三十七輪目「花精霊羽織」
「スーハー、スー……ンハっ――」
僕の胸元、というか首の辺りに顔を埋めたニーソ様はグリグリと擦り付ける。
どことなく子犬のように感じる。
「堪らないね! 久しぶりのオア君の匂いでアマナはもう溺れてしまいそうだよ! ちょっとこの胸当てが邪魔だけど……ん? んんん??」
ニーソ様は胸当てをくんか、くんか匂いを嗅ぐ。
まるで本物の犬のようだ。
でも、臭かっただろうか?
「……濃蜜なエルフの匂いがする。浮気か、浮気をしたんだな!?」
「ニーソ様!?」
早い時間とはいえ、人がいないわけではない。
よく通る声で叫ばれたせいで注目されている。
「どうなんだオア君!? どこのエルフだ、さてはコンミフォラのところの子かい!?」
「僕を殺す気ですか!? そもそもこの三日間でエルフの方と会ってすらいませんって!」
「んじゃあ、この胸当てから漂う濃いエルフの匂いは何なんだって言うんだい!? 強く抱き合わなければ付くことのない匂いじゃないか! 決定的な証拠だよ、これ!!」
濡れ衣もいいところだ。
「昨日、男の子がぶつかっただけですって!」
「いいや、絶対女だ! 男の子の臭いじゃないね、これは!! キミの間違いを正してあげるさ! どんな子だったか言ってごらんよ!!」
ニーソ様って何か嗅覚に関するスキルでも持っているのでは!?
それくらいの剣幕だ。
「ええっと……碧眼で綺麗な顔立ちをした――」
むむむ、と眼前に迫り両腕を前に組み、膨れっ面を晒すニーソ様。
「ほうら、やっぱりエルフだ! エルフの女だ、決まっている。臭いがエルフだもん!!」
僕がなんて言ってもエルフで決まっていましたよね、今の!?
もう無茶苦茶だ。
「そもそもエルフの匂いって何ですか!?」
「濃い蜜の匂いだよ!」
エルフは花や果物、蜂が集めた蜜が好物だと聞く。
その匂いのことを言っているのだろうか。
いや、それよりも今は「むきー!」と暴走するニーソ様を止めることに集中しよう。
「蜜といえばニーソ様! 黄金の林檎って知っていますか? その子に聞かれたんですが」
「知らないね! 聞いたことすらないよ! あるなら食べてみたいね!!」
よし、上手に誤魔化せた。このまま逸らしていこう。
「ニーソ様! 新しいお召し物、よくお似合いですね! とても綺麗です! でも、いつものニーハイはどうしたんですか? 片方しか穿いていないようですけど?」
「話の逸らし方が下手か!? 焦ったねオア君! キミは器用なのに不器用だね、まあ? そこがまた可愛いところでもあるんだけど……って! うまい具合にアマナの気を逸らしたね!? やるなぁ、オア君。愛しているよ!!」
相変わらず安定に情緒不安定で平常運転だ。
そしてこの騒がしさが懐かしい。
そう思っている自分が一番怖いかもしれない。
でも、僕の想像とは違ったけど、結果的には話が逸れたからよかったのかな?
ニーソ様は「綺麗だろぉ?」と右へ、左へ上体を揺らし、さらに華麗にくるりと一回転して純白に輝く羽衣を披露してくれた。
よく観察したことで気付いたけど、生地がとんでもなく滑らかで上質だ。
刺繍の乱れやほつれも一切ない。
間違いなく僕の収入では手の届かない一品だ。
【サルビア・フラトリア】製品、いやそれ以上の物かもしれないぞ。
……ニーソ様、一体どうやってこれを?
「ちなみにこの羽衣はアマナのじゃないよ」
「そうなんですね、他の花精霊様からお借りしたんですか?」
羽衣を脱いだニーソ様は、僕の質問には答えず後ろへ回り込んだ。
「借りたのは力さ。作り方を教わりアマナ自らが、オア君、キミのために作った新たな羽衣さ!」
「え、ニーソ様が作ったんですか!? 凄いです!!」
こんな素晴らしい物を作れるなんて、と僕は素直に驚いた。
あ、もしかして形見の羽衣を使ってくれたのかな?
ただ捨てるしかないと思っていただけに、素材として使ってくれたなら嬉しい。
「驚いてくれたのは嬉しいけど、アマナには二度と同じ物は作れないかな。オア君とメアリ・リーン、二人の大切な人の形見と思いが詰まっていたからこそ作れた奇跡の品だからね」
「それでも充分凄いですって!! それに、おじいちゃんとおばあちゃんの形見をこうして新しい形として生まれ変わらせてくれて……僕は、それが凄く嬉しいです」
僕もメアリお姉さんも用途が気になっただけで、ニーソ様を疑ったりしなかった。
僕達が大切にしていた物を、ニーソ様が雑に扱ったりしない。
そう知っていたからだ。
メアリお姉さんだってきっと喜ぶ。
ダンジョンの帰りにでも、知らせてあげないとだな。
「キミがそう言ってくれてアマナも嬉しいよ。預けてくれた信頼に応えられたんだって。さて、オア君。何も聞かずに、ただ『伸びろ!』って念じてみてくれないかい」
僕はニーソ様に言われた通り『伸びろ!』と心で叫んでみる。
あ、なんか――無性にオダマキ様の構えを取りたくなったぞ……って――。
「ええぇっ!?」
「よし、うまくいった! さ、オア君! 両手を横に開いて!」
ニーソ様の体の大きさだった羽衣が、
僕の後ろ側の首の付け根辺りにチョコンと乗せられていた羽衣が、
念じたと同時に僕の体に合わせて大きくなり、羽衣というよりは袖付きの羽織に変化して、それをニーソ様が着させてくれた。
「ニーソ様これって!?」
「アマナの【花精霊具】を素材にしたから伸縮自在。そんじょそこらの刃では傷も付かない、キミを守る新しい防具さ!! 花精霊羽衣……というよりは羽織物に近いから、そうだなぁ……【花精霊羽織】とでも命名しておこうか!」
「あの、もしかして、だからニーハイが片方ないんですか? 僕のために……」
「……余計なお世話だったかい?」
「違います!! そんなことないです、凄く、本当に凄く嬉しいです!! でも、ニーソ様の大切な個性や【花精霊具】を使ったりして……ニーソ様にどんな影響が……」
ニーソ様ならニーハイ。
オダマキ様ならマフラーなど、
どの花精霊様でも必ず持っている【花精霊具】。魂の一部。
それを素材にするなんて、聞いたことがない。
前代未聞だ。
魂を削られた花精霊様にどんな影響があるかも分からない。
僕はそれが心配で、嬉しさより不安の気持ちの方が勝ってしまった。
「オア君の心配は嬉しいけど、その心配は無用さ。半分だけなら支障を来すことないって、クロリスとアイリスから安心安全のお墨付きだからね!」
「――よかったです」
心の底からの安堵。
泣きそうになってしまった僕へニーソ様は微笑み、毛先へ触れる。
「オア君はアマナの元に必ず帰ると約束してくれた。アマナはオア君を信頼している。でも、ダンジョンは何が起こるか分からない。傷だらけのオア君を見るのは、本当に心臓に悪いんだよ。だからオア君を守れる力が欲しいと考えたんだ。――どうか、受け取ってほしい」
「……ありがとうございます、ニーソ様。【花精霊羽織】、大切に使わせてもらいます」
「アマナの思いを受け取ってくれて、ありがとう。オア君!」
「はいっ!」
「今日もダンジョンかい?」
「そのつもりです。ニーソ様をホームへ送った後にでも潜ろうかなって」
あ、でも今朝見た【カルミア・フラトリア】の男性の件が心配だな。
花精霊様に危害を加えたりしないと思うけど、ホームで一人にして大丈夫だろうか。
「アマナはアイリスのとこに顔を出すから、そのままオア君の帰りをギルドで待っているよ。だから、このままダンジョンへ行っておいで」
ギルドにいるなら人の目もあるし安全かな。でも一応――
と、情報共有として【カルミア・フラトリア】の件をニーソ様へ説明したのだが、
「むむむ、ぶつかった衝撃……もしや」
ニーソ様はやけに神妙な顔で呟いた。
それから珍しくニーソ様から促されたことで、閑散としたギルドの一角を借りてステイタス更新を済ませた。
「では、行ってきます! ニーソ様!!」
「あ、オア君! ステイタス! 見なくていいのかい!?」
「帰ったら確認します!」
新しい防具、純白の【花精霊羽織】を一刻も早く試したい。
僕は「もう!」と叫ぶニーソ様へ手を振り、ダンジョンに向かって駆け出したのだ。




