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女神に転生させられた43歳おじさん、まず労働条件を確認します  作者: Y.K
第1章

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2/16

仮契約中のため、転生は行われておりません

白い空間は、相変わらず白かった。


 天井もない。

 床もない。

 時間が進んでいるのかも、分からない。


 ただ――

 待たされている、という感覚だけはあった。


「……ちなみに」


 安西は、静かに口を開いた。


「今って、何待ちですか」


 向かいに浮かぶアリシアが、びくっと肩を震わせる。


「えっ」


「仮契約を結んだあと、

 特に何も起きていないので」


 体は変わらない。

 世界も始まらない。


 強制転生も、カウントダウンもない。


 ただ、白い。


「……あ、えっと……」


 アリシアは、視線をさまよわせながら言った。


「その……

 上司に、確認を取っていまして……」


「確認」


「は、はい……」


 声が弱い。


 安西は、軽く頷いた。


「なるほど。

 今は承認待ち、ということですね」


「しょ、承認……」


「仮契約なので、

 本契約に進むかどうかの判断が必要なんでしょう」


 アリシアは、口を開けて固まった。


「……そ、そこまで、分かるんですか……?」


「だいたい、似たような構造なので」


 会社も、

 管理局も。


 名前が違うだけで、

 やっていることは同じだ。


 少しの沈黙。


「……すみません」


 アリシアが、ぽつりと言った。


「お待たせしてしまって……」


「大丈夫です」


 安西は、即答した。


「待つのは、慣れてます」


 そう言ってから、少しだけ考えた。


「……ただ」


「は、はい」


「待機中という扱いなら、

 業務にはまだ入っていない、で合ってますよね」


「……はい」


「拘束時間としては?」


「……え?」


「今は、勤務時間外ですか」


「……」


 アリシアは、わずかに目を伏せた。


「……その……

 そこも、まだ……」


「未整理」


「……はい……」


 安西は、ため息をついた。


 怒りではない。

 諦めに近い。


「……大変ですね」


 その一言に、

 アリシアが、はっと顔を上げた。


「え……?」


「新人さんですよね」


「……は、はい……」


「最初に想定外を引くと、

 全部しんどい」


 言い切る。


 経験則だった。


「……」


 アリシアは、何か言いかけて――

 結局、何も言えなかった。


 白い空間に、

 また沈黙が落ちる。


 だが、第一話とは違う。


 これは、始まりの前の沈黙だ。


 仮契約。

 前例なし。

 未承認。


 ――転生は、まだ行われていなかった。


転生管理局・第3課。


 白を基調とした廊下を、アリシアは小走りで進いていた。

 浮遊ではない。ちゃんと歩いている。


 ――走ると怒られる。

 でも、歩いている余裕もなかった。


(どうしよう……)


 胸元に抱えた書類――

 いや、正確には“書類になりきっていない何か”。


 仮契約。

 未承認。

 前例なし。


 どれも、マニュアルの端にも載っていない。


「アリシア」


 名前を呼ばれて、肩が跳ねた。


 振り向くと、そこにいたのは――上司女神だった。


 年上。

 落ち着いた表情。

 忙しそうに、複数のウィンドウを同時に操作している。


「転生処理、まだ終わってないわよね」


「は、はい!」


「どうしたの。

 新人にしては、ずいぶん時間かかってるけど」


 責める口調ではない。

 だからこそ、余計に苦しい。


「……あの……」


 アリシアは、喉を鳴らした。


「転生者様から……

 業務条件の確認がありまして……」


 上司女神は、一瞬だけ手を止めた。


「……条件確認?」


「は、はい……」


「そんなの、いつも通り説明すればいいでしょ」


「それが……

 “仮契約”という形で……」


 その言葉を聞いた瞬間、

 上司女神の眉が、わずかに動いた。


「仮契約?」


「……はい……」


「……誰が許可したの」


「……わ、私です……」


 沈黙。


 空気が、少しだけ重くなる。


「前例は?」


「……ありません……」


「じゃあ、ダメね」


 即答だった。


「え……?」


「前例がないものは、処理できない」


 それだけで、話は終わり――のはずだった。


「……でも……」


 アリシアは、思わず声を出していた。


 上司女神が、視線を向ける。


「何」


「条件が……

 あまりにも、曖昧で……」


「それ、今まで問題になった?」


「……」


「なってないでしょ」


 正論だった。


 だが――。


「……でも……

 もし、想定外が起きたら……」


「想定外?」


 上司女神は、ため息をついた。


「想定外はね、

 現場で処理するものよ」


 その言葉に、

 アリシアの胸が、ぎゅっと締め付けられた。


「……現場、ですか……」


「そう。

 転生者も、世界側も」


 淡々と続ける。


「管理局は、

 “回っている限り”問題にしない」


 ――第一話で聞いた構造。


 アリシアは、唇を噛んだ。


「……でも……」


 声が震える。


「条件が未整理なまま送り出すのは……

 危険だと思います……」


 上司女神は、少しだけ目を細めた。


「それ、誰の仕事だと思ってるの」


 その一言で、

 アリシアの頭が、真っ白になった。


 答えは分かっている。


 ――自分だ。


「……」


「新人が全部抱え込む話じゃないでしょ」


「……」


「とりあえず、その仮契約は保留」


 上司女神は、操作を再開しながら言った。


「正式な前例ができるまで、

 転生処理は進めない」


「……はい……」


 それは、拒否ではない。


 だが、承認でもない。


 宙ぶらりん。


「……以上?」


「……はい……」


「じゃ、戻っていいわ」


 その一言で、会話は終わった。


 アリシアは、深く頭を下げ、

 その場を後にした。


 廊下を歩きながら、

 小さく息を吐く。


(……やっぱり……)


 前例がないと、

 誰も動けない。


 ――でも。


 白い空間で待っている、

 あの四十三歳のおじさんの顔が、頭に浮かぶ。


(……あの人……

 怒らないって、言ってたな……)


 アリシアは、歩く速度を少しだけ上げた。


 仮契約は、

 まだ終わっていない。


白い空間は、相変わらず静かだった。


 音もない。

 風もない。

 ただ、何かを待つには都合が良すぎる場所。


 安西は、座るでもなく立つでもなく、

 なんとなくその場に“いる”。


 そこへ、

 空間の端がわずかに揺れた。


 アリシアが戻ってきたのだ。


 浮遊が、少し不安定だった。


「……おかえりなさい」


 安西が声をかけると、

 アリシアは一瞬、驚いたような顔をした。


「……あ」


「確認、終わりました?」


「……はい……」


 声が小さい。


 安西は、何も聞かずに頷いた。


「結果は」


 少しだけ、間を置いて。


「……保留、でした……」


 言葉が、床に落ちる。


 拒否でもない。

 承認でもない。


 中途半端な結論。


「前例が、ないので……」


 アリシアは、俯いたまま続ける。


「正式な判断は……

 できない、そうです……」


「なるほど」


 安西は、短く答えた。


 予想通りだった。


「……すみません……」


 唐突に、アリシアが頭を下げた。


「私……

 うまく説明、できなくて……」


 その姿は、

 さっきの“女神”というより、

 新人社員そのものだった。


「謝る必要はありません」


 安西は、静かに言った。


「結果は、想定の範囲内です」


「……え……?」


「前例がないものは、

 だいたい保留になります」


 淡々とした口調。


「即却下されなかっただけ、

 かなり前進です」


 アリシアは、ゆっくり顔を上げた。


「……そう、なんですか……?」


「はい」


 断言する。


「何もしなければ、

 “なかったこと”にされてました」


「……」


「でも今は、

 “処理中”という状態になっている」


 それは、

 止まっているようでいて、

 実は一番動いている段階だった。


 少しの沈黙。


「……あの……」


 アリシアが、遠慮がちに口を開く。


「……私……

 間違って、ますか……?」


 それは、

 女神としてではなく、

 一人の担当者としての問いだった。


 安西は、少しだけ考えた。


「間違ってはいません」


 即答はしなかった。


「ただ……

 しんどい立場に、足を踏み入れましたね」


「……」


「“問題に気づいた人間”は、

 だいたい、そうなります」


 アリシアは、唇を噛んだ。


「……でも……

 あのまま、送り出すのは……」


「分かります」


 短く。


「俺も、

 そういう仕事をしてました」


 アリシアが、はっとする。


「……」


「だから」


 安西は、静かに続けた。


「一人で抱えないでください」


「……」


「必要なら、

 論点整理くらいは、手伝います」


 その言葉に、

 アリシアの肩が、ぴくりと動いた。


「……い、いえ……!」


 慌てて首を振る。


「それは……

 私の仕事なので……」


 言い切った。


 声は、まだ弱い。

 でも、逃げてはいなかった。


 安西は、少しだけ目を細めた。


「そうですか」


「……はい……」


 白い空間に、

 ほんの少しだけ、温度が戻った。


 仮契約は、

 まだ終わっていない。


 だが――

 誰かが、初めて“責任を引き受けた”瞬間だった。


白い空間に、静かな時間が流れていた。


 アリシアは、胸の前で手を組んだまま、しばらく黙っていた。

 何かを考えている、というより――整理しているように見える。


「……あの」


 やがて、小さく声を出す。


「少しだけ……

 考えても、いいですか」


「どうぞ」


 安西は即答した。


「考える時間は、必要です」


 それを聞いて、

 アリシアはほんの少しだけ、肩の力を抜いた。


「……前例がないから、

 進められないって言われました」


「はい」


「でも……

 前例がないって……」


 言葉を探すように、視線が揺れる。


「……最初は、

 全部、そうですよね……」


 安西は、何も言わなかった。


 続きを、待つ。


「……私……」


 アリシアは、ゆっくり息を吸った。


「このまま、

 何もなかったことには……

 したくありません」


 それは、

 大きな宣言ではなかった。


 英雄的でも、革命的でもない。


 ただの――担当者の判断だ。


「……なので……」


 アリシアは、少しだけ顔を上げる。


「もう一度、

 条件を整理します」


「はい」


「仮契約のまま、

 どこが未整理なのか……

 一つずつ、書き出して……」


 声はまだ、震えている。


 それでも、逃げてはいなかった。


「……時間は、かかると思います」


「構いません」


 安西は、落ち着いた声で答えた。


「急ぐ話ではないので」


「……」


 その言葉に、

 アリシアは少しだけ、目を見開いた。


「……本当に……

 怒らないんですね……」


「怒る理由がありません」


 同じ台詞。

 だが、今度は少し意味が違った。


「……ありがとうございます……」


 アリシアは、深く頭を下げた。


 女神としてではなく、

 一人の“担当者”として。


「では……」


 顔を上げて、続ける。


「次にお会いする時は……

 もう少し、ちゃんとした形で……」


「期待してます」


 短い言葉だった。


 でも、それで十分だった。


 白い空間が、わずかに揺れる。


 アリシアの姿が、少しずつ薄れていく。


 別れ際、彼女は振り返った。


「……前例は……」


 一瞬、言葉に詰まり。


「……これから、作ります」


 そう言って、

 今度こそ、姿を消した。


 再び、一人になる。


 白い空間。

 仮契約。

 未承認。


 だが、第一話のときとは違う。


 今は――

 “誰かが動いている”と分かっていた。


 安西は、小さく息を吐く。


「……さて」


 独り言のように、呟く。


「問題提起は、済んだな」


 世界を救う話は、

 まだ始まっていない。


 だが、

 制度が動き始める音だけは、

 確かに聞こえていた。


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