三十二輪目「アニメリシン」
翌朝。
オア・レヒムは今日もダンジョンへ潜るのに、静かに準備を整えた。
寝息を立てる花精霊ニーソの顔を覗くのに、オアはハンモック型ベッドへ近付くが気配を察したニーソが起き上がった。
「オア……くん?」
「おはようございます、ニーソ様」
「ん、ん~……おはよう……」
いまだニーソは瞼をこすり眠たそうにしている。
「僕は行ってきますけど、ニーソ様はもう少し寝ていて大丈夫ですよ」
「行くって……防具もないのに?」
「はい、五階層の手前まで潜ろうかと。スキルの感覚を確かめたくて。ダメでしょうか?」
「ん……心配だけどオア君はアマナに誓ってくれたから。アマナはオア君を応援するよ。そのためのスキルでもあるからね」
【帰巣本能】。
オアが帰りたいと強く願った事で取得したスキルだ。
「はい――。僕は必ずニーソ様の元へ帰ります」
オアの返事に満足したニーソが切れ長の目をクシャッと形崩した。
「っ!」
「ん、んん~……ふわぁー……」
ニーソはグンと伸びをした。
さらにその拍子で癖のない乳白色の髪がさらりと流れ落ち、ニーソが無意識に醸し出した色気に、オアは僅かに顔を染めた。
「ん? オア君、どうしたんだい?」
「い、いえ。なんでもないです!」
「ふーん? おかしなオア君。まあ、それよりも――だ!」
ニーソは上半身をグイッとオアに寄せる。
「もう一つのスキル【希望花星】の鱗茎挿しについて、アマナからオア君にいくつか注意点を伝えたい」
「注意点ってことは、効果について何かわかったんですか?」
「いいや、まったくだ。謎だよ謎!」
自信満々に言い放つニーソを見たオアは首を傾げる。
「けれど、アマナも長い時を生きる花精霊だ。予想できることもある」
「さすがです! ニーソ様!」
「うんうん」
「それでどんな予想なんですか?」
「つまりだね、オア君――」
勿体ぶるニーソをオアはワクワクした顔で見つめる。
「――男も女も種族も関係ない。アマナ以外の者を連れ込んで、性交渉とかは絶対にしないでくれよ。特にセフィ何ちゃらは絶対にダメだ」
「せいこうしょう? セフィさん……と?」
オアは反射的に訊き返した。
そして、言葉の咀嚼を済み終えると顔面を一気に噴火させた。
「し、しませんよっ!?? そんな相手もいないですし、第一にセフィさんは僕を相手になんてしませんって!?? 【フラトリア】だって別ですし!!」
「んー? オア君は相手がいたらするのかい? セフィ何ちゃらがその気ならするってのかい、キミは!?」
「しませんしません!! というかどうして性交渉だなんて考えに至ったんですか!?」
「鱗茎挿しと聞いたら、そういう発想になってもおかしくないだろう? だから、誰かれ構わず激しく強い衝撃を与えたりしたら絶対駄目だよ?」
「ニーソ様!? 僕、そんな節操なしじゃありませんってば!!」
やれやれ、ニーソは呆れ気味に首を振る。
「アマナがルンルンで帰宅してさ、キミが寝取られている現場なんて目撃したら、アマナは一生立ち直れない。それが言いたかったんだよ」
「昔何かあったんですか!??」
引き籠りは想像や妄想の類いを加速させる。
鍛えられた妄想力を発揮させたニーソに叫んだオアだった。
夏区の端。
【ニーソ・フラトリア】は今日も安定に一日が始まった――。
▽▲▽
「……どれ掃除でもしようかな」
留守を任されたニーソの日課。
綺麗好きのきらいがあるオアに合わせ、ニーソは午前の時間を部屋の清掃に充てる。
それから、未だ芽吹かないニーソの花と御神花の世話をする。
空いた時間に小窓を覗いては小鳥を観察したり、昼寝をしたり、日記を読んだりと過ごしている。
だが、今日のニーソには予定があるため昼寝する時間はない。
膝を抱く三角座りで花羽を休めていたニーソがチラリと壁掛け時計を見る。
(そろそろ時間かな……はぁ…………)
ニーソは花羽を広げる。
髪を結び靴下の白ニーソを整え身支度を済ませる。
昨夜残った串焼きで口さみしさを紛らわせたお昼過ぎ。
「ああ、面倒だなぁ……でも――オア君の、アマナのためだ」
目的地は、先日もらった招待状。花の蜜会。
「アイリスも頭お花畑娘も相変わらずなんだろうけど――」
――会いたくない。
最後に小さな溜め息を漏らした花精霊ニーソは覚悟を決める。
千年の眠りから目覚めて約十日。
旧友、花精霊女王クロリスに会うため初外出した。
目覚めた初日のニーソはオアに夢中だった。
この子はどんな子なのだろうか、ユリ科でごめんね、そればかりを考えていた。
そのため、建物や食べ物、街の風景をこの時に初めてじっくり見た。
そして、花の都リーエンに来たばかりのオア同様、まるでおのぼりさんみたいに視線をキョロキョロとさせた。
(『花精霊樹』の大きさにも驚かされたけど、人も花精霊も、あの頃より随分と増えたんだな――)
災厄は未だ地の下に根付いている。
千年前より深く、凶悪に。
けれど、笑顔溢れる街を見てニーソは顔を綻ばせながらふわふわと進んだ――――
「――で、いい街だ。アマナはそう思ったよ」
到着したギルド本部。
メアリ・リーンを捉まえて、案内された室内。
ウィスタリア色の長髪を黄色のリボンでまとめ、深紅の剣フランベルジュを腰に差す女性型花精霊アイリスに、ニーソは言った。
「はぁ……貴花は変わりませんね、花精霊――」
「おおっとぉ、今のアマナは花精霊ニーソだから、そこのところよろしくね。アイリス」
花精霊女王クロリスの側近でもあり冒険者ギルドの長。
アイリスは三時間遅刻してやって来たニーソへ溜め息を漏らし、目を黄色に染めた。
「時間にルーズなのは相変わらずのようですね」
「千年前というけど寝て起きたら経過していただけだから、つい先日のように感じるよ。それに、主役は遅れてやってくるものだろう?」
「ウメやサクラ、イバラにナツアオイ、イエギクとツバキも貴女に会いたがっておりましたよ」
「皆、健在のようだね。この招待状によると花の蜜会では美味しい食べ物も用意してあるんだろう? 街を見て回って小腹も空いたことだし、ババーンと登場してあげるから案内してくれ!」
アイリスは緑色に変化させた目をニーソに向ける。
「ありませんよ?」
「どうして!? あのアイリスが招待状に嘘を書いたってのかい!?」
「若い花精霊らが変な気を起こさないため、貴花を紹介する茶会のつもりでした。けれど主役が現れるかも分からないのですから、すでにお開きといたしました」
ギクッと胸を押さえながらも、ニーソはアイリスへ反論を試みる。
「おいおいおい! アマナが遅れて来ることなどアイリスなら予想できただろ!?」
「ええ、遅刻もそうですが貴花のことです。仮病で欠席する可能性も考慮した結果です」
「グッ……でも――」
「そもそも遅刻を正義のように振りかざす貴花を私が是とするとでも、お思いで?」
目を青色に染めたアイリスの正論にニーソは黙るほかない。
「それに皆、引き籠りの貴花と違って忙しいのですよ。付き合っていられません」
反論は失敗。見事に撃沈。
赤い絨毯が張られた床にふらふらと降下して頬を着ける。
「これ……アマナのベッドよりふかふかで気持ちいいんだけど」
「物造りや鍛治を得意とする【サルビア・フラトリア】製、最高品質のものですから当然です」
アイリスは目を緑色に戻すと、手の平でニーソを掬い上げる。
「くれ」
「綺麗にしていますが土足で踏み歩いた物ですよ。いずれにしても、頂き物ですから差し上げることは難しいですね」
「じゃあ、サルビアを紹介してくれ。アイリスが褒めるくらいだ、現世で一番に鍛治が得意なんだろう?」
「契約【フラトリア】以外の特別注文は年単位待ちです」
「そこをなんとか! アマナと貴花の仲じゃないか!」
アイリスは目を青色に変化させた。
「……手に入れたくは直接店を訪ねなさい。今の貴花では入手も難しいかもしれませんが」
アイリスの手の平で横になっていたニーソは勢いよく上体を起こす。
「かっ――」
「貸しません。お断りです。雨風を凌げる家があり、ベッドで眠れるだけでも十分でしょう」
絢爛豪華な調度品で溢れた居室の中にいるアイリスを見た時は、趣味が変わったのだろうか。ニーソはそう思った。
だが、アイリスの質朴剛健、生真面目な性格は昔から何も変わらないようだ。
言葉を被せられたニーソは、アイリスを見つめ歯をニギニギと噛み締めた。
「……違う。アマナが欲しいのは絨毯やベッドじゃない、オア君を護れる力が欲しい」
「尚更です。身の丈に合ったものを揃えた方が子供のためになるのでは?」
正論だ、身の丈に合わない力を手に入れたら助長や油断を招く。
ニーソとて理解している。
「当たり前に帰って来ると安易に考えてはいけない。現に、オア君は昨日死にかけた。ボロボロのあの子を見て、アマナは全身から血の気が引いたんだ。もう、もう懲り懲りなんだよ……」
「大切な友や家族を失った者は貴花だけではありません」
「アイリス、お願いだよ」
懇願するニーソに、アイリスの藍色の目が思わず揺らぐ。
「はぁ……気難しい花精霊です。自由奔放な貴花とは相性も悪い。ですが、紹介だけでよければ顔を繋ぎましょう」
「アイリス、キミはいつだってアマナに優しい! だからアマナはキミが大好きだっ!! キミの子になら、アマナのオア君を任せてもいい! そう思えるくらい大好きだ!!」
ニーソは萎ませていた花羽を広げ飛翔する。
アイリスの周りをくるくると旋廻、それから肩に着地し頬へ口付けを落とす。
「よしなさい」
目を赤くさせたアイリスは頬を拭う。
「キミは相変わらずツンデレだね!」
ニーソの我儘を叶える度に落とされる口付け。
避けられるのに受ける。拭うのに受ける。
変わらない天邪鬼なアイリスの行動にニーソは破顔した。
「うるさいですよ」
「アマナのオア君の素直さを分けてあげたいよ」
「黙りなさい」
やれやれ、と肩を竦めるニーソに、アイリスは青い目を向ける。
「それで、サルビアにはいつ会わせてくれるんだい?」
「花精霊サルビアは現在クロリス様に謁見中です。それが終わり次第に確認を取り、日時の調整をしますので、本日のところはホームへ帰宅なさい」
「なら丁度いい、クロリスにも聞きたいことがあるから繋いでくれ!」
目的はオアに発現したスキル【希望花星】の鱗茎挿し。
「クロリス『様』がお許しになったとしても、それは二人切りの場面。それ以外の場では『様』を付けなさい」
アイリスの目は喜びなら黄色。
怒りや悲しみなら青色もしくは藍色など、感情によって七色に変化する。
そして今染まる赤色が意味するのは『興奮』だ。
これは感情が振り切った時に現れる色である。
変化のない無表情ながらも本気の怒りを表したアイリス。
ニーソは堪らず「ごめん!」と謝罪した。
「貴花は本当に……」
まだ説教が続くのか、自分が悪いことは棚に上げ、ニーソが辟易した気持ちになり掛けた時、アイリスの目が紫色に変化した。
紫色、それは魔種の浄化などを含む花精霊の『力』を行使している時である。
(クロリスと交信、しているのか?)
ニーソが静かに待っていると。
「クロリス様が貴花に会いたいと」
「それはよかった!」
「クロリス様の執り成しでサルビアも貴花に会うと。仕方ありませんが、これから貴花を『天空の聖域』へ案内します――」




