Ⅰ時限目(12)
旧校舎は三階建てである。一階はピロティと運動部の各部室、二階は若干空きが有る文化部の各部室、三階は私の研究室、倉庫、支援学級の教室だ。
「さすがに狭いか……」
ウォータークーラー下部の隙間をのぞいて、息をついた。
運動部室は全て施錠してあった。去年に財布の盗難が相次いだため、防犯対策をとったのだ。犯人は女子バスケ部のエースだった。生徒会員も務めていた彼女は、盗癖を持っていた。親も同じ症状で、逮捕歴ありだと聞いている。明鏡市は、荒れた家庭が多い。
「ランク3は、開錠のマホーを使えるが、閉められなかったな」
田端先生に報告して、二階へ移動するか。
「鶯谷です。一階は誰もいないようですから、上へ参ります、どうぞ」
応答してくださらない。早くも故障か?
「鶯谷です。田端先生、聞こえますか。どうぞ」
毛羽立ったような呼吸音がしばらく繰り返された。
「意味は夏やけど……夏やない……どないやねん」
小人と接触したのだろうか。
「あんたは、分かるか…………? どうぞ……」
「どちらにいらっしゃるんですか、どうぞ」
「支援学級の所や……」
先生を立ち直らせる方が、先だ。トランシーバーの電源を切らずに、私は三階を目指した。
意味は季節で合っているのだろう。問題はどこの言語か。小人達とロロに、ジゲンⅡ語を教えてもらうべきだった。ちなみに、私が大学生時代に履修した第二外国語は、中国語だ。
二階と三階の踊り場にさしかかったところに、朝顔の飾りが付いた小人が下りてきた。
「あ、まこと!」
足の間をくぐられた。
「君だな、夏天」
振り返らない。違ったか。
「おぼえうた、ロロねえちゃんとうたったのに」
小人が首をキュルリと鳴らした。
「おとなになると、わすれちゃうんだね」
二階へ逃げる小人を、すぐに追えなかった。
「君の会いたかった真は、ここにいないのかもしれない」
鶯谷真は、残忍な大人だ。親父を消しているのだから。
「それでも、君達は私の」
頭を叩き、チャコールグレーの廊下を踏み蹴る。
「人生にいてもらいたいんだ」
私の隣を子どもぐらいの影が、駆け抜けた。
「はい。私達も、坊ちゃんと同じ気持ちでございます」
眼前に、クリームイエローのブラウスが風で膨らみ、チョコレートカラーのスカートが翻る。
「ロロ……!」
おかっぱ頭が揺れて、笑顔がちらついた。
「お止まりなさい。おいたはめっでございますよ、エスターテ!」
小人は急ブレーキをかけて、ロロの手に収まった。
「ずるいよ、ロロねえちゃんもまざるなんてー」
「坊ちゃんと田端のおじさまを困っていらっしゃるので、参りました」
ロロが人差し指と中指で、小人の頬をつつく。
「わたくしめは、教皇様のお話を伺った後、臨時の試験を受けてくたびれたのでございます。絵にお帰りいただけますね?」
「あーん、わかったよー!」
小人は黄色いシャボン玉となって、果実の香りを伴い、弾けた。
「エスターテが、あの子の名前だったのか」
ロロが深々とお辞儀して、答える。
「さようでございます。ジゲンⅢの伊国語で春・夏・秋・冬が、四名様のお名前なのです」
なぜ伊国語なのだろう。
「キャンパスに写しとってくださった画家のお方が、当時伊国にお住まいでした。四名様はそちらの言葉に惹かれたのでございます」
「そうだよ!」
近くの傘立てに、萩の飾りを付けた小人が片足でバランスをとっていた。平均台ごっこか。
「ロロ、頼む」
彼女はかぶりを振った。
「四名様のお名前なぞなぞは、一人が連続して正解することができかねるルールなのでございます」
「きいてなかったの?」
エスターテと水仙は、うっかり者だった。
「私が正解したら、またロロが答えられるのかな」
「うん!」
出題側が言うのなら、間違いないはずだ。
「キニコヨ・トコウメカ」
ロロの右手にカードが現れた。
「お名前の覚え歌です。こっそり聞いてしまい、申し訳ございませんでした」
カードに、歌詞が均一な大きさの字で書いてあった。どうやら、伝言メモを作るマホーのようだ。
「ねえ、まだ?」
小人は捕まりたいのかもしれない。私は、歌の三番冒頭を読み上げた。
「秋は あうっとっと アウトゥンノ」
肩に小人が乗っかった。
「あたり!」
「次は、騒ぎにならないなぞなぞを、考えてくださいましね」
アウトゥンノは片手を挙げて、シャボン玉になり、直ちに割れたのだった。
「あと二人だ。ロロ、居場所を調べられないか?」
「お任せを!」
ロロの瞳が、レモンイエローに変わった。
「イヲケミヨ・ツマウゴ」
どんぐり眼が、緩やかに上下に、左右に回る。
「三階北寄りの廊下・窓際に一名、南寄りの部屋に二名、いらっしゃいます……」
ロロが小さく叫んだ。
「廊下にいらっしゃる方が、南へ、階段を下りようとされています」
田端先生ではないと信じたい。
「真坊ちゃん、いかが致しますか」
シャツをズボンに入れ直して、私はロロと目を合わせた。
「ついてきてもらえるかな」
ロロは両手で丸を作り、胸に当ててうなずいた。
「かしこまりました!」