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女神に転生させられた43歳おじさん、まず労働条件を確認します  作者: Y.K
第1章

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想定外は、想定しない

転生管理局・上層会議室。


 白を基調とした空間に、

 複数のウィンドウが浮かんでいる。


 案件名:

 《勇者稼働停止事案》


 説明文は短い。


「……要するに」


 中央に立つ男――レクターが、淡々と言った。


「勇者が一時的に動けなくなった。

 それに付随して、

 現場が少し混乱している」


 “少し”。


 その言葉に、誰も反論しなかった。


「過去の事例と比較すると?」


「死亡例もあります」


 部下の一人が答える。


「……では、今回は軽微ですね」


 レクターは、即座に結論を出した。


「問題は?」


 別のウィンドウが開く。


「契約書が存在しない点が……」


「ああ」


 レクターは、頷いた。


「それは確かに、

 書類上は不備です」


 書類上、という言葉が付く。


「では、作りましょう」


 あまりにも簡単に。


「事後で?」


「もちろん」


 誰かが、恐る恐る言う。


「……それは……

 根本的な解決に……」


「解決する必要はありません」


 レクターは、静かに遮った。


「必要なのは、

 問題が拡大しないことです」


 ウィンドウに、別の案件が映る。


 稼働中の勇者。

 進行中の世界救済。


「世界は、救われ続けています」


 事実だった。


「現場が回っている以上、

 制度は成功している」


 誰も否定できない。


「……仮契約中の転生者の件は……」


 その言葉で、

 空気が、わずかに変わった。


「安西……だったかな」


 レクターは、資料に目を落とす。


「止まっている、という人」


「はい」


「彼は、想定外です」


 即断。


「止まることを選んだ転生者は、

 制度上、扱いづらい」


 誰かが言う。


「排除……しますか?」


「いいえ」


 レクターは、首を振った。


「排除はコストが高い」


 合理的な理由。


「無害化しましょう」


 その言葉に、

 アリシアの名前が、資料に表示された。


「現場で対応できる範囲で」


 それが、指示だった。


「想定外は、

 想定しない」


 淡々と、

 制度の論理が下される。


転生管理局・第3課。


 アリシアの前に、

 新しいウィンドウが表示された。


 件名:

 《勇者運用に関する改善指示》


「……改善……」


 呟いてから、

 内容を開く。


 箇条書き。

 分かりやすい。

 とても“仕事ができる人”の文章だった。


 ・勇者の活動は「自主的協力」と位置づける

 ・管理局は直接的な責任を負わない

 ・危険に関する説明は、事前に口頭で行う

 ・同意を得たものとみなす


「……みなす……」


 喉が、ひくりと鳴る。


 読み進める。


 ・契約書(簡易版)を作成する

 ・世界救済を目的とすることに同意する

 ・活動に伴う危険は自己責任とする


 一見すると、

 “整備された”ように見える。


 だが。


(……これ……)


 アリシアは、

 手元の第一話の記憶を、

 無意識に思い出していた。


 ――要件定義が甘い。


 これは、

 要件を決めたふりをしているだけだ。


「……」


 上司からの追記が、

 最後に一行だけ添えられている。


現場の混乱を避けるため、

速やかに運用開始のこと。


 速やかに。


 つまり、

 考える時間は、ない。


 アリシアは、

 深く息を吸った。


(……これで……

 誰が、守られるんだろう……)


 勇者は、守られない。

 ギルドも、守られない。


 管理局だけが、

 守られる。


 視線が、

 別のファイルに移る。


 ――仮契約中の転生者。


 安西 恒一。


(……この人に……

 これ、渡すんだ……)


 胸が、重くなる。


 白い空間へ接続する

 転送操作。


 ウィンドウが、

 淡く揺れた。


「……安西さん……」


 白い空間に、

 いつものように立っている男が見える。


「確認が……

 取れました……」


 声が、少しだけ硬い。


「改善案、です……」


 そう言って、

 簡易契約書(案)を、

 表示した。


 安西は、

 黙ってそれを見ている。


 表情は、変わらない。


 しばらくして、

 静かに口を開いた。


「……これ」


 一言。


「契約じゃないですね」


「……え……?」


「同意を取るための文章です」


 責める声ではない。

 指摘だ。


「責任の所在が、

 どこにも書いていない」


 アリシアは、

 唇を噛んだ。


「……でも……

 これが……

 上からの……」


「分かります」


 即答。


「これは、

 現場を守る書類じゃない」


 淡々と続ける。


「管理する側を守る書類です」


 言葉は、静かだった。


 だが、

 もう誤魔化しはできなかった。


 アリシアは、

 深く頭を下げた。


「……すみません……」


 安西は、

 少しだけ首を振る。


「謝る必要はありません」


 そして、

 視線を上げる。


「次は、どうしますか」


 その問いは、

 彼女一人に向けたものではなかった。


 制度全体への、問いだった。


 白い空間に、

 静かな緊張が走る。


白い空間に、

 簡易契約書(案)が浮かんでいる。


 文字は整っている。

 言い回しも丁寧だ。


 ――よく出来た“同意文”だった。


 安西は、しばらく黙ってそれを眺めていた。


「……安西さん……」


 アリシアが、恐る恐る声をかける。


「これ……

 受け取ってもらえませんか……」


 受け取る、という表現が、

 もう曖昧だ。


「受け取ること自体は、構いません」


 安西は、視線を外さずに言った。


「ただし」


 指で、

 一行を示す。


「この文言は、修正が必要です」


「……修正……?」


「はい」


 淡々と、続ける。


「まず、

 契約主体が不明確です」


「……世界……では……」


「世界は、法人格を持っていません」


 一刀両断。


「少なくとも、

 契約書に書く主体ではない」


 アリシアは、

 息を詰まらせた。


「……じゃあ……

 管理局が……」


「管理局が主体なら、

 責任範囲を明記する必要があります」


 次。


「業務内容が抽象的すぎます」


 画面が、

 自動で拡大される。


 ――“世界救済に資する活動全般”。


「これ、

 際限がありません」


「……」


「勤務時間の上限」


 次の行。


「休息の最低保証」


 さらに。


「危険手当、もしくは

 代替補償」


 アリシアは、

 目を見開いていた。


「……そんな……

 今まで……」


「今まで、

 書いてこなかっただけです」


 責める調子ではない。


「書いてこなかった結果、

 誰かが倒れました」


 沈黙。


「……」


「それと」


 安西は、

 最後の項目を指す。


「解除条件」


「……解除……」


「はい」


「契約は、

 いつでも解約できる必要があります」


 当たり前のことを、

 当たり前の顔で言う。


「……それ……

 通りますか……?」


 アリシアの声が、

 震えた。


 安西は、

 すぐには答えなかった。


「通らないかもしれません」


 正直だった。


「でも」


 続ける。


「通らない理由が、

 言語化されます」


 アリシアは、

 はっとした。


「……あ……」


「今は、

 通らない理由すら、

 整理されていない」


 それが、

 一番危険だ。


「……修正案……

 出しますか……?」


 アリシアが、

 小さく聞いた。


 安西は、

 白い空間を見回す。


 何もない。

 始まってもいない。


「出しましょう」


 短く答えた。


「ただし」


 視線を戻す。


「これは、

 俺の要求じゃありません」


「……?」


「最低限の、

 契約の形です」


 アリシアは、

 ゆっくり頷いた。


「……分かりました……」


 そして、

 覚悟を決めたように言う。


「……上に……

 持っていきます……」


 白い空間が、

 静かに揺れる。


 また、

 “確認”が始まる。


 だが今回は、

 前とは違う。


 項目が、ある。


 論点が、ある。


 逃げ道は、

 もう少ない。


修正案は、

 想像よりも早く戻ってきた。


 アリシアの前に浮かぶウィンドウ。

 件名は短い。


 《契約書(修正案)について》


 嫌な予感は、

 もうしていた。


 開く。


 そこに並んでいたのは、

 却下でも、怒りでもなかった。


 ――理由だった。


 ・契約主体を管理局とする案

  → 責任範囲が拡大しすぎるため不可

 ・勤務時間の上限設定

  → 世界危機対応に支障が出るため不可

 ・解除条件の明記

  → 任務放棄のリスクが高まるため不可


 どれも、

 理屈としては、通っている。


 最後に、

 追記が一行。


現行案で運用可能であるため、

修正は不要と判断する。


 アリシアは、

 しばらく画面を見つめていた。


(……通らない……)


 でも。


(……ちゃんと……

 理由が、書いてある……)


 それが、

 今までと決定的に違っていた。


 白い空間への接続。


 安西は、

 いつものように、そこにいた。


「……戻ってきました……」


 アリシアは、

 修正案への返答を表示する。


 安西は、

 一つずつ、目を通す。


 ゆっくり。

 丁寧に。


「……なるほど」


 それだけ言った。


「……通りません、でした……」


 アリシアが、

 小さく言う。


「はい」


 安西は、

 即座に答えた。


「想定通りです」


「……え……?」


「でも」


 少しだけ、

 間を置く。


「これで、

 “通らない理由”が

 全部、言語化されました」


 アリシアは、

 はっと息を呑んだ。


「……」


「責任を取りたくないから、ではない」


 指で、

 理由をなぞる。


「“取りきれない”から、ですね」


 逃げではなく、

 能力の問題。


「世界危機対応を理由に、

 上限を設けない」


「任務放棄を恐れて、

 解除を認めない」


 淡々と、整理する。


「つまり」


 安西は、

 顔を上げた。


「今の制度は、

 人を守る前提で

 設計されていない」


 断罪ではない。

 確認だ。


 アリシアは、

 唇を噛んだ。


「……じゃあ……

 どうすれば……」


 安西は、

 少しだけ考えた。


 そして、

 静かに言う。


「次は」


 その言葉に、

 アリシアが顔を上げる。


「誰を守らないかを、

 決める番です」


「……」


「全員を守る契約は、

 通らない」


「でも」


 視線を合わせる。


「守られない人を

 意識して書いた契約なら」


 言葉を、置く。


「……通る可能性はあります」


 白い空間に、

 沈黙が落ちた。


 それは、

 重い沈黙だった。


 アリシアは、

 小さく頷いた。


「……分かりました……」


 理解したわけではない。


 だが、

 逃げないと決めた顔だった。


「……次は……

 私が、

 考えます……」


 安西は、

 何も言わなかった。


 それで、十分だった。


 白い空間が、

 ゆっくりと遠ざかる。


 仮契約。

 未承認。

 前例なし。


 だが――


 制度は、

 もう“知らなかった”とは

 言えなくなった。


 そして次に壊れるのは、

 契約書か。

 勇者か。

 それとも――

 管理局そのものか。


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