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Ⅲ時限目(1)

 「朝のリーディングタイム」を、わりと気に入っている。漫画以外なら何でも良い。少女は十五分の内に、一冊読める。昼休みに図書室へ返して、翌日用の本を借りるのである。今日は『宇治拾遺物語』の上巻だ。口語訳はいらない。言葉をあるがまま、受け容れたいのだ。下巻が貸出中でありませんように。でも、古典コーナーの人気は上がってほしい。

 一時限目は美術だ。火曜日は、ホームルーム、授業

と連続で担任の顔を見せられる。皆が関心を持っているのは、担任の気分だった。ほんの数分で、担任の機嫌が変わる。ホームルームでは、きっぷがいいおじさん、だったのが、今はひどく落ち込んでいた。

 この世の終わりみたいに、担任は呻く。学級委員長が、二回目の木彫を、絵の具にしませんかと提案する。ネガティブになっている担任に、刃物を持たせてはいけなかった。「俺はクズ教師や」「画用紙足りへん、アホ過ぎて泣ける」などつぶやいて、自身の頭を剃ろうとするのだ。刈り取れる長さの毛が無くても、である。その時は、大柄な子が羽交締めし、委員長が温かい言葉をかけ、足の速い子が副担任に助けを求めに行った。習慣化しているので、他のクラスに比べて団結力が強い。

 筆を洗う頃に担任は元気になり、二限目の教室に移動した。数学は、二年生になると、習熟度別に分かれて習う。少女は、習熟度が高いグループだった。数学自体は興味深く、学ぶ価値がある。問題は、先生だ。ほとんどの子はその先生に好感を持っている。なぜ、善良な人間の演技をしていることを見抜けないのか。意地汚くて、鼻につく。裏事情に詳しい管理作業員のおばさんが「キョウイクイインカイに行きたいらしいわよ」とこっそり教えてくれた。キョウイクイインカイは目と頭が腐っているに違いない。人の中身を判別できないのだから。

 習熟度が低いグループの先生は、もっと嫌いだ。野蛮なジゲンⅠの暗君であるのも理由のひとつだが、許せないのは、あの人と親しいことだった。男同士でも妬ましい? 違う。暗君が、ジゲンゲートの暴走を止めるスクエイアなのがいけないのだ。あの人をスクエイアに近づけてはならない。あの人だけは、失いたくない。今度こそ。

 三限目は、つまらない英語だ。教科書を読み上げて、練習問題を解く、の繰り返し。先生に意欲が無いのだ。仕事は苦しいものだと、少女にだって分かる。せめて生徒には態度に出さないよう努めてほしい。プロである意識が足りていなくて、がっかりする。

 昼休みの前に、国語が立ちはだかる。少女の苦手な科目だった。文芸部に入ったのは、それを克服するためである。古典は完璧だが、現代の文法は、いつまで経っても覚えられない。今年も文芸部の顧問が担当で、ほっとした。メジロという若い女教師に、弱みを握られずに済んだ。メジロは、あの人に想いを寄せている。女の勘だ。あの人とメジロが会話していたら、少女はあの人に授業に関する質問をする。メジロは優しいので、嫌な顔ひとつせず離れてくれる。恋の争いに、遠慮は悪手だ。

 クラスメイトの和瑚(わこ)と、隣の四組にお邪魔する。瑞乃(みずの)蛍都(けいと)舞通凛(まつり)が席を作って待ってくれていた。この三人と、少女と和瑚は去年、同じクラスだった。皆、物静かな性格で、自然と固まって行動を共にしていた。少女と和瑚と舞通凛が文芸部に、瑞乃は占い同好会に、蛍都はサイエンス部に入っている。

 五人は、ほとんど黙ってお弁当を食べている。食事中はしゃべらないと親に教えられてきた、おかずを味わうことに集中したい、話しながらだとペースが遅くなる、などわけは様々だ。不思議と居心地が良い。

 予鈴までだいたい十五分余る。昨日もしくは午前に何があったか話す日もあるし、読書や塾の宿題など思い思いに過ごす日もある。今日は瑞乃が皆を占ってくれた。曽祖母が考えたオリジナルのカードを使うのだ。瑞乃の占いは、細かい部分まで的中する。非科学的なものとして、初めは疑っていた蛍都も、今では立派な信奉者だ。

 少女は、今月の運勢を見てもらった。キーカードは「戦乱」だった。現状に不満なら、原因と争って、望んだ未来を勝ち取れ、とカードが告げている。原因は、抽象的なものとは限らないそうだ。人物であれば、その人と戦う。舞通凛が、恋愛についてではないかと言った。四人の視線が少女に集まった。

 告白すべきなのかもしれない。でも、あの人に真実を伝えるのは嫌だった。知らなくていい。あの人に、日曜日の昼下がり、野原に寝転んで、青空を眺めていてくれたら、私は幸せだ。まだ心の準備ができていないし、のどかな日常に満足しているから、戦わない。そう答えておいた。

 五限目の音楽は、新しい曲を歌った。題名を聞いて、つい肩を上下させた。ラヴァーズコンツェルト、男女でハーモニーを生み出す歌である。少女は、休みで空いていた隣の席に、あの人が腰かけているのを想像した。歌い方が独特なのは、全然変わっていない。少女は広げた教科書で、口元を隠した。

 一日の締めくくりは、あの人だ。火曜と木曜は、毎回天にも昇る心地になる。去年は一限目に会えて、学びの士気を高められた。六限目は、また違って嬉しい。昼までこびりついていた不満や疲れを、あの人との時間が浄化してくれるのだ。社会の先生は、あの人ではないと、八方が闇だ。

 あの人の授業だけ、出席番号を初めにできないものか。少女の名前は、四番目に呼ばれる。待たなければならないのが、もどかしい。感情をあらわにせず、あくまでクールに手を挙げる。思春期特有の照れ隠しが、うつってしまったようだ。

 出席簿に登録されている名前が、偽りのものだと知ったら、あの人はどんな反応をするだろう。理想は、本当の名を訊ねてくれることだ。でも、これをきっかけに、苔むした土に眠る記憶が、染み出してきたら、どうしよう。運命の重さに、耐えられなくなる? 殻に閉じこもってしまう? 命を捨てる? だんだん、板書がおぞましい模様に見えてきた。少女は平常に戻そうと、頭を振った。

 部室の鍵開けを和瑚に頼み、旧校舎三階で別れる。少女は、廊下の真ん中を歩き、目的の場所を訪ねた。表札には、社会科準備室とあるが、あの人の研究室だった。他の先生は、新校舎の準備室を使っているのに、あの人だけは、暗くて冷たくて砂埃くさいここにいる。

 扉の隙間から、いびきが漏れ出ていた。疲れているのだろうか。まさか、スクエイアに付き合わされて……。少女は天井を睨んで、研究室に踏み入れた。

 床であの人が仰向けになっていた。授業で、最後の力を振り絞ったのだろう。お腹の上で指を組んでいる様子が、最も望んでいないことを少女にイメージさせた。

 あの人は、自分のために生きるべきだ。少女は、指で四角を描き、紙を数枚顕現させた。折って薬玉を作り、あの人の胸に据える。

 起きるまでそばにいたいが、部活に行かなければ。皆に心配をかけてしまう。特に今日は、美術部とのミーティングがある。文化祭に発行する文集の表紙イラストと挿絵をお願いするのだった。少女はゆっくり扉を閉めて、去った。

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