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心が壊れる前に、声が聞きたい

 

『兄さん、大丈夫?』


 三馬鹿が俺に襲撃をしかけてきた日から、弟が気持ち悪い。

 元々耳が聞こえなくなってから、学校ではべったりだったが、自宅のリビングで過ごそうものならすぐに飛んでくる。

 リビングを監視するためのカメラでも取り付けてあるのかと疑うほどすぐさま駆けつけてくる弟に、俺はドン引きしていた。


『兄さん、もう少しの辛抱だからね。もう少しで、全部終わるから』


 弟は不穏な文字を打ち込んだ画面を俺に見せると、安心させるためなのか笑顔を浮かべる。何がもう少しの辛抱なんだよ。馬鹿は死んだって治らねぇのに。

 弟に俺の気持ちなんざ、わかるはずがねぇ。

 大きなお世話だ。関係ねぇよな、引っ込んでろ。

 怒鳴ってストレスを発散する気にもなれず、俺は逃げるように外へ出る。

 弟はついてこなかった。

 俺を心配する素振りを見せるくせに、結局フリだけじゃねぇか。

 ついてきてほしいわけじゃねぇけど、心配しているつもりになって、優しい自分を演出するための道具として利用されるのはうんざりだ。

 両親と弟は、俺を都合のいい道具にしか思っていない。

 両親は反抗的な態度の俺が気に食わなくて、弟は両親の言う通りにすればいいのにと俺へ囁く。

 黙ってろよ。誰もが同じ考えを持った人間なら、誰も苦労しねぇだろ。

 俺には俺の意志があるから、こうして苦しんでいる。

 水槽に閉じ込められた魚は、死ぬまで一生水槽の中で過ごす。

 いつか海へ戻る日を夢見ながら、人間の都合で生かされる。

 人間に餌を与えて貰わなければ生きられないのに、餌すら与えられず、餓死してしまう。


 水槽で飼育される魚の一生は悲惨だ。


 俺もいつか、三馬鹿と馬鹿女のせいで、耳が聞こえなくなるだけではなく──命すらも失う可能性だって、ゼロじゃない。

 その気になれば、いつだって、遺書を残して命を終わらせる決断はできた。それをしないのは、俺にはその勇気がないからだ。


「えー、すごーい!」


 弱っている時は、大宮の声が聞きたくなる。

 その気持ちが届いたのか。聞き大宮の声が聞こえてきて、俺は声のした方向を見る。


 ──すぐに、その方向へ視線を向けるべきではなかったと後悔した。


 大宮の声は街頭モニターから流れ出る音源ではなく、肉声だ。

 それも、ただの肉声ではない。男と密着して、腕を絡めた状態で発される声は、大宮が楽しくて仕方がないときに発される声だ。

 俺は大宮と腕を組んで歩いている男の顔を確認して、愕然とした。


 なんで、大宮が烈火と。


 三馬鹿の一人である烈火と腕を絡めて大宮が歩く理由は一つだけだろう。

 大宮は俺の為なら何でもすると、これ君の撮影で告げた。それを実行しようとしているのかもしれない。


 余計なことはすんなって、釘刺したばっかだろ……。


 何で三馬鹿を誘惑しようとしてんだよ。

 俺は大宮の真意を確かめるために、物陰に隠れて距離を取りながら、様子を覗う。


「そうなんだぁ」


 大宮はすごい、素敵、そうなんだを大袈裟に告げて、三馬鹿の1人を必要以上に持ち上げている。合コンかよ……。

 たったそれだけの言葉を受けて、デレデレしている奴の気がしれねぇ。


 大宮は俺のだって、これ君を見たらわかんだろ……。


 俺は付き合ってもいねぇ大宮を当然のように彼女扱いしていると気付き、我に返る。

 大宮が勢い余って俺に口づけてきたが、番組内の最終話で告白をする決まりだ。

 俺たちは撮影が終了するまでお互いに好意を抱き合う共演者でしかない。

 大宮がプライベートで地雷男を誑かしていようが、俺に止める権利など存在しなかった。

 大宮に黙ってストーキングしていることがバレたら、百年の恋も冷めかねない。

 これ君の番組内では必ず交際を了承しなければならない理由はねぇから、問題はねぇけど……。

 俺はすっかり、大宮が紡ぎ出す声の虜になってしまった。


「今日はありがとー!大好きだぞ~」


 精神面が弱っている時、あいつの声が聞きたいと思うくらいには大宮のことが好きになっている状態で。三馬鹿のことが好きになったから俺はいらないとはしごを外されでもしたら──俺は命を断つ自信があった。

 握手会で、ファンと別れを惜しむ時のように馬鹿へ手を振った大宮は、1人になる。

 声を掛けるべきか悩んでいると、大宮の元へ歩みを進める男がいた。

 その背格好には、見覚えしかない。


風真(ふうま)くん!お疲れ様!会いたかったぁ~」


 三馬鹿の一人、杉並風真(すぎなみふうま)の腕へ大宮が纏わりついて歩き出す。

 よくもまぁ鉢合わせないように予定を組んだもんだ。

 この調子なら、間違いなく最後の一人である地城とも約束をしているのだろう。

 俺の自宅に押しかけて近所迷惑すら顧みず大騒ぎした地城とは、没交渉だ。

 姿すら見たくねぇ俺は、これ以上大宮が三馬鹿といちゃつく姿を直視すればストレスで永遠に耳が聞こえなくなる可能性を危惧して、その場を後にした。


 俺のことが好きだから、三馬鹿に取り入るっておかしいだろ。


 俺のことが好きなら、俺だけ見てろって言ったのに。

 なんで俺の為に他の男へ媚を売るんだよ。馬鹿女に社会の常識は通じねぇ。

 大宮がやられたことをやり返してやった所で、反省などするわけがないのに。


 大宮のやっていることは、無駄なことだ。


 そんな女だと思わなかったと、百年の恋も冷めるのは大宮ではなく、俺の方になるかもしれないな……。

 何、ショック受けてんだよ。大宮は言ってただろ。

 俺の為なら何でもできるって。俺の為にしてほしくないことをしているやつへ怒鳴りつけてやる根性もないくせに、勝手に傷ついて、ストレス溜め込んで。ほんとどうしようもねぇやつだな。

 だから舐められるんだろ。もっと強くならなきゃ、死ぬしかなくなる。

 気になっている女が他の男といちゃついてたからって、なんだよ。関係ねぇだろ。

 大宮はアイドルだ。異性との会話は避けられねぇし、俺の見ていない所では老若男女問わず、山程言葉を交わしている。

 交際することになったとしても、大宮が俺だけの女になることはない。アイドルを引退するようなことがない限りは。

 俺たちはアイドルだ。アイドルはファンに夢を届け、ファンを喜ばせる為に存在している。疑似恋愛を楽しむファンの為、アイドルは原則恋愛禁止だ。

 恋愛に現を抜かしている場合ではない。

 本来であれば、俺たちは恋愛リアリティショーに出演したとしても、当たり障りなく番組内で当て馬に徹し、可能性がない異性に告白をしてこっぴどく振られるべきだった。


 始まりは最悪以外の何者でもなかったが、大宮が俺に興味を示し、口づけまでしてきた以上、火遊びでしたなどと番組内で俺が告白して振られでもしたら、一度収まった炎上が再燃しかねない。

 俺と大宮のカップリングは賛成と反対が二極化しているらしいが、これ君を通じてカップルが成立した出演者はカップルでの仕事が増える。

 俺が所属するアイドルグループは、馬鹿女のせいで崩壊寸前。

 今後のことを考えるならば、個人の仕事があるに越したことはないはずだ。

 幸いにも、大宮の声だけは文字起こしアプリを利用しなくても聞き取れる。

 普通に会話ができるのだ。大宮がいれば、俺は今まで通り全力でアイドルとして輝けるような気がした。


 そのためには、大宮に対する告白を何が何でも成功させなければならない。


 三馬鹿と大宮がいちゃついているのは、無視しておけばいい。

 さっさと寝よう。ストレスは睡眠により、ある程度取り除ける。

 自宅は安全な場所じゃねぇけど、俺の部屋にさえ引きこもってしまえば安全だ。

 誰にも入り込めない、邪魔されることのない小さな城。それが俺の自室だ。


 両親に小言を紡がれたって、知るかよ。


 あいつらは俺が存在しているだけでも目障りなんだ。いちいち気にしていたらキリがねぇ。高校を卒業するまでの辛抱だ。

 高校を卒業したら、居心地の悪い実家なんざ捨てて、俺はアイドルとして仕事をしてきた金で、一人暮らしをするか……水都とルームシェアを──。


『18になったら、ソラは一人暮らしするのですか』

『そうなの?いいなー。僕もしたい』

『いっそのこと、みんなでルームシェアしようぜ!』


 プロデューサーを含めた6人7脚で、武道館を目指しながら、18歳までに目立った活躍がなければ。全員でルームシェアをしながら毎日楽しく暮らそうと誓い合った時のことを思い出した。


 あんなこと、思い出したくもねぇ。


 三馬鹿は馬鹿女に誑かされてから、俺たちのことなんざ思い出したこともないんだろう。

 未来の約束なんざ、するもんじゃない。

 俺たちの抱いた夢は、木っ端微塵に打ち消された。

 今はもう……。どんなに願っても、叶いやしねぇ。

 さっさと忘れよう。俺とルームシェアをする約束をしたのは、水都だけだ。

 三馬鹿は知らねぇ。俺のいない所でさっさとくたばりやがれ。


「ただいま──」


 俺は苛立ちを隠すことなく、乱雑に玄関ドアを開けた。


「──」


 まさか、三馬鹿との在りし思い出を思い描くよりも苛立つ場面が、玄関の扉を開けてすぐ目の前で繰り広げられているなど思いもしなかった俺は、その姿を見て絶叫した。


「──なんで、いるんだよ……!」


 弟が押し倒されている。

 犬や猫に押し倒されて寝転がっているだけなら蹴飛ばせばいいだけの話だが、上に跨っている人間が問題だ。

 弟に跨って押し倒している女は──俺の実家にいるはずもない、馬鹿女だった。


「っ、──!」


 馬鹿女は焦ったように声を上げる。

 違うの、これは違うとでも叫んでいるのだろうが、馬鹿女の釈明なんざ聞きたくねぇ。

 弟は優男に見えるが、腹の中は真っ黒だ。

 馬鹿女に唆されるほど馬鹿でないのは明らかなので、腹の中はおそらく大宮と同じことを考えているに違いない。

 どいつもこいつも。俺の為、俺の為って、好きに動きやがって。

 俺のために周りをどうにかするより、まずは俺の心に寄り添えよ。

 隠れてコソコソ根回しするしか脳がねぇ、馬鹿どもが……。


「ハル」

「──」

「てめぇは俺とそいつ、どっちを取るんだよ」


 弟は馬鹿女を突き飛ばすことなく、今にも泣き出しそうな瞳をしたまま俺を見つめている。泣きたいのはこっちだっての。

 何が悲しくて、信じていた仲間の次は弟まで馬鹿女に奪われなきゃなんねぇんだよ。

 たとえ大嫌いだとしても、堪えるもんは堪える。


「わかった。それが答えだな」

「──!」


 焦った弟が大騒ぎしているが、知ったこっちゃねぇ。

 俺に縋り付く馬鹿女を弟の方へ乱暴に突き飛ばし、来た道を戻り始めた。

 駅近くには、三馬鹿と代わる代わるデートに夢中な大宮がたむろしていて、家に戻れば弟と馬鹿女がお楽しみ中。

 飛び出てきたはいいが、水都の所に行くなら電車を利用しなければならなかった。

 水都へ泣き付く為にタクシー使って自宅に襲撃掛けるとか、それはそれでかなりあれだよな……。

 最悪はネカフェかカラオケボックスに籠もるかと決めた俺は、人気のない近所の公園に足を踏み入れた。


 どうして、こんなことになっているんだろうな。


 馬鹿女に言い聞かせても改善されないなら、目には目を、歯には歯をの理論でどうにか物事を片付けていくしかないと考えた奴らのせいで、俺は多大なる迷惑を被っている。

 大宮に恋をしたお陰で持ち直した気持ちが、一気に急降下していく。

 こうなってしまえば、止まれない。落ちる所まで落ちて、またちょっといいことがあった時に浮上するのを願うしかなかった。


「孤独に震えて 耳を塞いで

 声にならない悲鳴は飲み込み

 心が壊れる前に 声が聞きたい 愛する人の……」


 掠れた声で口ずさむのは、耳が聞こえなくなってから譜面を頼りに覚えた新曲だ。

 最悪の場合は、この歌をking deceptionのソラとしてファンに届けられないと、覚悟を込めて作ってもらった。

 俺の耳が完全にぶっ壊れて、歌えなくなったとしても。

 この曲は水都が歌う曲として、語り継がれる予定だ。


「片恋で終わるとしても

 結ばれることがなくたって

 咲き乱れる恋の花が

 俺を導いてくれるから」


 どこで誰が聞いているかもわからない公園で、未公開の楽曲を口ずさむなどどうかしている。

 情報漏洩を指摘されたら、アイドル人生が一発で終わる大問題だ。

 俺がすべての歌詞をフルで歌い終えるようなことはせず、中途半端に歌い終えた時だ。

 ぼんやりと空を見上げてジャングルジムを背もたれ扱いしていた俺の前へ影が差し、ある人物が姿を見せたのは。


「呼んだ?」


 三馬鹿とデートを終えた大宮は、俺に笑いかけた。

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