~私と庭とマトリーニ~
「日差しが柔らかくて、ほのかにそよぐ風が優しく気持ちいいな。今日は庭いじりに専念できそうね」
普段からお父さんが居ないこの家ではいつも私ひとりでしゃべっている。寂しいとかそんな事まで考えたことはない。ただ癖のようにそうしてしまうだけだ。
お父さんは仕事で峠を越えた遠くの街にまで行っている。月に数回しか帰って来ないから家はがらんとしているし、これといった生活用品もない。しかしお父さんが散らかしたガラクタやごみだけは捨てるほどある。
こないだだってそうだ。庭用の柵を作るつもりだったから、階段の下にあるクローゼットを覗いた時のこと。工具箱は見つけたのに、釘だけ入ってなかった。よく見ると床に二、三本転がっていたが、触れるとぼろぼろとして手が錆びまみれになるだけだった。
この家に何かが足りないなんていつものこと。そうして今日も、私の小遣いから釘を買うはめになった。お父さんへの愚痴をこぼしながらも私は木の板に釘を打つ。それでも、この板を目の前にすると胸が踊る。心は弾みまくる。
私にはこの家の一番のお気に入りがある。それは庭を覗ける縦長の窓。外壁はくすんだ青灰の色だけれど、白く塗られた窓枠が綺麗に浮き上がって見える。そして板塀の先っちょに並んだ丸とんがり。この“とんがり”は三角でもなければ、半円でもない“丸とんがり”なのだ。普通は塀に手を掛けたり、乗り越えようとする人を痛がらせるように作ったりするが、うちのは違った。これはお母さんのアイデアだったらしい。
今、私が組み立てている花壇用の木の柵は特注の丸とんがり仕上げだ。窓にあわせてペンキで白く塗られ、とんがりの下はハートの形にくりぬいてある。ゴンズさんに頼んで本当に良かったと思う。それは私のイメージ通りの出来映えだからに違いない。完成品の柵ではないのは、そのぶん、安くなると言われたからだ。
そうこうしてる内に釘を打ち終え、出来上がった柵を土にさしていく。花壇のつもりだが、畑にも見えてきた。こんな小さな畑は見たことないのにね。本当は犬小屋を建てて、子犬でも拾ってこようと思っていたけど、庭が小屋と犬と私で埋まりそうなのでやっぱりやめた。
私にはいつもおしゃべりの相手をしてくれるおばあちゃんがいる。それはお隣のマトリーニさん。お隣さんと言っても、道を挟んだ向こうの林の奥に家がある。おじいちゃん、つまり、おばあちゃんの旦那さんは昔大工をやっていて、自分で家を建てたんだって。その旦那さんはもう隠居していて、今はおばあちゃんと息子さん夫婦と一緒に暮らしている。
私がお家を訪ねると、たまにおじいちゃんが居て、何を言っているか分からないが挨拶をしてくれる。そして、おばあちゃんはケープを全身に巻いた姿で出迎えてくれる。二人が笑うと顔に隠れた皺がいっぱい現れ、歯はもうあまり無いことがわかる。そのことをおばあちゃんに伝えると、「みんな年をとるとそうなるのよ。あなたのお父さんも、あなたもね」と教えてくれた。
今日もおばあちゃんへ会いに行く。いつものように林を抜け、少し開けた所に出るとマトリーニさんの大きな家が見えた。日曜日だから、息子さん夫婦も居るかもしれない。
「マトリーニさん、こんにちは」
ドアをノックしながら呼び掛けると、奥から物音がした。ドアの窓にかけられたカーテンの隙間からおばあちゃんのきょろりとした目が現れた。
「あらあら、いらっしゃい」
チリリンとベルが鳴り、おばあちゃんが出てきた。今日はちゃんとサンドイッチが入ってると伝え、ピクニックバスケットを掲げて見せた。中に通してもらうと、おばあちゃんちの匂いがした。装飾の施された客人用の椅子に案内されると、おばあちゃんは紅茶を用意しに部屋を出ていった。いつも座るこの椅子はふかふかとしていて、クッションは花柄の生地で覆われている。とても上品な作りだ。
「はい、甘めで良かったわよね」
「ありがとうマトリーニさん」
私はおばあちゃんのことをマトリーニさんと呼ぶ。ここの家族は皆マトリーニさんだが、おばあちゃんと話すことがほとんどなので問題ないのだ。名前のティラさんとか、おばあちゃんよりマトリーニさんの呼び方がお互いしっくりくるということで落ち着いた。ちなみにおじいちゃんはおじいちゃんと呼んでいる。
「今日は何の話をしましょうかね」
「マトリーニさん。今日はね、うちのお庭が少し綺麗になったから、そのお披露目にまた私の家に遊びに来てもらおうと思って、お誘いにきたの」
「言ってたお庭ね」
「そう。そこでね、前に聞いた妖精のお話をして欲しいなあって。来週の日曜空いてますか?」
「いいわよ。日曜ね。楽しみだわ」
そう言いながら、マトリーニさんは私の作ったサンドイッチをゆっくりとほおばった。