十輪目「恩知らず」
夏区にある三階建ての館。
【オダマキ・フラトリア】ホーム帰還後、団員達は諸々の対応で外出した。
僕はというと「ゆっくりしてろ」と優しい命令をされ、座り心地の良いソファで一人留守番の任を預かった。
冒険の緊張が解けたことや目の痛みが和らいできたこと、そして何よりも異様に馴染むソファの気持ち良さで少々いや……かなりの睡魔に襲われている。
おとな四人が座れる程の大きさで、背もたれが付いた長方形の腰かけ椅子。
このソファも含め【オダマキ・フラトリア】のホームにある家具は、ほとんどがジョンさんの趣味で蒐集したものらしく、特にこのソファが一番のお気に入りとのことだ。
これまで何度も勧められたが、見るからに高級品で僕は遠慮から座ったことはなかったんだけど――
「――すごいなあ」
ふかふかを通り越すふわふわ具合で、まるでレヒム湖に身を任せ浮き漂っている時の感覚に近いかもしれない。
ジョンさんは確か工業区に居を構えるドワーフ製だって言っていたかな。
一流のドワーフ職人が造る家具は望外な値段だから、そのお弟子さんが造った物の中から探し出した逸品だと語っていたけど、これだけ優れた物なら饒舌になる気持ちも理解ってしまう。
体験してしまうとついつい欲しくなってしまうが、お弟子さんが造った家具といえど僕には手の届かない値段だから諦めるしかない。
そう、これまでの僕ならば――――
「僕も冒険者になったからな。むふ、ふふふふふ……――」
冒険者らしい欲にまみれた卑しい笑い声だな、そんなことを自覚しながらも明るい冒険者生活を想像していると。
「あっ」
と、自然に目が開く。
両手を開いたり握ったり。
立ち上がり前に後ろに体を見渡しても目に見えた変化は感じない。
けれど、力が漲っていて不思議な気分だ。
もしかしてこれがステイタスを授かった感覚だろうか?
そんな疑問と実感を覚えつつ、僕は扉へキリッと顔を向ける。
「オアー! 戻ったよ~!!」
「お帰りなさい、サラさん。皆さんも」
「ああ~?? その感じ、オア馴染んだ~??」
「はい、痛みもないですし力も漲っているのでおそらく馴染んだのかと思います」
「よかったね~」
笑うサラさんの後ろからジョンさんが姿を現す。
「どれ、オア。目、見せてみろ」
「あ、団長ずるい! 私が先に見る! 両目に刻まれるって珍しいしー!」
「おまっ! はぁ……俺はただ、ギルドに報告するのに花紋の確認をだな――」
「はいはい、私が見るよーっだ!」
「それなら、サラ――お前が、ギルドにしっかり報告しろよな」
僕の頭を両手でガシッと掴み顔を寄せたサラさん。
チューまでできそうな距離だったけど、『報告』と聞いた瞬間に固まった。
「……にゃははは、仕方ない! やっぱり団長のお仕事を奪ったらダメだよね~」
サラさんはくるりと身を翻し、ジョンさんと場所を入れ替えた。
無精ひげを生やした大人の男性が眼前にまで迫る。
(ドキドキって複数の種類があるんだなあ)
どことなくの居た堪れなさを感じていると。
「ところでオア。魔法やスキルはどうだ?」
声の主はシアンさんだ。
「えっと――」
「ああ、もし発現していたとしても全てを言う必要はないからな」
「ありがとうございます。でも、多分ないので平気です」
「そっか。よく魔法が欲しいと言っていたオアからしたら残念だったな。けど、最初から発現する方が珍しいからそう気を落とすなよ」
「はい、ありがとうございます」
十体のゴブリンを一掃したセフィさんみたいに魔法やスキルまでは発現しなかった。
ヒューマンならそれが普通でセフィさんは特別。理解している。
「……駄目だ。わからん!」
「ふーん? 団長でも分からないのー?」
「俺は詳しい方じゃないからな。少なくともオダマキ科ではないってことくらいしか分からなかった」
「そっかぁ~、残念だなぁ……」
チラッと自身の部屋がある方へ視線を向けたサラさんに気付かないフリをして、僕はジョンさんに訊いてみる。
「ちなみにどんな花模様なんですか?」
「オアの山吹色の目、その周りの虹彩に六枚の白い花びら模様が刻まれている。もしかしたら新しい花精霊様が目覚めた可能性もあるな」
「新しい花精霊様ですか……」
花精霊様にお会いできるのは楽しみだけど、でもそうすると――
「オアが団長になるってことだね~」
サラさんが言った通りで僕はそれが不安だ。
「……僕にできるでしょうか?」
それに明日からは【オダマキ・フラトリア】の皆と別れ一人で過ごすことになる。
繋がりが薄くなるようで、そのことが僕の胸に寂しさを感じさせた。
「俺にだって何とかできているんだ。真面目なオアなら大丈夫だろ? それに、その時は俺たちだって手助けする。違う【フラトリア】だからって『はい、さよなら』なんてことはしない」
「ジョンさん……」
「その代わりと言ったら何だが、オアお前が立派な【フラトリア】を創ったら懇意にしてくれよな?」
ジョンさんは僕の肩を叩き、ニッと歯を見せた。
不安を吐露した僕を激励してくれているのだ。
これだけ頼りになる先輩がいるんだ、それなら今はあれこれ心配するよりも、冒険者になれたことを素直に喜ぼう。
「ほらオア。手鏡持ってきたぞ。自分でも見てみろ」
「ありがとうございます。ジョンさん、シアンさん!」
シアンさんから手鏡を受け取り自分の瞳を覗いてみる。
随分と細い花びらで鳥の羽にも見える模様だ。
両目ということも相まって、そこはかとなく僕の心を擽る格好良さだぞ。
「オア~? 頬がぐにゃぐにゃだよ~?」
「サラさん! そんなことないですって!!」
「大丈夫だよオアー。私たちの前では好きに患っ……振る舞って大丈夫」
サラさんに続いて一糸乱れぬ動きで頷く団員たち。
視線が温かな光線となって僕に降り注ぐ。
サラさんは何を言い止めたのか?
答えが出たら封印の扉が開いてしまうので僕は考えることを止めた。
「ククククッ――。ワレが帰ったぞ」
専用扉を開き、シュバッと基本の構えで帰宅を告げるオダマキ様。
皆さんは普段通り「お帰りなさい」と戻すだけで僕もそれに追随した。
鷹揚に頷いたオダマキ様は僕へ向く。
きっと、これまでは必ず構えを返していたのに僕が大人になったものだから変に感じたのかもしれない…………
「あ、あの……オダマキ様?」
射貫くような目付きをしたオダマキ様が、無言のままゆっくりと飛んでくる。
拳ひとつ分しかない至近距離で止まりジッと僕を覗く。
まるで僕の魂を覗き診ているかのように、オダマキ様は朱色の瞳を光らせる。
「ククククッ……。オア坊は冒険者になった途端これか。ワレは悲しいぞ」
花紋を刻まれた痛みとは別種の痛みが全身に走る。
何が封印だ、お世話になった花精霊様に悲しい顔をさせて――
(――僕は、恩知らずになんてなりたくない!!)