Ⅰ時限目(15)
体は正直である。美術準備室に着いた途端に、私の腹が鳴った。
「たくさん遊びましたものね、今、私めがお食事をこしらえて差し上げましょう」
私は、マホーを唱えようとするロロの両肩に手を置き、止めさせた。
「これでもランク8に上がったのでございます。坊ちゃんのお好きなかれいの煮付けと、なすの揚げびたしをお出しできます。お豆腐とあおさのお味噌汁もお付けしましょう」
「またの機会にお願いするよ。田端先生のパニーニがあるんだ」
小人達に食べてもらうはずだったおやつも、そのままだ。
「かしこまりました……」
ロロがうつむく。昇進試験をクリアしたばかりだと話していた。あの時は、ランク4だったか。成長を私に見せたかったのだろう。
「ロロちゃん、まだ時間あるんやったらちょっと手伝ってくれへんか?」
田端先生が手招きする。ロロは私にお辞儀して、先生の元へ行った。
「パニーニあっため直して、デザートとジュース冷やしてる間に、このへんを片付けたいんや。ロロちゃんは、机全部水拭きしてくれ」
「終わりましたら、床もきれいに致します」
「そうか! えらい助かるわ。さすが『大聖堂のお掃除がんばったで賞』もらった子やな!」
「恐れ入ります。うふふ」
祖父と孫娘のような二人の様子から、私は目を背けた。田端先生は、容易く他人との距離を縮められる。周囲に関心を持っていないようだと思えば、その人の喜ぶ点を押さえている。私に欠けているものが、先生には備わっているのだ。
「ダクワントテンポコーメスタイ、は何て意味や?」
「ダ・クワント・テンポは『お久しぶり』、コーメ・スタイは『お元気ですか』です。どちらも伊国語でございます」
そうだったのか。意味は話の流れから類推していたのだが。学びの機会を戴いた。
「ロロちゃんはなんであの子らの後に、絵を出たんや? 向こうにも出国の手続きみたいなんがあるんか?」
ロロは箒を握りしめた。
「そのことにつきましては……」
私はちりとりを取って、ロロに近づいた。
「このたび、私めは、スクエイアに選ばれたのでございます」
田端先生が口をOの字にされて、首を横に傾けた。
「ご説明が抜けてしまいまして、失礼致しました。スクエイア、と申しますのは、ジゲンゲートの暴走を止める者でございます」
私は耳を疑った。
「ゲートが暴走? 『ジゲン見聞録』には、ゲートは各ジゲンを結ぶだけだと記してあったけれども」
「私めも初めて伺いましたので、どうお伝えしたらよろしいのか、考えあぐねております。小人の四名様と、私めがこちらで動けるようになりましたのは、その影響だそうです」
他ジゲンの住人がジゲンⅢに入れた。ゲートが開きかけているのではないか。ならば、親父もこの世界に……頭を冷やせ。少しずつ聞き出すのだ。
「暴走したゲートの場所を、教えてもらっていないかな?」
「四輪市に強いオーラを感じる、と伺いました。どの辺りに隠されているかは、スクエイアが皆集まれば明らかになるそうです」
田端先生が転びそうになった。
「スクエイアはロロちゃんの他にもおるんか!?」
「はい。それぞれのジゲンに一人、だそうでございます。オーラをたどって、四輪市へ訪れるでしょう、と」
箒を椅子に立てかけて、ロロは両手を組んだ。
「真坊ちゃん、田端のおじさま。私めと、スクエイアを探していただけますか」
表の桜並木が、風に揉まれていた。