現実とゲームの区別がつかない女
抱き上げた方が早かったな。
番組側はうまく動画を編集して、いい感じに仕上げてくれるだろう。素材は提供してやった。これから起こる出来事も、素材として利用すればいいだけだ。
使えるもんなら使ってみろ。使えるもんならな。
「──く、──!」
「マネージャーさんに関係ないよねぇ?今、撮影中だよ?わたしは共演者。ソラくんと恋愛する権利があるんのに。とやかく言われる筋合いはないよ~」
「──っ!」
「うるさい害虫がわーわー騒いでる~。ソラくーん。こわーい」
馬鹿女の耳障りな金切り声が所々聞こえてくるが、大宮の声ほどクリアには聞こえない。俺が大宮の手首を掴んでいるから、密着しやすくなっているんだろう。
彼女は馬鹿女に見せつけるように、俺の身体へ身を寄せる。馬鹿女に現実ってもんをわからせるにはちょうどいい機会だと、大宮を拒むようなことはしない。
スマートフォンを手に持った俺は、画面に表示される文字を見る。そうして俺は、理解する必要があるとは思えない馬鹿女の主張を確認した。
『可哀想なソラくん……たくさん傷ついたよね……?そんな女なんかよりも、あたしの方がいいでしょ?あたしがソラくんを癒やしてあげる……』
何をもってして馬鹿女の方がいいのか、さっぱり理解できない。三馬鹿を手籠めにしていなければその発言は理解できるが、俺は馬鹿女にとって4人目の鴨だと知っている。
搾取され続けるとわかっているのに、こいつを愛する理由はねぇんだよな。目の前に居るだけでも嫌悪感が凄い。
俺のぶっ壊れた耳は、微かに聞こえる馬鹿女の声すらも拒否したいようで、雑音が酷くなった。
長いこと馬鹿女と顔を合わせていたら、ストレスでぶっ倒れてしまいそうだ。
俺は両手を広げる馬鹿女の前へ大宮から奪い取った台本を床に叩きつけると、馬鹿女に向けて問い質す。
「なんだよこれ。大宮にこんなの渡して番組炎上させるとか、何考えてんだよ!?」
『逃げ場がなくなれば、ソラくんはあたしを求めてくれるじゃない。みんな、ソラくんを待ってるよ』
俺を待ってる?馬鹿じゃねぇの。三馬鹿はもう、俺のことなんざなんとも思ってねぇよ。
好きな女を他人と共有とか、考えたくもねぇ。俺は馬鹿女だけは絶対好きにならねぇし、馬鹿女の逆ハーレムに加わるなんて死んでもゴメンだ。
水都だって、そう思っているに違いない。
水都には好きなやつがいるし、好きなやつに勘違いしてほしくねぇからガードが硬い。
俺には好きなやつがいねぇしメンタルが弱くて付け入る隙のあるから、優先的にちょっかいを掛けてきているだけだ。
この場で大宮と付き合うことにしたと宣言すれば、馬鹿女は言い寄ってこなくなるだろうか?
馬鹿だからな……。女がいたって、関係ねぇだろ。
交際している女や好きな女よりも、馬鹿女の方が俺にふさわしいとかなんとか決めつけて、言い寄ってくるに違いない。
なんで俺がこんなにストレスを溜め込まなきゃなんねぇんだよ。
ほっといてくれ。誰も話しかけるな。一人になりたい──。
「あれれー?マネージャーさんのお仕事って、担当のアイドルをサポートするのがお仕事だよねぇ?わたしの目には、マネージャーさんが与える必要のないストレスを与えて、ソラくんの輝きを曇らせているようにしか見えないんだけどなぁ~」
ストレスでどうにかなりそうな気持ちがどこかに消えてなくなったのは、大宮の声を聞いたからだ。
大宮の平均よりも高いソプラノボイスは、のんびりゆったりと話す口調も相まってセラピー効果があるらしい。
馬鹿女の声とは大違いだ。馬鹿女の声はストレスにしかならないのに、大宮の声なら、ずっと聞いていたいと思う。
狂ってんな……。
大宮の声なら、ずっと聞いていたいってなんだよ。
難聴だって診断受けてんのに、大宮の声だけクリアに聞こえる今の状況がおかしいんだぞ。いつか必ず、雑音にまぎれて聞こえなくなる。
その声を頼りにして、癒やされるとか……。ありえねぇだろ。番組が終わったら、交流が断たれる相手に、依存し始めていると気づくなんざ……。
『あたしの仕事は、アイドルとして皆を輝かせることじゃない。皆にあたしを好きになって貰えるように、活動することよ!』
──馬鹿女の発言に、目玉が飛び出るかと思った。
マネージャーの仕事は、アイドルが輝く為の雑用係みたいなものだ。
スケジュール調整や送迎、関係各所の挨拶回り……アイドルの手が届かない所まで気を配り、アイドルを売り出す為にプロデューサーと協力しながらサポートしていく。
この発言には大宮も空いた口が塞がらないようで、ド正論をぶつけた。
「それって、アイドルとしてのマインドだよねぇ。マネージャーは陰。裏方だよ~。アイドルの女になりたいなら、港区女子が天職なんじゃないかなぁ」
お前は馬鹿だから、身体売ってアイドルを誘惑するのがお似合いだろ。
そうやって現役の国民的アイドルに諭されたら、プライドが傷つきそうなものだが──馬鹿女は港区女子が何であるかも理解しておらず、放送されたらまた炎上しそうな嫌味を耳にしてもピンピンしている。
俺としては、泣き喚いてさっさと退場して欲しかったんだけどな。
その程度で泣くなら、三馬鹿は誘惑できなかっただろう。
『あたしがマネージャーとして皆をサポートしているからこそ、皆がアイドルとして活動していられるのよ』
このドヤ顔は頭に来た。
皆をサポートしているのはプロデューサーで、馬鹿女は三馬鹿といちゃついているだけだ。マネージャーとしてこなさなければならない業務は全てプロデューサーが代わりを務めている。
プロデューサーの負担を減らすために、俺と水都は自分でできる限りのことをしているつもりだ。
馬鹿女は、三馬鹿がアイドルとして輝く為の邪魔しかしていなかった。
そうだろうとは思ってたけど、それがマネージャーとして当然のことだと威張られたら、俺も我慢できない。
「本気でそう思ってんのかよ……!」
低い声で威嚇したつもりだったが、ぶっ壊れた耳では、自分の声が聞き取れない。
俺の傍に控える大宮が俺を落ち着かせようと手首を掴む俺の手に、指を這わせた。
「お──」
「現実とゲームの区別もつかないんだ……社会人として、だいぶヤバいよ~?」
馬鹿女の口が動く。俺が内容を把握するよりも先に、大宮の声が聞こえてきた。彼女は頭の出来を心配している。
現実とゲームの区別がつかない……?
一体何の話だと抱いた疑問は、表示された文字を目で追い、すぐに解消された。
『乙女ゲームの主人公は、イケメンを攻略しなきゃ、ハッピーエンドを迎えられないでしょ?逆ハーレムルートは、トゥルーエンドの扉を開く鍵なの!わたしは主人公なんだから、イケメンの攻略が仕事になるのは当然のことよね?』
乙女ゲームって確か、女が男を攻略するゲームだよな?
現実世界じゃありえない髪色をしたカラフルなイケメンに、主人公の女がチヤホヤされる所を追体験する……俺でも知っている有名なゲームは、高校の3年間必死に勉強をして男の好感度を上げるシステムだったはずだ。
簡単な話が、決定ボタンをひたすら連打することにより、ランダムでパラメータの数値が決まる。
本気でゲームと現実の区別がついていないなら、マネージャーとしての業務も、ボタン一つで挽回できると考えているのかもしれない。
こんなやつに三馬鹿共が誘惑されたのかと思ったら、怒りを通り越して呆れてしまう。
馬鹿じゃなくて電波だったか……。