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The ability  作者: 不破陸
The ability
3/112

3.リネアとログの話(仮)

「では俺達は仕事に行ってくる、留守は任せた」


「腹減ったら冷蔵庫を適当に漁ってくれ、戸棚にクッキーもあったっけか? ま、夕飯までには戻ってくるよ」


二人の男達の背中を見送ると、そそくさと二人の子供達は戸棚のクッキーを捜し出した。


「エルのいいお目付け役ができたな」


車を運転しながら赤眼の男が言う。


「どうかな。シルファは確かに賢い子だが、エルとは相性が合わなさそうだ」


「エルが馬鹿すぎるってことか?」


歯に絹着せぬ物言いに青眼の男が眉間に皺を寄せて答える。


「端的に言えばそうだ。性格や頭の回転についてはともかく持っている知識量が違い過ぎる。恐らくエルはシルファの言っている単語を10分の1も理解していないだろう」


「そういえばエルと初めて会った時に、お前やたらと易しい言葉を選んで喋ってたな」


ツェンの言葉にバーズは当時を思い出して言う。


「あれでもエルは半分ほどしか理解できなかっただろう。かと言って流石にあの状況では幼稚園児をあやすように説明はできん。彼のプライドを刺激してしまう。俺もこの眼の力に頼らざるを得なかったよ」


「一緒に暮らすようになって大分マシになったけどよ、何でアイツはあんなに警戒心が強いんだ?」


ツェンの質問にバーズが顔を顰めながら答える。


「エルは5年程父親から虐待を受けていて、成人男性に対しては話しかけられるだけで凶暴性が出てしまう。細かい話は追々話そう。あの子の父親は口に出すのも憚られるようなクズだ」


「お前さん、珍しく怒ってない?」


ツェンの言葉に彫りの深い顔を嫌悪に満ちた表情にさせたバーズが答える。


「あれだけの力とカリスマ性を備えた少年をウチで引き取るしかなかったのが不憫でな」


「虐待ねぇ……」


ツェンがかつてエルに噛みつかれた首を擦りながら呟いた。



「美味し~い」


 至福の笑みを浮かべながらシルファが言った。


「こっちのもうめぇぞ」


 ガツガツとクッキーを貪るエルが自分の食べている分を差し出した。


「そんな食べ掛けの要らないわよ!! 紅茶を淹れてくるからもう少し落ち着いて食べましょう? そのペースじゃすぐ無くなっちゃうわ」


 そう言われると差し出したクッキーを惜しむように食べながら、エルは紅茶が沸くのを待った。


 そんな折、事務所の玄関が叩かれる。


 エルは立ち上がり覗き窓を見ると、こう言った。


「知らないヤツは家にあげちゃいけないって言われてるんだ。帰れ」


「ここにツェン・フォーカスという人がいると聞いてきたのだけれど」


「ツェンなら今いねぇよ」


 そう答えたエルの言葉にほくそ笑みながら、長い黒髪をした黒目の女性が言う。


「では中で待たせてもらっていいかしらぁ?」


 女は警察手帳を取り出すと覗き窓の前に突き付けた。


「何だそれ? 俺は字が読めねぇんだ」


 手帳を差し出した女が愕然とする。


「字は読めなくてもこれが何かくらい分かるでしょぉ?」


「知らねぇ」


「誰と話してるの?」


 紅茶を淹れて戻ってきたシルファがエルに問いかける。


「何か変な女がドアの前でツェンを出せってしつこいんだよ」


「変な女?」


 訝しげな顔でシルファが覗き窓を見ると白いシャツに黒のボトムスを履いた女性が立っていた。


 中でもシルファの目を引いたのはその豊満な胸であった。


「ツェンに遊ばれたのかしら……」


赤眼の男の言動を思い出し、シルファが呟く。


「ツェンなら今はいません。夕方頃には戻ってくると思うのでお引き取り下さい」


「少しは話が通じそうな人がいてくれて助かったわぁ。私は警官よぉ」


 シルファの声に気を取り直した女が再度覗き窓に警察手帳を突き付ける。


「それ本物ですか?ドアスコープ越しだとよく見えなくて。警察か何か知りませんがツェンは不在なので再度お訪ね下さい」


「直接見せたいからドアを開けてくれないかしらぁ?」


「手帳を見せたいだけならドアポストに投函して下さい。開けられません」


 やきもきしたように女が言う。


「これは捜査の一環なのよぉ。開けてくれないかしらぁ」


「見たところ貴方の手帳は東国のもののようですが、この国では執行権はありませんよね?せめてこの国の令状でも見せてから言って下さい」


 シルファの言葉にぐうの音も出なくなった女が言った。


「そこにお爺さんがいるはずよね?」


「誰のことですか?」


 女の言葉の意味が分からずシルファが聞き返す。


「ツェン・フォーカスがそこにいるでしょぉ?」


「先ほども申し上げましたがツェンなら仕事に出掛けていて今はいません。夕方には戻ってくると言っていたので再度お訪ね下さい」


 混乱してきた女が答える。


「騒がせたわねぇ、その言葉を信じて出直すことにするわぁ。私の名前はリネア=スレッグ、また来るわぁ」

立ち去る女の背を覗き窓で確認すると、シルファはお菓子の続きを楽しもうとテーブルへと戻る。


「遅かったな、もう全部食っちまったぞ」


 そう告げたエルと、紅茶もクッキーも食べ尽くされた惨状を見てシルファが涙目で叫ぶ。


「この、馬鹿ぁーーー!!」



「戻ったぜ」


「ただいま」


 赤眼の男と青眼の巨漢が事務所の扉を開けて入ってきた。


「おかえりなさい」


「おかえりー」


 本を読んでいたシルファと漫画を読んでいたエルが顔を上げて返事をする。


「すぐ飯にするから待っててくれ」


「そうそう、ツェン」


 台所に向かうツェンにシルファが声をかけた。


「昼に変な人があなたを訪ねにきたの。黒い長髪で黒眼の……後、胸の大きな女性が。リネア=スレッグと名乗っていたわ」


「何ッ!? そいつぁ本当か!?」


 眼を見開き慌てながらツェンが問いかける。


 あまりの形相に怯えたようにシルファが言った。


「ツェンが帰る頃にまた来るって言ってたけど……危ない人なの?」


「ああ、こうしちゃいられねぇ!すぐに支度しねぇと!!」


 ツェンが元自分の寝室へ駆け込むと何やら騒々しい音を立て始めた。


「バーズ……」


 不安げに青眼の男を見つめるシルファにバーズは告げる。


「心配する必要はない。いつものアレだ」


「ああ……そういうこと」


 シルファが同居してから一月ほど経つが、ツェンの性格は大体把握していた。


 最高級のスーツを着て髪を整え直したツェンが事務所に戻ってくると叫んだ。


「そんな危ないバディした女の子が俺を訪ねにきてたとはよぉ!!! 今日の夕飯は豪勢になるぜぇ!!?」


 エプロンを着けたツェンが火柱を上げて中華鍋を振り始める。


「余計なこと言わなきゃよかったかしら……」


 そう呟いたシルファだが、夕飯が豪華になるのなら別にいいかと思い直した。



「お前、本当にどうやってこれを作ったんだ? こんな食材に見覚えは……」


 テーブルに並べられた高級中華店で出てくるような料理を見てバーズが言った。


「俺は無からでも満漢全席を作り出せるって言っただろ? 細かいことは気にすンな」


「ツェンが腰を据えて作る料理って、いつも東国の料理よね。そっちの出身なの?」


 そう問いかけたシルファにツェンが答える。


「んー、まあ東っちゃあ東の方の出だなぁ。別に他の料理も作れない訳じゃないが、その辺は気分的な問題ってヤツさ」


「そういえば昼間に来た女性も東国の警察手帳を持っていたけど、もしかして知り合い?」


 再度問いかけられたツェンが返事をする。


「いや、知らないねぇ。俺は女の子の名前を忘れることはないんでね。苗字なら心当たりがあるが、まさか、な」


 ふとツェンが顔を曇らせた。


「まあそんなことはどうでもいい。冷めないうちに食っちまってくれ」


 表情を取り戻しツェンが告げると事務所の扉が叩かれた。


 ツェンは扉に走り寄ると襟を正して戸を開ける。


「宅配便でーす」


「お呼びじゃねぇんだよぉおおおおおおおおーーーー!!!!!!」


 ツェンの絶叫が事務所に響き渡った。



「いつ来るんだよぉ、その美女は」


 ソファに寝そべり不貞腐れたツェンが言った。


「別に美女とは言ってないでしょう。まあ、美人だったけど。夕方頃に帰るって伝えたからそろそろ来るんじゃない?」


「すっかり夜だぜぇ……?」


 20時を指した時計を見ながらツェンがぼやく。


「まあ今日来るとも限らないし、そんなに落ち込まないでよ。そういえばさっきの宅配便、ツェン宛てだったけど開けてみれば?」


 ツェンは緩慢な動きで起き上がると自分に届いた小包を開けた。


 その瞬間、箱が火を放ち爆発音が事務所をつんざいた。


 煤まみれになったツェンが叫ぶ。


「誰だァ!? こんなハッピーな悪戯かましてきた馬鹿はァ!!」


 赤眼の男のあまりの形相に怯えながらシルファが答えた。


「私じゃないわよ! というか、よく無事ね?」


 上半身のスーツと共に消し飛んだソファの背もたれを見てシルファが言った。


「ははっ! アフロになってる!」


 そう笑うエルの言葉にチリチリになった頭に手をかけると、ツェンが言った。


「もう今日は来なくていーや……」


「そんなことより大丈夫なの?爆弾みたいだったけど……」


 特定の範囲にしか影響がない仕組みだったためか、事務所に被害はほとんどなかったが心配そうにシルファが訊ねる。


「前にも言っただろ?俺様は不死身なんだよ」


「はいはい、シャワーでも浴びてきたら?」


 ツェンの答えに呆れながらシルファが告げた。


 その時、事務所のドアが叩かれ、バーズが扉を開ける。


「初めまして、リネア=スレッグという者で……どういうことなの……?」


 煤だらけの半裸の男と半壊したソファを見た女が言った。


「俺が聞きてぇよ」


 リネアの言葉を聞いたツェンが虚空を見やりながら呟いた。



 シャワーを浴び、髪を直し、新しく燕尾服を着たツェンが事務所に戻ってきた。


「お待たせいたしました、お嬢様。本日はどのようなご用件で?」


 背もたれのなくなったソファに座っている女に一礼をしながらツェンが言った。


「別に貴方に用がある訳じゃないの。ツェン・フォーカスを出してちょうだい」


「私がツェン=フォーカスですが?」


 そう告げるツェンに訝しげな表情をしたリネアが言う。


「貴方、ツェンの玄孫さんか何か?同じ名前を使っているのね」


「私に身内はおりませんが」


 ツェンの答えに眉を顰めリネアが告げる。


「延命治療を受けているのか知らないけれど、ここに200歳のお爺さんがいるでしょう? 出してちょうだい」


「そんなヤツいねぇよ」


 床に寝そべりながらポテチを頬張るエルが言った。


「いくら延命治療を受けているとはいえ、200歳は現実的ではありませんしね」


 エルの隣に座っているシルファが告げる。


「だとしても、200歳以上のツェン=フォーカスがここにいることは調査の結果分かったことなの。貴方達、嘘を吐いていない?」


「下らねぇ嘘は吐かねぇし、そんな爺はここにはいねぇ。用が済んだんなら早く帰れよ。俺はTVが見たいんだ」


 不機嫌な顔をしてエルが言った。


「何かの間違いではありませんか?私は二十歳ですが、データに0を打ち間違えたとか」


 リネアの隣に腰を下ろしたツェンがそう告げる。


「それはないわね。200年前に作られた資料から出てきた名前だもの」


 リネアに向けて青い眼を光らせるとバーズが言った。


「意味が分からんな。200年前の資料とその男に何の関係がある?」


「200年間のツェンの足取りを追って辿り着いたのがここなの。そんな偶然ってあると思う?」


 リネアの言葉にバーズが答える。


「200年間もの個人の記録など残っているものではない。君こそ何か嘘を吐いていないか?」


「嘘は吐いてないわよ。上司にそう言われたからここに来ただけ」


 その言葉を聞いてシルファが質問をする。


「自分で調べた訳じゃないってこと?」


「全部自分で調べた訳じゃないわよ。ただ、200年前の資料にツェン・フォーカスの名前があるのは事実なの」


「同姓同名の別人ではありませんかねぇ?」


 ツェンの言葉にリネアが答える。


「貴方を見ているとそう思いたいけれど、そうなると調査結果に疑問が生まれるわね」


「そもそも君は何をしにここへ来た? 東国の警察に嗅ぎ回られるようなことをした覚えはないのだが」


 バーズがそう訊ねるとリネアが告げる。


「私の国で200年前に死刑になるはずだった男を捕まえにきたの。最近になってその男が生きていることが判明してここに辿り着いた訳。調査方法なんかの詳しい話は言えないわ」


 リネアがツェンをじっと見ながら言った。


「赤い瞳、艶やかな黒髪、ここが200年前なら資料の通りなのにねぇ」


「資料の通りなら私は200年間、貴方を待ち続けていたのかもしれません」


 リネアの肩に手を回しながらツェンが言う。


「そういう下らないのは止めてちょうだい」


 その体を押しのけてリネアが言った。


「今日のところは出直させてもらうとしましょう」


 そう言い、一礼をするとリネアは去っていった。



「何なの、あの人。逮捕権もないくせに」


 憤ったシルファが刺々しい口調でそう告げた。


 その言葉にバーズが答える。


「一応ツェンを訪ねてきた客だからな。どうするのかはヤツの勝手だ」


「どう話を聞いても人違いだったじゃない」


 ソファに座り膝に頬杖をついて窓の外を眺めているツェンを見てシルファが言った。


「本当は200歳のお爺ちゃんかもしれないだろう?」


「あの女の言葉を借りるようで癪だけど、貴方までそういう下らないのは止めて」


 顔を曇らせて言うシルファにバーズが告げる。


「俺とあいつの付き合いは7年程だが、あいつの全てを知っている訳ではない。ツェンが追い返さなかったということは何かしら因縁があるのかもしれない。俺達がどうこう言う話ではない」


「いつも通り美人に目が眩んだだけじゃない? ……胸も大きかったし」


 シルファの言葉にバーズが答える。


「だといいのだがな。爆発物の件もある。何者かがツェンを狙っている可能性は高いが、本人が何も話さないようでは何も言いようがない」


 突然ツェンが立ち上がると、こう言った。


「ちょっと出かけてくる」


「また色街にでも繰り出すのか?」


 バーズの言葉にツェンは深く息を吐くと答える。


「あんな巨乳の美人に冷たくあしらわれたんだぜ? 俺の心は今非常に傷ついている。男は自信ってヤツを失っちゃダメなんだ。だからよ」


 勢いよく事務所の扉を開けると赤眼の男は駆け出していった。


「俺はそいつを取り戻しにいく!!」


 その残響が事務所に残る中、シルファがバーズに問う。


「さっき知ったけどあの人二十歳なのよね? 7年前っていうと13歳だけど昔からああだったの?」


「ヤツは昔から何も変わりはしないさ」


「そう……」


 バーズの答えに憐れむような眼をしたシルファが呟いた。


「13っていうと俺の一個上だな。来年には俺もああいう風になるのか?」


 エルの言葉に愕然とした表情でシルファが言う。


「あなた年上だったの!?」


「12。お前こそいくつだよ」


 自分と背もあまり変わらない、というより低い少年に少女が答える。


「今年で11」


「見た目はともかく、そうは見えねぇや」


 そう告げる少年に少女が質問をする。


「あなた学校には行っていたの? お父さんやお母さんは?」


 その言葉にエルは一瞬目を見開くが、しょげた顔をして答えた。


「学校には行ったことねぇ。親の話は二度とすんな」


 その様子に母の顔を思い出したシルファはエルを不憫に思い、優しい声でこう告げる。


「勉強しない? あなたの好きな漫画をもっと楽しく読むことができるようになるから」


「また漫画を読んでくれるってことか? 病院でお前が読んでくれた台詞は大体覚えてるから、それなら分かるんだ」


 エルの言葉にシルファが胸を張って答える。


「それだけ物覚えがいいなら文字なんてすぐ覚えるわ。私、博士号を持っているの。漫画だけじゃなくシルファ先生が色々教えてあげましょう」


「年下のくせに。でもまあよろしくな、先生」


 そう言いながら笑い合う二人に、バーズも薄く笑みを浮かべた。



「いい加減に出てこいよ」


 路地裏を一人歩くツェンが言った。


「チラッチラ、スコープでリネアまで狙いやがってまだダンマリかぁ!?」


 その瞬間、銃声が響く。


「当たらねぇよ!」


 音と同時に赤眼の男が発砲音の下に飛ぶように駆け寄った。


 襲撃者の姿はすでにそこになく、ピンの抜かれた手榴弾だけが置かれていた。


 爆発音の後、ボロボロになった燕尾服の男が黒衣の男を睨んで言った。


「これで二着目だ。弁償はしてもらうぜ?」


 黒い長髪を後ろで結んだ黒眼の男は黙ったままツェンに向けたリボルバーの引き金を引く。


「当たらねぇって言ってんだろ!!」


 銃弾を物ともせず一足飛びに黒づくめの男へとマグマのような赤い瞳をした男が飛び掛かる。


 男は後ろへ退くと閃光手榴弾を地面に叩きつけた。


「効くかァ!!」


 閃光の中、ツェンが捕らえたのは男が脱ぎ捨てたジャケットだった。


 男の気配はすでになく、手にしたジャケットを投げ捨てるとツェンは呟いた。


「何なんだ、あいつ」


 ひとまずは襲撃者を退けたツェンは安心して色街へと歩いて行った。



 早朝、腹痛に目を覚ましたシルファがトイレへと向かう。


 顔色を蒼白にさせ出てきた少女は事務所に繋がる扉を開けた。


 シルファが同居するようになってから彼女はエルが使っていた部屋をあてがわれ、エルはツェンのベッドを借りている。


 事務所に入るとはだけた胸をキスマークだらけにさせた黒髪の男がソファに横たわっていた。


 ゴミを見るような目でツェンを一瞥すると、シルファは冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出しコップに注ぐとそれを飲み干しまた自分の寝室へと戻っていった。



 ツェンがソファから起き上がると、台所で調理をしているシルファの姿が見えた。


「何してんだ? 朝飯なら俺が作っておくからまだ寝ててくれ」


「今何時だと思ってるんですか?」


 久しぶりに敬語でそう言われたツェンが時計を見ると7時を指していた。


「後、さっさとシャワーを浴びて着替えてきて下さい。目の毒です」


「厳しいねぇ、どうも」


 フライパンを振りながらシルファが言う。


「あなたが緩すぎるんです」


「へぇへぇ、ほんじゃま、ひとっ風呂浴びてくるとしますよ」


 そう告げるとツェンは浴室へと消えていった。



 ツェンが浴室から出て事務所に入ると彫りの深い顔を更にひきつらせたバーズが食卓の椅子に腕を組みながら座っていた。


「リネアに袖にされたのがそんなにショックだったのか?」


 青い眼の男の言っている意味が分からないまま食卓に着いたツェンは、テーブルに並べられた歪な物体を視界に入れるとこう言った。


「あ、ああ。俺様のセンチメンタルな心がまだ泣いちまっててね、今朝は調子が出なくてね……うん」


 シルファをチラチラ見ながらそう告げるツェンに、何かを察したバーズはソファに座ってTVを見ているシルファに声をかける。


「エルを起こしてきてくれないか? 揃ってから朝食としよう」


 蔑むような眼でツェンを見たシルファが事務所を出てエルの部屋に向かうのを確認するとバーズが口を開いた。


「これを作ったのはシルファか?」


「ああ……まあ、そうだな」


 スクランブルエッグとも言えないほど砕け散った卵の何か、どう見ても調味料を掛け過ぎたソーセージ、何故か置いてある茹でたジャガイモを見てツェンが答えた。


「どうしてこうなった?」


「そりゃこの料理の話か?」


 目の前の皿を指差しながら答えるツェンにバーズがこめかみをひくつかせながら言う。


「何故シルファが単独で作ったのかを聞いている」


「俺だって知らねぇよ! こっちだって訳の分からねぇヤツに狙われて気ぃ張ってんだ! 俺だけならともかくリネアやシルファちゃんやエルまで巻き込む訳にはいかねぇだろ! 考え事してたらシルファちゃんが料理を始めてたんだよ!」


 その言葉にバーズはツェンの眼を見ながら青い瞳を光らせると言った。


「事情は分かった。今日は久しぶりに大戦の頃のようにやってみようか」


「俺は遠慮しとく。ついては行くけどよ」


 悪魔のような表情をしたバーズの言葉にツェンが答えた。


「標的はお前のようだからな」


「最近子煩悩すぎやしねぇか?あんま良くないぜ、そういうの」


 ツェンの言葉に怒りを露わにしたバーズが言う。


「今のお前に言われたくはないな」


「俺は美人が見過ごせねぇだけさ」


 言い合った二人はお互いに苦笑した。



「しょっぺぇ!」


 卵料理であろう何かを食べたエルがそう叫ぶと水を飲んだ。


「わ、悪ぃな、塩加減を間違えちまった」


 同じく卵料理のようなものを食べたツェンが口の中をジャリジャリと鳴らしながら言う。


 ソーセージを口にしたバーズは無言で水を飲み続けている。


「ソーセージもやたら辛ぇし、大体何なんだよ、このまるのジャガイモは。ほぼ生じゃねぇか」


「今日は調子が出なくてな、すまねぇんだがちょーっと黙って食ってくれないか」


 俯いたまま肩を震わせるシルファを横目にツェンが言った。


「食えりゃ何でもいいけどよ、スラムでももう少しマシなもん食ってたぞ」


「そんなに不味いなら食べなきゃいいじゃない!!!!!」


 目を潤ませたシルファが椅子から立ち上がり、そう叫ぶと自室へと戻っていった。


 その様子を見たエルがジャガイモを齧りながら問う。


「もしかしてこれシルファが作ったのか?」


「あーそうだ。食えねぇんなら残しちまっていいぞ。さすがに調味料の使い過ぎだ」


 そう告げるツェンにエルが答えた。


「先生も料理は下手くそなんだな」


 ジャガイモを完食したエルが言う。


「せっかく作ってくれたんだ、全部食うよ。食えるだけありがてぇ」


 エルの言葉に二人の男も無言のまま食事を続けた。



 暗い顔をしたシルファが住居と事務所を繋ぐ扉を開けた。


 皿を洗いながらツェンが言う。


「顔色が悪いけど大丈夫か? 朝食が足りなかったってんならすぐ作るぜ?」


「いえ、そういう訳では……」


 腹部を抑えながらシルファが答える。


「さっきの朝食にでも当たったのか?すげぇ味だったけど一応全部食った。作ってくれてありがとうな」


 ソファに座ってTVを見ながらそう告げたエルを抱き締めると、目に涙を溜めシルファが言った。


「酷いことを言ってごめん……ごめんね……」


「何のことだよ。分かんねぇけど気にしてないから離れてくれ」


 その様子にバーズがシルファに青い眼を光らせる。


 それと同時に事務所の扉が叩かれた。


 バーズが扉を開けると目の下に隈を作った女がいた。


「調査し直してきたわよぉ……あら、何、修羅場?」


 エルを抱きながらその肩に頭を乗せ泣いているシルファを見たリネアが言った。


 青い眼を光らせるとバーズはリネアに告げる。


「丁度いいところに来てくれた。しばらくこの子達を頼む」


「お出かけかしら? いいのぉ? こんなほとんど見ず知らずの女に子供達を預けて」


 眠気からか間延びした声で言う女にバーズは答える。


「頼み事を聞いてくれるのなら、私たちが帰ってきてからツェンを連行するなり尋問するなり好きにしてくれて構わない。君を信じての頼みだ」


「へぇ、太っ腹じゃない。まあ私も子供には手を出さないわぁ。これでも市民を守る警察官だしねぇ」


 そう言ったリネアにバーズが耳打ちをする。


「そういうことなのぉ。確かに貴方達には聞きづらいことよねぇ」


「家の鍵も渡しておこう」


 リネアにスペアの鍵を手渡すと、バーズは事務所を後にした。


「昼過ぎには戻ってくるさ、シルファをよろしくな」


 リネアにそう告げ、ジャケットを羽織ったツェンがバーズの後に続く。


「妬けるわねぇ、貴方達」


 寄り縋りむせび泣くシルファの背を撫でているエルを見て眠そうな目をした女が言った。



「少しは落ち着いたかしら? 私、貴方達のことを任されたのよぉ。えぇと、シルファちゃん? だったかしら。特に貴方をね」


 赤く瞼を腫らし俯いたままのシルファにリネアが言った。


「こいつ今日ちょっと変なんだよ。代わりに話を聞いてやってくれるか。先生に分からねぇことを俺が聞いても分かるわけがねぇし」


「いいわよぉ。ただちょーっと坊やは席を外してくれないかしら」


 リネアの言葉にソファから立ち上がったエルが言う。


「坊やじゃねぇ、エルだ。バーズが信用したなら俺も信じるけど、シルファに変なことしてみろ。ただじゃおかねぇ」


 そう言うとエルは事務所の扉を開け、自室へと姿を消した。


「ほんっと、妬けるわねぇ」


 その背中を見届けつつ薄笑いを浮かべてそう言ったリネアが、シルファの隣に腰を下ろす。


「昨日の大人びた様子とは打って変わって今日は随分しおらしいわねぇ。どうしたのかしら?」


 シルファは俯いたまま何も答えない。


「ほぼ初対面の私に言いづらいのは分かるわぁ。でも少しは信用してくれてもいいんじゃない?一応バーズさんから貴方のことを任されてるのよ」


 少しの沈黙の後、シルファが涙声で呟き出す。


「多分、生理が来たんだと思います……。初めてで……」


「頭では分かっていても初めては怖いものよねぇ。お腹は痛いしメンタルも崩れがちだしね」


 俯きながらシルファが言葉を返す。


「そう……ではないんです……。知識として知ってはいますから……」


 その様子にリネアが言う。


「やっぱり私じゃ話づらいことがあるのかしらぁ?」


 再び泣き出したシルファを見てリネアが立ち上がった。


「エル君を呼んでくるわぁ。気が落ち着いたら一緒に薬局に行きましょう」



「本当にどうしたんだよ。泣いてる先生なんか見たくねぇぞ」


 シルファの隣に腰を下ろしたエルが言った。


「ごめんね、ごめんね……」


「何で謝るんだよ、何もされた覚えがねぇ」


 エルの返事にシルファがか細い声で呟くように言う。


「今とても具合が悪くて……あの事故があって以来、少しの吐き気でも…………死んじゃうんじゃないのかなって、怖くて、辛くて、悲しくて……君に酷いことを言ったまま離れたくなくて……」


 そう告げてまた泣きだしたシルファにエルが答えた。


「バーズに大丈夫だって言われたんだろ? なら大丈夫だ。怖がんなよ、酷いこと言われた覚えもねぇし」


「でも……でも……」


「もしお前が死んでも、辛いのも悲しいのも泣くのも俺達だ。だから死ぬとか言うな」


 その言葉に目を丸くしてリネアが言った。


「歳の割に凄い考え方をしているのねぇ」


「だってそうだろ? 死人は笑わねぇし泣いたりしない」


 エルの言葉を受けて彼の手を握り締めたシルファに、その手を握り返してエルが言う。


「もう泣くなよ」


「うん」


 涙を袖で拭くと、精一杯の笑顔でシルファが応えた。


「青春ねぇ、良い物見せてもらったわぁ」


 ほくそ笑んだリネアが言った。



 住居としての機能は残っているが廃墟のようなアパートの一室のドアを青眼の男が太い足で蹴り飛ばした。


 吹き飛んだドアの轟音に黒髪黒眼の男が玄関へリボルバーを向ける。


「置け」


 そう言ったバーズの光る青い瞳を見た男はリボルバーを床に置いた。


「お前の素性は分かっている。問答は無用だ」


 青い瞳を輝かせながらバーズがそう告げる。


「さすが大戦終了の影の立役者だな。ならばさっさと殺せ」


「死ぬ時を選べると思うな」


 長い黒髪の男にそう告げたバーズの肩を叩いてツェンが言う。


「俺が標的なのに勝手に死なれると後味が悪いんだが?」


 振り向いたバーズが告げる。


「私に意見をするな」


「ダメだね。お前は大戦時みたいにやるっつったけどよぉ、お前が決めたルールくらい守れよな。俺はやらねぇ」


「ふざけたことを」


 言葉の途中でツェンがバーズを殴り飛ばした。


「ふざけてんのはテメェだろ!! 大戦の時に何億人死んだと思ってんだ!!! 馬鹿親ぶりもいい加減にしやがれ!!!」


「さすが死神共のやり取りはスケールが大きいな」


 そう言った黒髪の男に赤眼の男が質問をする。


「つーか、お前誰だよ」


「名乗ったところでお前は知りもしないだろうが、ログ=ジェネクトという。大戦時、お前に仲間を殺された者だ」


 そう言った男にツェンが訊ねる。


「私怨か?」


「それはもうない、単純に仕事だ」


 頭を搔きながらツェンが言った。


「どこのどいつだ、そりゃ」


「そこの青い男に聞けば分かることだろう?」


 殴られた頬を擦りながら青い髪の男が言う。


「北の元帝国の残党勢力だな。リネアの件といい、今になってお前の力が狙われ出したのかもしれん」


「あんだけやったのにまだやるのか?次は領土ごと消し飛ばすぞ」


 その言葉にログが言う。


「赤眼の死神と敵対するくらいなら全世界から核ミサイルを撃ち込まれた方がマシという各国上層部の認識。与太話だと思っていたがお前を見ていると本当にやりそうな気がしてくるよ」


「今の俺は温厚だぜぇ? ただガキ共に手ぇ出すってんならお前はここで消す」


 赤眼の男の言葉に黒眼の男が答える。


「そうしてくれて構わない。どの道成果を上げられなければ始末される身だ。子供達も巻き込まざるを得ない」


「俺のことを知ってて依頼を受けたんだよな?それとも何か圧力でもかけられてんのか?」


 物憂げな顔で黒髪の男が答える。


「お前に仲間を殺されて以来、俺には帰る場所がない。だから来た依頼は受けている。死ぬと分かっていてもな」


「そのことなのだが」


 複雑な表情をしたツェンを押し退けるとバーズが言った。


「私が君を雇おう。君は今まで通り仕事をしているふりをして子供達を護ってくれないか? この先、同じようなことが起こらないとも限らない」


「俺も子供に手をかけたくはない。その契約は受け入れるが、何の成果も報告ができなければそのうちに俺は消されるだろう」


「連中も本気でツェンを殺せるとは思っていない。ヤツの頭に弾丸を撃ち込みましたが死にませんでしたとでも言うといい。こんなものは君の方が怒っていい案件だ」


 思案した後に男が答える。


「そうは言っても俺は残党勢力が死神を狙っているという情報を持ってしまっている。そう言ったところで結果は同じなのでは?」


「私がその気になればそんなことはどうにでもなる。君の死ぬ時を奴等に選ばせはしない」


 その言葉を聞き苦笑いをしながらログが言う。


「これも上層部の認識だが青眼の悪魔に関わってはいけないという意味がよく分かったよ」


「ろくでもない依頼を受けたものだな」


 そういうバーズの肩をつついてツェンが言う。


「あのー、さっきから割と冷静ですねぇ?」


「私は最初から冷静だが? そもそも何で私を殴ったんだ?」


 バツの悪い表情でツェンが答える。


「大戦時みたいにやるっていうからですねぇ、すっかり全人類を巻き込むようなヤツかと思いましてねぇ」


「この男一人と交渉するのにそんな訳ないだろう。今はもうこの眼の力を記憶を読む以外に使いたくないだけだ」


 強張った表情でツェンが言う。


「私口調だったし……」


「私は仕事中は常に私だ」


 完全に沈黙したツェンに頬を擦りながらバーズが言った。


「さっきのは貸しにしておこう」



「ただいま」


「戻ったぜ」


 青眼の男と赤眼の男が事務所の扉を開けるとそう言った。


「おかえり」


 ソファに座って漫画を読んでいた少年が答える。


「リネアとシルファちゃんは?」


「薬局に行くって言ってた。そろそろ戻ってくると思う」


 そう言ったエルの言葉通り事務所の扉が開かれた。


「戻ったわぁ」


「ただいま」


 挨拶を交わすと、瞼を腫らしたシルファを見たバーズがリネアに言う。


「面倒をかけてすまなかったな。この借りは必ず返す」


「いいのよぉ、この子たちとっても可愛いし。でも借りを返してくれると言うなら今すぐ返してほしいわねぇ」


「東国旅行に付き合えというのなら、ご一緒しよう」


「話が早くて助かるわぁ」


 二人のやり取りにツェンが口を挟む。


「それよぉ、俺は捕まりにいくようなもんじゃねぇか?」


「借りは返すものだろう?」


 頬を擦りながらバーズが言った。


「何かハメられた気がすんなぁ……」


 そうぼやいた赤眼の男に青眼の男が言った。


「安易に人を殴るなということだよ、ツェン君」

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― 新着の感想 ―
みんなかわいいね…基本的にみんな人がいいから、嫌な気持ちにならずに楽しく読めます…よき。
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