キンディセの良心
『場外乱闘!?第五の刺客登場!これ君出演者ではない女性がソラに告白してきた時、カレンの反応は……?』
馬鹿女と俺たちのやり取りは、番組側が都合のいいように編集した上で放送された。
乙女ゲームと現実世界を混同している言動こそ編集でカットされたが、馬鹿女が複数の男と逆ハーレムを形成していることは顔モザイク、機械音の編集付きでしっかり放送されている。
俺が所属するアイドルグループ──King deceptionは、半年前に金を取って観客に見せられないような酷いライブを披露していた。
馬鹿女がマネージャーの仕事そっちのけで三馬鹿を誘惑し足を引っ張っていたことが番組を通じて明らかになると、ファンたちから恐ろしい数の悲鳴が上がる。
『ソラくんが突発性難聴になった理由って、他のメンバーがモザイク女にぞっこんだからなの?』
『ソラくんと水都くん以外は、モザイク女に食われてるってこと?』
『だから心ここにあらずだったんだ』
『裏切り者』
『金返せ!』
『アイドルやめろ!』
大宮を叩いていたファンの怒りが、馬鹿女と三馬鹿に向けられた瞬間だった。
世論の流れが変われば、大宮の起こした炎上騒ぎも自然に鎮火する。
大炎上していても、本人はあっけらかんとしていたからな。炎の勢いが小さくなったからって、大宮は喜んだりしないだろ。
番組内の炎上騒ぎは一段落したが、俺の所属するアイドルグループは絶賛大炎上中だ。
俺と水都には、同情的な声が多く聞こえてくるからまだいい。
三馬鹿と馬鹿女に向けられる悪意が全部俺の元に来たらと考えるだけで、吐きそうだ。
あいつらが炎上してんのは、俺がこれ君の撮影中に馬鹿女を吊し上げたからだぞ。
あいつらが可哀想だから、こっちまで飛び火してきたらどうこうとか……同情している暇なんざねぇだろ……。
『ソラくん。体調は……』
「最悪」
『その顔で練習とか、無理でしょ』
「吐きそう……」
『琴音さん、話し合いも出来そうにないけど。どうすんの』
『どうしましょう……困ったわ……』
SNSに書き込まれた悪意を眺めているだけでストレスが限界突破した俺は、テーブルの上に突っ伏した。
これからのことを相談し合う名目で俺と水都、そしてプロデューサーの三人は丸テーブルを囲んでいる。
話し合いをする前から戦力にならない俺を放置して、水都とプロデューサーは会話をしているようだ。
スマートフォンに次々文字が表示されては消えていく。
水都だけならともかく、プロデューサーと3人って、すげー気まずいんだよな。
水都はプロデューサーのことが好きだし。
プロデューサーは水都に言い寄られるのは満更でもなさそうだけど、売出し中のアイドルに手を出すわけにはいかないと自制している。どっかの馬鹿女とは大違いだ。
水都は俺のことを気にかけてくれるけど、プロデューサーが隙を見せればそのまま男女の関係になだれ込みたいわけで……俺は邪魔者なわけだ。
どこへ行っても、俺は誰からも必要とされないはず、だったんだけどな……。
「本題入る前に、ちょっといいか」
『なに』
「プロデューサーに相談」
『私でよければ……』
「女が男に気のある素振りを見せる時ってさ、ATMとしてロックオンしたてことだろ?」
『えーてぃえむ……』
「俺の耳はぶっ壊れちまってるし、アイドルとしての活躍は見込めねぇ。顔も平凡なら能力も平均的。芸能界に居座るのは致命的な男を愛しているとか好きだって告げてくる女が、何考えているか教えてくれよ」
プロデューサーは、水都と顔を合わせて絶句している。
俺の口から色恋沙汰を相談されるとは思っても見なかったのだろう。
恋愛リアリティショーの仕事は、プロデューサーが持ってきたのに。ひでぇよな。
『なに。あの女と交際すんの』
「あの女って……馬鹿女よりはマシだろ」
『頭の出来は五十歩百歩』
「話してみたら、案外まともだったぜ」
『女の趣味悪いね』
「やめといた方がいい?」
『おれはナシ。馬鹿っぽい奴は嫌いだから』
大宮が頭悪そうに見えるのは外見と喋り方だけで、中身は案外まともだ。
テレビの演出上まともに見える部分はカットされがちなので、水都はピンと来ないのだろう。
好きな女のこと馬鹿にされた男が怒る気持ちを、俺はちっとも理解できなかったが──今ならわかる。これは、かなり不快だ。
俺は大宮のことは好きじゃねぇけど、気になってはいる。
この状況でも不快なのだから、俺が大宮を好きになった状態でバカにされたら、水都であろうとも手が出ちまうかもしれねぇ。
水都の前で、プロデューサーの悪口は言わねぇようにしねぇと……。
『私はソラくんが思い浮かべている人ではないので、憶測で話はできても、その人と同じ答えを口にできるわけではありません』
「それでもいい」
『ソラくんが満足に働けなくなったとしても、国民的アイドルグループに所属している彼女であれば、ソラくんを養うのは造作もないことです』
『アイドルが恋人なんて作ったら、また燃えるじゃん。続けられるわけがない』
『続けられないのならば、別の道を探せばいいだけです。アイドルに、こだわり続ける理由はあるのでしょうか』
俺は大宮に、アイドルを続けてほしいとは思ってねぇ。
あいつには演技の才能がありそうだし、小さな役から挑戦して着実にステップアップしていけば、主演女優として輝くのも夢じゃない。
「アイドルにこだわり続ける理由はねぇな。その気になれば、いくらでも金は稼げる」
『ソラくんが芸能界を去り、満足に仕事へありつけなくても。金銭問題は、恋の障害にはなり得ません』
「そうか?男は女を養うもんだろ。男の稼ぎが悪くて不満に思う妻って、その辺にわんさかいるじゃねぇか。うちの母親だって、すげー親父と揉めてたし」
うちの両親は、顔を合わせればいつだってくだらないことで争い合う。
母親は父の稼ぎが足りない、あんたは稼げる男になりなさい、誰のお陰で生活できていると思っているのか……そうやって恩着せがましく騒ぎ──父親は俺だって頑張っている、女のくせに俺より稼ぎがいいなんてありえない、口を開けば文句ばかりの女と結婚したら地獄を見るぞと、さり気なく母親との離婚を匂わせる。
簡単な話が、家庭崩壊を起こしているのだ。
どっちについてもめんどくせぇから、俺はどっちの味方にもつかない。
一つ下の弟は両親に仲良くしてほしいから仲を取り持とうと、必死にあれこれやっているようだが、今のところ一度も実を結んだことはなかった。
むしろ、弟が双方の肩を持ってあれこれ行動しているせいで、今があると言ってもいい。
全部弟が悪いわけじゃねぇけど。あっちへいい顔したかと思えば事態をややこしく悪い方向へ導く弟のことも、俺はあんまり好きではなかった。
『ソラって、考え方が昭和だよね』
2人は羽村家の家庭事情をよく理解しているので、話を広げては来ない。
水都の紡いだ言葉が文字になったのを確認した俺は、ゆっくりと目を閉じる。
なぜだか無性に、大宮の声を聞きたくなった。
家庭内に居場所がない俺は、King deceptionのメンバーと一緒にいる時間が、唯一安心できる時間だ。
馬鹿女が現れてからは、プロデューサーと水都だけに限定されちまったけど……。
大宮に告白されてからか?
水都とプロデューサーの2人よりも、これ君の撮影が待ち遠しいと感じる自分に気づいてしまった。
やべぇな、これ。
恋する乙女の感覚って、こんな感じなのか?
指折り数えて、愛する人に会う日を楽しみにしている。
その事実に気づいた俺は、大宮を愛する人と称したことに自分でも驚きを隠せなかった。
「──」
「──?」
「馬鹿女と三馬鹿は、どうでもいい……」
俺たちは馬鹿女と三馬鹿が大炎上している件について話し合いをするため、こうして集まっている。
具合が悪いと机に突っ伏したせいで、反故になってるけどさ。
全部俺が悪い。俺が体調を崩さなければ、プロデューサーと水都へ迷惑を掛けずに済んだ。俺が……全部……。
「楽になりてぇな……」
死んじまえば、楽になれんのかな。
SNSで飛び交う罵詈雑言の嵐には、自殺を強要する心無い言葉も書き込まれている。
どんなに苦しくても、悲しくても。人間である限りは、その苦しみや悲しみを受け入れて生きていかなきゃならねぇ。
死んだら終わりだ。何も残らない。
生きていたら楽しいことがあるはずだと、他人事の奴らは自殺願望がある奴らに優しい言葉を掛けてくる。それが心に響く奴らだっているかもいれないが、いない奴らもいる。
俺は後者だ。俺の苦しみ、痛みを知りもしないで、わかったふりして土足で踏み込んでくる奴とは関わりたくねぇ。
関わりたくねぇって、思ってたのに。
なんで、大宮は許せるんだろうな?
なぁ、誰か教えてくれよ。
俺はあいつの、どこが好きなんだ?
どこに惹かれたんだ?
俺は……これからどうすればいい。
どうすれば、この地獄のような苦しみから逃れられる……?
『ソラ。気にしなくていいよ』
『辛いのなら、彼らのことを視界に入れる必要はありません。ソラくんは、仕事に集中してください。これ君の撮影現場は、ソラくんにとって、安心できる場所ですか』
「……ああ。大宮がいれば、大丈夫だ」
大宮がいなくなったら、居心地悪くなって、置物と化すだろう。
大宮が俺にちょっかいを掛けてくるから、自然に口から言葉が出てくる。
あいつの声を聞きたいからこそ、これ君の現場では、文字で意思疎通を図ろうとは思わない。大宮さえいれば──俺は、耳が聞こえなくなる前の生活に戻れる。
なんて、な。
大宮の声は聞こえても、俺自身の声や周りの声は聞こえねぇから、完全に元の生活に戻れるわけじゃねぇ。
そう思い込んで、楽になりたいだけだ。
俺はずっと、楽に生きる方法を探している。
楽に生きるためには、逃げ道が必要だ。
同じ道に逃げ込み続けていたら、その道に悪いやつがやってきて、俺の逃げ道を塞いでしまった。
俺は悪いやつから逃れるために新しい道を見つけ、その道をゆっくりと進み始めている。
この道が悪いやつに見つかり塞がれてしまうのか、このまま逃げ切れるか判断するには、もう少し時間が必要だろう。
『安心できる場所が増えれば、心の安定に繋がります。撮影、楽しんでくださいね』
「おう」
『大切なものを作ったら、裏切られた時辛くなるよ』
プロデューサーには、背中を押された。残りの時間を楽しんでおいで、と。ありがたいことだ。
プロデューサーは俺に仕事を持ってきた時から、恋愛はしなくてもいいと言ってくれた。
恋人がいることを公表するアイドルは、ほとんどいないからだ。
ガチ恋を売りにするなら、恋人の存在はネックになる。
一部のファンは、大金を貢げば恋人にしてもらえるかもと、謎の幻想を抱くからな……。
俺にとって、応援してくれるファンは、ファンだ。
恋愛対象にはなり得ねぇ。アイドルはファンに対して無関心を貫くか、金蔓としか思っていない。
俺は前者だ。極希に本気でファンを大切にしているタイプのアイドルも存在するが、そういうやつは長くアイドルなんて続けられない。
アイドルに、優しさや一般常識は必要ねぇ。
嘘をついて、人を騙しても罪悪感を一切感じることなく、何食わぬ顔でパフォーマンスできる奴だけが有名になれる。
真面目に頑張れば、頑張りが認められる世界なんかじゃない。
芸能界は戦場だ。毎日のように、生きるか死ぬかの戦いが繰り広げられている。
俺のような弱メンタルが、迷い込んでいい場所じゃねぇ。
大宮にアイドルなんて向いてないから、やめろと言われたことを思い出す。
ああ、そうだよ。俺はさっさと、アイドルなんてやめるべき人間だ。単純に向いてねぇ。
俺がアイドルをやめなかったのは、切磋琢磨し合える仲間がいて、やっと見つけた唯一の居場所を失いたくなかったからだ。
唯一の居場所は、馬鹿女のせいで崩壊してしまった。
水都とプロデューサーが俺の理解者として今まで通り接してくれるから、俺はどうにかKing deceptionのアイドルとして活動を続けていられる。
水都とマネージャーが馬鹿女の手に落ちたら、俺は終わりだ。
誰からも求められることのない人間は、死ぬしかない。
大切なもの作ったら、裏切られた時辛くなる……か。そうだな。
その時は、この世になんの未練もなく、消えてなくなればいいだけの話だ。
「ありがとな、水都。プロデューサー」
『……お礼とか、いらないし』
『私は何もしていませんよ』
「俺は迷惑を掛けてばっかりだ。耳のこと、大宮のこと、馬鹿女のこと……」
『迷惑じゃないし。馬鹿のことは、おれたち皆の問題じゃん。そうやって気負う必要なことも気負うから、ストレスで身動き取れなくなるんでしょ』
『水都くんは、ソラくんを心配しているんです。ストレスを一人で抱え込むことは、悪いことではありません。辛い時は、私達を頼ってください。私達は、ソラくんの味方ですから』
俺はずっと、死ぬ理由を探している。
三馬鹿は俺を裏切ったが、プロデューサーと水都は俺を絶対に裏切らない。
大丈夫だ。あの2人が俺を気にかけてくれる限り、俺は、死なない。
死にたいとか、お前らがいる限りは大丈夫だとか、あんまり大っぴらには言えねぇけど。
俺は結局、三馬鹿と馬鹿女の話をすることなく、ダラダラと時間を消費した。