Ⅱ時限目(5)
饒舌であれば、校長に昇任できるのか。連休明けの職員朝礼に、十五分スピーチは酷だ。休みの前半は妻と湯治に出かけ、温泉街のスマートボールに熱中のあまり腱鞘炎を起こした。後半は孫達が泊まりにきて、焼肉バイキングやテーマパークでもてなした……話の種が尽きないものだ。まとめの代わりに、職員と生徒の気が緩んでいないか、最近の若者ときたら云々と説教していた。
「えー、続きまして、今月着任されました先生のご紹介を……」
校長が満足する一方、司会の教頭は汗まみれであった。
「あの……どうぞ」
教頭が背伸びして、こちらへ来るよう差し招く。
「えー、そんな遠くにいらしても、何ですし」
つぶやくみたいに話しているせいで、聞こえにくいのではないか?
「わしではのうて、そなた達が振り向けば早いじゃろうが」
尊大な物言いに、注目しない者はいなかった。
「ほらの。わしを歩かさんでも済んだじゃろ?」
呵呵と笑う男は、特徴が盛り込まれ過ぎていた。パンチパーマをかけ、顔中には頭と同じ毛質の髭を貯えていた。黒い毛糸のタートルネックは、こちらまで暑くなる。さらに釣鐘が大きくプリントされたTシャツを着ていた。黒いズボンはジャージ素材であるが、柄は白字の西国三十三番御詠歌であった。靴は履いておらず、包帯で手足を包んでいた。
「新感覚のファッションなんですね」
二年一組の副担任は、遅れて転入した教員に興味津々だった。
「わしに臆さぬとは、肝の据わった小娘じゃな。この学園、ますます惚れたぞよ!」
「えー、すみません、二年と一年の数学を担当されます、め……」
強烈な個性の教員が、教頭をひと睨みして黙らせた。
「下賤が。そなたに呼ばれると品が落ちるぞよ。わしは目黒江年、適当に付けた名じゃから、クロエで構わんぞ!」
いろいろと問題な人が加わったものだ。挨拶のみの関係でいこう。
「はいはい、クロコダイル先生な。ほげ」
隣で田端先生は、鼻をほじっていらっしゃった。先生は真面目に聞いている方が異常なのだ。
「朝礼は終いにしようぞ。そなた達、手を出すのじゃ。サービスぞよ」
目黒先生が全員と握手しに回る。
「よろしくの、小娘」
「こちらこそよろしくお願いします! 私の名字は目白なんです。目黒先生と目白、数学と国語、対照的なコンビですね!」
「漫才の相方に指名してやっても良いぞよ」
二年一組の副担任は「みんななかよし」がモットーだ。面倒事も率先して引き受けてくれる。その調子でつるんでもらおう。
「よろしくの、彫刻家」
「おう」
指を洗いなさい、田端先生。まさかそのまま朝のホームルームでプリントを配るのではないだろうな。
「クロッキー先生、なんで俺が彫刻専門やって分かったんや?」
「クロエじゃ。足元に木屑が付いておったのでのう。仏を彫っておるのかと初めは推していたのじゃが」
パンチパーマと丸刈りが向かい合う。
「汚れた手では便器の像が関の山かの」
包帯の足を田端先生が踏んづけた。
「耳かっぽじって聞け、新入り。豆知識や。水虫には痛いぐらいの刺激が効くんやで」
「このわしに狼藉を働きおったな。顔を覚えてやろうぞ」
火花を散らす二人を、私は不承不承ながら仲裁に入った。
「田端先生、暴力に訴えることはやめましょう。目黒先生、着任されて初日ですよ。波風を立てては、業務に差し障りが出ますから、程々に」
田端先生は頬を膨らませ、目黒先生は吹き出した。
「ジョークじゃ、ジョーク! そなた達の緊張をわしが直々にほぐしてやったのじゃ」
黒い羊と喩えられそうな髭をひと撫でし、目黒先生は私に手を差し出した。
「長い付き合いになる予感がするのう、ジゲンを究める若造」
私は咄嗟に目黒先生の額に視線を動かした。もし彼があるジゲンの者ならば、紋章が刻まれているはずだ。
「何じゃ? わしに恋でもしたかの? すまんな、わしには可愛さ無量大数の妻子がいるのじゃ」
見当たらなかった。私は会釈して、田端先生と机へ戻った。
「マー……ちゃうわ、鶯谷先生、あいつは千里眼を持ってるんか?」
「千里眼より厄介かもしれないですね」
「あんたが放つ殺気にはかなわんけどな」
田端先生とは家族ぐるみの付き合いであることを、職場で表沙汰にしたくない。いじりの材料にされてしまい、侮られる結末となる。
「異なるジゲンの住人ではないかと疑っています」
田端先生が目と口を丸く開いた。
「跡見みたいなやつなんか!?」
我々のクラスに在籍する跡見仁子さんは、ジゲンを越えて学びに来ていた。
「そうであれば、二人目のスクエイアについて聞けるでしょう」
デスクマットの下に敷いていた時間割を確かめる。一時限目、私は二年四組で歴史の授業だ。目黒先生は、三組のティーム・ティーチングに加わるのだったな。
「先生、跡見さんの数学グループはご存知ですか」
「Aやったで。最初は出席番号で分けてたわ、んぐ」
これから仕事だというのに、おやつを召し上がっている。大手製菓会社・南茶亭のあんドーナツは、油分控えめだが、次々と放り込む物ではない。
「テスト結果を基にグループ替えするけど、賢いグループのAでおるやろ。跡見は国語と体育以外の成績ええからな」
今朝開けたあんドーナツの袋が、平らになっている。どら焼きでなくとも、ここまでカロリー摂取すればタバえもんのあだ名は揺るがないだろう。
「すみませんが、目黒先生はAグループを指導されるんですか」
「知らん。跡見に偵察させるんか? ジゲンのことになったら、生徒さえも使うんやな。ほんま……」
続きを仰りかけて、先生はカフェオレを飲んだ。ミノ先輩……つまり親父に似てきた、だろう。確かに、中学校で社会科を教える傍ら、ジゲンの研究をしている点は共通している。だが、私は親に比べて出来が悪いのだ。
「縛られておるのう、若造」
私達の間に、パンチパーマが割り入った。
「悔しいやもしれぬが、わしはCグループ担当じゃ」
目黒先生が勝ち誇った顔をして、私達の肩を抱いた。
「化けの皮をはがそうなど、那由多年早いぞよ。そう捨て台詞を吐けば、ドラマティックかの?」
いちいち言葉が余計である。その髪と髭でたわしを大量生産してやりたい。
負けん気の強い田端先生は、腰を屈めてお先に脱出されていた。
「クロエ先生、今時はおっさん同士でもセクハラが成り立つんやで」
「ほう」
私も肩を捻り、むさ苦しい輪を抜けた。
「郷に入りては郷に従え。監督が『あの桜は黒い』つったら明らかにちゃうかっても『黒いですね』と答えろ。あんたの教科やったら、公式は天地が逆転しても守れ、か。俺は頭がパッパラパーやったけど、基礎の基礎は覚えてる」
田端先生はエプロンの胸ポケットから鉛筆を抜き、目黒先生に向けて縦に持った。あたかもデッサンをしていて、モチーフの比率を測るかのように。
「明中教員の心得は何たるか、俺らがビシバシしごいたる。もちのろん、パワハラ未満でな!」
目黒先生は腕を組み、不敵に微笑んだ。
「そなた達の力量、わしが見極めてやろうぞ」
生徒よ、職員室にも戦いが勃発するのだ。合図は決まっているではないか。チャイムだ。