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The ability  作者: 不破陸
The ability
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2.シルファの話(仮)

『この研究を完成させれば人類は核に怯えることなく暮らしていける』


口癖のように母が言っていたその言葉を頭に浮かべながら、最終段階に入ろうとしている実験を栗色の髪をした少女が眺めている。


「シルファ、貴方には私の知識の全てを伝えてきたつもり。この実験が成功したら貴方は私のパートナーとなって研究の成果を世界の発展に役立てましょう」


そう言った白衣の女性に利発そうな顔つきの少女が笑顔で答える。


「はい、お母さん」


「貴方はきっと私より素晴らしい成果を残せるわ。私の理論段階の研究もいつか果たしてくれる……」


 シルファと呼ばれた少女を抱き締めながら白衣の女性がそう告げるや否や、けたたましいアラートが響いた。


 「どうしたの!?」


 白衣の女性が別の研究員に問いかける。


「調査中です!」


 研究員がキーボードを叩きながら返事をする。


「分かりました! 現在ハッキングを受けており、プログラムが書き換えられています! このままではシステムがダウンします!」


「ハッキング!? ここの設備は外部と繋がっていないのよ!?」


 白衣の女性は驚愕しながら一つの結論を導き出す。


「内部犯ってことね? 自爆と同じことじゃない……。とにかくシステムダウンだけは避けて! あの装置をプログラムで管理しないままでいたら、いずれこの辺り一帯が吹き飛ぶわ!」


「やってます!!」


 研究員がキーボードを叩く手が速まる。


「相手にシステムを掌握される前に、装置と熱源との接続は解除できました! ただこのままでは……」


「ええ、私たちは無事では済まないわね」


 白衣の女性が少女を抱きかかえると青い光が部屋を包んだ。


「せめて貴方だけでも……」


 響き渡る爆発音に少女の意識は失われた。



「調査するのは構わねぇんだがよぉ、何で俺が防護服まで着けなきゃならねぇんだ?」


 通信機越しにツェンがバーズに問いかける。


「建前として色々見られちゃまずいものがあるんだよ」


「動きづらいったらありゃしねぇ」


 文句を言いながらもツェンはバーズの指示通りに高濃度放射能汚染を起こした施設で生存者を求めて歩き回る。


「こんなところに生きてるヤツがいる訳ねぇだろ」


「それを調べるのがお前の仕事だ」


 施設の最奥部まで進む間、夥しい数の死体を見てきたツェンが10歳程の子供を抱き抱えたまま果てた白衣の女性を見て言った。


「いるじゃねぇか」


 ツェンは他に生存者がいないことを確認するとバーズに告げる。


「生きてるガキを一人見つけたが、他には見当たらねぇ」


「では外に用意してある車で除染施設まで向かってくれ。お前達が脱出し次第その研究所は封鎖される」


「了解」


 子供を担ぎ上げるとツェンは入り口に向かい歩を進めた。



「身に着けているものは全て外してから除染室に入ってくれ」


 通信機越しにバーズの声が聞こえてくる。


「このインカムもか?」


「ああ、中のスピーカーで会話はできるようにしてある」


 そう言われるとツェンは防護服を下着ごと破り捨てた。


「ふう、俺様の美を遮る服なんてこの世にあっちゃならねぇんだぜ」


「気持ちの悪いことを言うな」


 床に落ちた通信機からバーズの声が遠く聞こえる。


 ツェンは床に寝かせていた10歳ほどの子供の服を脱がせると呟いた。


「女の子、か」



 除染室には簡易的なベッドが置いてあり、そこに少女を横たわらせた。


「で、どうすりゃいいんだ?」


「まずはシャワーを浴びてくれ。お前が見つけた子供は目を覚ましたのか?」


 スピーカーからバーズの低い声が響く。


「いいや、まだ寝てる。この状況でシャワーっていうのは何とも犯罪的な響きがするぜ」


「存在自体が犯罪のようなヤツが言うことじゃないな。子供に意識がないのなら一緒に入ってくれ、二度手間になる」


 そう言われたツェンが少女を抱き上げようとすると、煤けた栗色の髪をした少女がもぞもぞと動いた。


 ツェンが動作を止め様子を窺っていると、うっすらと少女の眼が開いていく。


「お目覚めかい? お嬢ちゃん」


 聞こえた声と共に少女が目にしたものは丁度目の前にあったツェンの股間だった。


 次いでツェンの顔を認識し、自分が服を着ていないことに気づくと少女は悲鳴を上げる。


「いやぁぁぁぁーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!」


 少女はベッドから跳ね起きると部屋の隅で壁を背にして蹲った。


「そんなに驚かないでくれよ。別に取って食おうって訳じゃねぇんだ」


 怯える少女に向けてスピーカーから低い声が流れる。


「その男が君に危害を加えることはない。安心してほしい。我々は公安の者だ」


 混乱しているブラウンの瞳の少女が自分の体を抱きながら質問をする。


「今の状況は……?」


「詳しい話は後でするが君は高濃度の放射性物質を体に付着させている。そこは除染室だ、まずはシャワーを浴びてほしい」


 意識を失う前の記憶は曖昧だが、自分の置かれた状況を即座に理解した少女は立ち上がるとシャワールームへと向かう。


 ふらつきながら歩く少女にツェンが問いかける。


「大丈夫か? 手ぇ貸そうか?」


「見ないで!!」


 少女は手で体を隠しながら蔑むようにツェンを睨みつけ叫んだ。


「そいつは失礼を。まあ何かあったら言ってくれ」


 ツェンは少女に背を向け、そう告げた。



 用意された服を着た少女が除染室を出ると青髪青眼の巨漢が立っていた。


「私の名前はバーズ・クィンファルベイ。除染室でスピーカーから流れた声は私のものだ。色々と混乱していると思うが、まずは話を聞いてほしい」


 そう告げ、バーズは少女にソファに座るように手で促した。


 少女がソファに座るとバーズも対面に座る。


「君の状況について説明をしたいのだが、まずは名前を教えてくれないか?」


「シルファ・ヴィレーネ」


 無表情の少女が質問に答えた。


「ありがとう。説明をすると言ったが、その前に質問をしよう。君は今の状況を何処まで理解している?」


「多分、全部……」


 沈痛な面持ちでシルファが答えた。


 バーズが青い眼を光らせると、こう告げた。


「無理に話さなくていい。辛い質問をしてしまいすまない」


「お母さんは……?」


 そう問いかける小柄な少女に少しの沈黙の後、バーズが答える。


「私達が救出に向かった時には君を抱きかかえながら亡くなっていた」


「そう……」


 俯いたままシルファが呟いた。


「そんな暗い顔すんなよ、お嬢ちゃん。せっかくの美人が逃げちまうぜ」


 除染室から出てきたツェンがシルファに告げる。


「今は貴方に近づいてほしくないです」


「つれねぇなぁ、女の子に嫌われるのはショックなんだぜ?」


 検査服のようなものを着ているシルファと違い、いつもの黒いスーツを着たツェンが嘆いた。


「別に嫌ってません。近寄らないでほしいだけです」


「へぇへぇ、俺はお茶でも入れてくるとしますよ」


 汚物を見るような目を少女から向けられたツェンは、そう言いながら給湯室へ向かっていった。


「いい加減に見えるがそう悪いヤツじゃない。あまり邪険にしないでやってくれ」


「分かってます……」


 再び俯いたシルファが答えた。


「色々あって疲れただろう?しばらくここで休むといい」


「少し……一人にしてほしいです……」


 掠れた声で呟くシルファに給湯室から出てきたツェンがテーブルに紅茶を置く。


「俺達は隣の部屋にいるからよ、何かあったらいつでも呼んでくれ。俺は女の子のピンチにはいつだって駆けつけてやるぜ?」


 シルファは俯いたまま何も答えなかった。


 二人が部屋を出て行ったことを確認すると、少女はソファに顔を埋めて嗚咽した。


「お母さん……」



 泣き疲れて眠っていた少女が目を覚ますと一枚の毛布が掛けられていた。


 恐らくあの二人が気遣ってくれたのだろうと理解したシルファは給湯室で顔を洗うと、二人がいるであろう部屋の扉を開けた。


「おー、シルファちゃん。具合はどうだ?」


 パソコンで書類を作成しながらツェンが声をかけた。


「大分良くなりました。ただ『ちゃん』付けは止めて下さい」


「俺は女の子を呼び捨てにはできねーのよ」


 鋭い眼差しを向けるシルファにツェンがそう答えた。


 呆れた顔をしたシルファが質問をする。


「バーズさんは何処へ?」


「あいつなら一足先に俺達の事務所に戻ってるぜ。面倒臭いのを一匹飼っているのと、今回のことについて色々やることがあるらしい。まあ俺もさっきからその報告書を作ってるんだがよ」


 身構えるような姿勢でシルファが言う。


「貴方と二人切り?」


「そう警戒しないでくれよ。いくらシルファちゃんが魅力的だからって傷ついた女の子に手ぇ出すほど俺も落ちぶれちゃいないさ。そういえば名前をまだ言ってなかったな、俺はツェン・フォーカス、全ての女性を愛する稀代の美青年だ」


「止めてください、この状況だと尚更気持ちが悪いです。後『ちゃん』付けも」


 再び汚物を見るような目をしたシルファが言った。


「悲しいねぇ。とても密室に二人でいる美男美女の会話とは思えない」


「警察呼びますよ?」


 近くにあった電話に手をかけるとシルファが言った。


「悪ぃ悪ぃ。美人の前だとつい調子に乗っちまってね」


 ノートパソコンを畳んだツェンが言う。


「じゃあそろそろ俺達も行くとするか」


「何処へ?」


 ツェンが書類をまとめながら答える。


「バーズがいる俺達の事務所に、さ。ああ、その前にシルファちゃ……には病院で検査を受けてもらうことになる。俺ぁその間に君に似合う服でも見繕ってくるよ。さすがにその検査着のまま出歩く訳にもいかないだろ」


「貴方は……ツェンは検査を受けなくていいの? 貴方はあの施設内に入ってきて私を運び出したんでしょう?いくら防護服を着ていたとしても防ぎ切れる汚染度じゃなかったはずよ」


 自分達の状況を思い出し、不安げにシルファが訊ねた。


「最新型の防護服だったしなぁ。それに俺様は不死身なんだよ」


 自信に満ちた笑みで答えるツェンから視線を反らすとシルファが呟いた。


「馬鹿じゃないの……」



 ツェンが買い出しから戻り病院の待合室に入ると、広い室内に置かれた連なるソファの一つに青髪の巨漢と金髪の少年が座っていた。


「お前等も来てたのか」


 その姿を見つけたツェンが二人に声を掛けた。


「後はお前の報告書待ちの状態になったんでな。あまり長いことエルを一人にしておく訳にもいかない」


「そいつぁアレか? この間インスタントラーメン作ろうとしてこいつが事務所でガス爆発を起こしたからか?」


 ツェンの言葉に立ち上がったエルが叫ぶ。


「何か知らねぇが勝手にボムったんだよ!!」


「何か知らねぇが、じゃねぇよ! 事務所は荒らすなって言ってんだろ!」


 邪険に言い合う二人に地の底から響くような声でバーズが告げる。


「病院では静かにしろ」


 その声色に二人はバーズを挟んで大人しくソファに座った。


「あまりお前とシルファを二人切りにしておくのも危険だからな」


「俺の対応はずっと紳士的だぜ? 彼女が恥ずかしくないように服まで買ってきたんだからな」


 ツェンが差し出した5,6個程あるデパートの紙袋を受け取るとバーズはその中身を選別していく。


「お前どういう顔をしてこれをレジに通したんだ?」


「どういうって、普通の顔さ」


 自信に満ちた表情で言うツェンに、きっとこいつはこの表情で買ってきたんだろうな、と思うと答えた。


「分かった分かった。それを差し出して彼女に危険人物だと思われるといい。その方があの娘の安全のためだ」


 諦めたようにバーズは紙袋をツェンに返した。


「きっと気に入ってくれると思うぜ。何せ俺達はもうため口呼び捨てで呼び合う仲だからな」


 満面の笑みでそう答えると、ツェンは廊下の先に見える丁度検査を終えたシルファを出迎えにいく。


「エル、お前はここで待っていろ。俺は検査結果を聞いてくる」


 エルはバーズの背中を見送ると先日買ってもらったお気に入りの漫画をポケットから取り出す。


 文字は何が書いてあるのかほとんど分からなかったが、絵本を読むように少年はそれを楽しんでいた。


 程なくして更衣室から出てきた少女が紙袋をツェンに押し付けるのが見えた。


「二度と近寄らないで」


 心底軽蔑し切った眼差しをツェンに向けてそう言ったTシャツ短パンの少女は、ロビーに入ると漫画を開いたままこちらを見ている金髪の少年の隣に腰を下ろした。


 帰る宛てもないが変質者を頼る訳にもいかず、途方に暮れる煤けた栗色の髪の少女に金髪の少年が問いかける。


「お前、ツェンの知り合いか?」


「知り合いという訳ではないけど……貴方こそツェンの知り合いなの?」


 不躾な質問にそのブラウンの瞳で不審な眼差しを向けた少女の問いに金色の眼を持つ少年が答えた。


「俺はあいつ等と一緒に暮らしてるんだ」


 あの男は少年をも毒牙にかけているのかと思うと少女は意識が遠のきかけたが、気を取り直すとエルに問いかける。


「あいつ『等』ということは、他にも一緒に暮らしている人がいるの?」


「ああ、バーズっていう青い髪のおっさんだ。今は検査結果? とかいうのを聞きにいってる」


シルファが安堵の表情を浮かべ、エルに問う。


「バーズさんもこの病院内にいるのね?」


「え? うん、来てるけど……」


 少女が眼を輝かせて問いかける理由が分からず、エルは困惑したように答えた。


「じゃあお互いバーズさんの知り合い同士、仲良くしましょう。貴方の持っている漫画なら読んだことがあるわ。台詞回しが見事よね」


「俺は字がほとんど読めねぇから台詞は分からないけど絵が格好良いよな!読めるんなら何て言っているのか教えてくれ!」


 目を爛々と輝かせた少年に、シルファは断り切れずに絵本を読む母親のように膝に本を乗せ漫画の台詞を読み上げる。


 あまりに綺麗な朗読に周囲がざわつき始めた二人の下に、バーズが戻ってきた。


「エル君、シルファ君」


 バーズがいることに気づくと二人は顔を上げる。


「これはどういう状況かな?」


「よく分からねぇけど、こいつアンタ等と知り合いなんだろ?友達になったんだ」


「ツェンさんと喧嘩をしてしまい、行き場もなくこうしています」


 そう答える各々に青い眼を輝かせるとバーズは言った。


「大体は分かった。ツェンは何処にいる?」


 エルとシルファが同時に指した指の先にある通路でツェンが紙袋を抱えながらくずおれていた。


「シルファ、私は君にアイツが『悪いヤツじゃない』と言ったが」


バーズは一呼吸置くとこう告げた。


「好きなだけ蔑んでいい」



「俺はシルファちゃ……シルファのために可愛い服を買ってきたってのに、この嫌われ様かよ」


 不貞腐れながら車を運転するツェンが言った。


「とても10歳の女の子が着る服や下着とは思えないものが入っていたが」


「そこらへんは俺の個人的な買い物だ。ちゃんと店員にシルファの写真を見せてあの娘に似合う服を見繕ってもらったんだぜ? 今あの娘が着ている服だって店員が選んだヤツさ」


バーズは愕然としながらツェンに問いかけた。


「お前、シルファの写真を見せた後にあの服を買ったのか?」


「写真を見せた後か前かは忘れちまったなぁ」


 こいつのことだから店員の女の子を口説くか何かして誤解を解いたのだろうと、バーズはそう信じた。でなければ恐らく通報されている。


「ごめん、少し具合が悪くなってきちゃった。続きは休んでからね」


 後部座席で漫画の朗読を行っていたシルファが青い顔をして告げた。


「気持ち悪いのか? 飴でも舐めるか?」


 エルがポケットから取り出した飴玉を差し出す。


「ありがとう。でも今はいい。横になりた……」


 そう言いかけてシルファは嘔吐した。


 その様子を見たツェンは車を止めるとシルファの介抱をする。


「大丈夫か!? すぐ病院に引き返すからな!」


 シルファを後部座席に横たわらせ、嘔吐物の処理をしながらツェンが告げた。


「その必要はない」


 青く光る瞳でシルファを見つめるとバーズが言った。


「あんな事故があった直後だぞ!?生きてるだけでも奇跡だってのによくそんな無責任なことが言えたもんだなァ!!」


 声を荒らげてツェンが叫んだ。


「検査の結果に異常はない。その娘のはただの車酔いだ。早く事務所に帰って寝かせてやろう」


 渋々ツェンが運転を再開すると、低い声色でバーズに告げた。


「お前の言うことだから信じるけどよぉ。シルファに何かあってみやがれ、テメェを殺すぞ」


「できもしないことを言うものじゃない」


 ツェンは舌打ちをすると事務所へ向けて車を飛ばしだす。


 バックミラーにシルファの背中をさするエルが映った。



 事務所に到着したバーズはシルファを抱き上げると、二階にある事務所へ入り洗面所まで連れて行った。


 シルファは弱々しい動きで口をゆすぎ顔を洗う。


「私は死ぬのでしょうか?」


「馬鹿なことを言うな。車で漫画を読んでいたから気分が悪くなっただけだ」


 その言葉にシルファは俯きながら言った。


「私は何故生きているんでしょうね……」


 バーズは青い眼を光らせるとシルファに告げる。


「君があの施設で起こった事故から生き残れた理由については後で話そう。今は心労も溜まっている、ゆっくり休むといい」


 バーズはそう言うと項垂れるシルファの手を引いて歩き出す。



「私とツェンの寝室だが、ここで休んでいてくれ」


 バーズはシルファを自分のベッドに座らせると、そう言った。


「そこの冷蔵庫に飲み物が入っている。必要なら遠慮なく飲むといい」


 バーズが部屋を去ろうとするとシルファがその服の裾を掴んだ。


「一人にしないで……」


 淀んだ瞳で懇願する少女の隣に巨躯の男が静かに腰を下ろす。


 二人は黙ったまま時を過ごし、やがて寄り添う少女が眠りに落ちるのを確認すると、バーズは少女をベッドに寝かせ立ち去った。



「シルファは?」


 寝室から戻ってきたバーズにツェンが問いかける。


「寝た」


「せっかく腕によりをかけて作った料理も食うのはお前等だけかよ」


 応接室の机に皿を並べながらツェンが言う。


「お前の料理の腕は認めるが、気合を入れると訳の分からんものを作り出すところがな……こんな食材、ウチにあったか……?」


 机の上には豚の丸焼き、北京ダック等々、普通の食卓に上がることのないような料理が並んでいた。


「俺は無からでも満漢全席を作り出せる男だぜ?」


「言うことも訳が分からんな」


 そう言いながらバーズは席に着いた。


「うめぇ! うめぇ!」


 そう叫びながら貪るようにエルが料理を口にしている。


「あー、そうじゃねぇよ。この料理はこうしてこの皮にタレをつけてだな……」


ツェンが料理の食べ方をエルにレクチャーする。


 味の変化に感動しているエルを横目にバーズも並んでいる料理に箸をつけた。


「シルファが俺のベッドで寝ている。今夜はお前のベッドを借りるぞ」


 料理に手を伸ばしながらバーズが言う。


「お前と一緒に寝るとか嫌なんだが?狭ぇし」


「寝るならお前は事務所のソファで寝ろ」


 その言葉にカチンときたツェンが叫ぶ。


「シルファちゃんにベッドを貸してるのはお前の都合だろ!? 何で俺がソファで寝なけりゃならねぇんだ! 大体頼み事をしてるんだから言い方ってものがあるだろうが!?」


「女を連れ込んだ時以外にお前がベッドを使っている姿を見たことがなくて、つい、な」


「その話は止めよう。ここには青少年もいるんだ」


 バーズの言葉に畏まりながらツェンが言う。


 建前だろうが一応そういう線引きはできるのかと思いながらバーズが答えた。


「じゃあ、今夜は君のベッドを借りさせていただくとするよ、ツェン君」



 バーズが目を覚ますと、腕にしがみ付き背中を体に押し当てるように隣で眠っているシルファがいた。


 バーズは起き上がると、毛布をシルファにかけ直し部屋を後にした。



 洗面所で身支度を整えたバーズは事務所へ向かう。


 早朝のこの時間帯、基本的にツェンがいることはないが事務所に入るとソファに横たわりながら本を読んでいるツェンがバーズに声をかけた。


「おー、起きたか」


「いたのか」


 読んでいた本を閉じるとツェンが起き上がる。『核と共存するために必要な人類の進化』と表された本には著者名にソフィア・ヴィレーネと記されていた。


「しかしシルファちゃんの母親もとんでもねぇ研究をしてたんだな。核の完璧な安全運用は不可能なことを前提に人間の方を放射線が無害になるよう進化させようってんだから。『事象に怯えるのではなく、我々が進化することで事象をねじ伏せるのです』なんて台詞、シルファちゃんがあんな強気に育った理由が分かるぜ」


「強気に見えても心根はまだ子供だ。狂言とはいえあまり変なことはするなよ?」


 コーヒーを沸かしながらバーズが告げた。


「へぇへぇ、分かってますよ。ただこの女、どう見ても男嫌いなんだがシルファちゃんはどうやって生まれたのかねぇ」


「シルファは試験管ベビーだからな」


 ツェンが引き攣った笑みを浮かべながら難しい表情をして口を開く。


「随分と詳しいな?」


「元々あの施設にはその研究データを回収に行くために目をつけていたからな。母娘共々調べ尽くしてある。施設の暴走でこんな形になってしまったが研究データ以上のものを回収できた」


 邪悪な笑みを浮かべるバーズにツェンが問いかける。


「そりゃシルファちゃんのことか?」


「ああ、彼女は放射線に対して完全な耐性を持っている。皮肉な話だがシルファが生まれた時点でソフィアの研究は果たされていた」


 ツェンはソファに深くもたれかかると再度問いかける。


「データが欲しいだけだったらお前がソフィアの所に行けば一発だっただろ?」


「彼女には俺の力が通じないみたいでな。恐らくその本の連名にある男の仕業だ。お前も覚えているだろう?」


 ツェンが手に取った本の表紙を見るとソフィアの名前の下にレーベルク・ヴァン=ホドルコフスキーと記されていた。


「誰だっけ? こいつ」


「大戦時にあれだけ暴れ回ったのに忘れたのか? もう少しで大陸の北部が消滅するところだったんだが」


「男の名前なんざいちいち覚えちゃいねぇよ」


 デスクに着き、コーヒーを口にしたバーズが告げる。


「北の帝国の元・元帥だ。100年続いたあの戦争も始まりは各国がお互いを牽制し合うための小競り合い程度のものだったが、この男が現れてから戦争は急速に激化した。ヤツ自身優秀な科学者でもあるが技術の使い道を履き違えた狂人さ」


「あー……アイツかぁ、核とかクローンとか人工細胞とかもこいつの発明だったか? 確かお前さんに息の根を止めるよう言われた記憶があるんだが、何で生きてるんだ?」


「お前が取り逃がしたからだろう」


 ツェンは両の掌を天へ仰がせ言った。


「昔のことは忘れちまったなぁ。男のケツを追いかける趣味はないんでね」


「まあ、戦争は終わったんだ。それでいい」


 コーヒーに映る自分の瞳を見つめながらバーズが言った。



「おはようございます」


 しばらくすると目を覚ましたシルファが事務所の扉を開け挨拶をした。


「おー、おはよう。よく眠れたみたいだな。今、朝飯を作ってるから待っててくれ」


 台所でフライパンを動かしながらツェンが言った。


「シャワーを貸していただけませんか?できれば昨日、ツェンさんが買ってくれた服も着たいのですけれど……」


 嘔吐物のシミが残る服を気にしたシルファがそう言った。


「俺が選んだ服を着たいってことかい?」


 そう告げるツェンに少女が怒声を上げる。


「着る訳ないでしょう! 変態!!」


 見かねたバーズがシルファを浴室に案内すると紙袋を手渡した。


「悪いヤツではないはずなんだ」


「悪い人ではないのかもしれませんけど貴方の言った通り軽蔑に値します」


 そう告げるとシルファは浴室に繋がる扉を閉めた。



 シャワーを浴びながらシルファが昨日のことを頭に思い浮かべる。


 元々人間関係が稀薄だった少女にはバーズ達と過ごした半日ほどの出来事が、何年もの出来事のような濃密な日々に感じられた。


 記憶を手繰ると母親の最後の姿を思い出したシルファは膝を抱える。


 何故実験は失敗したのだろう、何故公安が来たのだろう、自分はこれから一人母のいない家に帰ることになるのだろうか、様々な思いが胸に去来した少女は水滴に打たれながら立ち上がることができなかった。



 浴室を出て事務所の扉を開けると三人の男達が朝食をとっていた。


 少女の姿に気づくとツェンが声をかけた。


「長風呂だったなぁ。その服も良くお似合いだぜ」


 赤眼の男から顔を背けた白いシャツに七分丈のパンツの少女が、空いているバーズの隣の席に座る。


「大体食い尽くしちまったが、君の分は残しておいたよ」


 そう告げるとツェンは目玉焼きとパン、ソーセージ、サラダ等が乗った皿をシルファに差し出した。


「ちょいとばかり冷めちまってるかもしれないが、味は保証するぜ」


 黙ったままの少女が食事に手をつける。


 昨日から何も食べていないこともあって食事を口に運ぶ少女の手は止まらない。


「そんなに喜んで貰えると作った甲斐があったってもんだ」


 その言葉にシルファは手を止め、顔を背けつつ横目でツェンを見つめ告げる。


「……美味しいです、ありがとう」


「礼なんていいんだ、全部食ってくれよ。どうせ明日も食うことになるんだから」


 意味が分からずシルファが聞き返す。


「明日も?」


「朝食後に説明をしようと思っていたが、君には今後いくつかの選択肢が」


「そういうダルいのはいいんだよ」


 バーズの言葉を遮ってツェンが言った。


「俺達は君を浚ってきちまったんだ。あの服を着てくれるまでは家には帰せねぇな」


「それじゃあ一生帰れないじゃない、この人さらい!」


 そう言いながら、シルファは笑った。

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あなた…一体どんな服を買ってきたのよ…
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