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「……………で?」
忍の前には、冷然と美しい造形の男が優雅に腰掛けていた。
琥珀色の肌にしなやかで逞しい肉体。赤紫の瞳は金の虹彩に彩られ妖しくも端麗だ。
「また、つれないこと……わざわざ逢いに来てやったというに」
「出来れば、逢いたくなかったなぁー」
此処へ案内してきたリュートは後ろに控えている。やはり、この男の配下だったか。
隣に座れという意味だろう。自分の直ぐ横の座面をぽんぽんと手で叩き、無言で指示するが、それを無視して脇のソファに腰掛けた。
滞在しているホテルの中は豪奢だが、外観は岩山をくり貫いたような造りだった。ホテルの細い回廊を通って案内されたのは、ごく一部の富裕層や貴族が持つ魔導飛空挺というモノらしい。中は船内であることを忘れてしまう様な、まるで一流ホテルかどこかの城内かと錯覚する様な美しさだ。
「私が誰かは分かったのか?」
「上位12貴族の内、鬼は5貴族。その内、月鬼、その中でも二角月鬼血華といったら一人しか該当しなかった」
ヴリコラカス侯爵家。魔族国内でも影響力が大きく、王室にも関わりが深い貴族だ。
「エロ男爵じゃなくて、変態侯爵だったとは」
後ろでリュートがごくんと唾を飲み込むのが分かった。怜悧で智謀にたけた人物で知られる侯爵に、ぞんざいな口を利く愚か者の行動だと思っているのだろう。
「良い…名乗っておらぬからには、侯爵位だと笠に着るつもりはない」
室内の見えぬどこかに護衛でもいるのだろう。忍の物言いに向けられた殺気が、一瞬で消えた。
「では改めて…我はクルイーク=ヴリコラカス侯爵だ。さて、何が聞きたい?」
「……ヴリコラカス侯爵」
「クルイークで結構」
忍は物凄く嫌そうな表情でクルイークに視線を向ける。名前で呼び合うような仲じゃないだろ、という事を言いたいらしい。相手に名乗られたからには、目上でしかも上位貴
族相手なので、口調も丁寧に言い換える。
「クルイーク=ヴリコラカス侯爵様にお伺いし」「クルイークだ……シノブ」
いつの間にかテーブルにはグラスが置かれ、琥珀の液体が注がれていた。忍の好みもしっかりと把握済みなのだろう。一口それを口に含み、唇を湿らせてからクルイークに視線を戻す。
流石に魔力も身体も知力も優れた上位魔人族である。魔眼の効果は押さえているようだが、傍にいるだけで常に威圧感を感じる。
「く、くるいぃぃく」
「そんなに嫌そうに名を呼ばれたのは初めてだよ……シノブ」
「渡り人についての情報を。過去、帰った者はいたのか。またその方法について知りたいのですが」
「……ふむ……して、その対価は?」
「俺の……いや、私の血では?」
「いつもの話し方で構わんよ。シノブの血は、この地に招く為の対価だ。渡り人についての情報を得たければ、相応の対価を差し出せ」
確かにそれが以前、2人の間で交わされた約束だった。
「……何をお望みで?」
「差し出せるモノがあるのか?」
「……クルイーク、正直に言えば俺が持っているモノなんてない」
「そなた自身があるではないか」
「そりゃぁ、欲張りすぎだろ。そんなに安い男だと思ってなかったんだが……」
忍の物言いにクルイークがくくくっと苦笑する。無謀なのか無知なのか賢いのか、忍とのやり取りを楽しみ、隙あらば喰ってしまおう。そう思ってはいるのだが、この飄々とした男は、時に爪を立てた猫の様で愉快だった。
「では、あの花人族の子供を差し出すか?」
「断るっ」
「ならば、お前のいもう」
「却下だ」
被せる様に返答すると、ふぅぅぅっと呆れたように息を吐くクルイーク。
「……本当に差し出すモノがないのだなぁ」
「だからそう言ってる。っつうか、あんたは」
「クルイーク」
「クルイークは、何故俺達に関わる?俺が渡り人だからか?それとも、貴重な花人族の子がいるからか?それだけじゃないだろう。魔人族が子を望むのは知っているし、その事でセッカの身が危うい立場だというのも分かっているつもりだ。異界の知恵を持つ渡り人の俺の立場も分かってる………だがクリイークは違うだろ?他の奴らとは違う感じがする。それが何かは分からないが、アンタが他とは違うものを求めている気がしてならない」
クルイークには、亡くなった妻との間に息子がいた。その事はヴリコラカス侯爵家を調べた忍にも分かっているだろう。跡継ぎは重要だが、妻に似た息子がいるクルイークにとって、子を生し易いという花人族の子など別段重要ではない。花人族の子を誰かに差し出して、地位固めする必要のない地位も得ている。
渡り人については確かに魅力的だ。DIVASを観た他の連中も、渡り人が関わっている事に気付き始めた。だが、忍を利用して新たな技術を生み出そうとか、彼が金の成る木だとかには全く持って興味はない。
ちょっと、毛色の変わった猫くらいの関心がある位だろうか。
「シノブ達の当面の目的は、歌姫達が評判となり、特区から王都へ招かれることであろう。すでに多方面から招待を受けているそうだな」
特区3都市でのライブが評判となり、それなりの地位を持つ貴族達から、各領地への招致問い合わせが来ていた。
だが、DIVASは何処へも招かれるつもりなどなく、求めるのは唯一、王都への招致だ。
芸術方面への支援をしている王妹殿下との謁見。それが叶えば、王族にセッカの保護を頼めるし、渡り人の情報が得られる可能性も高い。他貴族の足元なんかは、危険すぎて出向くつもりは初めからない。特区はどの貴族の領地にも属さないからこそ、危険はあっても逃れる術があった。
「王都は思っているほど安全ではないぞ。それこそドラゴンの口の中へ身を投げるような行為だな」
「……………」
「言ったであろう。花人族の子はお前達が思っているよりもずっと厄介なのだと。そして、シノブが求める答えを王妹殿下は存じておらぬ」
「―――――っ!!」
王族ならば、いや王族こそが渡り人の情報を持っていると思っていた忍の表情がゆがむ。
「王族であっても、知らされてない事も多くある。知る必要のないことも………」
「……クル、イークは……知っていると?」
極上の笑みを浮かべたクルイークが、是と返答する。
「まずは我が領へ招待しよう。今この場で返答すれば相応の情報を得られるがどうする」
「条件がある」
「勿論、我が懐での歌姫達の身は安全だ」
「―――分かった、招かれよう」
この場でDIVASの行く先を決めてしまった後ろめたさはある。だが、特区へ来てからの花人族の隠れ里や、渡り人の情報はいくら探っても手詰まりだった。
「さて、渡り人についてだ。過去、魔族国に渡り、元の世界へ戻った者は2人。凡そ200年前の賢人ティカと、15年程前の鴉だ」
「鴉?」
日本人らしき名前を期待していたが、どちらもそれには程遠い。だが、カラスを意味するクロウと名乗った人物は、同じ世界から渡ってきた人物とみて良さそうだった。
「まあ、呼び名だな……シノブの様な双黒でな、自身の事をそう名乗っていた」
「例の音楽プロデューサーだな?」
「ああ、愉快な奴だった」
「知っているのか?」
「私の友でもあった」
意外な言葉に驚くが、真実ならば元の世界へ戻る大きな手掛かりとなる。
「異界転移の魔術式を構築したのは、200年前の賢人ティカだと云われている。その文献を探し、解読するのを手伝った。それも怖ろしく難解で、膨大な魔力を必要とする術式でな、クロウひとりでは術式を行使することが出来ん故」
「クルイークが協力したと?」
「ああ、元の世界へ送り返す為の魔力としてな」
「その魔術式は?」
「言っておくが、無事に帰ったかは分からんのだぞ」
異界の扉は確かに開いたという事だった。だが、無事に帰ることが出来たのかは、こちらの世界から確かめる方法がない。
「クロウはまた戻ってくるつもりだったようだ。だが、15年経った今でもその姿はない」
「……ああ、だからアンタは俺に会いに来たのか」
友が再びこの世界に戻ってきたのかを確かめるために。
ふと、似つかわしくないやわらかい笑みを見せたかと思えば、すぐにニヒルな表情に変化する。
「あの馬鹿と呑む酒は美味かったからな。お前と酌み交わす酒も悪くない」
「そりゃどーも」
クルイークの話によれば、異界転移を行う為の膨大な資料と魔術式はある場所に厳重に保管され、一般に公開される事はないという。だが、彼ならば忍が差し出す対価によっては、それを入手してくるだろう。
「では……先の対価を貰い受けよう」
「こ、ここでか?」
「奥に寝室もあるぞ」
「……こ、ここでいいです」
以前の様な痴態を晒したくないと言うと忍に、クルイークはリュートや姿の見えない護衛達を下がらせた。
クルイークの横へ移動し、忍が立襟の上着を脱いだ。黒なので血で汚れても目立たないが、だからといって汚す事はない。
シャツの前を肌蹴け、首を横に傾けた。
「……なんと色気のない」
クルイークは呆れたように吐き捨てると、隣に座っていた忍の身体をソファへ縫い付ける様に倒す。忍は急に近くなった互いの顔を離すように右手でクルイークの身体を押し返し立ち上がろうとするが、その肩をクルイークが押さえている。
「おい……こりゃ…何の真似だ?」
「何の、と?………血の対価だろう」
忍の首筋に鼻先を付ける様に匂いを楽しむ。血鬼にとっては芳しく甘い香りが鼻に抜けた。
「このままでも良いのだが、また前を濡らすことになると困るのではないか?」
「っ!!―――い、言うな、この変態侯爵」
「心配してやったというのに……」
「だぁぁぁ!!前を触るな弄るなっ。この変ぃ」
プツリっと首筋に刺さる牙を感じ、熱く迫り上がる感覚に耐えるようにクルイークの服を強く掴んだ。
クルイークは前回のように一度に味わうのではなく、1度牙を抜き、そこから流れ落ちた赤い線を舌先で舐めた。
ぶるりと忍の身体が震え、飛びそうになる意識を戻そうときつく瞳を閉じている。
血鬼が与える快感は抗えるものではない。
舌先で触れるだけでも、喜びへと変換されるその感覚に、手も足もでないだろう。
舌を這わせながら、着ている物と共に感覚を無理やり開いていく異世界の吸血鬼に組み敷かれ、息を荒くしたその瞳は酩酊したように頼りない。
太く血を味わいやすい血管は首筋だけではない。
クルイークは悪辣な笑みで、やわからなその内腿に2度目の牙を立てた。




