アイドル終了のお知らせ
「突発性難聴ですね」
──ストレス性の、突発性難聴。
治るかもしれないし、治らないかもしれないと言われた俺は、絶望の淵に立っていた。
『全員骨抜きにしちゃうから、覚悟しなさい!』
意味不明な宣言をした新人マネージャーのせいで、俺たちkingdeceptionは無茶苦茶だ。メンバー5人のうち、3人が骨抜きになった。いっそのこと残りの2人で独立して、活動を続ける話も出ていたが……。俺が突発性難聴になったことで、それも難しくなってしまった。
これから、どうやって生きていけばいい?
俺がアイドルとして輝けなくなったら、何も残らない。容姿やダンス、歌すらも。全てが平々凡々な俺は、アイドルとして輝いている時だけが、俺の生きる意味だと信じていたからだ。
生きる意味を奪われた俺に、価値はない。
『羽村空成、17歳。king deceptionのメンバー。アイドル。ソラと呼んでください』
プロデューサーから、恋愛リアリティショーに出ないかと誘われた。
突発性難聴と診断を受けた俺は、テレビ的にも撮れ高が期待できる、料理を引き立てるための高級食材としてキャスティングされている。
障がい者がどうすれば恋をするのか、社会実験をテレビカメラに収めて、視聴者から興味を引くにはするにはもってこいだもんな。馬鹿馬鹿しすぎて、真面目にやる気も起きない。
俺は障がい者と称されるほど、重度な難聴じゃねぇんだけど。
中途失聴者と生まれた時から耳が聞こえない奴らを一緒にするとか、どうかしている。
俺は完全に耳が聞こえなくなったわけではない。調子がいい時は途切れ途切れに声が聞こえる時もあるし、聞き取りづらいだけで、想像で補えば耳から得た情報だけで会話の内容を把握できる時もあった。
俺の耳からは常に、耳障りな雑音が絶え間なく聞こえている。調子がいい時だけはその雑音が小さくなって、途切れ途切れに人の声が聞こえ易くなるのだ。
中途失聴者の俺は、口話や手話の訓練を受けていない。
成長期をそろそろ終えようとしている今の時期から手話や口話を覚えてコミュニケーションを図るより、スマホの画面に文字を打った方が早いと思った。一から勉強している暇があったら、アイドルとして輝くための基礎訓練に力を入れたかったからな。
相手の声が聞き取れないだけで、俺は普通に話せる。
言葉は問題なく話せても、自分が話した内容を聞き取れないからな。吃音が出たりイントネーションのおかしい発音をしても、自分では気づけないせい。それを笑われたり馬鹿にされるのを恐れている中途失聴者は、手話や口話を覚えて声を極力発しない道を選ぶらしい。
俺は聞こえないからどうでもいいと開き直って、普通に声に出して会話している。
突発性難聴と診断を受けてもなお、アイドル活動を続ける健気な少年。
制作スタッフは、俺をエンタメとして消費したがっている。ある程度の所まで声を出すなと指示された俺は、仕方なくスマホに文字を打ち、出演者達とコミュニケーションを測っていた。
『今日はソラだな』
『ソラはアイドルなんだよね~』
『どこにでも居る、普通の男の子にしか見えないのに。不思議だわ』
『それじゃあ、答えてもらおうか』
普段俺は、スマートフォンの音声文字起こしアプリを起動し、画面に映し出された文字を見て内容を把握している。会話が早かったり、複数人の声が混ざると文字起こしアプリが認識不良を起こすので、意味不明な文字の羅列が表示されることもあった。
そうした時は俺がスマートフォンに文字を打ち込んでボタンを押せば、機械音声が俺の打った文字を読み上げてくれる。便利な世の中だ。
共演者たちは俺の意思を代弁する機械音を聞いて、聞き取れなかった言葉を1人1人繰り返してくれるんだから。楽なもんだぜ。
「耳が聞こえないのに、どうやってアイドル活動をするの?」
俺は音声文字起こしアプリが認識した文字と全く同じ声を、はっきり自身の耳で確認して顔を顰める。
少女の名前は、大宮花恋。国民的アイドルグループ、Imitation Queenの一期生。同期の中で一番影が薄いと巷で評判で、いてもいなくてもいい存在と称される。平々凡々。取り立てて特徴を上げるとすれば、名前と容姿が可愛いことしか取り柄がない。
俺の耳は過度なストレスによってぶっ壊れたはずなのに、この女が紡ぐ声だけは、何故か耳から聞こえてくる雑音に掻き消されることなく、はっきりとよく聞こえた。
──俺が聞きたい声は、お前の声じゃねぇのに。
俺を馬鹿にしてくる女の声だけは、はっきり聞こえるって、拷問以外の何物でもないだろ。俺は顔を顰めながら、スマートフォンに文字を打ち込む。
『生まれつき耳が聞こえなかったわけじゃない。旧譜なら身体が覚えてる。新譜は……メンバーに助けて貰いながら、何分何秒後に歌い出す、とか。身体に叩き込んでる』
「えー?そうなの?めちゃくちゃメンバーに迷惑じゃん!」
大宮は晴れ晴れとした笑顔で毒を吐く。何がそんなに面白いのか。笑顔を浮かべる大宮は、返答に迷っている俺へ畳み掛けてくる。
「できない人に合わせるって、すっごく大変なことなんだよ。みんなの足、引っ張ってるよね?早くやめた方がいいんじゃないかなぁ?」
悪気はないと思いたかった。俺が唯一聞き取れる女の声が紡ぎ出す言葉を聞いて、傷つきたくない。俺は必死に食い下がり、文字を打ち込むペースを速めた。
『俺は耳が聞こえなくなっても、グループを引っ張る側の人間だ』
「そう思いたいだけだよね?そう思わなきゃ、耳が聞こえないのにアイドルなんて続けられないよ。わたしがソラくんの立場だったら、絶対卒業するなぁ。メンバーに迷惑かけてまで、輝きたくないもん」
うるせぇ。黙ってろ。
俺とお前を一緒にするな。何も知らねぇくせに。俺が所属しているアイドルグループの内情、知ってんのかよ?お前らみたいに順風満帆な国民的アイドルグループなんかじゃねぇ。地下アイドルに毛が生えた程度の、底辺だ。
国民的アイドルグループの中では空気でも、国民的アイドル様からアイドルをやめろなんて、命令される筋合いはねぇだろ。
「わたし、ソラくんの耳が聞こえなくなった後に撮影されたライブ映像、見たよ。酷かったなぁ。音程も取れてないし、プロとして失格だよね。ファンのみんなが応援する価値もないよ!」
音程を外していたのは俺じゃなくて、馬鹿女にうつつを抜かして練習をサボってた他のメンバーだ。俺と水都は、最高のパフォーマンスを出し切った。
「不完全なパフォーマンスをするなんて、ファンに申し訳ないと思わないの?男性アイドルと女性アイドルって、求められるものが違うからかな。私がソラくんのファンだったら、返金を求めて大騒ぎするくらい酷かったのに……」
大宮は、俺と水都が必死になって汗を流しながら観客を盛り上げようとしている間、棒立ちで下手くそな歌とダンスを披露し続けたその他メンバーの話はせず、俺と水都のパフォーマンスは金を払う価値もないと批判し続ける。
なんで俺と水都だけが怒られなきゃなんねーんだよ。おかしいだろ。棒立ちでいかにもやる気ないですって顔しながら、舞台袖を見つめ続けていた馬鹿どもを批判しろ。
「ねぇ、ソラくん。ハンデを抱えながらも今まで通りアイドルとして輝こうとするのは、おこがましいと思わない?」
俺たちは二人きりで肩を並べて会話しているが、少し離れた場所には成り行きを見守るスタッフの姿がある。
俺を怒らせる為に、台本でも読み上げてんのかよ。
俺は何を言われたっていい。俺がもっとうまく立ち回れたら。仲間の目を覚まさせるほどの強い輝きを放ち、ストレス耐性に自信があれば。俺は、今まで通り最高のパフォーマンスを続けられた。
「恋愛リアリティショーなんて、出ている場合じゃないよ。そんな暇があるなら、練習しなくちゃ。世は、アイドル戦国時代。舐め腐ったパフォーマンスばっかりしていたら……すぐに別のグループへ逃げて行っちゃうよ」
そんなこと、指摘されるまでもねぇ。
俺はずっと焦っていた。このままじゃまずい。あいつらを正気に戻さねぇと、武道館どころか解散しちまう。せめて俺ら二人で時間を稼がねぇと。ファンの奴らが、愛想尽かす前に。
そうやって自分を追い込んで、追い詰めて──俺の耳はぶっ壊れた。
「……誰のせいだと、思ってんだよ」
「私のせいってこと?あはは!ごめんね?ちょっと刺激しすぎちゃったかな──」
「誰のせいで俺の耳が聞こえなくなったのかって、聞いてんだよ!」
八つ当たりもいい所だ。悪いのは俺に事実を突き付けてくる大宮ではなく、あの馬鹿女だ。あの馬鹿女さえマネージャーにならなければ。俺たちは5人で、大宮のように国民的アイドルとして名を馳せていたかもしれない。
あの馬鹿女がいる限り、俺たちがアイドルとしてトップを目指すことは難しいだろう。
全部馬鹿女が悪い。5人中3人が馬鹿女にうつつを抜かして、グループが崩壊しかけていると、文冬砲ですっぱ抜いて欲しいと何度願ったことか。
プロデューサーを含めた6人7脚で、武道館を目指す。
今となっては叶うことのない、儚い夢を──俺たちはまだ、諦めてはいない。
「ソラくん?」
「お前らみたいな女が、俺たちにちょっかい出してくるからだろ!?わかってんだよ!パフォーマンスが低下していることも、このままじゃいけないってことも!」
俺たちは1年間、必死になって改善を試みた。死にものぐるいで馬鹿女に誘惑されたメンバーの穴を埋めるために練習してきたその頑張りを否定されて、今すぐやめろなんて……数回会話しただけの女に、指摘される謂れはねぇだろ。
「俺たちがどんなに頑張ったって、どうにもならない事情があるんだよ!何も知らねぇくせに、俺と水都の頑張りを否定すんな!」
撮影されてる?知るか。
女に逆ギレなんてみっともない?制作スタッフは、こう言う画が欲しかったんだろ?
アイドルは健常者が働く場所で、障がい者はふさわしくないと現役の国民的アイドルに言わせるなんざ、どうかしている。
スタッフが文冬にリークするのが先か、放送に乗るかが先かは未知数だが、勝手にしろ。俺は知らん。
「アイドルやめろ?恋愛リアリティショーに出演している場合じゃない?てめぇに指図される謂れはねぇだろ!?ふさわしくないって考えるなら、視聴者煽って俺をクビにしてみろよ!」
大宮は俺が喋れないと認識していたせいか、怒鳴りつけた辺りから笑顔のまま固まっている。台本とは異なる俺の様子に、ビビっているのかもしれない。
「やってられるか、こんな撮影……!」
悲しくもないのにポタポタと瞳から涙が溢れ出ては、地面を濡らす。
みっともない姿は、カメラに映像として残されてしまった。視聴回数を稼ぐため、これから番組は全面に押し出していくのだろう。どうでもいい。俺は悪くない。俺の耳が聞こえなくなった理由を知りもしねぇくせに、指図して来た大宮のせいだ。このまま降板することになっても、後悔したりしねぇよ。
スマートフォンの画面をスリープモードにした俺は、大宮の前から姿を消した。