ここに至るまでの経緯
──目の前で、地獄が顕現されている。
「葛飾真凛よ。全員骨抜きにしちゃうから、覚悟しなさい!」
頭のおかしい電波女がマネージャーになってから、俺たちの人生は狂い始めた。
「全員骨抜きにしちゃうからって、何様のつもりなんだよ。馬鹿らしい」
「あんなんで、俺たちのマネージャーが務まるのか?」
「仕事しろって話じゃね?」
「ほんとそれ!」
「皆さん。噂話は程々にしましょう」
意味不明な宣言をした新人マネージャーに対して、king deceptionのメンバーは変なのが来たと笑い飛ばす。
新人マネージャーが来るまでは、プロデューサーと一緒に6人7脚で頑張って来た。喜びも悲しみも分かち合った俺たちは強い絆で結ばれていて、この絆が一生続くのだと信じて疑っていなかったのだ。あの女が来るまでは。
「なぁ、真凜ってさ……かわいいよな」
最初に異変が起きたのは、リーダーの豊島烈火だった。意味がわからん。一緒になって笑い飛ばしていたくせに、1ヶ月も経てばすっかり心を許しているなんてさ。ありえねぇだろ。
「は?どこが」
「日本語通じないですよね、あの人」
「おれはプロデューサーの方が可愛いと思う」
「頭おかしくなった?」
烈火はメンバーから頭の出来を心配されたが、異変はこれだけに留まらなかった。月イチペースで、次々とメンバーが練習そっちのけでマネージャーに話しかけるようになったのだ。
「何やってんだよ。練習しろ!」
「やだー。空成くんこわぁい」
「ソラ。真凜が、怖がってんだろ?」
「そうですよ、ソラくん」
「練習なんてする必要ないよ!オレたち、完璧だもん!」
King deceptionのメンバーは、全部で5人。半年で半数を骨抜きにした馬鹿女は、アイドルとしての仕事よりも自分を愛することを仕事にしろとメンバーに命じた。
意味わかんねぇ。なんであいつらは、あっさり馬鹿女の魅力に取り憑かれているんだよ。どこがいいんだ。馬鹿デカい胸か?あいつらは容姿が優れていると馬鹿女をべた褒めするが、どう見たって整形だろ。握手会にやってくる女の方が、レベルは高い。
──メンバー全員が別々にファンと繋がり、手を付けた方がマシだった。
俺たちはアイドルとして、ファンに夢を届ける為に高みを目指していたんじゃないのかよ。
誰一人欠けることなく、武道館行こうなって、約束しただろ。
なんで約束を破るようなことするんだよ。そんなに大事なのか?
俺たち、仲間だろ。仲間よりぽっと出の女を大切にするとか、ありえないよな。そうだって言ってくれよ。冗談だって、笑い飛ばしてくれたらそれでいい。俺と水都は、怒ったりしないから。お前らが正気に戻るのを待ってる。だから、お願いだ。
「俺の話を──」
「ソラの話なんか聞いたって、意味ねぇよ」
「やりたいやつだけやればいいんだよ、本気でさ」
「真凜さんは本当に素晴らしい女性ですね。彼女に任せていれば、驚くほど順調に仕事が舞い込んできます」
なぁ、お前ら。知ってるか?
その馬鹿女が取ってきた仕事、全部プロデューサーが頭を下げて取ってきた仕事なんだぜ。四六時中お前らと一緒にいて、いつ仕事を取ってくる暇があるんだよ。お前ら3人が代わる代わる馬鹿女と乳繰り合っている間、プロデューサーは俺たちの為に走り回って、俺と水都は必死に自主練を繰り返しているって、なんで気づかねぇんだよ。
馬鹿女と乳繰り合っているお前らと、有り余った時間を練習に費やしていた俺たちの実力差が開くのは、当然のことだよな?
「なにあれ……」
「やば……」
「キンディセって、こんな低レベルなパフォーマンスをするグループだったっけ?」
半年ぶりに開催されたライブで、馬鹿女にうつつを抜かした三馬鹿は、アイドルとしてあるまじき姿を来場者達に見せた。
スポットライトが当たっても棒立ち。いつだって視線は舞台袖。ダンスはヘニャヘニャで振りは間違えるし音は外すわ、散々な出来だった。
「真凜ー!」
「どうでしたか、私達のパフォーマンスは」
「サイコーだったよ!」
「オレらに掛かればこんなもんよ!」
誰がどう見ても酷いパフォーマンスだったくせに、馬鹿女は三馬鹿を褒め称え、褒め称えられた方も頑張ったご褒美にハグを求める始末。
馬鹿じゃねーの?マジでありえねぇんだけど。
「ソラ。ちょっと」
暗い表情の水都とプロデューサーに呼ばれ、馬鹿女に洗脳されていない3人で現状を話し合う。
ライブ終了後から、SNSはお祭り騒ぎだった。
俺たちが所属するグループの悪評が絶え間なく投稿される画面を見続けていると、気分が悪くなってくる。俺と水都の頑張りは評価して貰ったが、三馬鹿の評価が地に落ちて、地面にめり込んでいる。
どれだけ馬鹿なことをしても、三馬鹿は俺たちの仲間だ。少なくとも俺はそう思っている。俺の言葉が届かなくたって、馬鹿女さえいなくなれば──俺たちは、またプロデューサーを含めた6人で、切磋琢磨しあえると、信じていた。
少し考えれば、すぐに分かるはずだった。
あいつらは魔法に掛けられたわけではなく、自らの意志で馬鹿女を好きになったのだ。やばい宗教にハマった教信者のような振る舞いをする奴らを正気に戻すのは、専門的知識を持たない俺たちには、難しいのだと……もっと早くに気づいて外部へ助けを求めたら。俺の耳は……無事だったかもしれない。
「お前らさ、なんで真凜を無視するんだ?」
「真凜は何もしてないのに……」
「真凜さんが泣くんです。全員で手と手を取り合って、楽しく過ごしたいと……」
和を乱してるのは誰だよ。馬鹿女の方だろ。あいつさえ居なければ、俺と水都は今まで通り、三馬鹿と関係を修復したっていいと思っていたのに……。
「何もしてない?冗談だろ」
「何かしたから、おれたちは関わりたくない」
「そりゃ、水都とソラまで真凜のことを好きになっちまったら、一週間で2回真凜を独占出来る日が1回になっちまうけどさ。みんなで仲良くできた方がいいもんな?」
「そうだよね。よくわかんない男と真凜を分け合うより、身内で分け合うほうがいいよ!」
三馬鹿の会話が薄気味悪くて仕方がない。1人の女を同グループ内3人で均等に分け合おうとする発想からすでに相容れないのだが、奴らはそうすることが当然だと思っているのだから手に負えない。
「あのな。日本では、複数人とは結婚できないんだぞ」
「同時に結婚はできませんが、真凜の夫になることはできますよ」
「何いってんの」
「三ヶ月スパンで離婚と婚姻を繰り返せば、私達は全員等しく真凜の夫を名乗れます」
「俺たちが18の誕生日を迎えたら、誕生日の早い順から結婚していくんだぜ!」
「水都くんとソラは僕たちよりも誕生日が遅いから、最後だね」
三馬鹿は意味不明な言動を繰り返している。
結婚?交際すらしてねぇのに?一妻多夫が認められないなら、短期間で離婚と婚姻を繰り返せばいい?馬鹿か。一夫一妻を基本とする日本で、そんなことをすれば、心無い視線を一生向けられ続ける。こいつらは頭がおかしくなっちまったんだ。
俺たちがどんなに手を尽くした所で、直せないくらいに……。
「おれとソラは、了承してないけど」
「照れんなって。お前らは4番目と5番目に真凜と結婚するんだぜ」
「これでずっとみんな一緒だね!」
「私達の絆は永遠です」
馬鹿女と婚姻することが、永遠の絆を結ぶ理由になる意味がわからない。
狂おしいほど一人の女を求めたことのない俺はともかく、水都は気の毒だ。水都はある人物に思い焦がれ、彼女を悲しませないためだけに、どうにかこのグループを立ち直らせようと努力しているのに──。
「交際すっ飛ばして結婚とか、意味わかんねぇ」
「ほんとに。ただただ意味不明。気持ち悪い」
「気持ち悪いってなんだよ?オレたちは皆、真凜が大好きなだけだ!」
「そうだよ!何も悪いことしてないのに……!」
「三股女の何処がいいんだよ」
俺が吐き捨てると、奴らは馬鹿女のどこに惚れたのかと話し始める。
デカい胸、可憐な容姿、甘えてくる仕草──三馬鹿の口から語られる言葉は全て、馬鹿女である必要性が感じられないものばかり。
人を好きになるって、そういうことじゃないだろ。
結婚を決めるほど大切にしたいと思った女の好きな所がありきたりな時点で、三馬鹿が抱く思いはその程度でしかないのだ。
結婚して、離婚を繰り返し、できれば俺と水都の5人で馬鹿女を共有したいとか、正気じゃねぇ。
「俺たちはアイドルとして、武道館に行く。そう、誓い合ったよな……?」
俺は恐る恐る三馬鹿に問いかけた。返答次第では、俺たちの友情は崩壊する。探るような視線を三馬鹿に向けて俺を見つめた水都が、固唾を呑んで見守る中──三馬鹿共は、あっけらかんと言い放つ。
「真凜がいるのに、なんでファンに笑いかけなきゃいけねーんだ?」
「僕たちは真凜のものだから、アイドルなんて続ける理由がないよね」
「私達は、武道館よりも大切なものができました。これからは、真凜を幸せにする為生きていきましょう」
信じられなかった。裏切られた気分だ。皆でキラキラ輝いていたあの頃は、嘘だったのかよ。なんで馬鹿女のせいで、俺たちの抱いた夢を破壊されなきゃなんねぇんだよ。冗談じゃねぇ。
「だったらやめろ」
「……ソラ」
「やる気ねぇならやめろよ!責任持って馬鹿女引き連れて、全員やめたらいい!真面目にアイドルとして頂点目指す、俺と水都の邪魔すんな!」
いくら声を荒らげても、三馬鹿には伝わらない。どうしたら伝わるんだ。どうにもならないことをどうにかするのに疲れた俺は、三馬鹿にアイドルをやめろと迫ってから、世界から色が失われたような感覚に襲われ──。
「ソ──だ──て?」
馬鹿女が俺の名前を呼び、何かを言っている。マネージャーである馬鹿女はスーツかオフィスカジュアルを義務付けられているはずなのだが、こいつがそうしたTPOに合わせた服を着ている姿など見たことがなかった。
まったく仕事をする気がない女は、胸の谷間がよく見える、どこぞのキャバ嬢だと言わんばかりの露出が激しい服を常に身に着けている。どこだと思ってんだよ。仕事場だぞ。ちゃんとマネージャーらしい恰好してこないと、俺たちが変な目で見られるって、なんでわかんねぇの?ほんと、気持ち悪い……。
「はぁ?」
「ソ──わ──しょ?」
馬鹿女の口が動く度に、途切れ途切れ聞こえてくる声がどんな意味なのか理解できない。不快なノイズ音が、馬鹿女の声をかき消しているのだ。
「ソラくん──」
「俺の名前を、呼ぶんじゃねぇ!」
馬鹿女が俺に伸ばした手を慌てて引っ叩けば、三馬鹿がパタパタとこちらに向かって走り出す。
パタパタと動く度に足音が聞こえるはずなのに、耳障りな雑音に掻き消されているからだろうか。微かにしか聞こえない。
「──っ!」
「ま──そ」
「──かった……!」
三馬鹿の口が次々と動くが、途切れ途切れに単語が聞こえてくるだけで、何を言われているのかさっぱり理解できない。表情を確認して、どうにか馬鹿女に手を挙げるなんてと怒っていることだけは把握したが……。
「何言ってるか全然わかんねぇ」
何だこれ。耳障りな雑音。怒り狂う三馬鹿と、様子のおかしい俺を手籠めにしようと手を差し伸べる馬鹿女に構っている暇などなく、俺はその場にしゃがみ込む。
ぐるぐるする。気持ち悪ぃ……。
「吐くかも……」
俺がボソリと呟けば、俺を取り囲んでいた三馬鹿と馬鹿女は瞬時に俺から距離を取った。へーへー、そうかよ。俺たちの友情はそんなもんか。
「あー、あ。あー」
今自分が口にした声すらも聞こえないのだ。口を動かし喉から声を出しているつもりだが、声が出ていない可能性だってある。わかんねぇ。すげー不便だな、この状況。
電話で助けを求めようにも、相手の声が聞こえないのだからどうしようもない。俺はめまいが収まるまで、事務所のど真ん中でしゃがみこんでいた。
──俺の様子がおかしいと気づいているくせに。
かつての仲間たちは俺に手を差し伸べるどころか、やばいやつ認定して逃げ出したんだぜ?笑えるだろ。あいつらがそんなに薄情な奴らだと思わなかった。
グループメンバーで信頼できるのは、水都だけだ。あいつの一番は片思いしている人だから、まぁ、俺は二人同時に溺れたならばあっさりと見捨てられるんだろうが。
裏切られ、無視され、捨てられた。
仲間との絆、強い友情ほど当てにならないものはないと、俺は現実を知る。
人間に期待するからそうなるんだろうな。
信じられるのは自分だけだと心を閉ざしていれば、傷つくことなどなかった。俺にとっては大切な奴らでも、あいつらにとって俺は所詮、その程度だったのだろう。
「ははは……」
本当に、笑える。
俺も彼女を作れってことか?
できるわけねぇだろ、彼女なんざ。
女は平凡な男よりもイケメンを好む。なんの取り柄もない地下アイドル崩れの俺なんかを好きだと言ってくれる奴らは、熱心なファンだけだ。
あいつらだって、俺に女性問題が発覚すればすぐに担降りするだろ。
人の気持ちほど当てにならないものはない。俺にどうしろって言うんだよ。これから俺は、どうすれば……。
「ストレス性の、突発性難聴ですね」
気持ちが落ちついてから、医者に行った。
アイドルとしての活動は難しいと宣言されても、俺はがむしゃらに頑張って来たはずだ。俺が生きた証を残すために。俺こそが正しいと世間へ知らしめるため、やってきた頑張りが──数回会話しただけの女に全て無駄だと笑い飛ばされたんだぜ?
黙ってられるかよ。
視聴者と業界人巻き込んで、俺が正しいってことを証明して見せる。
そうして戦いの火蓋は、切って落とされた──。