馬鹿女の台本
「ソラくんに惚れちゃだめ!ソラくんは、これからわたしを好きになるんだから!」
俺たちが出演する恋愛リアリティーショー──これから君を、好きになる──は、最終日に男性出演者が番組名と同じ言葉を紡ぎ、女性出演者に告白する。
私も貴方を、好きになる──そう口にすれば、告白成功。
私の心は、私だけのもの──と口にすれば、告白失敗。
大人気番組として名高いこれ君には、これからあなたを、好きになってもいいですか──と題名付けられた姉妹番組が存在する。告白権利が女性側にあり、主なルールはこれ君と一緒だ。告白する性別が男女逆転するだけ。
大宮の口から、俺が告白するのは当然だと自信満々な言葉が出てきたことで、女性陣の顔色が強張る。
俺を狙っている女はいないだろうが、女の口から男性共演者に告白を強要するのは禁止されているからだ。
『花恋ちゃん、撤回した方がいいよ……』
『ルールに違反したら強制退場なのに、よくやるね』
『でもさ、人数が釣り合わなくなったら新メンバーが入るんじゃない?こういうのはバーターだから……花恋がいなくなっても、Imitation Queenの誰かが来るような気がする』
花恋の所属するアイドルグループ、Imitation Queenは七色虹花、神奈川焔華、坂巻桜散、大宮花恋の4人で構成されている。七色虹花はファンのみんなが恋人と公言しているので、恋愛リアリティショーになど出演しないだろう。
坂巻桜散は大人しく、恋愛リアリティショーで男性を翻弄するのは苦手そうだった。消去法で大宮の代わりが務まるとすれば、神奈川焔華しかありえないが──彼女はとにかく気が強い。
大宮の代わりに新メンバーが加入するなら、別のアイドルグループで活動している女性だろう。
「わたしは番組から降りろって大騒ぎされても、最後まで出演し続けるよ?わたしはソラくんのために、番組のオファーを受けたからね!」
「なんだよ、それ」
「ソラくん、これなーんだ?」
俺が大宮へ問いかければ、自身スマートフォンに文字を打ち込み、俺だけに見えるよう見せてきた。
男を誘惑するのに慣れきった仕草が、馬鹿女を思い出す。吐き気すら覚えながら、俺は文字を読んで目を見開く。
『king deceptionは崩壊寸前で、ソラくんの居場所はない。味方は多いに越したことはないと思うよ?わたしが、ソラくんの居場所を取り戻してあげる』
俺の所属しているグループが崩壊寸前であることは、ライブを見れば明らかだ。その原因が馬鹿女にあることは、映像を見ただけでは確認できない。こいつは俺が馬鹿女のせいで聴力を失いつつあることを知らなければ、何も知らねぇくせに俺を罵倒してきた畜生だ。
手を差し伸べられた所で、こいつの手を取るほど馬鹿じゃねぇ。
俺は大宮の携帯を奪い取ると、文字を入力して突き返す。
『何も知らねぇお前に、何ができんだよ。大きなお世話だ。炎上騒ぎをどうにかすることだけを考えろ』
『葛飾真凜がマネージャーになってから。king deceptionのメンバーが3人、使い物にならなくなっている。ソラくんが私の差し出した手を取れば、何もかもが元通りだよ』
『お前が俺にちょっかいかけてきた時点で、元通りになんてなるわけねぇだろ』
『わたしとの未来も、考えてくれたっていいんだよ?』
大宮は、いつだって笑顔を浮かべている。その表情が胡散臭くて、どうにも好きになれない。俺のこと狙っているなら、カメラの前で罵倒なんてする必要はなかっただろ。俺の好感度を下げてまでやるべきこととは思えず、俺は大宮を睨みつける。
聖母マリアのような笑みを浮かべた大宮は、俺を救う女神となり得るのか──。
「馬鹿じゃねぇの」
泣いて喚いた所で、誰も助けてなんかくれやしない。
俺は大宮から差し伸べられた手を突っぱねた。
「俺のこと罵倒したかと思えば、今度は俺を脅すのかよ」
「一難去ってまた一難。愛は障害があるほど燃え上がる。愛の障害を何度も乗り越えた恋人は、真実の愛を手に入れるの……!」
大宮の瞳はキラキラと輝いている。これが恋する乙女って奴か。くだらねぇ。カメラ映えを気にしているのか、彼女は身振り手振りを使って妙に芝居がかった声音で叫ぶ。大宮のスマホを貸し借りして内緒話をしていたかと思えば、突然大宮のオンステージが始まったのだ。
俺が共演者だったとしても、あいつらまたやってるよと視線を向ける。何事かとこちらに視線が向けられるのは当然のことだ。脂汗なんざ流している暇はねぇ。いい加減慣れねぇと。注目されるのが嫌とか、言ってられねぇだろ。
目の前にいる女は、馬鹿は馬鹿でも、強かな女だ。弱みを見せたら、付け込まれちまう。
「ソラくんはわたしのこと、なんとも思ってなかったよね?わたしのことをなんとも思ってない人から好きになって貰おうとするのって、すっごく大変なんだよ!」
大宮は俺の気を引くため、心無い言葉をぶつけてきたらしい。嫌いな奴を好きになるって、ツンデレじゃねぇんだから……。一度嫌いになったら、そいつが好きだと思い直すことなんざ、まずねぇだろ。
こいつはどっから、そんなよくわかんねぇ情報を仕入れてきたんだ?
「無関心から好きを引き出すのは難しいけど、嫌いを大好きにするのは簡単だよ!わたしのこと、たくさん嫌っていいからね!ソラくんがわたしのことを嫌いな分だけ、未来でわたしを大好きになるの。楽しみだなぁ~」
それってとっても、素敵なことだよね、と。
大宮はスカートを翻し俺に語るが、本当に素敵なことなのだろうか。俺にはドM女の妄想にしか聞こえねぇんだけど。
俺の周りに集る蝿のような女は、ろくなのがいねぇな……。こんなんでも馬鹿女よりまともだとか、考えたくもねぇ。
よくもまぁ、ここまでノーテンキに思い込めるもんだ。俺は大宮の正気を疑った。
こいつは馬鹿女と同類だ。関わるべきじゃないと──わかっているのに。俺は大宮が何を考えているのか理解するため、口を開く。
「あの時俺に言った言葉は、俺に嫌われたいから言っただけで──本心ではないのか」
「大好きな人を傷つける時、笑顔でお話なんてできないよ!わたしは渡された台本にちょっと手を加えて、ソラくんに伝えただけ。早くアイドルやめろとか、足手まといなんて思ってないよ。耳が聞こえないのにアイドル続けようとしているソラくんは、すごいと思う!」
……これが、大宮の本心だ。
あれは台本だと大宮の口から紡がれることを待ち望んでいた俺は、ほっと胸を撫で下ろす。大宮と敵対する必要など、なかったのだ。悪いのは大宮に台本を渡したスタッフで、俺はこいつと争う理由がねぇ。今まで通り、撮影が終わるまで恋愛ごっこに浮かれる共演者達を眺めていれば、俺の仕事は終わりだ。
「番組側は公式SNSで、台本はなかったと公表してんだけど」
「じゃーん。これ、なーんだ?」
公式SNSに掲載された謝罪文が嘘だと知らしめるために、大宮はカメラに向かって台本を掲げた。
撮影は継続されているが、撮影された映像はこのままお蔵入りになるだろう。番組側が嘘をついていたと発覚すれば、関連番組の今後に関わるからだ。できればこのまま、大宮一人に泥を被せたいはず。
「見てもいいか」
「見せてもいいのかなぁ~。本人が確認したら、すごいショッキングな内容なんだけどー」
「いいから見せろ」
「はぁい。どーぞ」
俺は大宮の許可を得て、台本の中身を確認する。
──空成くんは、メンタルが激弱。空成くんを激怒させるなら、ステージの振る舞い方を指摘するのが一番いい。耳が聞こえなくなってから、空成くんは自信を喪失している。足手まとい、早くアイドルをやめろと伝えれば、面白いくらいに激昂するはずだよ。
「なんだよ、これ」
これ、ほんとにスタッフが打ち込んだ文章なのか?
台本だと大宮が言うからには、俺に伝えた言葉がそっくりそのままドラマの脚本みたいに書かれていたものだと勘違していたが──どうやら俺の、勘違いだったらしい。
話し口調で畫かれる文字は、怪文書に近い。よくもまぁこの文字からあれだけ俺にダメージを与える文字がスラスラと出てきたものだと、感心するくらいだ。
大宮は、馬鹿女と同類ではなかったらしい。俺は少しだけ、彼女を見る目が変わった。
「台本だよー?」
「お前さぁ、この文章見て、よくあれだけ俺を罵倒できたな」
「えへへ~。わたし、演技の才能あるかも?」
「あるんじゃねぇの。アイドルやめたら、演技の道目指せば」
「いいかも!どんな役がいいと思う?」
「やってみたい役とかねーの」
「ん~。大好きな人の友達が悪女に心を奪われていると知って、心を痛めている大好きな人のために、悪女に心を奪われた友達を全員わたしのものにしてからこっぴどく振る役がいいなぁ~」
なりたい役が具体的すぎる。
簡単な話が、スマホの画面に文字を入力してやり取りしていた件を、諦めるつもりはないってことだろう。
こいつは俺たちが馬鹿女のせいで迷惑していることを、どこで知ったんだ?
カメラが常時俺たちの姿を撮影している状態で問いかけるわけにはいかず、俺はチラチラとこちらを見つめる大宮と視線を合わせる。
大宮は俺と視線を合わせる度に嬉しくて仕方がないのか、輝くような笑顔を向けた。
何がそんなに嬉しいんだか……意味わかんねぇ。
俺が具体的すぎる役についての話を広げることはせず、黙っているからだろうか。大宮は、俺に向けて爆弾発言をした。
「この台本を受け取った時、スタッフさんに喧嘩を売られたんだぁ」
「喧嘩?スタッフから?なんでだよ」
「ソラくんはスタッフさんのものになるから、わたしは踏み台に徹しろって。面白いよねぇ~。スタッフさんと共演者のわたしを比べるなら、わたしの方がワンチャンあるのに!」
嫌な予感がした。
どこにでも居る平凡な俺を今、熱心に求めている女は大宮を除けば一人だけだ。
これ君のスタッフにまだ見ぬ拗らせ女がいることだってありえるけど、望み薄だろう。俺とイケメンのどちらか1人を選べるなら、100人中99人はイケメンを指名するはずだからな。
大宮が台本と呼んでいる冊子だって、恐ろしくお粗末なものだった。これを馬鹿女が作ったのなら──全てに合点がいく。
「……そのスタッフって、これ君のスタッフか」
「違うよ?ソラくんのマネージャー。女の人から渡されたの。その人、聞いてもいないのにペラペラ個人情報漏らしてたよ。大丈夫なのかなぁ?わたし、心配になっちゃった」
大宮が俺を脅してきた際に内情を知っているような発言をしていた時点で、気づくべきだった。あの女は共演者には興味がないらしく、現場でもメンバーにベタベタすることはあっても、他の男に声を掛ける姿は見たことがない。
女にだってそうだからと、放置していたのが悪かったのだろう。
もっと周りに気を配るべきだった。
共演者達に、馬鹿女の言うことは気にするなと根回ししておけば──大宮は炎上騒ぎに巻き込まれることもなく、山なし谷なしの平々凡々な恋愛リアリティショーとして、名を残すことができたかもしれないのに。
「自称マネージャーさんとお話して、ソラくんが大変なことに巻き込まれているって気づいたの。ソラくんが困っているのなら、助けたいよ。わたしはソラくんのこと、大好きだから」
大宮に告白されているが、真面目に返事を返す余裕もない。
今はそんなことよりも、馬鹿女に文句の一つや二つくらいは言ってやらなきゃ気が済まねぇ。俺は大宮を無言で抱きしめる。
「ソラくんも……同じ気持ちだと思っていいの……?」
告白の了承だと思い込んでいる大宮は耳を真っ赤にしているが、俺には小っ恥ずかしいことをしてでも、成し遂げたいことがあった。
大宮の手から、握りしめた台本を奪い取ることだ。
大宮がいつから俺のことを好きなのかはわからない。
おそらく番組を盛り上げるための嘘だろう。恋愛リアリティショーに台本は存在しない。
共演者の中で一番輝き、恋愛を仄めかしたものが主軸となって番組は進行していくのだから。
炎上騒ぎに乗じてのし上がることしか考えていない大宮は、息をするように嘘をつく。
この台本だって、本当に馬鹿女から渡されたのかどうかすらも不明だ。
新たな火種を作るための嘘かもしれない。それでも俺は、この台本を手に確かめなければならなかった。
これ以上、番組の進行を妨げられることがないように。怒鳴りつけてやらなければ気が済まねぇ。
「ソラくん……?」
「大宮」
4台のカメラと、共演者の視線が一斉に俺たちへ向けられている。この場面は、間違いなく番組名を告げて告白する場面だ。
カップル成立。番組からの途中離脱は褒められたことではないが、炎上騒ぎを起こしている以上、24時間365日制作スタッフの元へご意見やご要望がひっきりなしに届けられている現状だって、大人も思うことがあるのだろう。
誰もがこのまま告白しろと告げる圧を感じながら、俺は大宮から台本を奪うと、彼女の手首を掴む。
「文句、言いに行くぞ」
「そ、ソラくん!?」
スマートフォンの画面を確認してねぇのに、大宮の声はよく聞こえた。告白の返事が聞こえるとばかり思っていた大宮は奇声を発しながら俺の後ろをついてきて、俺たちを見つめていた大人達は期待外れだと口々に話しているようだった。
心身のバランスを崩す元である、悪口が聞こえないのは、耳が聞こえづらい唯一のメリットだ。
雑音に混じって、途切れ途切れの声がうるさくて仕方がない。苛立っているせいで、俺の足は驚くほど早いスピードで歩みを進め、大宮を馬鹿女の元まで引き摺って行った。