Ⅰ時限目(9)
「あのチビら、しばいて蜂の巣にしたる!!」
エプロンを迷彩柄の物に付け替え、田端先生は隅に寄せていた木箱を机に置いた。箱は黄色と黒の縞模様に塗っており「取扱注意」と赤ペンキで太く書いてあった。
「ヒント思い出せたか、マー坊?」
「おそらくこれか、というものならありますが」
ダクワントテンポコーメスタイ。小人達の挨拶らしき言葉だ。
「ジゲンⅡ語か? 俺、日本語すらマスターできてへんぞ。文法は補習させられてたしな」
補習は受けなかったが、私は文法が苦手だった。現代・古典ともども、暗記に相当の日数を要した。文法が好きな人間は、ある種の変態ではないかと思う。
「俺世代の美大生はな、第二外国語はいらんかってん。ひたすら彫って刷ってを繰り返した毎日やったわ」
八割がた冗談である。
「ええ具合に区切れるんちゃう? ダクワント、テンポ、コーメ、スタイ。よっしゃ、正解やろ」
「どうでしょうか……」
ようやく、先生の手元が静かになった。
「おっす、締まっていくで!」
面食らった。迷彩エプロンの肥満男が、サングラスをかけてスコープ付きの銃をかついでいたのだから。
「銃刀法違反では?」
「してへん。エアーガンや。公務員やぞ」
そう言って先生は、葉巻の代わりにスモークチーズをくわえた。
「サバイバルゲームをするわけではないんですから」
「こう見えても、若い頃は『タバタ13』の通り名でビビらせてたんやで」
背中がガラ空きだ、本家に謝りなさい。「タバえもん」で充分ではないか。丸みを帯びた風貌と多種多様な道具を詰め込んだポケットから生徒達は連想したそうだ。
「部員を一人にさせるつもりですか」
スモークチーズを飲み下して、先生はポケットに引っ掛けていた美術室の鍵をつかんだ。
「戸締まりを頼むんや。急用で席外すんでよろしゅう! っとな。そんぐらいやれる年齢やで」
エアーガンを私に預け、美術室に通じる扉を半開きにして、部員に声をかけた。
「フリーになったで」
先生はサングラスとエプロンを取扱注意箱に放り投げ、普段のデニム地エプロンに戻して野球帽をかぶった。
「俺はキャッチャーやったんや。ダイヤの守護神・田端出也、バッテリー組んでたんは」
私はキャッチャーミットを先生に渡した。知っている。相方は親父だ。
「ゲームスタートや!」
休日に止水緑地公園を案内しよう。園内につながりの塔がある、お互いにとって好都合だ。
持ち場の分担について相談しようとするも、田端先生は右へ走ってゆかれた。
「朝顔なんか水仙なんかどっちか知らんけど、運がついてへんかったな!」
美術室・準備室がある新校舎西棟は、南側が行き止まりだった。
「当てるまで離さへんぞ! がっちりキャッチしたるわ!」
ミットを嵌めた手を伸ばし、先生が姿勢を徐々に低める。スライディングか!
「待ってください、窓が開いています」
「ぬうあんやとう!?」
片膝をついて、私が見ている方向に頭を上げた。
「飛び降りたんか?」
「そうかもしれません。扉や窓を動かせるマホーに加えて、跳躍のマホーも使ったのでは……」
「なんでもありやな!」
「いえ、あの子達が使えるマホーの種類は少ないです。足の裏に、三重丸が書いてありました。使用許可ランク3、校内探検を満喫できる程度ですね」
『ジゲン見聞録』および、昔、小人達が話していたことをまとめるとこうだ。使用許可ランクが高いほど、使えるマホーの数が増え、威力が強まり、効果の範囲も広域になる。ジゲンⅡの住人は皆、ランク1から始まり、大聖堂が実施する試験をクリアすれば昇格できる。最高ランクは12であり、歴代の教皇は皆そこに至っている。ランクは足の裏に書かれた円が何重かで分かる。ただの円が1、二重丸が2という具合だ。ランク1は這って歩く、小石などの軽い障害物を除去するマホーが使える。
「門ぐらい重い物は、難しいと思います。ですが、絶対に校外へ出られないとは断言できない。私が一階から三階までを探します」
「俺は四階以上やな。連絡はこいつでとれ」
エプロンのポケットをまさぐり、先生はトランシーバーを私に投げた。
「通販の半額品、やっとこさ出番やで」
私達は携帯電話を持っていない。文明の利器に縛られることを拒んだのだ。価値観が共通しているため、一緒にいて疲れないのである。なお、当校内において携帯電話の使用は禁じられている。課外学習・部活動中も然りだ。
「ありがたく」
私はトランシーバーをズボンの後ろに捩じ込み、階段を数段飛ばして下りた。