突発性難聴ではないらしい
「ある特定人物の声だけが、よく聞こえるんですけど……そういうことって、あるんですか」
今日は待ちに待ったこれ君の撮影日だ。
午前中、耳鼻科へやってきた俺は、主治医へ大宮の声だけがクリアに聞こえる件をさり気なく相談してみた。
主治医は難しい顔で黙り込み、考え込んでいる。
なんだ?やべぇ症状なのか?幻覚を疑われてんの?
『どんな声か、わかります?』
「先生って、アイドル詳しいですか 」
『詳しくないですが、調べてみましょう』
「Imitation Queenの、大宮花恋」
この病院は電子カルテを導入しているようで、主治医の前にあるパソコンはインターネットへ自由に接続できるようだ。
大宮の声を確認するため、堂々と動画投稿サイトを開いた主治医は、大宮のライブ映像を再生する。
『恋のいろはにほへと
愛のぱぴぷ ぺぺろんちーの
ふらぺちーの でりしゃちぃの 今は
召しませ 召し上がれ 上げて揚げて 天ぷら? テンアゲでいこう!』
酷い歌詞に酷い歌を、笑顔で歌う大宮の声を雑音と共に聞いた俺は、主治医に促されるがまま酷い歌詞を音読させられる羽目になった。
簡単な聞こえのテストをするためだろうが、もっとまともな曲を選んでくれよ……。
Imitation Queenには全員ソロ曲が用意されている。
大宮の代表曲は酷い歌詞の歌と、カップリング曲の2曲だけしかない。
カップリング曲のフルサイズは違法アップロードされた動画しか投稿されてねぇから、あいつの声だけがよく聞き取れることを確かめるためには、酷い歌詞の歌を聞かせるのが手っ取り早い。
それにしたって、なぁ……?
『……もう一度、聞こえの検査をしましょう』
聴力検査に回された俺は、小さな防音ブースの中でヘッドホンから高い音が聞こえるたびに、手に持たされたボタンを押す。
以前聴力検査をした時は、看護師が手元のスイッチを弄っている姿は見えるのに、何の音も聞こえて来なかった。
高い音は辛うじて聞こえるが、はっきりと聞こえるようなことはなかったのに──今日はすげぇよく聞き取れる。
高い音だけを聞かされているからか?
馬鹿女と三馬鹿を吊るし上げて、スカッとしたからだったらウケるな。
あれ、また聞こえなくなった。
俺が一人で調子に乗っていると、ある時を堺にまた音が聞こえなくなる。
看護師がスイッチを切り替えている姿は見えるので、低い音を流しているのだろう。
高い音は何の問題もなく聞こえるのに、低い音は聞こえねぇのか。
だったらもっと、音が聞こえてもいいような気がするけど。
『重低音障害型感音難聴の疑いがあります』
突発性難聴はすべての音が聞こえなくなる病気だが、新たに診断された病名は、低い音だけが聞こえなくなるらしい。
通常この病気と診断された奴らは、普通の音や高い音は問題なく聞こえるが、俺の場合は音階で表すと、ドからラまでは聞こえないが、高い方のシとドだけは聞こえる。そんな感じだ。
『最近、ストレスが軽減されるような、いいことがありましたか』
「ありません」
『そうですか……。この病気は一過性のものです。ストレスが軽減されることで、完治の見込みがあります』
「治るんですか」
『何度も言いますが、なるべくストレスを感じない生活を心掛けてください』
「はぁ……」
マジか。相談してみるもんだな。
俺の耳はいずれ聞こえなくなるもんだとばかり思っていたが、ストレスさえ感じなくなれば元通りになる可能性があるらしい。
悲観する必要ねーじゃん。心配して損した。
ストレスから解放されたら、今まで通り耳が聞こえるようになると医者から告げられたことが嬉しすぎて、俺は柄にもなく笑顔を浮かべてこれ君の現場へやってきた。
「おはよう!今日もよろしく!」
俺がスマートフォン片手に笑顔で共演者へ挨拶すれば、すでに集まり雑談していた奴らにドン引きされた。なんでだよ。
『え、なに。こわぁ……』
『ソラくん、めちゃくちゃいい笑顔じゃん』
『所属しているアイドルグループが大炎上してるせいで、ぶっ壊れたか?』
『花恋、行って来いよ。事情聴取だ。俺らは無理』
「はぁーい!おはよ、ソラくん!今日はごきげんだね~!」
「俺の耳、一生治らないわけじゃねぇんだってさ」
「……ほんと!?ソラくん、聞こえるようになるの!?やたー!」
大宮は自分のことみたいに飛び跳ねて喜んでいる。
教室の端っこに集まって駄弁る共演者との温度差がヤバすぎるのはわかってたけど、どうせドン引きしている奴らはカットされる。
俺は勢いそのままに、大宮のことを抱きしめた。
「そ、ソラくん?」
「俺、すげー嬉しい。一緒になって喜んでくれる異性は、大宮が初めてだ」
「ええ~。ほんと~?ソラくん、女の子に飢え過ぎだよ~」
大宮はケラケラと笑いながら、俺に抱きしめられても嫌がる素振りを見せなかった。ここで俺を突き飛ばしたりなんてしたら、番組的にも台無しだからな。
俺とカップルを成立させたいなら、受け入れるのは当然だ。
「非モテ舐めんな」
「非モテはね、突然女の子を抱きしめたりしないんだよ?」
「どこ情報だ」
「花恋調べ~」
「特典会に来るようなファンと一緒にしてんの?」
「まさかぁ。わたし、こー見えても男性経験は豊富なんだよ?おねーさんが、うぶなソラくんを導いてあ・げ・る!」
「一つしか違わねぇのに、姉ズラすんな」
「痛ったぁ……!デコピンはんたーい!」
大宮を抱きしめる手を離してデコピンをお見舞いしてやれば、彼女は涙目で蹲った。
調子乗るからだ。バカめ。ザマァみろ。
腹を抱えて笑えば、共演者からの視線がさらに厳しいものになったが、知ったことか。
俺はこの番組で爪痕残して、芸能界で生き残ってみせる。
たとえグループを解散することになって、1人で活動を続けていくことになったとしても……。
『ねぇねぇ、あれ、しなくていいの?』
『やっば、初っ端からラブシーン繰り広げるから本来の目的忘れてた』
『いちゃついてる奴らは無視して俺たちだけでやろーぜ』
『賛成』
「あっ。ソラくん!皆がなんかやるみたい!早くしないと置いていかれちゃうよ!」
「おう……」
「はーやーくー!行こっ!」
俺はスマートフォンへ表示された文字の内容を確認するのに必死で、デコピンをされた痛みで蹲っている大宮から早く追いかけろと促されても、動けないでいた。
そんな俺を見かねた大宮は勢いよく立ち上がって俺の手を取ると、教室を出ていった共演者の背中を追いかけた。
「うわ……っ」
「待って!置いてかないでよ~!」
「転ける、転けるって!」
「──!」
「──、──っ」
共演者達が口を動かしているが、何を話しているかなどわかるわけもなく。
俺は大宮に引っ張られるがまま、共演者達の後ろについて大人しくしていた。