第33話 書けない条文
その日は、静かに始まった。
静かすぎて、
誰もが少しだけ身構えていた。
「……一度」
カンザキが言った。
「書いてみましょう」
否定ではなかった。
決定でもなかった。
ただの提案だ。
「案を」
カンザキは続ける。
「仮で」
会議室の画面が切り替わる。
白紙の文書。
「説明用です」
何度目かの言葉。
「判断ではありません」
アオイは、椅子に深く座り直した。
「じゃあ」
カンザキが言う。
「シラベさん」
シラベが、少しだけ顔を上げる。
「前回の分類」
カンザキは、穏やかに言った。
「文章にできますか」
空気が、止まった。
「……分類は」
シラベは、言葉を選ぶ。
「できます」
「お願いします」
画面のカーソルが、点滅する。
シラベは、しばらく黙っていた。
「……たとえば」
文字が打たれる。
魔術使用後、
客観的な生活影響は認められないが、
主観的な変化を訴えるケース
「……」
「悪くないですね」
誰かが言った。
「説明としては、十分です」
アオイは、画面を見つめていた。
「……これ」
アオイは、静かに言う。
「何ですか」
「落ちます」
「……?」
「“主観的な変化”って」
アオイは続ける。
「言えない人がいます」
「……」
「言えない」
シラベが、ぽつりと言った。
「でも」
別の職員が言う。
「言えないなら、仕方ないのでは」
「仕方ない、で」
アオイは、少しだけ声を強めた。
「落ちる人がいる」
カンザキは、すぐに割り込まなかった。
「修正しましょうか」
少しして言う。
文言が変わる。
魔術使用後、
明確な生活支障はないが、
本人の違和感が継続するケース
「……」
「“違和感”」
シラベが言う。
「それ、強い」
「強いですか?」
「拾えない人が増えます」
空気が、重くなる。
「じゃあ」
誰かが言う。
「どう書けば」
誰も、答えなかった。
画面には、
何度も修正された文章が残る。
どれも、
“近い”。
だが、
“同じ”ではない。
「……説明用、ですよね」
カンザキが、確認するように言う。
「はい」
「完璧でなくても」
「完璧じゃないと、ダメです」
アオイは、静かに言った。
「……」
「説明文は」
アオイは続ける。
「読む人の人生を、決めます」
その言葉に、
誰もすぐには返せなかった。
クロガネが、口を開いた。
「今日は、ここまでだ」
誰も反対しなかった。
対応室に戻る。
「……書けなかったね」
シラベが言う。
「うん」
「分かってたけど」
「……分かってた」
「でも」
シラベは、少しだけ悔しそうに笑う。
「書けると思ってた」
「……」
アオイは、端末を開く。
一覧は、変わらず並んでいる。
「ねえ」
シラベが言う。
「分類できるって」
「うん」
「救えるって意味じゃないね」
アオイは、答えなかった。
夜。
個人メモを開く。
・条文は書けなかった
・近づくほど、こぼれた
・言葉にした瞬間、対象が変わる
最後に、一行。
・書けないこと自体が、答えかもしれない
端末を閉じる。
外は、相変わらず静かだった。
正しく運用された世界。
その中で、
書かれなかった条文だけが、
確かに存在していた。
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