事務所を通さない口付け
「ソラくん、急に大人しくなったね。もしかして照れてる~?」
大宮は階段を登りながら、俺へ話しかけて来る。
彼女の声は聞こえるが、スマートフォンの画面を見ないと他の奴らが話している内容を全く理解出来ない。
会話が理解できねぇのに口出すのもと黙っていたのに、大宮はずっと手を繋いでいるのが恥ずかしくて黙っているのではないかと認識したようだ。
「仕方ねぇだろ。女と手、繋ぐとか……。フォークダンスくらいしか経験ねぇし……」
「あれ~?キンディセって、握手会しないの?」
「ファンは恋愛対象じゃねぇし」
「ソラくん、夢を壊すようなことはめ~、だよっ。アイドルだって、ファンに恋をすることもあるんだからね?」
「繋がりって奴か」
「そうだよ~」
ファンとアイドルの繋がり行為は、運営によって厳しく罰せられる。
Imitation Queenだって例外ではないだろう。俺の所属しているアイドルグループだって、ファンとの繋がり行為はペナルティが課せられるからな。
ファンとの繋がり行為は、握手会の際にアイドルへ連絡先の書かれた紙を渡したり、SNSのプライベートメッセージ機能を使ってファンレターを送ったあとに交流を深めるパターンや、出待ちのファンにアイドルから声をかけて関係を持つなど、きっかけは多種に渡る。
俺はやったことねぇけど、三馬鹿の一人は火遊びが大好きで、港区に顔を出したりファンと繋がったりやりたい放題していた。
そいつの話では、繋がったファンはそういう関係だと割り切らないと、めんどくさいことこの上ないと語っていたのを覚えている。
俺なんかと繋がろうとする強火ファンなんざ、俺には存在しねぇからな。
めんどくさがりな俺には、一生縁のないことだ。
「俺にはガチ恋ファンがいないってだけだ。他のアイドルは知らねぇよ」
「そーかなぁ~。認知できてないだけで、ソラくんを狙っている女の子その辺にゴロゴロしてると思うよ~?肉食系女子にとって、草食系男子は格好の獲物だもん~」
「俺がいつ草食系になったんだよ」
「ソラくん、恋愛に興味ないよねぇ?」
「ねぇけど、好きなやつができたら……黙ってられねぇ奴のことも、草食系男子って称するのか?」
「ロールキャベツ男子だぁ!」
大宮は嬉しそうに叫ぶ。
先に階段を登りきり、屋上へ辿り着いた共演者が何事かとこちらへ視線を向けているが、彼女は一切気に留めることなく繋いだ手に力を込めた。
そんなに喜ぶことかよ。俺は大宮が好きだって告白したわけじゃねぇのに。
俺は大宮が階段で立ち止まったのをいいことに、文字起こしアプリが拾った文字を確認し、共演者達が話していた内容を把握する。
『何があったんだ、あれ』
『やる気満々じゃん』
『あの二人へ変にちょっかい掛けない方がよさそうだね』
『同感』
『オレたちの中でカップルになれそうな奴ら、他にいる?』
『そのための花火でしょ!』
花火?
俺がスマートフォンの文字を追うのに夢中な間、共演者達は番組が用意した手持ち花火に火をつけて遊び始めた。
そりゃ、イベントがなきゃ恋は深まらねぇけど……もっと日が暮れてからやるべきだろ。
情緒もへったくれもねぇやつらだな。
「ソラくん、その顔は単語をよく理解できてないな~?」
「理解できるかよ。なんだよロールキャベツって」
「はいはーい。教えて、花恋先生のコーナー!」
大宮は共演者達が一足先に花火で盛り上がっている姿には目もくれず、ロールキャベツ男子の説明をしてくれる。
いいのか、こんな所で油売ってて。放送でカットされんぞ。
強めに釘を差してやりたかったけど、大宮は花火よりも俺と二人きりで手を繋いで話をする方がいいようだ。
満面の笑みで俺に解説をする大宮の嬉しそうな笑顔を見ているだけで、俺の心も晴れ渡るような気がした。
「ロールキャベツ男子は、草食系の皮を被った肉食系男子のことでーす。草食系だと思って油断していると、好きを見せた所でガバっと肉食系の鱗片を露にするギャップがめちゃくちゃ萌えるの~!」
「萌えって……一昔のオタクじゃねぇんだから……」
「普段その気がなさそうに見えて、チャンスは逃さない男の子っていいよねぇ。わたし、好きだなぁ~」
これは俺に、今すぐアピールしろって誘ってんのか?
カメラマンは上と下に2台。大宮は一段上の階段に立っていて、俺との身長差はほぼない。この状況で顔を近づけたら──直接唇を触れ合わせなくたって、しているように見えるよな。
最終告白までにしちゃいけねぇ理由なんざねぇし、やってみるか。
「大宮」
「……ソラくん?どうしたの、改まって──」
大宮の意識が俺に向いたのを確認して、一気に顔を近づけた。
いくらあっちにその気があっても、合意なしにするのはまずいだろ。
事務所の許可、取ってねぇし。
契約面の合意を得ているのは、最終告白にてゴールインした場合の口づけのみだ。
指一つ分距離を詰めれば、唇と唇が触れ合う距離で止まった俺は、大宮の様子をじっと窺った。
彼女は撮影されていることを考慮したのか、目を閉じて唇が触れ合う瞬間を待っているようだ。
声を出されるとすぐにしていないとわかってしまうから、大宮が目を瞑って唇を閉じたのはこちらとしても助かった。
あとは俺から、目を瞑る必要はないとアピールするために言葉を──。
「こ……」
「もう一回」
は?もう一回?
こんな風に、チャンスを逃さない男が好きなのか、と。
唇と唇が触れ合うまで、あと指一つ分の状況から脱却するべく身体を離したときだ。
「もう一回、しよ?」
潤んだ瞳で俺を見つめた大宮は、こてりと首を傾げる。
もう一回って、さっきのは振りで、してねぇのに。
振りは一回で充分だろとぐるぐる考えている間に、大宮が俺の方に顔を近づけて──唇が、触れ合った。
嘘だろ、おい……。
番組と大宮的には、もう一回しようと告げてきた彼女の言葉は、俺に聞こえていないと認識されているのかもしれないが──大宮の声だけは、はっきりと認識できる。
避けなかった俺が悪い。こういうのはお互いに一筆書かせてからやるだろ、普通。
止めろよスタッフ。花火に夢中な共演者の安全管理をしている間に、こっちはこっちでものすごいスピードで大人の階段、登ってんだけど。
「背徳的だよねぇ」
「どこが……」
「皆に内緒で、隠れてしているの。ソラくんに、唾つけちゃった」
大宮は自身の唇を舌で舐め取ると、語尾にハートマークが付きそうなほどご機嫌な様子で下のカメラへ向けてウインクした。
顔文字で表すなら、あれだ。テヘペロって奴。
おい馬鹿やめろ。叩かれるぞ。
「よそ見しちゃ駄目だぞっ。ソラくんは、わたしだけとこれ君するんだから!」
「へいへい……」
実は初めてだった、なんて言えねぇよなぁ……。
大宮が初めての責任取れと俺に迫るのはわかるけど、男の俺からそんな話をしても、どう責任取るんだって話だしな。
これ君の撮影は、口づけたから終わりではない。
番組タイトルを告げる最終告白を行うことで、撮影終了となる。
番組側は俺と結ばれた大宮を、このままゴールインさせる気はないだろ。
あの手この手で、仲を引き裂こうとするはずだ。
「ところで……お前ん所の事務所、契約結んでない状態で異性と唇触れ合わせんのって、大丈夫な事務所?」
「あ!」
……このまま番組に出演し続けられたらの、話だけどな。