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死神省の人間監査官 ―この世で最後に生きている人間が、最初に“死神”を審査する。  作者: 妙原奇天


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第1話 「死神省の呼び出し」

【死神省 倫理局・臨時召集通知】

件名:被審査者「神」消失事案に伴う監査再開

宛先:雨宮リク(人間)

備考:昼休みは厳守。死者数の都合により残業が発生する可能性あり。


封筒の角が、やけに鋭かった。

刃物みたいな公文書は、いつの時代も人間の皮膚をきれいに切る。


エレベーターのボタンは、地下ではなく「下界」と書かれていた。俺は押し、降りた。到着したのは地下十七階。そこに薄い燈が並び、受付の札に「死神省」とあった。フォントは分相応に地味で、受付嬢はいなかった。代わりに端末が立っていて、画面は笑わなかった。


いらっしゃいませ、雨宮監査官(人間)。

本日は「死神運用の適正」に関する監査です。

なお、人事評価は終了しております。再評価の予定はありません。


「生きている人間は俺だけだと聞いていたが、人事評価はどこの誰がする?」と俺は訊いた。


全会一致で行われます。

票を投じるのは、死神全員と……あなた自身です。


「民主的だな」


端末は何も言わなかった。コーヒーの自販機があったので、硬貨を入れた。紙コップの味は、ホルマリンに近かった。俺の舌は、昔から死に対して敏感だ。


廊下の先に「第一面談室」と書かれたプレートが見えた。ドアを開けると、誰もいなかった。机の向こうに置かれた鏡が、席に座る俺を映した。鏡の端には銘板がとりつけられていた。


第一死神《記録者》


「初めまして」と、鏡の中の俺が言った。

俺は会釈した。こういう時は、相手が誰でも礼儀正しくしたほうが、たいてい手続きが早い。


「あなたの仕事を、確認しよう。《記録者》」


「記録です」鏡の声は乾いていた。「死の直前に考えたこと、最後に見た風景、最後の匂い。すべてを。あなたのコーヒーの匂いも、最後の匂いの候補です」


「丁寧な仕事だ」


「丁寧なのは、予算のせいです。雑にすると、訴えられます。訴えるのは、たいてい遺族です」


「死神が訴えられるのか?」


「はい。人間の代わりに、書類が怒ります。紙は燃えますが、怒りは燃えません」


鏡の縁が、わずかに濡れて見えた。湿度のせいだろう。俺はメモを開いた。


「本題に入る。《被審査者:神。状態:消失中》というログ。記録はあるか」


「あります。空白として」


「空白は記録か?」


「あなたの履歴にも空白があります。例えば、奥様が亡くなった日の午後二時から四時まで。あなたは何を?」


「役所で戸籍の訂正を――」


「違います。コーヒーを三杯、冷めるまで眺めていました」


鏡が、俺の沈黙を映した。


「空白は、記録です」と《記録者》が言った。「死神は、空白に責任を持ちます」


「空白に神がいるという意味か?」


「神がいる、と思っている人間が、そこにいます。わたしの仕事は“思い込み”も保存することです。思い込みのない死は、稀です」


メモに「空白=責任(主観)」と書いた。ボールペンの先が少し震えた。手が年寄りくさいのは、いつまでも若くないという、ささやかな記録だ。


「では、質問を変えよう」俺は咳払いした。「あなたは泣くのか」


「必要なら」


「いま、泣いているか」


「必要ではありません」


鏡は、相変わらず俺の顔を映していた。俺は鏡から目をそらし、机の上のファイルを一つ手に取った。紙は厚く、見出しにはでかでかと「KPI」とあった。官僚は世界が変わっても略語を手放さない。


【死神KPI(四半期)】

・処理件数:目標 3,600,000(概算:一日あたり40,000)

・苦痛低減率:目標 12%(前年同期比 +2%)

・遺族クレーム係数:目標 0.8(低いほど良い)

・神の所在:要確認


最後の行だけ、太字で、しかも手書きだった。手書きは人間の癖だが、ここでは誰が人間なのか、票が割れている。


「《記録者》」と俺。「神の所在が“要確認”になってから、現場は混乱したか?」


「静かになりました」


「静か?」


「顔色を伺う相手がいなくなると、あらゆる職場は静かになります。あなたの前職でも」


「たしかに」と俺はうなずいた。「上司が休みに入ると、空調の音がよく聞こえた」


「あなたは、静かな死を好みますか?」と鏡は訊いた。


「死は、いつも他人のものだと思っている。静かでも騒がしくても、俺の耳は慣れない」


「そうですか」


ほんの短い沈黙。鏡が小さく震え、録音のような音が漏れた。


『リク、昼にしよう。冷める前に。』


俺は、コップを落とす音を想像した。水滴の形は、記録されない。最後の言葉だけ、よく残る。


「手違いです」と《記録者》が言った。「あなたの“空白”を再生してしまった」


「構わない」と俺。「ここは監査室だ。誰の泣き声も適切に無視される」


鏡が、少しだけ嬉しそうに見えた。道具が人間に似る時は、たいてい人間のほうが疲れている。


俺は立ち上がった。「面談は以上。《記録者》の業務は概ね適正。ただし“神の所在”について、空白を放置しないこと。責任者は?」


鏡は少し黙ってから答えた。「責任者は、あなたです」


「俺?」


「あなたは“人間”です。空白は、人間の担当です」


「……出世した覚えはないが」


「人間であることは、出世です。少なくともここでは」


廊下に出ると、「第二面談室→」の矢印があった。矢印はいつでも真っ直ぐだ。道は、たいてい曲がっている。


途中の壁にポスターが貼ってあった。省内広報は、死が生み出す唯一のユーモアだ。


【お知らせ】

◎ 業務中の“生前の話”は控えめに。周囲の死神が困ります。

◎ 「神の所在」確認は、誰かの責任ではなく、みんなの空白です。

◎ 昼休みは厳守。死者も腹は減りませんが、職員は減ります。


第二面談室の扉は重かった。開けると、中に椅子が二脚。向かいに座っているのは、黒い帽子のない死神だった。帽子を被らない死神は、だいたい規則を軽視する。


第二死神《選定者》


「数値化は便利ですよ」と彼は言った。声はよく通る。「あなた方も、健康や幸福を数値化した。数値のない幸福は、たいてい後で揉める」


「ここでも揉めているようだが」


「揉めていません。揉めているのは人間のほうです。あなたが最後ですから、だいたいあなたのせいです」


「公平だな」


「公平に残酷なだけです」


「神は消えた」と俺は言った。「あなたの業務は困っているか」


「むしろ順調です。上司が消えると、数値は伸びます」


「神は上司か」


「概ね。赤字の責任を取らない点でも」


椅子の背もたれが、きしんだ。俺はメモをめくった。「あなたは善悪を数値化する。基準は?」


「多数決。あなた方はそれを民主主義と呼びました」


「多数は、常に正しいか?」


「常に、多数です」


俺は笑わなかった。彼は微笑まなかった。どちらかが笑うと、片方が死ぬ、というような空気だった。


「監査の結論を急ごう。《選定者》の業務は、倫理的には不快だが、目的には合致している。ただし“神の所在”が空白のままでは、あなたの“上訴先”がない」


「不要です」


「ではあなたに、最後の質問。人間が最後の一人になった世界で、あなたは誰を参考に善悪を決める?」


「あなたです」


彼はそう言って、机の引き出しから小さなカードを出した。古い身分証だった。写真の中で俺は、少しだけ笑っていた。知らない笑い方だった。


雨宮リク

死神省 倫理局 監査官

(人間)


「あなたの“過去”を基準にします」と《選定者》は言った。「過去の人間は、未来の人間よりだいたい賢い。選べるから」


「褒め言葉と受け取るべきか」


「どちらでも。わたしの数値には影響しません」


面談が終わると、廊下の端の時計が昼を指していた。昼休みは厳守だ。死者は食べないが、死神は食べる。俺は省内の食堂に向かった。メニューは二種類。「祈りの味(薄め)」と「祈りの味(濃いめ)」。どちらも塩辛い。厨房の掲示板に貼られた手書きの紙が、妙に目についた。


【落し物】

・神(小)……見つかりました。保管期限は今日まで。

・神(大)……見つかっていません。心当たりのある方は倫理局まで。


食後、第三面談室に向かう。途中、エレベーターの横に古いベンチがあり、誰かが座っていた。顔を上げると、見覚えのある目だった。鏡の中で見た目。つまり、俺だ。


第三死神《忘却者》


「昼の夢は、忘れたほうがいい」と彼は言った。「午後の監査の効率が落ちる」


「俺は夢を見ない」と俺。


「なら、思い出したほうがいい」


「何を」


「あなたが最後に“死神の仕事を良いと思った瞬間”を」


返答は出なかった。代わりに、廊下の照明が一段階明るくなり、影が短くなった。沈黙の使い方を、ここは心得ている。


「忘却は救いか?」と俺。


「救いです。救いは忘却です。忘却が足りない世界ほど、戦争は長引きます」


「君は、かなしいのか」


「必要なら」


「いま?」


「必要ではありません」

第三室の扉が自動で開いた。扉の縁に、黒いインクが指の形でついていた。忘れるべき人がいたらしい。


午後の監査は、規定の時間を少しだけ越えた。壁の時計が、秒針を音もなく進めた。俺は最後のフォルダを閉じ、倫理局の受付端末に戻った。評価ボタンが表示され、押せ、と言っていた。


本日の監査を振り返って、あなたは:

□ 死神の運用はおおむね適正だと思う

□ もう少し人間が関与すべきだと思う

□ 神の所在は気にしないほうがいいと思う

□ それでも昼休みは厳守すべきだと思う


俺は四つ目にチェックを入れた。人間は、ときどき正しい。昼に関しては。


端末が唸り、印字された紙が出てきた。紙の角は、やはり鋭かった。


【監査結果速報】

・第一死神《記録者》:適正。ただし空白の扱いに追加基準を要す(担当:人間)

・第二死神《選定者》:適正。ただし上訴先空白につき注意喚起

・第三死神《忘却者》:面談継続(ログ:夢)

・第四死神《反逆者》:次回面談予定

・第五死神《創作者》:次回面談予定

・第六死神《人間》:本日二一時より聴取


「予定が勝手に決まるのは、官庁の礼儀か?」と俺は端末に言った。


あなたが最後の人間である以上、あなたが「人間の業務」を兼務します。

人間の業務とは、人間を監査することです。

なお、相手の同意は不要です。あなたが同意しているので。


「合理的だな」


合理的です。

会議室の鍵は不要です。あなたは、どこでも自分と会えます。


エレベーターに乗る。今度は「上界」と書かれたボタンを押した。ドアが閉まる寸前、廊下の掲示板が目に入った。手書きの文字は、人間の字だった。


【注意】

今日の夜、鏡は少し笑います。

驚かないでください。

それは監査官が来る合図です。


エレベーターの中に、鏡はなかった。俺は窓に映る自分の顔を眺めた。若くない顔だ。だが、最後の人間としては悪くない。少なくとも、笑い方を知っている。昼は厳守するし、紙の角には注意する。


夜の九時に、俺は自室の鏡の前に座った。時計の秒針が、やけに丁寧に時間を刻んだ。九時ちょうど、鏡が少し笑った。掲示板の注意書きは、仕事ができる。


鏡の中で、俺が書類を開いた。表紙に印字された文字は、黒く、まっすぐだった。


【第六死神《人間》 監査記録】

被審査者:雨宮リク

審査官:雨宮リク

目的:人間の適正の確認

質問①――あなたは、生きる資格がありますか?


俺は、答えを探してコップに手を伸ばした。昼の残りのコーヒーは、まだ少し温かかった。ホルマリンの味が弱くなり、かわりにほんのすこしだけ甘かった。

最後の人間には、だいたい最後の味がつく。


鏡の中の俺が、俺に頷いた。

審査は、定刻どおり始まった。


(第1話 了)

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