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Peace Maker  作者: 那津
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-Honesty is the best policy-



十二章 -Honesty is the best policy-





パトロールを終えたヴァウェルとシャルは、部屋へ戻るために廊下を歩いていた。すると似顔絵作成課の部屋からモカが出てきた。

「あ、モカ先輩」

「シャルさん、ヴァウェル先輩、パトロールお疲れ様です」

シャルはモカの前に立つ。

「お疲れ様です。モカ先輩は何をしてたんですか?」

「似顔絵作成課から新しい指名手配犯の似顔絵をもらってきたんです」

モカは持っていた数枚の似顔絵を見せた。

「ありがとうございます。これから部屋に戻るんですか?」

「はい」

「じゃあ、一緒に行きましょう」

シャルとモカが並んで、その後ろをヴァウェルが歩く。しばらく歩いているとシャルを呼ぶ声があった。

「あら、シャル君じゃないの」

呼ばれた方を振り向くと、ベージュ色のショートヘアの女がいた。赤縁の眼鏡をかけている。彼女はシャルの方に近づいて来た。

「久しぶりね。どう?しっかり仕事してる?」

「あ……はい」

誰だろうと思いながらもシャルは頷いた。そしてモカにこの人は誰かと目で尋ねたが、モカは首を横に振った。その様子を見た女は苦笑する。

「ああ、忘れちゃったのね。まぁ、無理もないわね。シャル君がここに入署して以来会ってないんだもの」

「え……?」

女はニコリと笑った。

「アカーシア・ターナーよ。あなたが入署した時に寮まで案内したじゃない」

その言葉にシャルはあっと声を上げて慌てて頭を下げた。

「失礼しました!」

アカーシアはくすくす笑う。

「構わないわ。全然会ってなかったんだもの」

彼女はシャルの制服のボタンに目を留め、ニコリと微笑んだ。

「それよりあなた、交通課に入ったのね」

「はい。ついさっき、先輩とパトロールから帰ってきたところです」

アカーシアはヴァウェルに目をやった。

「……久しぶりね、ヴァウェル」

シャルは首を傾げる。

「お知り合いなんですか?」

ヴァウェルがそっけなく返事する。

「ああ」

アカーシアはぎこちなく微笑んだ。

「パトロール……お疲れ様」

ヴァウェルの方もまともに顔を見ようとしない。

「ああ」

「それじゃあ、失礼するわね。シャル君、がんばってね」

「はい、ありがとうございます」

アカーシアは逃げるようにしてその場から去って行った。そんな彼女の背を見ていたモカは一人首を傾げた。

「なんだか、様子がおかしくありませんでした?」

シャルはゆっくり頷く。

「なんか、ヴァウェル先輩に話しづらそうにしてましたね……」

キョトンとしている二人の後ろで、ヴァウェルの低い呟きが聞こえた。

「バカが……」

「え?」

二人はヴァウェルを振り返ったが、彼はスタスタと歩き出した。

「戻るぞ」

「あ、はい」

部屋へ戻ると、パトロールをしていたキール、ディーズ班も戻っていた。

「あ、お帰りぃ」

ドアが開くなりキールの元気のよい出迎えの言葉が飛んでくる。その後でディーズが書類と睨み合いながら言った。

「ご苦労さん」

「ディーズ先輩とキール先輩もお疲れ様です」

「ほんと疲れたわよ。班長サンと組む時はいつもあたしが運転する羽目になるんだから。班長サンだって免許持ってるんだから運転したらどうなのさ」

「お前運転しなかったら何も仕事しないだろ」

「失礼ね」

するとラウナルが軽くキールを睨む。

「あんたそうやって文句言うとるけど、俺と組むときはいつも俺に運転さしとるやないか」

「男は女に尽くす生き物よ」

「うっわ。なんちゅう生意気な後輩や」

ヴァウェルはモカから指名手配犯の似顔絵を受け取りながら言った。

「喧嘩なら外でやれ。うるさい」

「あらら?副班長サン知らないの?喧嘩するほど仲がいいって言うでしょ?つまり、喧嘩はいいことなのよ。それなのにうるさいなんてひどいなぁ」

「せやせや。いいことしとる俺らを追い出そうなんてなんちゅう副班長サンや」

つい先ほどまで言い争っていた二人だが、急に仲良く手を組んでヴァウェルに反抗しだした。だが、慣れているのかヴァウェルは怒ることもなく完全無視である。その反応を見たキールはわざと驚いてみせた。

「ねぇちょっとラウナル。副班長サン無視だよ。ひどいってコレ」

ラウナルは笑いながら手を振った。

「ちゃうちゃう。副班長サンは言い返せへんのや。俺らの言い分があまりにも正論やさかいな」

キールは楽しそうに笑って口元に手を持ってきた。

「きゃぁ、惨め」

二人はケラケラと笑っている。さすがにヴァウェルがかわいそうに思えてきたシャルは、二人のからかいが聞こえないようにとヴァウェルに話しかけた。

「そういえば、ヴァウェル先輩ってラウナル先輩よりも後に入ったんですよね?」

「ああ」

ヴァウェルは古い指名手配犯の似顔絵をはがして、そこに新しいのを貼り付けている。相変わらずこっちを見ようとしない。だがシャルは気にせずに続けた。

「でも、先輩ってラウナル先輩に敬語使ってないですよね?どうしてですか?」

「そういえばそれ、私も気になっていました」

モカも会話に参加してきた。ヴァウェルは彼女の方も見ない。ちゃくちゃくと作業を進めながらぶっきらぼうに説明をする。

「班長と副班長は部下に関しても互いに関しても上下関係はない」

「そうなんですか?」

「だから副班長のヴァウェル先輩は、先に入署したラウナル先輩にも敬語を使わないんですね」

返事はなかったが、モカの確認が正しいことをその沈黙が物語っている。

その時ふとシャルの頭に疑問が浮かんだ。

「あれ?それじゃあアカーシア先輩っていつ入署したんですか?」

ヴァウェルの動きが一瞬止まる。その瞬間をモカは見逃さなかった。

何も答えないヴァウェルをジッと見ていると、キールが遠くから言った。

「アカーシア?アカーシア・ターナーって人?確か私と同じ時期だったかなぁ。あんまりあの人知らないけど」

シャルはキールを振り向く。

「それじゃあヴァウェル先輩の後ってことになりますよね」

そしてキョトンとした顔でヴァウェルを見る。

「じゃあさっき、アカーシア先輩とヴァウェル先輩が喋ってた時敬語じゃなかったのは……?」

ヴァウェルは何も言わない。

するとラウナルがシャルを呼んだ。

「シャル、ちょっと頼まれてくれへんか?」

「あ、はい」

シャルは慌ててラウナルの所へ走った。ラウナルはニタニタ笑うとシャルの髪を掴んで顔を引き寄せた。

「いた!何するんですか」

怒っているとラウナルが低い声でささやいた。

「副班長サンの前でアカーシア・ターナーの話は禁句や」

「え……?」

「わけは聞くな。とりあえず肝に銘じとけ」

「あ……はい。わかりました」

するとラウナルは突き放すようにシャルの髪を掴んでいた指を解いた。キールは興味津々に身を乗り出してくる。

「なになに?二人でコソコソ話しちゃって。ねぇ、何の話?」

ラウナルは手をひらひら振った。

「男同士の秘密や」

「うわぁ、何かいやらしいことじゃないのぉ?」

「あ、バレたか。実は新刊の雑誌を買うてきてもらおう思てな……って何言わすねん」

「ラウナルが勝手に言ってるんじゃないのさ」

「お前な、人がノリ突っ込みしてやってんねんから笑えや」

「今時そんなの笑えなぁい」

「アホ。ノリ突っ込みは漫才の基本やぞ。何も分かっとらんな」

そこから再び二人の会話が始まった。

ディーズは相変わらず黙々と仕事をこなしていて、ヴァウェルはいつの間にか席に着いていた。モカはコーヒーを淹れている。

一人たたずんでいたシャルは、先ほどのラウナルの言葉を思い出して色々と疑問に思ったが、考えても何もわからないからと仕事に戻った。



午後、シャルのパトロールのペアはディーズだった。食事を終えそのままパトロールをし、何事もなく無事に帰ってきた。廊下を歩いているとディーズを呼ぶ声があった。

「ディーズ先輩」

二人が振り向くとアカーシアがいた。小走りにこちらへ走ってくると、落ち着かない様子でうつむいている。

「どうした?」

ディーズが促すと彼女は顔を上げた。

「あの……ヴァウェルが何か言っていませんでした?」

「いいや。何も」

「そうですか……」

ディーズは小さくため息をついた。

「いつまで引きずってんだよ。終わったことなんだし、ヴァウェルもとっくにこっちになじんでる。そろそろお互い元通りになったらいいんじゃねぇのか?」

「……そんな簡単な問題じゃありません」

「けどそうやって様子を探ってるだけだったら何にも変わらねぇぞ」

「……」

「アカーシアはヴァウェルとの関係を元通りにしたいんだろ?そうやって俺に訊いてくるってことは」

「……でもどうすればいいのかわからないんです。ヴァウェルもまだあのことを気にかけているようで……。ちゃんと会話ができないんです」

何の話をしているのか全く分からないシャルは、このままここで会話を聞いて良いものなのかと迷っていた。オロオロしているとそれに気づいたディーズが苦笑してシャルに言った。

「悪い。忘れてた」

そしてアカーシアに背を向ける。

「まともにやろうともしてないくせに会話ができないなんて言うなよな。ちゃんと時間のあるときにゆっくり喋ればいいって」

ディーズはそのまま歩き出した。困ったように立っているアカーシアが少し心配だったが、ディーズが呼んだのでシャルはアカーシアに一礼してから彼を追った。

「あの……何の話だったのか訊いてもいいですか?」

「まぁ……俺にとっては今更な話だからいいけど」

「アカーシア先輩とヴァウェル先輩、怒らないでしょうか?」

「知らねぇよ。あんな臆病者たち」

「え?」

ディーズは真っ直ぐ前を見たまま話し出した。

「実は、ヴァウェルは入署した当時は密偵課だったんだ」

「え……?」

「ヴァウェルは見事な功績を次々と残していって、入署二年目で班長になれた。班長になって三年が経った頃、小さいが殺し屋の組織の存在が明らかになったことがあって、そこへ忍び込んで証拠を掴んできて欲しいという重大な任務が密偵課に下された。ヴァウェルは当時副班長だったアカーシアとその他優秀な部下を連れてその組織の本部へ潜入した。だが、アカーシアのミスで警官が潜入していることが相手にバレてしまったんだ。その時はすでに証拠を入手した後だったから、ヴァウェルは奴らを捕らえようとした。だが、現場は敵味方が入り乱れて混乱の中にあり、夜中で辺りも暗かったこともあった。そんな状況の中、ヴァウェルが犯人だと思って発砲した相手が、アカーシアだったんだ」

「え!」

「アカーシアは右腕と左足を怪我して動けなくなるし、犯人には逃げられるしで仕事は悲惨な結果に終わった。後に総監に呼び出されたヴァウェルに交通課への異動が命じられた」

「ミスしたのはアカーシア先輩なのに、どうしてヴァウェル先輩が異動することになったんですか?」

「総監の話し合いで、そもそもの原因は班長であるヴァウェルの判断ミスということになったんだ。もちろん直接的なミスをしたアカーシアにも罰は下されたけどな。ヴァウェルが交通課に入ることになって班長のいなくなった密偵課は、繰り上がりで、副班長だったアカーシアが班長になり仕切ることになった。そうすれば自覚ができてミスもなくなるだろうと総監は判断したらしい。その後ヴァウェルは交通課でも見事な功績を残し、晴れて副班長になれたってわけだ」

「そんなことがあったんですか……」

「だから、アカーシアは自分のミスで異動させてしまったヴァウェルに申し訳なく思っている。それにその異動の原因を作った自分が班長になってしまったんだしな。それにヴァウェルは自分のミスで、警官とはいえ女であるアカーシアに怪我をさせてしまったことを申し訳なく思ってるってわけだ。実際、アカーシアの右腕には怪我の痕が残ってるらしいからな」

「……」

「それ以来、二人の関係はぎこちないままだ」

「何とかならないんですかね……」

「二人とも関係を元通りにしたいって思っているんだ。だけど、お互い話すのが怖いから何もできないでいる」

「……どうすればいいんでしょうか」

真剣に悩んでいるシャルを見たディーズは呆れたようにため息をついた。

「お前が悩んでどうにかなる問題でもねぇよ。どうせ最終的に行動しなきゃならねぇのはあいつらなんだから」

「そうですけど……」

「それよりさっさと部屋戻って仕事するぞ」

「はい……」



それから数日後の昼、仕事が休みのレイマンは屋上へ向かった。そこで、思わぬ先客に微笑んだ。

「めずらしいな。ヴァウェルがこんな所にいるなんて」

「ああ」

ヴァウェルはレイマンに背を向ける形で立っていた。空を見上げるでもなく、どこか真っ直ぐ前を見ている。

レイマンはドアを閉めて優しく微笑んだ。

「何か、あったんだな」

「別に何も」

振り向くこともせずに返された言葉。レイマンにはそれが嘘だとわかっていた。

苦笑が漏れる。

「ヴァウェルは嘘つきなくせに嘘をつくのが下手だな」

「……」

「何があったんだ?」

やはりヴァウェルはこちらを見ない。

「何もない。……ただ、昔のことを思い出しただけだ」

「昔のこと」

レイマンにはすぐにわかった。

「あの事件か」

「……」

「アカーシアと気まずい関係なのはまだ直っていないのか」

「……」

「ヴァウェルはどうしたいんだ?」

「……」

「ただ悩んでいたいだけなのか?」

「……」

レイマンは苦笑する。

「ヴァウェルは本当に嘘つきだ」

「なに?」

やっと言葉を返してこちらを向いたヴァウェルにレイマンは微笑んだ。

「どうしたいのかわかっているのだろう?」

「……」

ヴァウェルの隣に並ぶ。

「君は、誰かに自分の思っていることを言われるのを待っているのだろう?」

レイマンは笑った。

「そうやってただ黙ってジッと待っているだけなんて、卑怯じゃないのかい?」

ヴァウェルは軽くレイマンを睨む。

「嘘つきのお前が人のことばかり言えるのか?」

ヴァウェルの目は、鋭く光っている。

「もう、後がないのだろう?」

レイマンは微笑んだ。

「私には何もわからないよ」

「それが嘘だ」

レイマンはしばらくヴァウェルを見ていたが、やがて小さく笑う。

「ヴァウェルには敵わないな」

小さく頷いた。

「そうだ。私にはもう後はない。私の命も残りわずかだろう」

「どうして何も言わないんだ」

レイマンは目を丸くする。

「心外だな。私は君よりも素直なつもりだが?」

「……」

レイマンは優しく笑う。

「君も素直になったらどうだい?」

そしてゆっくりと立ち去ろうとした。そんなレイマンの足を、ヴァウェルの低い声が引き止めた。

「そうやってはぐらかして、逃げるのか?」

「……」

レイマンは振り向かずに言う。

「ヴァウェルは優しいな」

「まだはぐらかすのか」

小さく息を吐いて、ヴァウェルに背を向けたまま穏やかに言った。

「仕方がない。私にはどうしようもないのだから」

「魔法使いを止めないのか?」

「それは、私が死ぬことと同じことだよ」

いつもと違うその口調の強さから、レイマンの意志がうかがえた。

「そうか」

ヴァウェルはレイマンを振り向いた。その背を睨む。

「だが、お前は嫌じゃないのか?いつもそうやって笑って、自分を隠して」

レイマンは振り向いて微笑んだ。

「私は、皆が楽しく笑っていられるのならそれでいい」

しかしヴァウェルは笑わない。

「俺たちに嘘をついて騙している奴が何ふざけたことを言っている。バカにするな」

「……」

「俺は、そんなことをされても笑えない」

「なら、どうしたら笑ってくれるんだい?」

「そんな嘘なんてくだらない。どうせ俺も、あいつらも皆知っている」

ヴァウェルはレイマンの方へ歩いてきた。すれ違い際に、真っ直ぐ前を見たまま低い声で、しかしハッキリと言った。

「笑ってほしいなら、お前が心から笑うことだ」

そしてそのまま静かに去った。

「……」

残されたレイマンは一人その場にたたずんだ。




その頃モカは、昼食を早急に終えて女子寮内を走り回っていた。廊下を曲がるとキールと出会う。

「わ。びっくりした」

突然現れたモカに彼女は目を丸くする。

「どうしたのさ後輩ちゃん。仕事じゃないの?」

「あ、キール先輩。昼休みの間に済ましておこうと思いまして」

「何を?」

「アカーシア・ターナー先輩見ませんでした?」

「アカーシア・ターナー?ああ。あたしあの人とあんまりしゃべったことないからねぇ……」

「そうですか。ありがとうございます」

そうして走り去ったモカを振り返って、キールは笑いながら声を張った。

「でも、今日は丁度見かけたんだよね。さっき部屋に入っていったよ」

その時にはすでにモカはキールからかなり離れていたが、立ち止まって振り向くと急いでこっちへ来た。

「知ってるんじゃないですか!」

「なにさ。あたし知らないとは言ってないじゃん」

「だったら早くそう言ってくださいよ」

「言おうとしたら後輩ちゃんが走ってっちゃったんじゃないのさ」

モカはこれ以上反論するよりアカーシアの部屋を訊いた方がいいと判断した。

「部屋はどこですか?」

キールはどこか楽しんでいるようだ。

「あれぇ?どこだったっけ?何階で見たんだっけぇ?」

「いいです。寮長さんに訊きます!」

怒ったようにモカは走り出す。しかし、キールはポンと手を打ってモカにも聞こえるように大声で言った。

「あ、思い出した。確か部屋の番号は『372』だった」

モカは、はたと立ち止まると今度は完全に怒った顔でこちらへ走ってきた。

「先輩、それワザとですね!」

「え?何がぁ?」

「だって、私の走り出した方向とアカーシア先輩の部屋、真逆じゃないですか!」

キールはケラケラ笑う。

「偶然だって。たまたま後輩ちゃんが走り出した後にあたしが思い出したんだよ」

「もう!」

モカはふくれっ面で階段へ向かった。その後ろ姿に手を振るキールはニコニコ笑う。

「モーモー言ってたら牛になっちゃうよぉ」

そして笑い声を上げながら再び歩き出した。

階段を駆け上がったモカはアカーシアの部屋へ急いだ。そして372号室へ着くと深呼吸をして息を整える。だが、いくらやっても緊張のために心臓は跳ね上がっている。意を決して、最後にもう一度深呼吸をした。

震える手を上げてそっとノックする。なんとも頼りない音が響く。中まで聞こえただろうかと不安になっていると、ドアが開いた。

「はい?」

アカーシアが現れた。不思議そうに首を傾げる。

「ええと……どちら様でしょうか?」

どうやら廊下でシャルとヴァウェルと歩いている時に会ったということは忘れているらしい。モカは丁寧に挨拶した。

「初めまして。モカ・テキンソンといいます」

「誰にご用ですか?」

「アカーシア・ターナー先輩です」

「私?」

「はい」

モカは真っ直ぐアカーシアを見つめる。

「私、ヴァウェル先輩と同じ、交通課に所属しています」

ヴァウェルの名が出た途端、アカーシアの顔が一瞬強張ったのが分かった。しかしすぐに表情を和らげて、部屋へ通した。

「とりあえず中にどうぞ。今は私しかいないから」

「ありがとうございます。失礼します」

一礼してからモカは部屋へ踏み入った。アカーシアが出してきた椅子に座る。その向いにアカーシアも座ると首を傾げた。

「ええと、あなた後輩よね?」

「はい」

「それで、私に何の用?」

「実は、お願いがあってここへきました」

「お願い?」

「はい」

モカは頭を下げた。

「すみません。実は私、アカーシア先輩とヴァウェル先輩のことを聞いたんです」

「……」

「いけないことだとは思いました。でも、無理を言って同じ交通課に所属しているラウナル・イオン先輩に訊いたんです」

「どうして、そんな無理を言ってまで私とヴァウェルのことを訊いたの?」

アカーシアは怪訝そうな瞳を向けた。思わずモカの背筋がピンと伸びる。

「ここのところ、ヴァウェル先輩元気がないように思えて、気になったんです……。本当にすみません」

アカーシアは小さく苦笑する。

「あなた、お節介だって言われない?」

「……すみません」

「本当なら怒るところなのだろうけど、でも悪いのは私だものね。ごめんなさい」

アカーシアは首を傾げた。

「それで、お願いって何かしら?」

モカは真っ直ぐアカーシアの瞳を見た。

「ヴァウェル先輩と、仲直りしていただけませんか?」

「え?」

「ヴァウェル先輩がアカーシア先輩を撃ってしまったことを怒っていらっしゃるのはわかります。でも……」

アカーシアは息を吐く。

「怒ってなんかいないわ」

「え?」

「私だってヴァウェルと仲直りしたいわ。でも、私はまだ自分の犯したミスを引きずっていてヴァウェルの目を見てしゃべれないの。ヴァウェルこそきっと怒っているわ。だって私のミスでせっかく捜査課の班長だったのに異動させられたんだもの」

「……」

モカには、ヴァウェルは怒ってなどいないとは言えなかった。日頃から無口な彼の気持ちは全くわからないのだ。

アカーシアは悲しそうに続ける。

「本当は、ちゃんと目を見て謝りたいのよ。でも……それが怖くて」

「……」

アカーシアは申し訳なさそうに言った。

「ごめんなさいね。もう少し待ってもらえるかしら」

「はい……。私の方こそ、無理を言ってすみませんでした」

「いいのよ」

「それでは、仕事に戻らなければならないので失礼します」

「ええ。お疲れ様」

モカは静かに部屋を出て行った。

モカが去って、アカーシアは再び椅子に座ってじっと一人考えていた。



その夜、寮へ戻ろうと残業を終えたモカが一階へ降りると、ヴァウェルが玄関から出ようとしているのを見た。

「ヴァウェル先輩……?何でこんな時間にここにいるんだろ?」

彼は残業はしていなかった。6時には署を出ているはずだ。しかし、今は10時である。

モカはそっと彼の後についていった。署を出たヴァウェルは、門から玄関までの間にある噴水の所に座った。モカは署の中からガラス越しに彼を見ていた。誰かと待ち合わせをしているのかと思ったが、いくら待っても誰も来ない。

思い切ってモカは彼に近づいてみることにした。一歩外へ出ただけで、秋風が身にしみる。一瞬体が震えた。こんな寒さの中で彼は一体何をしているのだろうと思う。噴水に近づくと水のせいで更に寒く感じた。

「お疲れ様です」

声を掛けると、ヴァウェルは一瞬だけ目を向けた。その目が、鋭く光って睨んでいるようにも思えた。その睨みがモカを怖がらせる。自然と言葉が詰まった。

「……ど、どうかされたんですか?こんなところで。確かヴァウェル先輩は6時には署を出たはずですよね」

「ああ」

「こんな所にいたら風邪引きますよ」

「それくらいわかっている」

「すみません……」

ヴァウェルからにじみ出る微かな怒りを、モカはしっかり感じ取っていた。しかしここで別れようとは思わなかった。恐怖に震えながらも、勇気を出してヴァウェルに話しかける。

「隣、いいですか?」

「ああ」

モカはちょこんと腰掛けた。

「キールに聞いたんだが」

ヴァウェルは真っ直ぐ前を見たまま言った。

「昼間、あいつに会いに行ったそうだな」

その瞬間、モカは跳ね上がるようにしてヴァウェルを見上げた。彼は正面を見続けている。

「何の用で会いに行った」

「……」

モカは思わずうつむいた。呟くように小さい声で、

「お願いを……しに行きました」

「なんのだ」

「……ヴァウェル先輩と仲直りしてほしい、と」

ギロリ、とヴァウェルがモカを睨む。その視線が痛くて、ますます顔が上げられなくなった。

「なぜお前が、俺とアカーシアが仲直りしてほしいと思うんだ。大きなお世話だ」

「……すみません」

モカは膝の上に置いた両手をギュッと握って、ヴァウェルを見上げた。

「でも」

ヴァウェルはゆっくりと顔をモカへ向ける。モカは今にも泣き出しそうだった。

「私、ヴァウェル先輩のそんな顔見たくないんです」

「……」

モカは再びうつむいた。

「……好きな人の、そんな元気のない顔なんか見たくないんです」

驚きで、ヴァウェルから怒りが消えた。わずかに目を見開き、静かに口を開く。

「なんだそれは。告白か?」

その言葉にモカは顔を真っ赤にした。

「ち、違います!そんなこここここく……っ告白なんかじゃありません!!」

思わぬヴァウェルの発言にもう何がなんだかわからなくなり、ぐるぐると目を回しながら慌てて訂正する。

「好きっていうのはそういう意味じゃなくてですね、ええと……同じ交通課の仲間というか先輩というか……そういう存在であるっていう意味の好きであって、恋愛的に好きなんじゃなくて……ですからえっと」

モカは一人で焦っている。

「とにかく!」

そして大声で言った。

「ヴァウェル先輩は私の憧れの人なんです!!」

それを聞いたヴァウェルは唖然としていた。

「憧れ……?」

驚いた彼の顔を見たモカは、ついに泣き出した。

「そんなに驚かなくてもいいじゃないですか。一生懸命言ったのに……」

ヴァウェルはわけがわからない。

「何なんだ一体。泣くな。とりあえず泣き止め」

「わかってますよぉ」

どうすればいいのかわからなくなったヴァウェルは、とりあえずぶっきら棒にモカにハンカチを差し出した。

「……拭け」

「すみません」

すすり泣きながらそれを受け取った。落ち着いてくると、モカは小さく言った。

「でも……ヴァウェル先輩は私にとって尊敬する人であることは本当です」

「なぜ俺なんだ」

「常に冷静沈着で判断力があって、言われたこと以上の結果を残せる人だからです。私、そんなヴァウェル先輩を見ていていつも尊敬しているんです。私もヴァウェル先輩みたいになれたら、って」

モカは小さくうつむいた。

「ですから、そんな尊敬する人の元気のない姿なんか見たくないんです。お節介だということはわかっています。でも、やっぱり尊敬している人のそんな姿を見ているといてもたってもいられなくなって……。何かできないかと思って」

ヴァウェルは大きくため息をついた。モカは震えた声で苦笑する。

「そうですよね。呆れちゃいますよね、こんな後輩」

「ああ。呆れる」

「すみません」

「自分にな」

「え?」

ヴァウェルを見上げると、彼はしかめっ面で正面を見ていた。

「臆病者にも程がある。なんて情けない」

「そんなことないです。先輩は情けなくなんかないです」

モカは必死で訴えたが、ヴァウェルは自虐的に笑う。

「己の犯したミスを引きずって会話をすることを恐れている。こんな臆病者のどこが情けなくないというのだ」

「……」

ヴァウェルは小さく言った。

「そろそろ、臆病者の俺とケリをつけなきゃならないな」

その意味がわかったモカにパア、と笑顔が広がった。

ヴァウェルはモカを見た。

「悪かったな。俺のことを心配してくれているのに怒ってしまって」

「いいえ。私の方こそ、生意気ですみません」

ヴァウェルは着ていた上着をモカの頭からすっぽり被せた。そして立ち上がるとモカに背を向ける。

「寒いんだろ。寮に着くまで貸してやる」

モカは顔をほんのり赤らめて微笑んだ。

「ありがとうございます」

二人は月が光々と照らす道を並んで歩いて行く。

そんな彼らの様子を一部始終見守っていた影が、署の玄関の柱に二つあった。

「ねぇ、今の見た?」

驚いたように、それでも少しばかり楽しそうにキールは尋ねた。

ラウナルは大きく頷く。

「ちゃーんと見てたで」

「昼間の後輩ちゃんの様子がおかしかったからつけてみたけど……」

キールはニヤニヤ笑う。

「あの副班長サンが上着を被せてあげたよ!」

ラウナルも驚いたように言った。

「しかも『悪かったな』なんて一年に一度聞けるか聞けへんかくらいに貴重なお言葉をサラッと言ってたで!」

「しかもしかも、後輩ちゃんの憧れの存在だってさ」

ラウナルは声を上げて笑った。

「あの副班長サンが憧れとか物好きなやっちゃなぁ」

「まぁ、後輩ちゃんが言ってたコトは確かに当たってるけどね」

「まぁな」

「あーあ。面白いモノ見ちゃった。サイコーだね」

キールはよいしょと立ち上がる。

「さぁて、明日どうやってからかおうかな」

「なんや、もうそんなこと考えとんのか」

「当たり前。こんな面白いこと久しぶりだよ」

ラウナルはケラケラ笑った。

「お手柔らかにしときや。あんまりからかうと副班長サンが怒るで」

「あっはは。あたしの辞書に手加減なんて言葉は載ってないよ」

キールは寮へ向かって歩き出した。その後をラウナルが大股で着いていく。




翌日、非番のヴァウェルは同じく仕事が休みのアカーシアの所へ向かった。女子寮のヘルパーの女の子に頼んで呼び出してきてもらい、そのまま二人で女子寮の裏へ回った。

アカーシアはうつむいて言った。

「よかった。丁度私も話をしようと思っていた所なの」

「そうか」

アカーシアは顔を上げる。

「ヴァウェル、あのね」

「悪かった」

ヴァウェルは突然頭を下げた。アカーシアは呆然としている。

「え?」

「お前の腕を撃ってしまったことだ」

ヴァウェルはアカーシアの右腕に目をやる。

「今も、痕が残っているのだろう?」

「……ええ」

「俺は自分のミスをずっと引きずっていながら、今まで謝ることができなかった。すまなかった」

アカーシアは驚いたような顔をした。

「ヴァウェル……怒っていないの?」

「何がだ?」

「私のせいで交通課に異動になったこと」

「あれは俺の判断ミスだ。あの時もっと考えてお前に指示していればあんなことにはならなかった。怒ってなどいない」

「なんだ。……怒ってないんだ」

アカーシアに苦笑がもれる。

「私達、すごく損なことしてたのね」

「どういう意味だ」

アカーシアは笑うのを止めてヴァウェルに頭を下げた。

「ごめんなさい」

そして顔を上げて続ける。

「あの日、私がミスを犯したせいで犯人を取り逃がしてしまい、班長だったヴァウェルを交通課に異動させることになってしまい、ミスを犯した張本人である私が班長になったことよ」

アカーシアは真っ直ぐヴァウェルを見た。

「私は、きっとあなたは怒っていると思ったの。だから、怖くてずっと謝れなかった……。本当にごめんなさい」

そして優しく微笑んだ。

「私は、あなたに撃たれたことを怒ってはいないわ」

「……」

「この傷跡は教訓よ。そもそも私のミスが原因でこんなことになったんだもの。だからいつも、この傷跡を見てもう二度とミスはしないって誓うのよ。だから、怒ってなんかいないわ」

アカーシアはニッコリと笑った。

「仲直り、しましょ」

「……ああ」

ヴァウェルも穏やかに微笑んだ。その返事を聞いたアカーシアは思い切り背伸びをした。

「ああ。なんだかスッキリしたわ」

「そうだな」

背伸びを止めたアカーシアはヴァウェルを見上げて優しく言った。

「あなたの後輩の、モカ・テキンソンさん。あの子すごくいい子ね。昨日の昼休みに言われたのよ。『仲直りしてほしい』って。先輩とはいえ他人のことなのに、あんな生意気でお節介なことまでするなんて」

羨ましそうに微笑む。

「あなた本当に慕われてるのね」

ヴァウェルはふいとそっぽを向いた。アカーシアは回り込んでヴァウェルと視線を合わせる。

「ねぇ、ヴァウェルもあの子に『仲直りしてほしい』って言われたんでしょ?」

「……なぜだ」

アカーシアは笑った。

「だってあなたも、誰かに何か言われたから動けたんでしょ?」

「……まあな」

曖昧に返すヴァウェルの腕を取って、アカーシアは微笑む。

「さあ、仲直りしたよってあの子に報告しに行きましょう」

「なぜいちいちそんなことをしなきゃならないんだ」

「だってあの子は私達の関係を元通りにするきっかけを作ってくれた子なのよ。それに心配してくれているんだもの」

「……」

「行きましょう」

アカーシアはヴァウェルの腕を引っ張って署へ向かって行った。

そんな二人を急かすかのように、晴れた空の下に柔らかい追い風が吹いていく。

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