第4話 「創作者の箱庭」
Ⅰ.死後劇場
死神省の最下層には、劇場があった。
観客はいない。椅子は並んでいるが、どれも空席だ。
それでも舞台の幕は上がる。
毎晩、誰もいない観客のために。
扉にはプレートが打ち付けられていた。
【第五死神《創作者》】
業務内容:死者の記録を“物語”として再上映すること。
備考:作者の改変を許可。
俺は深呼吸をして中に入った。
舞台の中央に、黒いペンを持った女がいた。
白い衣をまとい、髪はインクのように黒い。
足元には、破れた台本が積まれていた。
「雨宮監査官、ようこそ。あなたの死は、何話構成にしますか?」
「……俺は死んでいない」
「いえ。人間は、生きている間にも何度も死にます。
記録上、あなたは三回死んでいます」
「三回?」
女はペン先を紙に突き立てた。
その瞬間、舞台の幕が音もなく広がった。
光が走り、俺の“過去”が立ち上がる。
Ⅱ.最初の死 ― 妻の時間
舞台の上に、コーヒーカップが三つ並んでいた。
ひとつは熱い。ひとつは冷たい。ひとつは、空。
女が言った。
「一度目の死は“他人の死を見送ったとき”。
あなたの妻、美沙。彼女の死が、あなたの最初の死でした。」
カップの縁に、見覚えのある指輪が置かれている。
女がページをめくるたび、蒸気が記憶に変わる。
「葬儀のあと、あなたは自分の履歴書を三回書き直した。
職務経歴の欄に、“妻の遺志を継ぐ”と書いた。」
「覚えていない。」
「だから、わたしが再現しているのです。」
舞台の中央に、ひとりの女の影が立ち上がった。
その顔は、俺が知っているよりも若かった。
影が言った。
「リク。死神のくせに、生きるのが下手ね。」
俺は息を呑んだ。
「……美沙。」
彼女は笑った。
「あなたが“死後”を仕事にする前に、
“生きている”人間として、何か書けばよかったのに。」
舞台が暗転した。
影は、砂のように崩れた。
残ったのはカップだけ。冷めたコーヒーの匂いがした。
Ⅲ.二度目の死 ― 記録の誤植
舞台の幕が変わる。
白い壁、蛍光灯、端末。
それは、死神省の「記録課」だった。
机の上には俺の署名入りの文書があった。
見出しにはこうある。
【被審査者:神 状態:消失中】
【署名:雨宮リク】
【備考:削除済】
「あなたの二度目の死は、“神を殺した”瞬間です」
「俺が?」
「あなたが“神の所在”を空白にした。
記録者が保管していた最後のログを削除したのは、あなた自身。
――“削除権限:人間”」
「……俺が、神を消した?」
女は頷いた。
「あなたは倫理の整合性を保つために、
“存在しない上司”を消すことを選んだ。
制度を守るために、神を殺したのです。」
「そんなつもりはなかった。」
「意図の有無は、結果を軽くしません。」
舞台が再び暗くなる。
紙が舞う。ページが空白で埋まる。
その中心に、俺自身の影が立っていた。
「人間とは、神を“職務上のエラー”に変換できる唯一の生き物だ。」
影の俺がそう呟いて、消えた。
Ⅳ.三度目の死 ― 鏡の夜
女が最後の台本を広げた。
「三度目の死は、“あなたが自分を監査した夜”です。」
鏡の中の俺が、俺に問いかける場面が再現された。
> 『あなたは、生きる資格がありますか?』
だが、この劇場の鏡は本物の鏡ではなかった。
女が筆を走らせるたび、
鏡の中の俺が少しずつ別の人物に変わっていく。
最初は、俺自身。
次に、美沙。
次に、忘却者。
そして、反逆者。
最後に、神。
「これは何だ?」と俺。
「あなたの“可能性”です。」
「可能性?」
「人間は一度しか死ねない。
けれど、物語の中なら、何度でも生き直せる。」
舞台の床が割れた。
下には、無数の物語が積み重なっていた。
そのすべてに俺の名前があった。
タイトルが異なるだけで、主人公は同じ。
『死神省の人間監査官』
『忘却庁の職員』
『未死者の都市』
『神の所在報告書』
――全部、俺が書いた物語だった。
Ⅴ.創作者の正体
女はペンを置いた。
「さて、監査官。あなたの監査を終えます。」
「俺が被審査者、というわけか。」
「いいえ。あなたは被創作者です。」
言葉が理解できるより早く、
舞台の照明がすべて俺の顔を照らした。
観客席には、いつの間にか数えきれないほどの影。
皆が拍手をしていた。
音のない拍手。
“存在していない者たち”の拍手だった。
「あなたが神を消したとき、
その“神の役目”は誰かに移譲されました。」
「……俺に?」
「ええ。あなたが最後の人間。
だから、あなたが“物語を書く神”になったのです。」
舞台の天井が開き、
そこから紙が降ってきた。
すべて、俺の手書きの文字。
でも、覚えがない。
いや、覚えている気がする。
【死神省 倫理局】
署名:創作者《雨宮リク》
「ようこそ、“死後の著者”へ。」
女が微笑んだ。
「これからは、あなたが書く番です。
この世界を、もう一度設計し直してください。」
「書き換えたら、どうなる?」
「すべてが、もう一度始まります。」
「それは、生き返るということか?」
「“死”と“物語”は同義語です。
違いは、“誰が書くか”だけ。」
ペンが俺の手に渡された。
握ると、インクが脈打った。
血のように温かい。
俺は、最初の一行を書いた。
『死神省の最下層には、劇場があった。』
舞台が暗転した。
カーテンの向こうで、
拍手が、ひとつ、またひとつ、止まっていった。
(第4話 了)




