第41話 引き継ぎ資料はありません
「引き継ぎを、お願いできますか」
その言葉は、
とても丁寧だった。
新しく配属された職員は、
端末を胸に抱えたまま立っている。
「第七運用課の業務について」
「……引き継ぎ?」
「はい」
少し間を置いてから続ける。
「マニュアルか、資料があれば」
アオイは、少しだけ考えた。
「ありません」
「……無い、ですか」
「ありません」
「では」
新任職員は、言葉を探す。
「何から覚えれば」
「案件が来たら」
アオイは、端末を示す。
「それを見る」
「基準は?」
「無いです」
「判断は?」
「しません」
新任職員は、しばらく黙っていた。
「それで」
少し困ったように聞く。
「業務として、成立しますか」
アオイは、すぐには答えなかった。
「……しています」
「どうやって」
「やっているので」
昼。
新任職員は、何度か端末を開いては閉じていた。
「難しいですね」
小さく言う。
「分かりません」
シラベが、横から言った。
「分からないままで、合ってます」
「え?」
「分かったら」
少し笑って。
「もう向いてません」
午後。
一件、問い合わせが来る。
どこにも当てはまらないのですが、
誰かに聞いてもらえますか。
新任職員は、画面を見つめた。
「……どうすれば」
アオイは、短く言った。
「受け取ってください」
「それだけで?」
「それだけです」
しばらくして、
新任職員は、静かに首を振った。
「すみません」
「……何がですか」
「自分には」
言葉を探す。
「向いていない気がします」
アオイは、首を振った。
「向いている人はいません」
「でも」
「残る人がいるだけです」
夕方。
人事から、短い連絡が入る。
配属は見直します。
新任職員は、深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
「……こちらこそ」
対応室に、静けさが戻る。
「引き継げなかったね」
シラベが言う。
「……うん」
「資料も」
「無い」
「説明も」
「無い」
「でも」
シラベは、少しだけ笑った。
「仕事は、残った」
夜。
個人メモを開く。
・引き継ぎ資料なし
・教えられることは少ない
・だが、仕事は続いている
最後に、一行だけ書く。
・引き継げないことが、役割だった
端末を閉じる。
外は、静かだった。
正しく運用された世界。
その中で、
誰にも完全には渡せない仕事だけが、
同じ場所に残っている。
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