」
キールは舌を出した。
「一番楽しみにしている人じゃないとね。副班長サンがハズレても全然面白くないじゃん。イタズラは、相手を選ばないと」
ラウナルは大きくため息をついて椅子に座った。
「ほんま、あんたどこまで人を使って遊ぶんや」
キールはケラケラ笑い続けている。
「しっかし……今年もキールの菓子食いたかったなぁ」
そう呟いたラウナルの目に、シャルの分のお菓子が目に入った。ラウナルはニッと笑って手を伸ばす。
「もらうで」
「あっ!」
ラウナルは掴んだクッキーを口へ入れた。
「あー。やっぱ美味いな」
シャルはため息をつく。
「いいですよって言ってないじゃないですか」
「ええやん。シャルは三つあるけど俺は一個もないんやで」
するとドアが勢いよく開いた。
「ハッピーハロウィン!」
見るとそこにルルが立っていた。
「皆、お菓子持ってきたよ」
ルルは部屋に入ってくるとディーズやラウナルに次々とお菓子を手渡していく。シャルの前に来て彼女は楽しそうに笑った。
「ハッピーハロウィン」
シャルもそれに笑顔で答える。
「ハッピーハロウィン」
そして最後に、ルルはヴァウェルのところへ駆けた。ノートに何か書き留めている彼の横に立つと、ルルは背伸びしてできるだけ彼の顔に近づこうとした。
「ねぇ、ヴァウェル。ルルね、『いみ』を見つけたよ」
ヴァウェルはゆっくりとルルを見た。
「ハッピー・ハロウィン・バレンタインにおかしをあげるのはね」
彼女は花が開いたような明るい笑顔を見せる。
「自分の気持ちを伝えるためなんだよ」
だがヴァウェルはそっけなく返す。
「そんなのは言葉だけで十分だろうが」
彼女は首を横に振った。
「言葉で言うのがはずかしいから、おかしに手伝ってもらうんだよ。あのね、その人に伝えたい気持ちを、たっくさんたくさんそのおかしにつめこむの。それで、そのおかしを食べた人はその味でどんな気持ちを伝えたかったのかわかるでしょ?それで、ハッピー・ハロウィン・バレンタインにおかしをあげるんだよ。だから」
ルルは袋からお菓子の包みを取り出した。それをヴァウェルに差し出す。
「ハッピー・ハロウィン」
「……」
ニコニコと笑うルルは、ヴァウェルがそれを受け取るのをずっと待っている。
ヴァウェルは鼻を鳴らしながらぶっきら棒にそれを受け取った。そして小さく呟くように言った。
「……ハッピー・ハロウィン」
ルルは満足気に笑って、ドアへ向かった。
「じゃあね。ルルまだたっくさん渡さなきゃだめなの」
そして部屋を出て行った。
キールはルルを見送った後ニヤニヤと笑い出した。
「さすがの副班長サンもルルには敵わないね」
モカもにこやかに言う。
「子供は強敵ですからね」
「副班長サンに『ハッピーハロウィン』って言わせられるのって、ルルだけだよ」
キールはからかうようにヴァウェルを見たが、彼は鼻を鳴らして仕事を再開していた。