二十七輪目「帰巣本能」
血や汚れを流し終え、種石灯が照らす明かりを頼りに傷の手当てまで済ませた後。
「無断で夜のダンジョンに潜り、心配かけてすみませんでした」
僕はニーソ様に頭を下げた。
「……最後にもう一度だけ聞こう。どうして潜ったんだい?」
「夢を確かめたくて。不条理な冒険者に絶対になるんだって、そう決めたら居ても立っても居られなくなりました。それ以上のことは……すみません」
「そうか……確かめられたのかい?」
「そのことで、その……僕もニーソ様に訊いていいですか?」
「アマナの思いには応えてくれないのに?」
「勝手だとは思います。でも、ニーソ様のことを知りたいんです」
「っ……そんな目で訊かれたら拒否できないじゃないか――」
呆れや諦め、ニーソ様はそんな溜め息を吐き出した。
「分かった。いいよ、アマナで答えられることならなんでも訊くといい」
「ありがとうございます――」
答えてくれないかもしれない。はぐらかされるかもしれない。
ニーソ様の心に踏み込むのだから。
「あの日――『花精霊殿』で僕らが出会った時、ニーソ様は何を書いていたんですか?」
ニーソ様の反応は劇的だった。
あの日と同じ、ホウセンカの種みたいに顔を跳ね上げた。
「ラ……ラベンダーも言っていたろ? 女性の書き物は秘密で溢れている」
「はい、隠し事を暴きたくなることが人の性だとも言っていました」
「女性は秘密が多いほど魅力的、そうは思わないかい?」
「ニーソ様は今のままでも十分魅力的です。素敵です」
「んなっ!?」
「だから! ……だからどうか――」
ニーソ様があの晩に見せた顔。
息を呑むほど美しく、それでいて胸が苦しくなる寂し気な表情。
ニーソ様にそんな顔をさせた『あの子』について聞かせてほしい。
「――千年前の【ニーソ・フラトリア】について、あの子について知りたいです」
「キミは、オア君はすでに、アマナが日記に何を書いているか心当たりがあるんだね」
「はい」
ニーソ様は目を伏せた。
「ふぅー……アマナはどうやらオア君の真剣な目に弱いみたいだ」
でもすぐに顔を上げた。
困ったように笑い、そんな言い訳をして、
「聞いてくれ、わたしが犯した愚かな罪の話を――」
話し始めた。
「――わたしはあの子のことを【アマナ】と呼んでいた」
「アマナさん、という方なんですね」
「【アマナ】は保護した子供の中にいた一人たっだ。今にも死にそうなほど誰よりもやせ細っていたのに、他の子らを守るように立っていた。一番死にそうな体なくせに、誰よりも死にそうにない、気高く凛とした姿勢がそう思わせたのか、とても生気溢れて見えた」
僕はおじいちゃんとおばあちゃんの死を知った時泣くしかできなかったのに、アマナさんは凄い人だ。
「【アマナ】は言った。『この子たちを保護して。そうしたらボクが貴花や世界を守ってあげる』って。そんな風に【アマナ】は出会った日からいつだった自信満々で大言吐きだった」
「アマナさんは凄い方ですね」
僕には無理だ。
いくら自信があって思うことがあったとしても、世界を守るだなんて到底言えっこない。
「能天気だったんだよ。女の子にもだらしなかった。格好つけて厨二病を拗らせてもいた。欠点だらけで失敗も多かった――けど、才気溢れる強い子だった。気が付けば【フラトリア】の中心は【アマナ】になっていた。憎めない子で皆に愛されていた。【アマナ】が率いる子供達ならホームに帰ってくるのが当たり前だと思っていた。【アマナ】の強さに甘えて、わたしは怠惰を貪っていた」
「それが……ニーソ様の罪ですか?」
「オア君も知っているだろ? 【名も無き忘却の巨人】に殺された者の末路」
僕らがダンジョンと呼ぶ【破滅の地下牢獄】。
その最奥に封印されている【名も無き忘却の巨人】に殺された者は忘れられる。
「……だから、ニーソ様は寝る前に日記を書いて、読み返していたんですね」
アマナさんのことを忘れてしまったから何度も、何度も。
「気付かれていたのか……恥ずかしいなぁ」
「恥ずかしいことなんてないです!!」
「ありがとう、オア君。でも、書いているのは【アマナ】じゃなくてオア君のことだよ」
「僕、ですか?」
「オア君の記録は、今度は、必ず遺してみせるって誓ったんだ。【アマナ】の記録は千年ぶりに目覚めたあの瞬間に書き綴った物しかないから」
「っ!? ごめんなさい! そうとは知らず、僕あの時声を掛けたりして――」
「オア君、いいんだ」
ニーソ様は首を振った。そして、
「すでに思い出せなかったし、そもそも記録を遺せなかったわたしが悪い」
遺せなかった、それがニーソ様のいう罪なのかもしれない。
アマナさんの生きた証を後世に遺せなかったことが。
「【アマナ】たちが他の【フラトリア】の子らと戦いに出向き、戦闘に向かない子らと留守していたら、街が大量のモンスターに襲撃されたんだ。わたしはホームで預かっていた花紋を刻まれていない子らと一緒に避難してね、その時にホームが焼失してしまった。これまでの記録や【アマナ】らを出迎える場所を失くしてしまったが命はある。だから、大丈夫。【アマナ】らが帰ったら、もう一度ホームを建てたらいい。記録も書き直したらいい。もう一度やり直せばいい、そう考えていたけど……そのもう一度は二度と来なかった」
「っ――」
「守れなかった。遺す努力を怠った。罪を自責する間も無い一瞬のうちに千年間の眠りに就いた。目覚め綴った記録を見ても、今の全てを忘れてしまったわたしの心にはさざ波すら起きない。だから【アマナ】はわたしの妄想だったんじゃないか、そんな風にも疑ってしまう。いつか本当に【アマナ】が消えてしまわないように、せめてもの慰めとしてわたしはわたしをアマナと自称している」
あの日『花精霊殿』で何気なく聞いたことへの答え。
それは想像以上に重かった。
蓄積された疲労以上に圧し掛かってきた。
花精霊様にとって大切な信仰心。
成長の糧となる名前を、罪の意識からニーソ様は自ら鎖している。
僕の頼りない双肩では、支えきれないほどに大きな問題だった。
「悪い花精霊で幻滅したかい?」
何も言わない僕に、ニーソ様は訊いた。
白光を弱々しく点滅させ、ポツリと漏らすように。
「すみません。僕には、ニーソ様の痛みをなくすことはできないと思います」
「……気にしなくていいよ」
ニーソ様は背を向けた。
「でも、僕にもできることがあります」
振り向いたニーソに僕は続けて宣言する。
「アマナさんのこと信じます。本当に記録が失われたかどうかなんて分かりません。遺跡から見つかることだってあるんです。だから、アマナさんたち【ニーソ・フラトリア】の記録を探します」
理不尽に襲われたニーソ様を癒す方法はそれ以上の不条理だけ。
「ニーソ様の元に帰ります。必ず帰ります。約束します。ニーソ様が不安なら何度でも約束します。ニーソ様の元に帰って冒険の話をします。聞いてください。先ずは、今日の冒険を話します。ですから――」
期待や懇願。ニーソ様はそんな目をして僕を見る。
僕は逸らさずニーソへ見つめ返す。
「ニーソ様はただ、おかえりって出迎えてください」
帰るための指針。
僕が夢を叶えるため、僕はニーソ様に待つことを願い出た。
「……ちゃんと帰ってくる?」
おかえり、と言えない苦しみは僕にも分かる。
「はい。何が何でも、僕が、花精霊ニーソ様を一人にしないと誓います」
ニーソ様は肩を震わせた。
「う、うう、ぅ……」
切れ長の目が逆さになるほど、上げた顔はグシャグシャだった。
「オアぎゅん――」
「はい、ニーソ様!」
「おぎゃえりぃ、オアぎゅんんっ!!!!」
「はいっ、ただいま帰りました! ニーソ様!!」
「オゥアギュウゥゥゥンンン~~~~!!」
「もう、泣かないで下さい。ニーソ様――――」
弱い僕の本質が与えた影響かもしれない。
夜通しダンジョンで願ったことも一因かもしれない。
でもきっとこの誓いが僕に、
【帰巣本能】というスキルを発現させた。




